《十一》
それからずっと、万里は幸に避けられていた。
日比谷家にきてからずっと万里は幸中心の生活だったため、どうにもリズムが狂ってしまう。
しなくてはならないことは山のようにあったが、幸のことが気になり、遅々として進まず。
とはいえ、そうも言っていられず、気にしながらもどうにか進めた。
万里の急な結婚話に、日比谷家の使用人たちは自分のことのように喜んでくれた。気を利かせてくれて、大変だからと幸の大学への送迎を買ってくれた人もいたし、足りない物や処分をするものを率先して手伝ってくれる人もいた。万里は感謝してもしきれない気持ちで一杯だった。
急な話ではあったが、挙式だけはするという。鹿鳴館家の希望で、神前式。白無垢を決め、試しにも着てみた。
鏡に映った自分がまったくの他人に見えて、万里は焦った。これを見た帝にまた、馬子にも衣装と言われそうだと苦笑した。
式の前に一度、顔合わせをという話も出ていたが、挙式のための手はずなども向こうがしているらしく、忙殺されていてそれどころではないらしい。
顔も知らないことに不安がまったくないわけではないが、今の万里にはそれはとても些細なことで、幸には悪いと思いながらも、大和の側に行ける幸せでいっぱいだった。
さすがに結婚相手の名前と年齢も知らないのはマズイと思い、忙しい帝をどうにか捕まえて、それだけ聞くことが出来た。
乙坂閏(おとさか うるう)といい、年齢は二十八歳。大和とそれほど年齢が変わらないということを知り、万里はほっと胸をなで下ろした。いくら大和の側にいたいために選択した結婚とはいえ、あまりにも年齢差があるのは辛い。
帝曰く、少し冷たい感じがする男かもしれないが、大和に引けを取らずいい男で、内面は情に厚く、気が利く性格だという。だからそれほど心配することはないと言われた。心配しかない万里は、帝のその言葉は慰めにもならなかったが、ただ、大和の近くにいけるという想いだけを抱え、心配や不安な気持ちを見ないようにしていた。
挙式には大和も帝も同席してくれるということだ。幸にも打診はしてくれたようだが、行かない、行きたくない、絶対に行かない! と言い張っているようだ。万里はそれがとても悲しかったが、幸をないがしろにしているようなこの状況。仕方がないのかもしれない。
そんなこんなで、挙式当日がやってきた。
万里は部屋の中に忘れ物はないかを確認して、最後に残していた日用品の入った段ボール箱を抱えて部屋を出ようとした。
「万里、用意は出来ているか?」
帝自らが万里の部屋に訪れ、迎えに来てくれた。慌てて荷物を抱えて出ると、苦笑された。
「それは今日中に向こうに送っておくから、部屋に置いていて」
「あ、はいっ」
万里は慌てて引き返し、荷物を分かりやすい机の上に置いた。
名残惜しく、ぐるりと部屋を見渡す。
ここにきて、四年弱。
悲しいことや嫌なことがなかったわけではない。それでも、幸と過ごした楽しい思い出が多い。
ありがとうと一礼して、万里は部屋を出た。
帝は幸の部屋の扉を見ている。万里が出てきたことを察して、口を開いた。
「幸は……」
万里は幸の部屋の前に立ち、ノックする。中からは返事はない。
「幸さん、今までありがとうございました」
いつもより声を張り上げて幸に聞こえるように口にしたが、しんと静まり返っている。耳を澄ますが、身じろぎさえ聞こえない。幸はもう、起きているはずだ。
「幸さん、待っていますから!」
結婚してもここにまた戻ってくると約束したが、この様子では無理そうだ。だから万里はそう伝えた。
しばらくじっとしていると、すすり泣いているような音がした。しかし、扉を開けてくれないことには、万里にはどうすることも出来ない。
「万里、時間だ。行くぞ」
帝も中に聞こえるようにいつもより声を張り、万里を促す。
「はい」
万里は短く答え、深く頭を下げた。幸の部屋を名残惜しそうに振り返りながら、帝の後ろについていった。
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白無垢に着替え、万里は緊張した面持ちで控え室にいた。
幼い頃、親戚の結婚式に行った時、親族控え室で新婦と微笑み合っていた従兄はとても幸せそうだったのを思い出した。見ているこちらもほんわかとした、温かい気持ちになったものだ。
自分も将来、好きな人と微笑み合って、周りの人たちも幸せにするんだと信じて疑っていなかった。それなのに、今の気持ちは緊張で幸せかどうかなんて分からなかった。想像していたものとあまりにも違い、万里は戸惑った。
式の前に一度、顔合わせをしておきたかったが、結局、会えずじまい。親族控え室で顔合わせになるのは仕方がない。
「ご準備はお済みになりましたか?」
巫女姿の式場スタッフが声を掛けてきた。着付けをしてくれている人が確認をしてくれて、巫女にうなずいた。
「それでは、ご案内いたします」
とうとう、顔合わせとなる。
そう思ったら、ますます緊張が高まり、息が苦しくなってきた。
万里は大きく深呼吸をしてから、一歩、足を踏み出した。
赤い絨毯を踏みしめて、案内されたのは別の控え室。
部屋の入口には
「乙坂家・度会家 親族控え室」
と筆文字で書かれた紙が貼られていた。
とうとう、対面の時。
高鳴る鼓動に万里は手を握りしめ、足下を注意しながら前へと進む。
扉が開かれ、部屋の中が見えた。
それほど広くない部屋には、左右に分けて椅子が置かれていた。正面には腰の高さくらいの机が置かれていて、その前に……。
「!」
紋付き袴を着た、黒髪の男性が後ろ向きで立っていた。
万里は足を止め、息を飲んだ。
あれは、幸の『見合い相手』ではないのか? ……大和が立っている?
万里は正面を向いて立っている男性の背中から、視線を逸らすことが出来ないでいた。
「ああ、万里。すごく綺麗だよ。……万里?」
入口に佇み、固まっている万里に帝は声を掛け、反応が返らないことにいぶかしく思い、声を掛けた。が、万里はなんの反応を示さない。
「万里?」
再度、声を掛けても動かない万里に帝は立ち上がり、近寄ってきた。
それでもまだ、万里は動かない。
目を見開き、口をうっすらと開け、正面をまっすぐに見つめている。
「万里っ!」
帝は万里の肩をつかみ、揺さぶった。
そこでようやく、万里は気がついたようだ。
「あ……」
のろのろとぎこちない動きで顔を帝に向けた。目が潤み、頬が上気している。
「万里、大丈夫か?」
そういえば、幸の代理で振り袖を着ていたときも具合が悪そうだったということを帝は思い出した。着慣れない着物にまたもや気分を悪くしているのかと帝は心配そうな表情を浮かべた。
「すみません、帝さま」
「やはり、着物は止めた方が良かったかな……」
調子が悪そうな万里を気遣った言葉に、万里は首を振った。
「いえ。大丈夫です」
帝に心配を掛けさせまいと笑みを浮かべた万里を見て、帝はそれ以上、なにも言わなかった。
「おお、これはとても綺麗な花嫁だ! 閏、良かったな」
斜め前から快活な声が聞こえ、万里と帝はそちらへと視線を向けた。
そこには、茶色い髪の毛をした男性が破顔して万里を見ていた。
「式の前に、婚姻届にサインをしよう。証人はオレと帝だ」
「そうだな。ボクと大和の証人で、閏くんと万里が結婚する。これは鹿鳴館と日比谷の一つのいい絆だ」
茶髪の男性がどうやら大和のようだ。
そして……と、万里は正面に立つ羽織袴の黒髪の男性に視線を向ける。
彼が……乙坂閏、ということなのか。
万里は訳が分からず、混乱した。