FragraNce*Lover08
* *
背後の奈津美の悲鳴に、蓮は奈津美を背中で護りながら佐穂を睨み付けた。
「おまえのやっていることはつきまとい行為、要するにストーカーだと分かっていてやってるんだろうな?」
蓮のその問いかけに、佐穂は思いっきり無視をして、蓮の後ろにいる奈津美に熱っ苦しい視線を向けていた。
ここまでスルーされるのは初めてで、蓮はどうすればいいのか分からず、戸惑った。
しかし、奈津美の言葉には反応していて……。
「奈津美」
蓮は視界の端に佐穂を捉えつつ、奈津美に視線を向けた。
「どうやらそいつ、奈津美の声しか聞こえないみたいなんだ」
「……え」
「奈津美はどうしたい? 迷惑をしているのなら、その旨をはっきり伝えないとこの手の人間はいつまでもストーキング続けるぞ」
蓮はここまでひどいストーカー行為を受けたことはないが、世の中には周りの声を聞かず、つけ回している人間の言葉しか聞かない、聞こえないという、そこまでいくと完全に病んでいるとしか思えない人もいるという。
未だに奈津美の前でひざまずいている彼女もそういう人なのだろう。
「……つきまとわれるのは、困る」
「困って……いた、の?」
予想どおり、奈津美の声は小さかったが届いていたようで、反応があった。
「あたし、迷惑にならないように遠くから見守っていたの!」
それが迷惑だってのを分からせるのは、どうにも大変そうだと気がついたが、奈津美がどう出るのかというのを見てみたい……なんて、蓮の中で変な好奇心が沸いてきたせいで、この後、大変なことになるとはこの時点では分かっていなかった。
「あのね、あなた。見知らぬ人からずっと見られているのって気持ちが悪いって分からない?」
「あたし、五十森佐穂っていいます! ほら、もう知らない仲ではないですよね?」
切り返しが斜めだった。
「あぁ、今日はなんていい日なのかしら! 話しかけてもらえたばかりか、名前まで知ってもらえて!」
佐穂は頬を紅潮させ、そして受け取ってもらえない花束をそっと蓮と奈津美の前に置くと立ち上がった。
来るかっ? と蓮は構えたのだが、佐穂はくるりと二人に背を向けると、スキップでもしそうなほど軽い足取りで去っていった。
そう、あれほど執拗に花束を受け取れと差し出していたにも関わらず、それを床に置き、いきなりふたりに背を向けて去っていったのだ。
取り残されたような状態になった二人はぽかんと佐穂の背を見つめていた。
* *
それからは、二人がショッピングモールにやってくるタイミングで佐穂が現れ、挨拶をすると去る、という繰り返しだった。
ちなみにあのとき、床に置かれた花束はそのまま捨てておくのも忍びなく──花束を渡してきた人物は難ありだったが、花には罪はない──、持ち帰ってなにも変なものが仕掛けられていないかを確認した後、玄関に飾っていた。
少し甘みが強すぎのような気がしたが、そこまで嫌な匂いではない花。
そう、花には罪はない。
だから奈津美は甲斐甲斐しく毎日花瓶の水を替え、枯れるまで世話をした。
最初は佐穂はそうして二人に──というより奈津美に──挨拶だけをしていたのだが、そのうち、佐穂は少しずつ挨拶に自分の境遇を一言ずつ添えてきて……基本、お人好しな奈津美は、佐穂の身の上に同情して、そして香水に関しての造詣の深さを買い、オリジナルの香水を作る会社を設立することとなった。
オリジナルの香水を作る──それは蓮が唯一見たといってもいい夢。
そのことに奈津美は気がついていたのかどうか。
しかも社名を『Lotus』にするって、奈津美はどれだけ蓮のことが分かっていたのか。
蓮は奈津美にオリジナルの香水を作りたいという夢を持っていたなんて話はしていないのに、その夢を叶えてくれた。
その任せる相手がいささか……いや、かなり気にくわなかったが、佐穂は奈津美を裏切らない。そのことを奈津美は分かっていたのか、彼女にほぼすべてを任せ、そして今に至っている。
雑多な処理を得意としないということは奈津美は分かっていたけれど、癖はあるものの話が通じないわけでもないし、そしてなにより最初のきっかけはどうであれ、奈津美は佐穂を信頼していた。
『Lotus』はある意味、佐穂のワンマンで経営されていたけれど、そんな佐穂が作り出す香水に心酔してついてくる人たちもいたし、会計や経営、その他もろもろは蓮と奈津美もきちんと確認していたし、秋孝と秋孝の伴侶である智鶴の厳しいチェックも行われていて、特におかしなところもなく、それなりに業績はのばしていた。
だからこそ佐穂から結婚相手を探してほしいと言われたとき、今までの経緯もあってその思いに報いたいと、本当は奈津美が担当をしたかった。だけどしなかったのは、蓮が佐穂を苦手としていたというのもあるが、佐穂もどうも蓮のことが苦手のようだと気がついたからだ。それに佐穂も奈津美に担当はしてほしくなさそうな感じであったので、奈津美はあえて別の人に任せたのだ。
佐穂は気難しい人というのは分かっていたが、短期間で五人と上手くいかなかったというのは相当ではないだろうか。
* *
奈津美が佐穂と普通に話をしているのを、蓮は遠くから眺めていた。
佐穂が創り出す香水は本当に素晴らしいと蓮はそれだけは手放しで褒めることができる。現に蓮がつけている香水も『Lotus』ができてからは彼女が創った物だけとなった。
蓮が伝えたイメージを佐穂は的確に読み取り、匂いを創っていく。そして創り出された香水は、蓮のイメージにぴったりと重なるのだ。それはまるで心の中を読まれているようで、蓮は佐穂が苦手だった。
大学時代からの知り合いである高屋秋孝も不思議な能力があるが、蓮はそちらに関しては特になんとも思っていない。その能力というのは、その人が見た過去の風景を見ることができる、というものだ。かなり不思議ではあったが、それは自分が体験したことであり、録画した風景を勝手に再生されているといった感じであろうと思われるので、気持ちが悪いともなんとも思っていない。しかも蓮の姉も似たような能力があったため、逆にそれは大変なのではないだろうかという思いのほうが実は強い。
だけど佐穂は蓮が心の中に秘めている想いを香水というもので暴いていくのだ。それは蓮が気がついていたり、気がついていないものだったりで、それを知られてしまうのが怖かった。
蓮は思わず過去に思いを馳せたりしていたのだが、ふと気がつくと待ち合わせ時間を五分過ぎていた。
佐穂はまだ奈津美と話をしていた。
蓮はさりげなく奈津美を見ると、気がついたようだ。佐穂に時計を示し、それから蓮にどうするといった視線を向けてきた。
田崎にはここのロビーに十九時に待ち合わせと伝えてある。少し仕事を抜けて出てくると言っていたが、急用でも入ったのだろうか。
そう思ってロビーを見回して──入ってすぐのところにぽつんと座っている田崎を発見して、思わずため息をこぼしてしまった。
田崎本人も言っていたが、彼は異常なくらい存在感が薄い。来たら受付に行ってほしいと伝えていたのだが、どうしてそんなところに佇んでいるのだろうか。
蓮は大きく息を吸い、それから田崎へと近づいた。
田崎はすぐに蓮に気がつき、顔を上げ──そして、その瞳が潤んでいることに気がつき、言葉をのみこんだ。
「佳山……さん」
田崎は今までにないくらいさらに存在感を薄くして、肩を縮こまらせて小さくなった。
「あの……あの、人、は」
そうして田崎は今にも泣き出しそうな表情をして、佐穂に視線を向けた。
もしかして、この匂いが駄目なのだろうか。蓮もあまり得意とはいえないが、嫌な匂いではない。もっと薄くてほんのりと香る程度なら、とても上品でいい匂いだと思う。
佐穂が短期間で五人と駄目だったのは、もしかしてこの匂いのせいなのだろうか。
ふと蓮はそんなことを思ったが、田崎は驚くことを口にした。
「あの人、なんです」
「……え」
「わたしの……お店の常連客で、そして……その」
そうして田崎は真っ赤になってうつむいた。
その態度に蓮はすぐに分かった。田崎が密かに想いを寄せいている相手は五十森佐穂だった、ということか。
こんな偶然あるのだろうかとこの仕事をしていると何度も思うことだけれど、今回もそうだった。
奈津美は運命なんてないというけれど、こういうのを目にすると、あっても不思議はないと思う。
「ここに入ってすぐに気がついたんです。だからその……受付にすぐに行くようにと言われていたから行こうとしたのですが、驚いて腰を抜かして……その、恥ずかしながら、動けなかったんです」
ここまでくると奈津美が言っていたように上手くいくような気もしたが、ふとひとつ、気になることを思い出した。
田崎は店で佐穂に思い切って声をかけたのに「だれ」と言われたと話していたけれど、これ、大丈夫なのだろうか。
蓮は不安に思いながらも、いつもどおり、仕事を進めることにした。