『月をナイフに』


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《一》呼ばれても困りますっ04



 真珠はさらに続ける。

「琥珀って、蹴りも上手で、特に回し蹴りが素敵なのっ!」

 真珠は以前、理由はすっかり忘れてしまったが琥珀を激しく怒らせ、回し蹴りを喰らわされた時のことを思い出していた。

「くるっと回ったと思ったら……一瞬にして、身体が宙に浮いていたのよ!」

 真珠は頬に手を当て、
「ほう」
とため息を吐いた。

「あとは……」

『オマエ ハ ナニモノ ダ』
 真珠の中から突然、禍々まがまがしい声が聞こえてきた。真珠は周りを見回すが、やはり真っ暗で、なにも見えない。

「えええっ! どっ、どこから聞こえてくるのっ? やだ、あたしったら、新春隠し芸大会に出られるような隠し技を持っていたのっ?」

 真珠は体中をまさぐるが、普段と変わったところはないようだ。
『清ラカナ 乙女……』

「あっ、当たり前じゃないっ! なに失礼なことをっ! あたしは身も心も、琥珀に捧げてるんだから……っ!」

『ソレナノニ コノ 邪念……。耐エラレヌ!』
 真珠を覆っていた闇が、徐々に薄くなる。
『失敗 シタ。オマエ ナド 要ラヌ!』

「要らないって、なんなのよっ! 超失礼じゃない?」

 さすがに腹が立ち、真珠は怒るが、なにも返ってこない。
 真珠の身体を覆っていた闇は、煙のように消え去ったようだ。
 ようやく、周りを見ることが出来たのだが、しかし、やはり闇には違いなかった。
 それでも、先ほどのなにも感じない闇よりはかなりましだ。

「……それより、ここはどこ?」

 真珠の疑問はもっともで、どこまでも続いていそうな真っ暗な空間に、真珠は取り残されていた。

「おーい」

 と叫んでみるが、真珠の声は闇に吸い込まれ、消えてしまった。

「だれかいないの?」

 シン……と静まり返ったそこは、真珠に淋しさを感じさせた。
 真珠以外の生き物の気配をまったく感じさせない、この空間。
 もし、このままここから出られなかったら……愛しい琥珀に会えなくなってしまう。

「やだやだ! そんなの、やだっ!」

 真珠がそう叫んだ瞬間。
 真珠の身体に浮遊感。

「えっ? うわっ!」

 なにかに強く引っ張られるような感覚が襲い、身体が落下しているのが分かった。

「うぎゃあああっ!」

 真珠の口からは思わず、かわいくない悲鳴がこぼれた。

┿─────────────┿

 それまで真っ暗だった視界がいきなり明かりを瞳に直射されたかのようなまぶしさに、真珠は驚いてきつく目を閉じた。それと同時に、身体に衝撃が駆け抜ける。

「──っ!」

 身体がどこかにぶつかったらしい。そのことは分かったが、衝撃に息が詰まり、呼吸がままならない。しかも、真珠の足に凹凸を感じる。
 痛みをどうにか追いやり、真珠は恐る恐る、目を開いた。

「!」

 そこは、先ほどまでいた場所とは対照的なほど、真っ白な空間。空気は柔らかく、乳白色の色がついているように感じられる。床も壁も空気もすべてが綺麗に磨き上げられていて、真珠は自分がここにいることに対して、激しく申し訳ない気分になってきた。

「……あなたは」

 聞き覚えのある声に、真珠は顔を上げた。真っ白な平らな床をたどって行くと、少し先に円蓋が見えた。その入口は薄い布を幾重にも重ね合わせられ、うっすらと影が見える。ようやく人間に出会うことが出来たようだ。真珠はほっとひと息ついたのだが……。
 ここの床は真っ平らなはずなのに、真珠の下はどうにもごつごつしている。痛くて不快だなと思って円蓋から床に視線を移した。

「う……えええっ?」

 真珠の視界に最初に入ったのは、茶色の髪の毛。琥珀とは違って柔らかそうに波打っていて、長いようで、一つにくくられていた。真珠はゆっくりと視線を自分に引いていくと、濃い緑色の布地が視界に入った。もぞもぞとそれは動いた。
 どうしてそうなったのかは分からないが、どうやら真珠は上からここに降ってきて、人の上に落ちたらしい。真珠はそのことに気がつき、大慌てで立ち上がった。

「ごごごご、ごめんなさいっ!」

 真珠が下敷きにしていた人物は、その声にほぼ反射的に立ち上がり、腰に佩(は)いていた剣を鞘から抜くと、真珠の鼻先に切っ先を向けてきた。

「どこから来た」

 目の前に銀色に光る刃先を向けられ、真珠の身体はすくみ上がった。
 本物の剣を見たことはないが、これは明らかに
「切れる」
部類の物だ。脅かしのためのものではなく、本物だ。

「どっ、どこからって、わ、分かりませんっ」

 上から降ってきたとは思うが、下手に答えると一瞬にして鼻の先を削り取られると本能的に察知した真珠は、そう答えるしかなかった。

「あっ、あの、その物騒な物、片付けて……くれ、ま……せん……よ、ね……」

 真珠に剣を向けている人物は冷ややかな眼光を向けてきている。どんどんと剣呑な光りをたたえているのを見ると、もしかしたら真珠はここで終わり……なのかもしれない。

「わーっ、ご、ごめんなさいっ! よく分からないけどっ、ごめんなさいっ!」

 真珠は後退しながら謝罪の言葉を口にして、手に持っていた宝石図鑑で自分をガードした。

「それは……?」

 真珠の手に握られている深緑の本に興味が移ったようだ。

「え、あ、これは……」

 硬質な音がしたと思ったら、次には真珠の手にしびれが走った。本で真珠は剣を受け止めていた。とっさだったとは言え、真珠はよく本で受け止められたと感心していた。
 それにしても、普通ならあの切れ味抜群と言わんばかりにぎらぎらに輝いている刃は本を真っ二つにして、さらには真珠も最悪、左右に分かれていたかもしれないというのに、この図鑑はしっかりと受け止めているのに驚きだ。

「黒髪の乙女……。やはりおまえは、ヤツの手先か……あるいは、ヤツ自身かっ」

 図鑑に当たっていた刃が離れ、今度は真横に剣を振られた。真珠は驚き、後ずさったが、足がもつれて思いっきり尻餅をついた。
 目の前に真珠の黒髪が舞う。
 そして遅れて、首に髪の毛が当たった。

「うひゃあ、かっ、髪の毛っ!」

 床の上に、先ほどまで真珠の一部だった髪の毛の束がごっそりと落ちていた。
 剣は切れ味抜群ということがこれで証明された訳だが、それは真珠がますますピンチだということを意味する。

「あたしの髪の毛ェ~!」

 今、真珠が気にしなくてはならないのは切られてしまった髪の毛より、自分の身を案じることが先であるのだが、人間、自分の許容量を超える出来事に遭遇するとパニックに陥ってしまうものらしい。
 床の上の髪の毛をかき集めるために、真珠は床に這いつくばった。

「ラーツィ・マギエ……これで終わりだ」

 刃は光りを反射して、真珠の瞳を射貫く。
 頭から真っ二つ……!
 真珠は目を閉じることを忘れ、きらめく刃を凝視した。
 あともう少しで真珠に届くところで、静止の声が掛かった。

「アレク、『神様の屋根サンブフィアラ』で争いごとは許されませぬ」

 真珠のほんの数ミリというところで、切っ先はぴたりと止まった。

「う゛……っ」

 真珠の背中に冷たい汗が流れ落ちる。

「その少女を呼んだのは、わたくしです」

 真珠は瞳だけ動かし、声のした方へ視線を向ける。円蓋の中から現れたのは、豊かな金色の髪を持った儚さを感じさせる女性だった。白くてゆったりとした装飾のないドレスを着て、真珠の元へと歩んでくる。

「アメシストさま、しかし……!」
「あなたの言いたいことは分かっております。黒髪の乙女はラーツィ・マギエに取り憑かれ易い」
「…………」
「確かに、この少女にはラーツィ・マギエが憑いてました」
「……それならば!」
「しかし、彼女はラーツィ・マギエを退けました。強い光を感じます」

 金髪の女性は真珠に近寄ってきた。

「あ……」

 真珠は女性の顔を見て、声を上げた。夢の中で何度も見た、金髪に紫の瞳の女性だったのだ。夢の中では気がつかなかったが、その額には、光り輝く紫色の石らしきものが埋め込まれている。
 真珠は何度も瞬きを繰り返した。夢の中で見たあの人が、今、目の前に立っている。気分としては、テレビの向こうの芸能人が目の前にいるような感じだ。真珠は思わず、女性に見とれてしまった。

「アレク、剣をおさめなさい」
「しかし」

 女性は悲しげな表情をアレクに向けたため、アレクは渋々といった感じで真珠に突きつけていた剣を引こうとしたのだが、切っ先が真珠の眼鏡に当たった。眼鏡がずり落ちる。
 その途端、真珠の視界はいきなり、色とりどりになった。
──うふふ。
──あ、この人、あたしたちの姿が見えるみたいっ!
──はぁい、黒髪の乙女。
──やっほー。
 半透明のひらひらとした妙な物体が、真珠の視界一杯に広がった。

「うわっ! なっ、なにっ?」

 ひらひらしたそれらは真珠の周りを飛び回り、アレクに切られた髪の先をつかんでは離し、もてあそんでいた。

「あひゃひゃ、ちょっと、くすぐったいって!」

 真珠はひらひらななにかに触れられる度、くすぐったさに身を縮める。髪だけではなく、頬や肌に触れていく。
──この子、美味しいよ!
──本当だ。なんかすっごく甘い!

「って、あたしはお菓子じゃないしっ!」

 きゃっきゃと戯れられているのだが、しかし、アレクにはなにも見えないようで、急に真珠の髪の毛が舞ったり、こそばゆそうに身を縮めている真珠を見て、一度引いた剣を再度、構え直した。

「アレク、下げなさい」
「しかし……!」
「あなたには見えないかもしれませんが、この少女の周りには警戒心の強い精霊ファナーヒがたくさんやってきているのです」
精霊ファナーヒが……?」






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