《一》呼ばれても困りますっ07
ようやく揺れはおさまり、真珠はマリを探すことにした。
真珠はまず、神様の屋根へ戻ってみようと決めた。マリに会えなくても、アメシストがそこにいるはずなのだ。
緩やかな坂道をだらだらと上り、白い布をかき分けて中へと入る。
「!」
真珠がここを出たときは乳白色の安らげる空間だったはずなのに、どんよりとした空気に包まれていた。白かった床や壁に陰りが見える。
どういうことなのだろうか。
真珠は恐る恐る、中へと足を踏み入れる。
天井から光が差し込んでいたはずなのに、薄暗い。太陽が雲に遮られているのだろうか。
真珠は見上げたが、水晶の天井が見えていたはずなのに、今は見えない。
さらに奥へと進み、巨大水晶が見える場所まで移動したのだが、どこまで行っても視界に入ってこない。
おかしい。
寝かされていた円蓋を探してみるのだが、そんなものはなく、隅に白い布がこんもりと山のようになっているのが見えた。
地震で崩れたのだろうか。それにしても、なんだか妙だ。
「あの……アメシストさま?」
真珠は遠慮がちに声を上げてみた。声は響くことなく、空気に吸収された。
どうにも嫌な予感がする。
真珠は白い布の塊を目印にして、位置関係を思い出す。
円蓋があった場所は神様の屋根の端。ほぼ反対側の出入口から真珠は小部屋へと行った。斜め右後ろに巨大水晶が見えていたので、真珠はそこめがけて走った。
視界が悪い。真珠は眼鏡を掛け直し前をにらみつけるのだが、見えにくいのは変わらなかった。昔見た、濁った海中の映像のような視界の悪さ。そう思うと、なんとなく息苦しく感じてくるから不思議だ。
かき分けるようにして歩き、巨大水晶があると思われる場所へとようやくたどり着いた。
「え……っ」
なにが起こったのだろうか。
そう。
そこには透明度の高い巨大な水晶があったはずなのだ。それなのに今は、どうしてそうなったのか分からないほど、真っ白な砂が床にこぼれ落ちているだけだった。
「な……に、これ」
しかも、白い砂の麓に、金髪の人が倒れている。アメシストだろう。
真珠は駆け寄り、起こそうとした。
硬質な音がして、真珠の目の前にぎらつく刃を向けられた。
真珠は立ち止まり、後退した。
「ちょっと! アメシストさまがっ!」
長い茶色の髪の隙間から、深緑色の瞳が見えた。暗い光を宿した瞳に、真珠は息を飲む。
アメシストにアレクと呼ばれていた人物は、真珠に切っ先を向けたまま、鋭い視線を向けてきた。アレクはじりじりと移動して、アメシストの側へと動いた。
真珠はてっきり、アレクがアメシストを介抱するのかと思っていたら……。白い靴先をうつ伏せになっているアメシストの身体の下に入れ、蹴り上げた。
「なにを……!」
今、アレクがやったことが信じられなくて、真珠は目を瞠(みは)った。
アメシストはうめき声を上げ、仰向けになった。苦しいのか、きつく目を閉じているのが見える。
アレクは嫌味なほど口角を上げ、真珠を見た。
「どう……する、気」
嫌な予感しかなく、真珠の息は荒くなる。止めなくてはと思うのだが、アレクはずっと真珠に剣を向けたままだ。あれが切れることは真珠の髪の毛で実証済みだ。怖くて近寄れない。
アレクはさらに笑みを深め、刃先を返すなり、地面へと振り下ろした。
「あっ……!」
真珠は斬られるのかと思い、腕を振り上げたが、痛みは来ない。
アレクを見ると、刃はあろうことか、アメシストの額に打ち下ろされていた。
耳に不快な音が響き渡る。学校の手洗いで聞いた、あの薄氷が割れたような音よりももっと不快で、甲高い音。真珠は思わず、耳をふさぐ。
「いやあああ! やめてぇ!」
あまりにも嫌な音で、真珠は叫んだ。
ピキッ……
とヒビが入るような音がして、アメシストが横たわっているあたりから振動が伝わってきた。
「!」
アレクは剣から手を離し、飛び退いた。
アメシストが横たわっていた場所に突然、透き通った紫色の柱が何本も立ち上った。
「なに、これっ!」
なにが起こったのか、訳が分からない。
「アメシストさま、アレクさま!」
声がした方へと視線を向けると、真っ赤な髪の毛が見えた。マリだろう。
「マリ、やはりこやつにはラーツィ・マギエが取り憑いている! アメシストさまがやられた」
「ええええっ!」
真珠は慌ててアレクを見ると、にやりと笑みを浮かべ、こちらを見ていた。
「あっ、あんたっ! なに嘘を言ってるのよ!」
「早く捕らえよ!」
マリがすごい勢いで真珠に近寄ってきている。
「わたしはアメシストさまの介抱をする」
「アレクさま、了解しました」
「いやああ、了解しないで! あんたがアメシストさまをっ!」
真珠が最後まで言い切る前に、マリがなにかを投げつけてきた。真珠は間一髪で避け、慌ててマリから逃げる。白い砂をかき分け、神様の屋根を覆っている布を必死で抜けて外へと出る。ここが固い壁ではなく、布で覆われた空間であったことが幸いした。
すぐに外に出られたが、しかし、それは追っ手であるマリもすぐに追いつくということに他ならない。
まったく土地勘のない真珠に対し、ここのことを熟知しているマリ。最初から勝敗の決まっている状況だが、真珠はそれでも必死に駆ける。
「琥珀に……会えないまま、死んで、しまう、なんて──冗談じゃ、ない、わよっ!」
今の真珠を支えているのは、ただそれだけ。こんな訳の分からないところで終わってしまうのは、冗談ではない。
だが、元々、真珠は運動が苦手で、走るのも得意ではない。
足がもつれる。
追っ手のマリは激しく早く、あっという間に背後に迫られている。
がしっとマリに肩をつかまれた。
「きゃああああ! 離してっ!」
闇雲に真珠は暴れた。眼鏡が飛んでしまい、真珠の視界にまた、あの色とりどりのひらひらが見えた。
「よりによって、こんな状況で!」
真珠は思わず、舌打ちをした。
──黒髪の乙女が大変よ!
──たーいへんっ! 助けないと!
──私たちの物なのに!
「あ゛ー! なんかよく分からないけど、とにかく、助けてっ!」
──報酬は?
「ほ、報酬?」
真珠は報酬と言われ、首を振る。持っているのはあの宝石図鑑のみ。
──ちょっとだけ触らせてもらえれば、それでいいわ。
「そ……そんなので、いいの?」
「なにをごちゃごちゃ言っているの。アメシストさまになにをしたの!」
マリは見た目によらない馬鹿力で真珠の肩をつかみ、片刃の短刀を突きつけている。
「あっ、あたしはなんにもしてないって!」
「嘘を言うなっ! アメシストさまの『核』を傷つけられる者は、だれもいないというのに!」
「それじゃあ、ますます、あたしな訳、ないじゃない!」
「おまえしかいない!」
マリのぎらぎらと光る赤い瞳。
突きつけられている刃が首元へと迫ってくる。
「ひらひら、助けてよ!」
──私たちはそんななまえじゃないけど、いいわ。
不満そうな声の後、短刀がいきなりパンッと音を発し、弾けた。
「うわっ!」
マリは驚き、真珠の肩から手を離し、遠のく。