《一》呼ばれても困りますっ06
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円蓋を抜けると、真珠が最初にいた広い空間に出た。
ここも円形になっていて、落ち着いて見ると、奥に真珠が見たことがないほど大きくて透明な物が置かれている。真珠がそれに気を取られていることに気がついたマリは、口を開いた。
「あれがここを支えているのです」
「……支えている?」
真珠の脳裏にふと、巨人が天を肩で支えているという絵がよぎった。ギリシア神話に登場する神様で、名前はアトラースといったはずだ。
「ここは神の乙女(イジレウ)たちがあの巨大水晶に祈りを捧げる場所で、神様の屋根と呼ばれています」
あの透明で大きな塊は水晶らしい。あれだけ大きな水晶があるんだ、と真珠はのんきに見ていた。
「マジュさま、こちらでございます」
マリに促され、真珠は慌てて巨大水晶から視線を外して背中を追いかける。ここで置いてけぼりにされたらどうすればいいのか分からない。
マリは神様の屋根と言っていたここから、白い布で仕切られた向こう側へと出た。
真珠も布をかき分けて抜けると、やはり同じように乳白色の空間が広がっていた。かろうじて人がすれ違えるくらいの幅の通路。少し傾斜がついていて、ゆるゆると下っていく。わずかに道が曲がっているようで、先がはっきりと見えない。そっと後ろを振り返ると、すでに出てきた口はもう見えなくなっていた。
思ったよりも長い距離を歩かされ、真珠は一つの部屋に通された。
「こちらにおかけになって、お待ちくださいませ」
マリは部屋に入ってすぐの場所にあった椅子を引っ張り出してきて、真珠に座るように言うと、そそくさと奥へと下がってしまった。
背もたれも肘掛けもない、箱のような物。真珠は素直にそれに腰を掛けた。
「ふぅ……」
思わず、ため息が洩れる。
ここがどこなのか分からないが、真珠はまず、室内を見渡した。
神様の屋根と同じように白で統一されており、壁も床も真珠が座っているようにと言われた箱のような物も白い。身近には白い台。奥へと視線を向けると、空間が広がっていて、壁は布で覆われている。マリが消えていった方へと視線を向けると、そちらも遮るように布が垂れ下がっていた。それ以外は特にこれといった特徴のない部屋だ。
視線を正面に戻し、ふと下を向くと、自分が未だにしっかりとあの深緑のビロードが表紙の宝石図鑑をしっかりと握りしめていたことに気がついた。
反対の手は、真珠からこぼれ落ちた真珠のような白い粒を握ったままだった。それを制服のポケットへと詰め込んだ。
真珠は膝の上に図鑑を置き、改めて開いてみる。中はカラーで様々な宝石を紹介している。ぱらぱらと見ていると、マリが両手になにかを抱えて戻ってきた。
「マジュさま、まず髪の毛を整えますね」
マリは側の台に抱えてきた荷物を置き、一番上に置いていた白い布を開くと、真珠の身体に巻き付けた。その下にはきらめく白い片刃が見えた。
マリはそれを手に取り、真珠の髪に手を掛けると遠慮することなく、ざくざくと毛先を切り始めた。
制止の声を上げることも忘れ、真珠はそのまま固まっていた。
マリは手櫛で真珠の髪を整えると、長さを調整して、台の上に刃物を置いた。
「かなり短くなってしまいましたが……こんな感じでよろしいでしょうか」
真珠は恐る恐る、頭に手をやる。あんなに長かった髪の毛が、とんでもないほど短くなっている。ボブカットの珊瑚よりも短いのではないだろうか。
「み……短すぎる……」
こんなに短くなっているとは思わず、ショックに涙があふれそうになってくる。
「申し訳ございません。アメシストさまのご指示でして……その、この国では『黒髪の乙女』は忌み嫌われます故、マジュさまには男性の姿になっていただきたいと」
真珠は目を見開き、マリを見る。
「お召し物もこちらにご用意させていただいております」
そういってマリが広げて見せてきたのは、マリが着ているような白い上着と、下履きは足下が二つに分かれているいわゆるズボンのような履き物だった。マリの下履きは腰で巻いていて、スカートのような物だ。
「こちらに着替えてください」
マリはそれだけ伝えると、真珠に巻いていた布を取り払い、切った髪の毛を素早くまとめ、また、奥へと戻っていった。
真珠は戸惑い、しかし、制服を脱いでマリが置いて行った服へと着替えた。
真珠には少し大きめのそれは、しかし、着心地は思ったよりよく、さらりとして肌に気持ちがいい。下履きは腰の部分で前と後ろに結ぶという形で少し面倒だが、動きやすいのでいいとしよう。
そして、最後に真っ白な四角い布が一枚、残っていた。どうすればいいのだろうかと迷っていると、マリが戻ってきた。
「マジュさま、お似合いでございます」
そこでマリがようやく、笑みを浮かべてくれた。
真珠はそれを見て、ほっとした。どうやらずっと、緊張をしていたらしい。
「こちらの服は、ここにちょっとしたものをおさめられるようになっています」
マリはそういうと、真珠がずっと握っていた深緑の本を上着の前部分の布の間に入れ込んだ。
「へー、すごい」
「はい。なかなか優れた造りでして、男性用は下履きのこの部分に武器を隠せるようになっております」
マリはしゃがみ込み、真珠の下履きの足首の上のあたりに手を掛け、引っ張って見せた。小型の刃物なら入れられるような細長い隙間が空いていた。
「こちらにこれを入れておきます」
マリはそう言うと、上着の隙間から鞘の付いた小型の刃物を取り出し、入れてくれた。
「そういえば、この布は?」
白い四角い布を手に取り、真珠は疑問に思っていたことを聞いた。
「こちらは……こうやって」
と布を広げ、両端を折り、さらに端と端を結んで真珠の頭に乗せた。
「マジュさまのその色は目立ちますので、これをかぶって隠してください」
と言われたが、どう見ても真珠の黒髪よりマリの真っ赤な髪の方が目立つような気がする。
が、真珠は素直に従い、かぶっておいた。
真珠は鏡で今の姿を見てみたいと思ったのだが、どうやらここにはそういった類のものはなさそうだ。諦め、マリを見た。
「これで準備が整いました。それでは、マジュさまのお部屋へと案内いたします」
「え……ここではないの?」
てっきりここが目的地だと思っていた真珠は、驚きの声をあげた。
「違います。ここは神様の屋根の一部でして、寝起きはできない場所なのです」
真珠には分からないが、そういうものらしい。布をかき分けて、通路に出た瞬間。真珠の身体が大きく揺れた。
また眩暈か? と慌てたが、どうやら違うようだ。
足下が揺れていることに気がついたが、足を踏ん張ってどうにか立っていることしかできない。
「こっ、これは、なっ、なんでしょうか」
マリの戸惑いの声に、真珠は答える。
「地震?」
「…………? それはなにですか?」
「地震。地面が揺れるの」
「……地面が揺れる、ですって? そんなこと、ありえませんわっ」
地震の多い日本という国に生まれ育った真珠にとってみれば、それほど珍しい現象でもない地震だが、国によってはないところもあるという。
「……ちょっと待って」
真珠はそこで、さっきも思った疑問を思い出した。
アメシストの雰囲気に飲まれてすっかり忘れていたのだが……。
「ここってどこよっ!」
と真珠が叫んだところで、混乱しているマリは慌てて、真珠を放置して揺れる地面にふらつきながら、どこかへと走っていった。
「ちょっとー! あたしを放置しないでぇ」
追いかけようとしたが、すでにマリがどちらへ向かったのか分からなくなってしまった。
しかも、地面はまだ、揺れている。