『月をナイフに』


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《二》旅立つのも困難なのですっ01



 真珠はぱっちりと目が覚めた。
 どちらかというと、朝は苦手な部類だ。理由はもちろん、遅くまで読書をするためである。物語に夢中になりすぎて、気が付いたら空が白み始めた、なんてことはざらだったりするのだが、昨日はいつも以上に早く寝付いたため、早くに目が覚めたようだ。
 真珠は周りを確認して、ゆっくりと身体を起こした。
 眠る前、寝ている間にアレクの追っ手に見つかって、目が覚めたら牢屋だったら嫌だなあと思っていたのだが、それは杞憂に終わったようだ。
 隣を見ると、マリが丸まって眠っていた。その寝顔は、思っていたよりあどけなくて、真珠は思わず、笑みを浮かべる。
 もう日が出ているのだろう。天幕の隙間から、外の日差しが差し込んでいる。
 起こした方がいいのかなと悩んでいたら、マリも目が覚めたようだ。

「おはよう」

 真珠の声に、マリは明らかに身体を揺らし、飛び起きた。

「……おはようございます」

 状況を思い出したのか、マリは返事を返してきた。

「軽く食べて、街に向かいましょう」

 マリは隅に置いていた荷物の中から昨日と同じようなものを取り出し、真珠に手渡した。筒の蓋を外し、真珠は口をつけ、ゆっくりと傾ける。
 花の蜜のような甘ったるい匂いの後、どろりとした濃厚でぬるい液体が唇に触れた。冷たければもう少し美味しく飲めそうだなと思いながら、渇いた喉を潤す。
、 そして、乾パンのような粉っぽくて口に入れるともそもそするものと、肉の干したもの、乾燥フルーツらしきものをしっかりと咀嚼して胃におさめた。
 真珠はすでに、白いご飯が恋しくなっている。

 そういえば、と真珠は思い出す。
 真珠の両親は共働きで、しかも二人とも、とても忙しい。そのため、幼いころから隣に住む貝森家にお世話になることが多かった。実質、真珠は貝森兄妹と兄妹同然の状況で今まで生きてきた。
 真珠と珊瑚は同じ年だが、真珠の方が先に生まれたため、珊瑚の姉と言っても差し支えがないかもしれないが、珊瑚の方がしっかりしているので、真珠の世話は珊瑚がしていると言っても過言ではない。
 あれは、真珠と珊瑚が小学四年生の時。
 待ちに待った秋の遠足の前日。琥珀と珊瑚の母が熱を出し、寝込んでしまった。真珠と珊瑚は遠足の弁当を楽しみにしていたため、落胆した。
 しかし、熱のある人に無理をさせるわけにはいかなくて、二人は弁当をあきらめた。真珠と珊瑚は、遠足の日に早めに起きて、一緒にパンを買いに行こうと約束して、その日は遠足に備えて、眠りに就いた。
 そして次の日。
 真珠はリュックサックを背負い、約束した通りにパンを買いに行くため、少し早めに隣家の貝森家へと訪れた。
 すると、珊瑚が興奮した様子で玄関から飛び出してきたのだ。
 どうしてだろうといぶかしく思っていると、珊瑚の手には、弁当の包みが握られていたのだ。母親の熱が下がったのかと思ったのだが、どうもそうではないようだ。
 珊瑚の後ろから、琥珀が姿を現した。
 その頃から、ほのかに恋心を抱いていた真珠は、朝から琥珀を見ることができて幸せだった。しかし、いつもはきれいな指先に絆創膏が張られ、手のひらには包帯が巻かれているのが気になった。
 珊瑚は真珠にも弁当を渡し、少し興奮気味に学校へと向かった。
 真珠はよくわからなかったが、どうにか弁当を持って遠足に行けることがうれしかった。
 雲一つない青空、まさしく遠足日和。
 一度はあきらめた弁当がリュックサックに入っていることがうれしくて、真珠と珊瑚はいつも以上にはしゃいだ。
 目的地に着き、待ちに待った弁当の時間。真珠と珊瑚は日陰を見つけ、二人は並んで蓋をあけた。
 中身を見て、二人は同時に目が点になった。
 ラップにくるまれた、ピンク色の不格好なおにぎりが二つ。焦げた卵焼き。冷凍食品と思われるから揚げ。同じく、カップに入ったグラタン。手で引きちぎったかのような、きゅうり。
 真珠は期待をしていただけ、中身を見て、がっくりと肩を落とした。
 弁当があるだけましだが、まさかこんなものが詰まっているとは思わなかったのだ。
『あのね……お母さんの熱が下がらなかったから、代わりにお兄ちゃんが作ってくれたの』
 珊瑚の申し訳なさそうな小さな声に、真珠は目を見開いた。
 朝、見送りに出てくれた琥珀の手指を思い出し、真珠は思わず、泣いてしまった。
 昨日の二人の落胆ぶりを見て、兄である琥珀が慣れない弁当作りに奮闘してくれたのだろう。
 女の子向けにデンブをおにぎりにまぶしてくれたり、栄養バランスを考慮して、きゅうりを入れてくれたりとその優しさに真珠の涙は止まらなかった。
 おにぎりは思っていた以上に甘く、卵焼きはしょっぱすぎだったけど、それでも琥珀の優しさを感じて、ますます好きになっていくのを感じていた。

 おにぎりと琥珀を思い出し、真珠は胸の奥がギュッと締め付けられた。
 この世界からどうにか脱出をしない限り、琥珀にも会えないし、あのおにぎりももう、食べられないのだ。
 この遠足弁当事件の後、真珠は琥珀と珊瑚の母に頼りっきりはよくないとわかり、料理を教わった。最近ではすっかり、真珠は自分と両親の弁当も作るようになったが、地球に帰ったら、琥珀に甘えてまた、あのおにぎりを作ってもらおうと決意した。
 なにがなんでも地球に戻らなくてはならない理由ができ、真珠は目標ができたことに力が湧いてきたような気がした。

 思った以上に重たい袋を肩から担ぎ、マリと並んで街へと向かった。

┿─────────────┿

 日が昇ってきて、あたりが明るくなってきた。
 昨日はまったく余裕がなくて周りを見回すことができなかったが、今日は昨日よりもずいぶんと余裕が出てきた。
 空にはやはり、赤黒く今にも息絶えてしまいそうな巨大化した太陽と、黄色く光る太陽が仲良く並んでいる。

「太陽って二つもあるんだね」

 真珠の言葉に、マリはなにを言っているのか分からないと言わんばかりの表情を向けてきた。

「太陽は昔からずっと、二つですよ? 若さと老いを象徴しているのです」

 あの赤黒いのが老いで、黄色い元気な方が若さということなのかな、と真珠は額に手を当てて庇を作りながら、空を見上げた。
 空の色はなんだか妙な藍色をしているけど、天気が悪いようには見えない。神様の屋根サンブフィアラ越しに見た空は、真珠が見たことがないほど透き通った青をしていた。きっと、この空の色は本来の色とは違うのだ。

「それにしても、なんだか変な空の色だわ」

 真珠の考えを見透かしたように、マリがそう、一人ごちる。

「今日って……いいお天気?」

 地球基準でいっても変な空模様となるのだが、この世界ではこれが通常なのかもしれない。そのあたりを知るために真珠はマリに質問した。

「いえ。透き通るような青空がいつもは広がっています」

 やはり、おかしいらしい。
 真珠は空を見上げ、口を開く。

「もしかして、神様の屋根サンブフィアラに置かれていた、巨大水晶が壊れたから?」

 マリはその言葉に立ち止まり、目を見開いた。

「え……?」

 真珠も足を止め、マリを振り返った。

「あたし……違った、ぼくが地震の後、神様の屋根サンブフィアラにもう一度行ったら、すでにあの巨大水晶が壊れていて……アメシストさまが倒れていたんだ」

 真珠はその光景を思い出し、唇をかみしめる。

「信じてもらえないかもしれないけど、あの巨大水晶が白い粉になっていたんだ」

 乳白色だった空間に、山のような白い粉。なにをどうやれば、あの水晶が粉々になってしまうのだろう。

「あの水晶は……この国を支える、とても大切なものなのです」

 真珠は無言で、マリにその先を促した。

「神の乙女(イジレウ)の祈りをアメシストさまが集め、水晶に力を注ぐ」
「イジレウ?」
「はい。選ばれし無垢な乙女で、この国の神である夫婦神・ダイアンとディーナに仕える者です」

 精霊ファナーヒとマリの話を統合すると、ここは地球とは違う『ジャーザナ』と呼ばれている世界で、ここはフィラー国と呼ばれている場所のようだ。
 この国を治めているのはシトリン。しかし、そのシトリンは楽園パラディッサを探すために旅に出ており、今はアメシストが代理を務めている。
 神様の屋根サンブフィアラにある巨大水晶に神の乙女(イジレウ)とともに祈りを捧げることが、アメシストの役割。
 しかし、なにかが起こり、この国を支えている巨大水晶が粉々になり、守護していたアメシストがアレクに傷をつけられ……。
 そして、こんな状況にした犯人として、真珠は今、追われているようなのだ。

「濡れ衣すぎるよ」

 真珠の口から、思わず本音が洩れる。
 真珠にしてみれば、この世界の勝手な都合でいきなり、見ず知らずの世界に飛ばされてしまったのだ。そのうえ、やってもいない罪を着せられて追われるなんて、何もかもが間違っている。とばっちりすぎる。
 いったい、なにをやったらこんなことに巻き込まれてしまうのか分からず、真珠は大きくため息をついた。





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