『愛してる。』


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FragraNce*Lover06



     *   *

「期限が間近ならそのままマッチングして紹介するんだけど……すでに五人、紹介しているのか」
「まあ……そういう人が今まで前例がなかった訳ではないですし」
「そうだな。機械的に取り決めだから駄目とも言っていられないような気もするな」

 蓮はそういいながらたった一件だけマッチングした相手の詳細をクリックして中身を見た。内容を見ていて、ふと勤務先を見て、蓮はあっと声を出した。

「って、この人」
「はい?」
「……オレ、たぶんこの人、知ってる」

 名前を見てすぐに思い出さなかったことに蓮はまたもやため息をついた。どうやら今日は疲れているらしい。

「お疲れさまー。って、あれ? どうしたの、蓮。変な顔して」

 社長室から事務フロアへやってきた奈津美は、部屋に入るなりしかめっ面をしている蓮を見て、そう声を掛けた。

「奈津美」
「なぁに?」
「今、矢住さんが担当している五十森佐穂(いそもり さほ)って分かるか?」
「ああ、佐穂さんね。蓮も会ったこと、あるじゃない」

 と言われても、蓮は思わず首をひねってしまった。

「あ、分かった。ハニーサックルさんっていったほうがいい?」
「……あっ!」

 そう言われ、蓮はようやくもやもやしていたものがすっきりした。そうだ、ハニーサックルだ。

「ハニーサックル?」
「スイカズラって言った方が分かりやすいかしら?」

 奈津美の言葉に乃理絵は首を傾げた。

「ラッパ状の小さな花が咲く、とても匂いが強い花なの」
「あ……分かりました。五十森さんと会うと、いつも甘ったるい匂いがしているというか」
「うん、それ。彼女が好んでつける香水はハニーサックルをベースにしたものみたいなの」

 奈津美の説明に、蓮はその匂いを思い出して、顔をしかめた。

「蓮は佐穂さんを苦手にしてるから、大変な人だと分かっていたけれど矢住さんにお願いしていたの」
「香水は確かに強烈ですし、性格もちょっと難ありですけど……」

 乃理絵の言葉に奈津美はにっこり笑った。

「あなたがそういうから、相当大変なのね。ごめんなさいね」

 といいつつ、にっこり笑っているはずなのに奈津美の目は笑っていなかった。
 それを見て、乃理絵は顔を引きつらせ、それから小さく「すみません」と謝った。

「うん、謝らなくてもいいのよ?」

 奈津美は普段、人当たりはいいのだが、さすがに客の「悪口」になると途端に厳しい態度になる。それは当たり前の態度であるのだが、こういう調子なので周りは結構びくびくとしている。
 普段ならば蓮がフォローに入るのだが、今回はそれがないところをみると、乃理絵はちょっと言い過ぎてしまったらしい。

「この件は私預かりにさせてね?」
「……はい」
「蓮も問題ないわよね?」
「ないけど。田崎さんにはオレから連絡する」
「うん、そこは任せるわ。私、すぐに佐穂さんに連絡を取るわ」

 奈津美は佐穂の連絡先を聞くと、すぐに電話を掛けていた。

「ここのところ忙しくて、夜しか空いてないそうなの」
「田崎さんに聞いたら、彼もしばらく休みが取れないそうで、夜が都合がよいと言われたんだが……」
「じゃあ、二人の都合がよい日時を聞いて、顔合わせの席を作らないとね」

 またもや連絡を取って日程を聞くと、二人から出てきた都合がよい日時がぴったりと合い、それを見て、奈津美は笑った。

「上手くいくわね」

 そう簡単にいくのだろうかと思ったが、蓮はあえて黙っておいた。

     *   *

 仕事が終わってから利用したいという声もあり、フェアリー・テイルの店舗はわりと遅くまで開けている。とはいっても、最終受付は十九時だ。
 ふたりはその最終時間ぎりぎりならどうにかなるということだったので、蓮と奈津美はロビーで待っていた。

 待ち合わせの五分前に二人はロビーで待っていたが、それと同時に現れたのはハニーサックルこと五十森佐穂だ。自動ドアが開いた途端、強烈な匂いが鼻腔を直撃した。

「佐穂さん、お久しぶり」

 奈津美はすぐに気がついて……というより、このロビーにいた者はその強烈な匂いですぐに気がつき、一斉にそちらへと視線を向けた。
 佐穂はそれが当たり前なのか、平然とした表情をして入ってきた。
 付けている香水にはこだわりがあるが、自分の見た目には無頓着で、それでも社会人として最低限の身だしなみは保っている佐穂を見て、蓮はやはりどうにも苦手だと遠くから見ていた。

     *   *

 五十森佐穂との出会いは、蓮と奈津美が結婚して、まだブライダル課にいた頃だったので、かなり昔だ。

 蓮は身だしなみ程度だが、香水をつけていた。
 それは奈津美が初めて会った頃からだから、すでに学生時代から使っていたことになる。
 季節や気分などで何種類かの香水を使い分けていたのだが、それはある意味、蓮にとってしっくりくるものがなかったからともいう。後は匂いで気分も変わるから、という理由もあった。

 使用している香水は、リピートして使っているものもあれば、テスターで気に入って買ったものとあった。
 リピートして使っている香水はともかく、テスターで気に入ったけれど、実際に使ってみると思っていたものと違っていたというものも中にはあった。思っていたのと違っていたけれど、使ってみたら気に入ったというものならいざ知らず、これはいいと思ったのに使ったら違っていて、嫌な匂いではないから渋々とというのもあった。
 それならば、自分で勉強して調合するのも面白いかもしれない……と思ったまではよかった。
 アロマ関係から香水に関しての本を漁ってそこそこ読んでみたのだが、いざ、やってみようと思ったところでふと気がついた。

 果たして、自分の好みの匂いとはどんなものなのだろうか、と。

 調べているうちに分からなくなってきたというのもあるのだが、知れば知るほど奥が深くて、歯が立たないと感じて、自作することは諦めた。
 だけどいつしかオリジナルの香水を作りたいとは思っていた。
 その思いは胸の奥にくすぶったまま、結局、自分の好みと性格にマッチしているだろうと思われる香水と出会ったことで、妥協したというか、折り合いをつけたというか……。大人になると、こうしてどこかで諦めなければならない苦い思いを胸に抱くことを経験しながら、心の奥底に思いを封印していた。

 そんなときに五十森佐穂と出会った。
 出会ったのは、前に住んでいたマンション近くのショッピングモールでだった。
 二人は休日になると、買い物とデートを兼ねてそのショッピングモールにはよく出掛けていた。

 そしてそこで蓮は香水を見ていたのだけど、テスターを手に取った途端、後方から強烈な甘ったるい匂いがしてきて、顔をしかめた。
 これから何種類か試して、気に入ったものがあれば購入しようとした矢先に、それらすべてを消し去るほどの強烈な匂い。
 すぐに去ってくれることを願って香水の説明の書かれたポップを見ていたのだが、その匂いはいつまでも消えないばかりか、どんどんと近づいてきていた。
 とそこで、別行動をしていた奈津美がやってきて、蓮に声をかけてきた。

「蓮、決まった?」

 その声に蓮は振り返り、そして奈津美の後ろにその強烈な匂いの発生源と思われる人物が目に入り──しかもなぜか視線が合ってしまった。
 少し太めの、最低限の身だしなみはしているのでそこまで不快には感じないけれど、本当に最低限といった、地味で目立たない見た目。それに反して、強烈な匂い。
 鼻がおかしいのではないかと思ったのだが、さすがに初対面でそんなことを言えるわけもなく。
 とりあえず、この場はいったん去り、時間をあけてからまたこよう。

 と思ってそう伝えようとしたのだが、奈津美は顔をしかめ、それから蓮に近寄ってきた。

「ねぇ、蓮。テスターでも割った?」

 そう奈津美が聞いてきても不思議はないほどあたりには甘ったるい特徴的な匂いが漂っていた。
 蓮は違うという意味で首を振ると、奈津美は顔をしかめた。

「でもこれだと、他の匂いが分からないわよね」

 それは奈津美の言うとおりだったので、蓮はうなずき、その場を離れた。

 二人は香水売場から離れたのだが、しかし。
 なぜか匂いはずっとまとわりついてきていた。
 あれだけ強烈な匂いだったから、匂いが移ったのかもしれない。
 そう思ったのだが、匂いはまったく薄れることはなく、まるでついてくるかのようにまとわりついてくるのだ。
 これがほんの少し匂うものならばまだよかったのだが、周りのなにもかもかき消すほどの強烈で主張の激しい匂い。
 しかも匂いというのは慣れてくれば気にならなくなるはずなのに、この甘い匂いはそれを許してくれないほど、いつまでも残り続けていた。

 蓮はこの匂いをとにかく自分の身から振り払いたくて、買い物の途中であったが帰ろうかと足を止め、振り返った先にあの地味な女性を目にして──蓮は冷たい視線を向け、そのまま奈津美の手を引いて無言で来た道を歩き始めた。
 奈津美もなにか察していたのか、なにも言わずに着いてきた。






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