『月をナイフに』


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《二》旅立つのも困難なのですっ03



 そもそも真珠は、勉強も運動も苦手だ。部屋に引きこもり、物語を追いかけることが好きな、少し思考回路が壊れている女子高生なのだ。取り立てて器量がいいわけでもなく、頭がいいわけでもない。
 琥珀のことが大好きで、その想いはだれにも負けることはないと胸を張って言えるが、他は至って平凡、もしくは平均以下だ。
 真珠はそのことに気が付き、こんな状況にも関わらず、落ち込んでしまう。
 だが、強制的に現実に戻らされた。
 精霊ファナーヒの話ではモリオンという名のアメシストの兄がマリに対して、容赦なく剣を振り下ろした。それを果敢にもマリは短剣で受け止める。短剣が折れずにいたのはある意味、奇跡のような状況だ。

「モリオンさまっ! わたしたちの話を聞いてください!」

 マリの声はしかし、大剣と短剣のぶつかる音で掻き消え、モリオンの耳には届いていない。 下手に手出しをしたら足手まといになるのは火を見るより明らかだが、それでも、ただ黙って見ているのももどかしい。
 真珠のそわそわに呼応して、手に持っている枝がわさわさと音を立てる。
 ずれた眼鏡の隙間から、色とりどりな精霊ファナーヒがちらちらと見える。

「どうすればいいかな……」

 ぼそりとつぶやいた真珠の周りにいる精霊ファナーヒは、楽しそうにさらに集まってきた。
──カッシー、あなた、力があるんだから使えばいいじゃない。

「……力?」

 そんなもの、持っている自覚はまったくない。むしろ、今の状況では足手まといでしかない。

「せめて、この枝が武器になってあの大剣と対等に渡り合えるとか!」

──それは無理だよぉ、カッシー!
──そんなこと、アメシストさまでもできないもん!
 ファンタジーのような世界だし、地球とは違う理(ことわり)が働いているかもしれないと思ったが、さすがにそんな好都合ではないようだ。

「きゃっ!」

 マリの悲鳴が聞こえ、握っていた短剣が宙に飛んでいるのを真珠は見た。目を離していた隙に、ますますマリは不利になり、絶体絶命な状況に陥っているようなのだ。
 真珠はここでも悩む。
 ここで二人の間に飛び入り、やめてと叫んだところで結局、真珠とマリはあの大剣に叩き切られてしまうだろう。それなら、犠牲が少ない方がいいから……マリを生け贄にして、自分だけ逃げる?
 いやいや、そんなことをしても、真珠はきっと、モリオンから逃れられることはできないだろう。もしも仮に逃げられたとしても、完全に危機が去るわけではない。むしろ、そうすることでさらなるなにかが待ち受けているかもしれない。

「ううう……」

 マリはかろうじて自力で立っているといった感じだ。肩を大きく上下させ、モリオンをにらみつけながら息をしている。

「アレクはおまえは連れ帰れと言っていたから、ここで勘弁してやろう」

 モリオンの鷹揚な言葉に、マリは大きく目を開いた。

「お優しいアレクさまは、アメシストが元に戻った時にお世話をしていたマリがいなかったら嘆くだろうからと、温情をくださったのだ。ありがたく思え!」
「冗談ではありません!」

 赤い瞳が怒りに燃え上がった。

「あの男のせいで、アメシストさまが……!」
「そうだな。そこの男のせいだ」
「違いますっ!」

 マリの否定の言葉を聞かず、モリオンはマリに蔑(さげす)みの視線を向け、真珠へと歩みを進めてきた。
 恐慌状態に陥るのは、真珠だ。手に持った枝で顔を隠し、必死に木に擬態をする。
 ……すでにそうすることは意味をなさないわけだが。

「ぼっ、ぼくは……えっと、しゃっ、しゃべることのできる木ですからっ!」

 すでに言っていることが意味が分からない。
 モリオンは憐れそうな、そして怒りを込めた瞳で真珠を見る。

「こんなおかしな男にアメシストはたぶらかされたのか……。あの姫(こ)は、純粋だったから、だまされても仕方がない」
「いやっ! 騙してないし! むしろ、ぼくは被害者だっ!」

 そう言葉にして、真珠は今までの理不尽な状況を思い出し、目尻に涙が浮かんできたのを自覚した。真珠は我慢するように唇をかみしめ、モリオンをにらみつけた。

「勝手にぼくをこんなわけのわからない世界に呼びつけた責任、取ってくれよ!」
「そんなもの、知らぬ!」

 モリオンはそう言い放ち、大剣を構え直すと勢いをつけて真珠との距離を詰めてきた。
 真珠は枝を握りしめ、でたらめに振り回した。
 モリオンは上段から振り下ろす。
 真珠の握っている枝は予想通り、剣になるわけもなく、刃に当たり、切られた葉が舞い散った。
 モリオンは真珠をもてあそぶようにわざと太刀筋を外し、真珠が振り回している枝を少しずつ切っていく。モリオンが大剣を振る度に、青と桃色の葉が宙に舞う。
 真珠はモリオンの動きを見て、遊ばれていることに気が付いた。きっと、モリオンほどの腕の持ち主になれば、真珠の命など、一瞬にして奪うことができるのだろう。いたぶり、できるだけ苦痛を与えて……と思っているのかもしれない。
 モリオンは軽々と大剣を振ると、真珠の持っている枝の一部が宙に舞う。それが地面に落ち、モリオンが放った杭のようなものに触れた途端、破裂して、連鎖して近くにあった杭が爆発していく。

「!」

 それを見て、下手に触らなくてよかったとほっと胸をなでおろした。

「ちっ」

 モリオンが悔しそうに舌打ちをしている。
──カッシー、頑張って!
 精霊ファナーヒが真珠の耳元で応援している。頑張れと言われても、真珠は握っている部分以外は全部切り落とされた枝を両手に持っているだけの状態だ。
 モリオンはまったく息を乱していないが、真珠は肩で息をして、今にも喉の奥から血を吐いてしまいそうだ。
 手に握っている枝を手放し、真珠はひざに手を当て、前傾姿勢の状態でモリオンをにらみつける。

「心配するな。一撃で命を奪うなんて楽な殺し方はしない」

 いやいやいや、そこは心配するし、全力でお断りしますっ! と真珠は心の中で叫ぶ。こんなところで死ぬなんて、冗談ではない。
 どうにかして危機を乗り越えたいのだが、妙案もなにも思い浮かばない。
 なにかないかと目だけ動かしてあちこち見るのだが、視界の端にちらちらと精霊ファナーヒが見えるだけだ。
 ──精霊ファナーヒ
 真珠はそこで、とあることを思い出した。
 神様の屋根サンブフィアラで、マリに短剣を向けられた時のことを思い出す。
 精霊ファナーヒに助けてとお願いした途端、マリの持っていた短剣が粉々に砕けた。

「そうだ! 精霊ファナーヒ、あの時と同じように……」

──助けてあげたいんだけどぉ。
──あの大剣にはすっごい加護がされていて。
──無理?
 と妙な疑問形で無理と言われ、血の気が引いていくのを感じた。さっきまでももちろん、自分の身の危険を重々承知していた。それでも、心のどこかでまだ大丈夫、助かると思っていた部分があったことを、精霊ファナーヒの発言で知った。
 精霊ファナーヒがいるから、大丈夫。
 無根拠な自信を持っていて、平和ボケしている自分に気がつかされた。

「なにをぶつぶつと独り言を言っている」

 モリオンは一撃で真珠を半分に叩ききれるほどの距離を取り、いつでも大剣を振り下ろせるように構えながら、油断なく真珠を見た。
 真珠は一縷の望みを絶たれ、力なくうなだれていた。視線はモリオンには向いておらず、地面をじっと見つめているだけだ。地面の色は地球と同じ茶色なんだななんて、今、どうでもいいことを思っていた。完全に現実逃避している。
 やっぱり、剣で切られたら、痛いのかな。苦しみながらってのは嫌だな。
 真珠は早々に諦め、両手を力なく下げ、その場に座り込んだ。

「潔いのだけは認めてやろう」

 モリオンの言葉に、真珠はきつく目をつぶる。きっと、経験したことのないほどの痛みが、この身に襲うのだろう。それなら、下手に避けたりして致命傷にならないで痛みにのたうちまわらなければいけない状況になるよりは、一瞬、痛みを感じても一撃でやってもらう方がいい。

「……せめて、一撃で」

 真珠の願いに、モリオンは口の端を上げ、笑う。

「いいだろう。望むままに」

 モリオンは大剣を構え直し、振りかぶって一気に振り下ろした!

「モリオンさまっ! やめてっ!」

 マリの悲鳴が、真珠の鼓膜に響いた。





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