《十二》
※神前式の手順などは実際の式の内容とかなり違います。ご了承ください。
帝に支えられるようにして、万里は羽織袴の男性の横にたどり着いた。
彼が……大和、ではなかったのだろうか。
万里は目が離せず、少し顔を上げ、じっと横顔を見つめていた。
「いやぁ、写真で見て綺麗だとは思っていたけど、実物はもっと綺麗だな。良かったな、閏。こんな綺麗な奥さんをもらえて」
「……ありがとうございます」
銀縁眼鏡の奥の瞳を少し伏せ、お礼の言葉を述べている。
「さて。式の時間が迫っている。早いところ、書いてしまおう」
茶髪の男性が近寄ってくる気配がした。それでも、万里は隣に立つ男性から視線を外すことが出来ないでいる。
「ん? そんなに閏が気に入ってくれたか。なかなか事前に時間が取れずに心配したが、この様子なら、大丈夫だな」
豪快に笑う声に、万里はようやく、視線を外すことが出来た。
「ああ、挨拶が遅れたな。オレは鹿鳴館大和だ。今日からよろしくな」
どうやらこの茶色い髪に少し緑がかった茶色い瞳の男性が、大和のようだ。神前式ということで彼も和装だが、若干、浮いて見えるのはどこか日本人離れした顔つきのせいだろうか。顔も言動も派手で、華やかだ。
しかも、その場に存在するだけで圧倒する空気をまとっていて、これほどいるだけで存在感がある人物というのに万里は初めて出会った。
閏と大和とは、まったく違う。それなのに万里は閏を大和だと思い込んでしまっていた。
万里は今までの勘違いが恥ずかしくなり、真っ赤になり、俯いた。
「……よ、よろしくお願いします」
万里は口の中でもごもごとしか、挨拶が出来なかった。
「で、この男が」
大和は破顔して、羽織袴の男性の肩を強く叩いた。肩を叩かれ、しかめっ面をしている。
「君の生涯の伴侶となる、乙坂閏だ。オレがこいつはいい男だと、証明する」
万里が閏へと視線を向けると、心臓が凍り付きそうな冷たい視線を向けられたが、すぐに逸らされた。
「さあ、ここに用意してきた。書いたらオレが責任を持って提出しておく」
「大和さま、それは……」
「なんだ? 自分で提出をしたいのか?」
「はい。大和さまのお手を煩わせるのは……」
大和は目を細め、閏を見つめた。そうなると急に、場の温度が一気に下がったような気がした。
「オレが出したいと言っているんだ。気にするな」
地の底から聞こえてくるような低音に、万里は息を飲んだ。
この人は、場を支配するなにかを持っている。ちらりと隣を見ると、閏は少し顔を青ざめさせていた。
「……それでは、お願いします」
「そう。それでよろしい」
大和は細めていた目を和らげ、笑みを浮かべた。
するとまた、前のような空気が戻ってきた。
「では、閏。まずはおまえから書いて。次に万里ちゃんかな」
「あ……はい」
万里ちゃんと呼ばれて妙な感じだったが、逆らうとまた、あんな表情をされたら困るので、素直に返事をしておいた。
閏が机の上に置かれたペンに手を伸ばし、署名している。懐にしまっていたらしい印鑑を取りだし、押印した。
署名が終わった閏は、万里にペンを渡してきた。万里はそれを受け取った。
その時、指先がほんの少しだけ触れ、思わず、閏を見た。しかし、閏は何事もなかったかのように手を離し、身体をずらした。
万里は触れた部分を左手で触れ、吐息を吐いた。
万里が署名と捺印をした後、大和と帝が署名をしてくれた。
「よし。ここに一組の夫婦が誕生した、と。さて、式の時間だ。会場に移動しよう」
大和は署名がきちんとされていることを確認すると、丁寧に折りたたみ、懐にしまい込んでいた。
巫女に先導され、大和と閏、帝と万里という形で式場へと移動となった。
帝は緊張しているのか、少しだけしっとりとした手で万里の手を取ると、歩き始めた。
赤い絨毯を踏みしめてしばらく歩くと、白い扉が見えてきた。どうやらそこが、式場のようだ。
扉の左右には巫女が待機していて、一行を確認すると大きく扉を開いた。
中はほの暗く、万里は二・三度瞬きをした。
縦長の部屋で、正面奥には祭壇がしつらえていた。
帝に手を引かれ、万里は慣れない白無垢に苦戦しながら足を踏み入れた。
通路の左右には椅子が用意されていたが、だれもいない。
もしかしたらと期待をしていたが、やはり、幸は来てくれなかったようだ。万里は残念な気持ちで一杯になったが、正面にたどり着き、立ち止まったことでそのことを頭から追い出した。
「それでは、これより式を始めさせていただきます」
祭壇の端で声がして、帝の気配が遠ざかる。
烏帽子をかぶった男性がしずしずと現れ、祭壇に向かってお辞儀をしている。隣に立つ閏もお辞儀をしているのが視界の端に映り、万里も慌てて頭を下げた。
式はしずしずと厳かに執り行われた。
三三九度を交わしながら、万里はじっと閏の顔を見る。
幸の見合いを断りにいった時と変わらない、怜悧な表情。万里の視線を受け、気のせいか、少し不快そうな表情をしている。万里は視線を逸らしたくても、惹きつけられて外すことが出来ないでいる。
その間にも式は進行していく。神前式でも指輪の交換はあるらしく、鹿鳴館側が用意してくれていた指輪をお互いの指にはめた。
万里は緊張と混乱のせいで冷たくなった指が震え、上手く掴めない。それをフォローするような暖かな指先に、まるで手に心臓が移ってきたかのようにどきどきしている。
恥ずかしくて、顔をあげることが出来ない。
指輪の交換が終わり、再度、正面を向くと白い御幣を振られ、それで式は終わりだったようだ。
礼をして、終了を告げられた。
閏は万里を一瞥しただけで、さっと部屋から出て行ってしまった。
万里はどうすればいいのか分からずに戸惑っていると、式場の人が来てくれて、控え室へ案内してくれた。
もう、なにがなんだかわからない。
初めて会ったとき、あんなに優しくしてくれたのはやはり、万里を幸と思っていたからなのだろうか。
訳の分からないまま、万里は白無垢から普段着へと戻った。
大和に言われるがままに婚姻届に署名をしてしまったが、早まったのだろうか。
そういえば大和は、万里を写真で見たと言っていた。
ああ、そうか。
そこでようやく、万里はあることに気がついた。
事前に顔合わせが出来なかったのなら、せめて写真で顔を知る、ということが出来たということを。お見合いだって釣書とともに写真が付けられるのだ。帝にお願いして、写真を見せてもらえば、会場でこんな混乱するようなことにならなかったというのに。
どうしてそんなことに気がつかなかったのだろう。
万里は自分の気の回らなさに呆れてしまった。
万里は白無垢をようやく脱ぎ、スーツに着替えた。やはりいつもの恰好が、落ち着く。
お礼を告げ、万里が部屋から出ると、外にスーツ姿の閏が立っていた。
「……行くぞ」
万里は見上げ、閏の顔を見る。
やはりそこには『見合い相手』が立っている。
彼が大和だったのではないのか?
思わず、じっと見つめてしまった。
「なんだ、俺の顔になんかついてるのか?」
冷たい視線と言葉に万里は我に返り、首を振った。
「大和さまを待たせているんだ、早くしろ」
「すっ、すみませんっ」
万里に背中を向けて歩き出した閏の後を、あわてて追いかけた。