FragraNce*Lover07
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出会いの印象は蓮にとって最悪だった。
そんな佐穂とは、なぜかショッピングモールに行く度に遭遇して──とうとう、奈津美が切れた。
いや、そこでなんであなたが切れるのですか? と蓮は思ったのだが、奈津美はどうやら、佐穂のことを『蓮のストーカー』認定していたらしい。
しかも普通に気配もなくこっそりつけ回されていたのなら、きっと奈津美は気がついてなかっただろうと思うほど気配のない人なのに、その特徴的で主張しすぎる匂いのせいで奈津美でさえ気がついていたのだ。
そして奈津美は蓮とともに佐穂を人気のない場所に誘導して、真っ正面から問い正した……というより、最初から決めつけてケンカをふっかけていた。
この頃、辰己真理の件もあり、かなりかりかりいらいらしていたのもあったが、さすがにこれはまずくないかと蓮が思ったときには遅かった。
「ちょっとあなた! うちの蓮につきまとわないでよ!」
ぉぉ、奈津美サン、ソレ、間違ってイルヨ。
と思わず怪しいカタコトで蓮は胸の内で呟いた。
「な、奈津美? ちょ、ちょっと落ちつこ……」
「落ち着けないわよ! どーしてここにくる度に金魚の糞みたいにつきまとってくるのよ!」
言うに事欠いて金魚の糞って……奈津美サン、それヒドいね。
やはりカタコトでそんなことを思ったのだが、二人のこと──正確には奈津美を、だが──つけていた佐穂はなぜか笑った。
コレ、コワいデスね。
すでにこの時点で蓮はなんとなくカタコトでだれにともなく実況していた。そうしていないとなんだかやっていられない気分になったのだ。
「やっと話しかけてくれた」
そうして少し太めの身体を揺らして、佐穂は奈津美に近寄ってきて──。
「────っ!」
奈津美の前にひざまずいたかと思ったら、どこに隠し持っていたのか、花束を差し出してきたのだ。
え、なにこの超展開。
すっかり素に戻って蓮は佐穂と花束を見比べた。
そしてその花束は間違いなく奈津美に向けられていたのだが、奈津美はなにを思ったのか、だんっと足を踏みならし、荒々しく口を開いた。
「なんで私が渡さないといけないのよっ! 私の隣にいるんだから、自分で渡しなさい!」
蓮は奈津美の言葉に天を仰いだ。
なにをどう勘違いしたらそう思うのですか、奈津美さん……。
だれがどうみても、佐穂は蓮ではなく奈津美に花束を渡そうとしている。
奈津美はなにをどう思ったのか……いや、今までの蓮の女性遍歴を思えば、そう思われても仕方がない……ということか?
蓮は今までの自分の行動を省みてそう思ったのだが、奈津美と正式に付き合う前に関係はすべて清算したし、それ以降、奈津美以外に見向きもしていない。
なぜか奈津美は変人……あ、いや、おかしな……いやいや──かなり変わった……いやいやいや、個性的……な人から妙に好かれるというか懐かれるということに気がついていた。
秋孝しかり、深町もだし、挙げ句の果ては真理にまで好かれてしまった。
今日も変わらずあの甘ったるい匂いをまき散らしているこの女性もその中の一人となるのだろう。
この変人ほいほい……あ、いや、個性的な人たちを惹きつけてしまうというのは奈津美の長所なのか短所なのかはともかくとして、今後もこうして変なのにつきまとわれるのは容易に想像できたが、しかし、だからといって閉じこめておこうなんて蓮は思わない。
これはこれで奈津美の魅力でもあるのだ。
──と自分に言い聞かせ、蓮は奈津美の肩に手を置いた。
「その花束、奈津美に対して差し出されたものだよ」
「……へ?」
「オレも最初、オレにつきまとわれてるのかと思っていたんだが、それにしても視線を感じなかったんだ」
「……視線?」
奈津美はどういうこと? と首を傾げて蓮に説明を促した。
「人から見られている感じって分かるか?」
「……えと、なんとなく、なら」
「最近、ここに来ると匂いはするのに視線を感じなかった。だから最初はたまたま、偶然だと思っておこうと思ったんだ」
そうして蓮はちらりと佐穂を見た。
「だけど、さすがに四回目あたりからどうやら偶然ではないと気がついて、探した。別の人間に何度かこっそり後をつけられたことはあったんだが、不意打ちで振り返るとたいていは視線が合っていたのに、今回はオレではなくて奈津美をじっと見ていた」
「え、私、全っ然気がつかなかった!」
そうだろうなと蓮は心の中で呟き、続けた。
「奈津美に恨みでも持っているのかと注意深く見守っていたんだが……むしろその逆みたいで、かなり戸惑って奈津美に言えなかった」
「逆ってなにっ!」
という突っ込みに、蓮は花束に視線を向けた。奈津美もつられて花束を見た。
「彼女を男に置き換えてみれば分かりやすくなるか?」
「……あ!」
奈津美はようやく蓮が言いたいことを察したようで、飛び上がると蓮の後ろに隠れた。
ちなみに二人が会話をしている間、佐穂はひざまずいて花束を差し出した格好のままだった。いくら二人以外に人目がないとはいえ、恥ずかしくないのだろうか。
「え……っと、その」
「この花、ハニーサックルと言ってあたしの好きな花なんです」
「……は、はぁ」
「この花からエキスを抽出すると、とっても濃厚な匂いになるんですよ!」
もしかしなくてもこの妙に甘ったるくて濃厚な匂いは……。
奈津美は一度、鼻をすんと鳴らして匂いをかぎ取ってから口を開いた。
「じゃあ、この匂いって」
奈津美の気づきに佐穂はきらきらと目を輝かせてずずっと膝を進めて奈津美へと迫ってきた。蓮の後ろで「ひぃ」と悲鳴を上げたのは奈津美。それを聞いて、蓮の頭はようやく回転し始めた。
ここしばらく、蓮は休みの日になると用事がなくても奈津美とともにわざわざここにやってきていた。というのも、つけられているのはここでだけなのか、休日限定なのか、平日もなのか、判断しかねていたからだ。
結論から言えば、ふたりが土日、祝祭日の休日に来たときだけつけられていた。代休日にもやってきたことがあるのだが、そのときは姿形も、匂いさえしなかった。
交代で付けているのだろうかと思ったのだが、しかし、もしもこれが仮に組織等のいわゆるプロの人たちが行っているものならば、ここまで自己主張する匂いをまとってというのはおかしな話だ。
……ということは、単独犯で、そこにだれかの命令や組織だったものはないということで、要するにこれは──奈津美のストーカーだ、ということだった。
正直、この結論に戸惑ったのは蓮だ。
蓮も過去にストーカーっぽい行為に悩まされたことがあったが、ここまでしつこかったことはない。
つけられていることに気がついているということを相手に分からせれば大人しく引き下がるか、あるいは、つけていることに気がついていることを相手に伝え、まだ続けるようならば警察に相談に行くと言えば、止めた。
もちろん、今回の件、蓮もここまでなにもしなかった訳ではない。つけられていることに気がついた時点で睨み付けてもまったく効果はなかった。というのも、恐ろしいほどに視線が合わなかったのだ。
だからといって、直接対峙はかなりのリスクを伴う。適当な理由をつけて奈津美を遠ざけ、蓮一人でと考えたが、もしも二人きりでいるところを奈津美に見られたとき、奈津美に誤解を与えかねない状況になりそうで、それだけは避けたくて、どうすればいいのか分からず身動きが取れなかった。
別に買い物はここでなければできないわけではなかったのだが、いかんせん、様々な種類のお店がここに集まっていて便利だったし、蓮も奈津美も気に入っていたから、ストーカーに負けて行かないという選択肢は蓮にはなかったのだ。
もしこれが奈津美に危害が加えられそうな可能性があれば違ったのだが、危険があるわけではなさそうだったので、蓮はあえてここにやってきていたのだが……。
奈津美が猪突猛進型だったことを、蓮はすっかり忘れていた。
これを解決する方法は何種類かある。
あるのだが、相手がなにを目的にしているのかさっぱり分からないため、どう動くのがベストなのか──。
「この花束、あたしだと思って受け取ってください!」
佐穂の言葉に、蓮は天を仰ぎ、奈津美は小さく悲鳴を上げた。