『月をナイフに』


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《二》旅立つのも困難なのですっ02



 重苦しい雰囲気のまま、真珠とマリは街に向かって歩いている。
 街道沿いには真珠が見たことのない植物が生えている。基本は地球と同じ緑の葉を持っているが、中には思わず目を瞠(みは)ってしまうような色をしたものもあった。青や桃色、赤い葉っぱを見て、首をひねる。花とは明らかに違っているのだ。地球にも赤い葉を持つ植物はあるが、さすがに青や桃色はない。花ならそんな色も存在するが、ここが地球ではないという証明代わりにしか今の真珠にとってはない。
 生物の授業で植物は葉緑体を持っていて、それが光合成をして……と習ったけど、世界が違うと仕組みも違うのかなとどうでもいいことをぼんやりと考えていた。
 そんなことを考えなければ、あまりの雰囲気の悪さに胃がきりきりするのだ。
 しかも、時間が経てば空の色はもう少し回復するだろうと思っていたのに、さらにどす黒い色に変化している。くっきりと見えていた太陽は雲に隠れてしまったのか、姿が見えなくなってきた。
 日の出からしばらくは明るかった世界が、太陽が雲に覆われたせいか、薄暗くなってきて、世界は徐々に色を失っている。
 真珠たちが歩いている道に沿って生えていた植物も、あんなに生き生きとした色を主張していたというのに、気が付けば萎れ、くすんだ色に変わっていた。
 太陽が隠れて日がささないからこんな色になったのかと思っていたのだが、どうにもそんな感じではない。
 なにかがおかしいと真珠は感じて、足を止めた。
 マリもつられて止まり、真珠を見た。

「……カッシー?」

 マリの呼びかけに、真珠は首をかしげ、マリを見た。
 真珠は腕を組み、顎に手を当てて口を開いた。あ、この癖、琥珀のだななんて思いながら。

「あ、うん……。あのさ、ぼくはこの世界のことはまったく分からないんだけど、太陽が雲に隠れただけで、植物の色が褪せていくこと、あるの?」

 と言いながら、真珠は空を見上げた。
 雨が降りそうな天気……とはまた違う、不吉な予感しか感じさせない、嫌な空の色。濁った青と紺と紫と赤が混じり合い、黒くなっていく。遠くへと視線を向けると、水平線のあたりは灰色と黄色とオレンジが入り混じった色をしていた。
 マリもつられて空を見上げ、息を飲んだ。明らかに今まで見たことのない色が上空を覆っていたのだ。視線を落とし、周囲に視線を向ける。萎れた植物たちに、マリはその光景を否定するかのように首を強く振った。

「ありえません……」

 真珠の予想通り、この光景は異常と見て間違いないようだ。
 太陽の姿は見えないけれど、真っ暗になっていないところを見ると、雲に隠れているだけと見ていいようだ。しかし、空を見上げても、どこまでが雲で空がどこなのか、判別がつかない。
 この変化はやはり、巨大水晶がなくなり、アメシストがあんなことになったこと以外、考えられない。

「一刻も早く急がなくては!」

 真珠の言葉に、マリがうなずいた途端、足元になにかが突き刺さった。
 二人はとっさに避け、傷を負うことはなかったが、突然の出来事に真珠はただ、おろおろして、マリは懐に隠していた片刃の短刀を取り出した。

「何事ですっ!」

 マリの声に、真珠たちの立っている横の草木がばっさりと切り裂かれ、そこから一人の男が姿を現した。
 くすんだ金髪は短く刈られ、こげ茶色の双眸には怒りの炎が見て取れた。

「マリとそこの男、アメシストの仇っ!」

 背中に背負っていた剣の柄に手をかけて抜くと、真珠とマリに向かって切っ先を向けてきた。諸刃の大剣で、マリの短刀で太刀打ちするのは無理だ。しかも、男は重そうな大剣を軽々と構えている。どう見ても、真珠とマリたちが不利な状況だ。
 真珠は周囲を見回し、なにかないかと探した。
 そして、先ほど足元になにかが刺さったのを思い出し、地面を見た。投げられたものがナイフであれば、心もとないが、ないよりはましだろうと思ったのだが……釘を太くしたようなものが突き刺さっているだけだった。こんなものでは、助けにもならない。
 マリと男はにらみ合い、相手の出方をうかがっているようだ。
 真珠はとりあえず、この場では空気になるのが最良だと判断して、男が登場する際に切り払った木の枝を拾い、木のふりをしてみることにした。
 右手に青い葉が付いている枝、左手には桃色の葉の枝を持ち、天に向けた。軽く腕を曲げる。
 よし、これで木に擬態できた!
 と内心、ほくそ笑んでいると、妙な視線を感じた。
 ゆっくりとそちらに目を向けると、マリと男が憐れむような表情をして、真珠を見ていた。

「アレはなんだ?」

 人間扱いされていないことに気が付き、真珠は否定の言葉を叫ぶ。

「ぼくは人間だっ!」

 その一言で、緊迫した空気がぶち壊れた。
 男はそれでもますます険しい表情を浮かべ、警戒するように真珠とマリに鈍く光る切っ先を向けた。
 アレクに向けられ、しかも大切な髪の毛を切られたことを思い出し、真珠の身体は硬直した。アレクの持っていた切るのを目的としていた剣と違い、この諸刃の大剣は叩き切る……もしかしたら、砕くと言った方がいい使い方をするものかもしれない。
 料理をしていて薄皮をうっすらと切った時でさえあんなに痛いのだ、あんなもので叩き切られたらどうなるのか……。想像して、身震いをした。
 真珠は手に握っていた木の枝が、冷や汗で滑り落ちそうになっていることに気が付いたが、下手に動くと命が危ないことを理解している。必死に握って落ちることを耐えるのだが、また別の冷や汗をかき、今度は掛けていた眼鏡がずれ落ちそうになる。
 真珠の決して高くない鼻を容赦なくずれ落ちていく眼鏡。視界の端に、精霊ファナーヒが見え始め、ざわめきが聞こえてきた。
──あら、モリオンさま!
──え? アメシストさまのお兄さまの?
──やーん、相変わらず、いい男っ!
 大剣を向けてきている男がアメシストの兄でモリオンという名であることは、精霊ファナーヒの話で分かった。きっと、アレクに嘘を吹き込まれて真珠たちを追いかけてきたのだろう。
 アメシストに兄がいたことに真珠は驚きを隠せなかった。

精霊ファナーヒ、アメシストさまのお兄さんって……?」

 真珠はアメシストは一人っ子で、それゆえにシトリンの代理をしているのかと思っていた。兄がいるのなら、どうしてその人がシトリンの代理をしていないのだろう。
 真珠には、目の前に立つ男の剣の腕がどれほどなのか、まったく分からない。
 襲われたという事実にしか目が向いていなかった真珠は改めて、大剣を構えていつ攻撃をしようかとこちらの動向をうかがっている男を見た。
 くすんだ短い金色の髪、こげ茶色の瞳。いい男……なのかもしれないが、真珠にしてみれば琥珀がなにを置いても一番なので、そこはどうとでもいいようだ。面立ちは言われてみれば、アメシストと似通ってなくもない。しかし、儚くて保護欲を駆られるアメシストと、この目の前の怒りに身を任せている男とでは、雰囲気があまりにも違いすぎる。

「おまえたち、覚悟しろ」

 男はそういうと、大剣を斜めに構えた。
 マリは青い顔をしながらも、果敢に短剣を構え、いつでも迎え撃てるようにしている。
 真珠は……木に擬態していた。





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