《五》
万里の運転で出かけるのかと思っていたのだが、どうやら違うようだった。
帝が用意してくれた運転手付きの車の後部座席に、幸と並んで乗り込んだ。久しぶりに自分で運転しないで済むというのは楽だが、なんとなく手持ち無沙汰で困る。それを分かってくれているのか、幸はいつも以上におしゃべりに興じてくれた。
昨日、帝に万里とともに買い物に出かけるという話をしたら、鹿鳴館が関わったアウトレットパークが近々オープンするというから出かけてきてはどうだと提案された。そして、タイミングがよいことに今日は店員たちの練習を兼ねた、プレオープンの日だというのだ。
「そっ、そんなところにこんな恰好で?」
「いいのっ。今日は遊びに行くのよ? 万里に似合う、かわいいお洋服を探すんだからっ!」
思いっきりはめられたと万里は感じたが、後の祭りだ。
「お兄さまから事前にアウトレットのパンフレットをいただいて、お目当てのお店も決めてるの!」
用意周到というか、したたかというか、万里は思わず、苦笑してしまう。しかし、幸はうれしいのか、いつも以上にはしゃいでいるのを見ていると、万里も楽しくなってきた。
そういえばここのところ、あまり外に出ないようにと帝から言われていたのを思い出した。平日は大学と屋敷との往復だけだったし、休みの日も外に出ることにいい顔をしないらしく、外に出ることはなかった。社交的な幸がずっと引きこもったままというのは、苦痛だったのかもしれない。
久しぶりの外出、しかも遠出となると、はしゃぐ気持ちはとてもよく分かった。万里でさえ、密かに心が弾んでいるのだから。
「それにね、昨日はあたしのわがままで万里にとっても迷惑を掛けたから……」
「それでしたら、お気になさらずに」
「仕事だから、って言うんでしょ?」
万里の言葉にかぶせ、幸はふてくされたような口調でそう口にする。
「万里は真面目だから、お仕事だったら、あたしの無茶も聞いちゃうものね」
少し淋しそうに口にする幸に、違うと言い切れない部分があるため、万里は口を噤んだ。
給料をいただいて仕事としているからには、雇い主の命令とあらば、どうにか忠実にこなそうとするだろう。それが例え理不尽な命令であったとしても、今後の自分の損得を考えて、従うか否かを決める。
確かにその部分が大きいのは否めない。しかし、万里の仕事はそれだけではおさまらない。幸という生身の人間を相手にしているのだ。幸のことを好ましく思っているからこそ、続いている仕事でもある。
だけどそれを説明する適切な言葉を、万里は知らない。
「嫌なことは、嫌だとはっきりと言いますよ?」
万里は仕事だからということを否定せず、そんな言葉で濁した。
そのことを分かっているのか、幸は少しだけ淋しそうな笑みを浮かべ、うなずいた。
「知ってるわ。昨日だって、あたしがすっぽかしたらお兄さまにもっと叱られるのが分かっていたから、行ってくれたってことも」
幸のためといいながら、結局は自分の保身でもあった昨日の行動を思い出し、万里はなんとなく苦い気持ちになる。
待たせたら悪いからと幸に言われるがままに行ったが、そうではない行動も出来たはずだ。
万里は帝の携帯電話の番号を知っていたのだから連絡をして、遅れるが幸を連れて行くと一言連絡を入れておけば良かったのだ。
それとも、急病で行けなくなったと嘘をついて……?
今となってはどの行動が正しかったのか分からないが、代理で断るというのが一番、やってはいけない行動だったのではないだろうか。
沈み混んでしまった万里を見て、幸は慌てて明るい声を上げた。
「もう、やだ万里! 落ち込まないで? 今度のお見合いは嫌だけど、きちんと行くから」
『見合い相手』は日を改めてと言っていたが、やはり再度、仕切り直すようだ。万里がこの話をダメにしてしまった訳ではないと知り、ほっとする。
「お兄さまと万里に言われたように、あたし、もう少し大和さまを知って、好きになる努力をしてみるわ」
好きというのは努力するような類のものなのだろうか。
万里はそこに引っかかりを覚えたが、幸の前向きな気持ちに水を差すつもりはなかったので黙っていた。
「だから昨日、聞きそびれちゃったけど、大和さまに会った感想を聞かせて?」
幸に潤んだ瞳でそう聞かれて、万里は戸惑った。
大和のことを嫌だと言いながら、その表情はまるで、恋する乙女のようだ。その豹変振りに万里は狼狽した。
「大和さまは……」
万里は幸の『見合い相手』である大和を思い出す。
「黒い髪をワックスで固めていらっしゃいました」
「黒髪なんだ。身長は?」
幸はなにか引っかかりを覚えているようだが、万里にさらに質問をする。万里は思い出してみる。
ソファに連れて行ってもらうとき、少し見上げないと顔が分からなかったような気がする。
「私より高かったです」
「そっかー。お兄さまと同じくらいなのかな?」
そう言われて、悩む。
ロビーで顔合わせをした時、万里の前に帝が立っていた。その前に『見合い相手』がいて……。思い出そうとするのだが、『見合い相手』のことしか思い出せない。
あの時、相手をじっと見るのは失礼だからと思ったのに、目を逸らそうとしても逸らすことが出来なかった。
でも、そのことを幸に伝えるのが恥ずかしくて、ごまかした。
「その……着慣れない振り袖を着ていて、そちらに気をとられていて、覚えてないです」
それで幸は思い出したようで、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「お兄さまがおっしゃっていたわ。そのせいで気分が悪くなってしまったみたいだって」
心配そうに顔をのぞき込まれたことを思い出し、万里はなぜか頬が熱くなる。
「お兄さまに怒られたの。万里にあんまり無茶を言ったらダメだって」
幸は唇をとがらせ、車窓に視線を向ける。
「その前に、お兄さまがお見合いなんて無理強いするのがいけないんじゃないの!」
幸の両親が取り決めたことであるというのに、帝のせいにしているあたりがなんだかおかしい。
思わずくすりと笑いを洩らすと、幸は唇をとがらせて、万里を見た。
「なんで笑うのよっ」
「すみません、つい」
幸は万里が笑う理由が分かっているのか、腕を組んで、にらみつけてきた。しかし、そういう表情をされても、愛らしいのには変わりはない。
たまに雇い主というより、妹のような感覚になってしまう。万里はその感情を抱くと、これでいいのかなという疑問がもたげてくる。
幸と同じく、万里もすでに両親を亡くしている。親代わりと言ってもよかった祖父も、もうこの世にはいない。幸と違うところは、兄弟がいないところだ。親戚がいるから、かろうじて天涯孤独とは言わないが、どちらかというと疎遠ではある。しかし、困ったときには就職先を紹介してくれたりするので、もっと万里が歩み寄ればいいのだろうが、元来、だれかに頼るのが苦手であるため、遠慮をしてしまう。
そういえば初日に、帝に言われたことを思い出した。
『確かにボクは君を雇ったけど、幸はきっと、君のことを使用人というよりは姉のように慕うと思うんだ。ボクはそれでいいと思っているし、むしろ、そう期待して君を雇った。聞けば、君も両親を亡くしているそうではないか。兄弟がいないというのなら、幸には姉のように接してほしい』
だからこそ、年齢の近い万里を採用したのだろう。間違ってはいないとは思うのだが、本当にそれでいいのだろうか。そこがいまだによくわからなかった。
「ね、万里っ! 看板にあと三キロって書かれていたわよ。すぐだわ!」
幸は外に立っていた看板に気が付き、すぐに機嫌を直したようだ。
晴れやかな笑顔を見て、ほっとする。
時には姉のように接しても問題はない。
嬉しそうに準備を始めた気の早い幸を苦笑しながら見て、万里はそう思うことにした。