『愛してる。』


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FragraNce*Lover03



     *   *

 蓮はすぐに田崎厚二に連絡を取った。
 電話はすぐに繋がったのだが、何度呼びかけても応答がなく、掛け直そうとしたところでようやく反応があった。
 辛抱強く聞き出した結果、どうやら今日は休みで、これを逃すと次の休みはいつになるか分からないという。今、起きたばかりだから、午後からお願いしたいと言われ、特に予定が入っていなかった蓮は、田崎と午後から話すということになった。
 反応が悪かったのは寝起きだからだろうと結論を出し、蓮は電話を切った。

 蓮も今まで担当した人たち全員を覚えているわけではない。話だけして、条件が合わなくてその先にすすまなかった人たちというのはそれなりにいる。
 関わりが浅かった人でも印象が強ければ覚えているが、田崎のことは会ったということは覚えているらしいのに、記録を読み直しても思い出せない。
 以前の面談のときの記録を読んでもトラブルがあったとは思えないし、とりたてて特徴的ななにかがあったようにも思えない。それでも、なにかが引っかかってならなかった。

 なんとなく引っかかるものを覚えながら、蓮は奈津美とともにロビーへと向かった。
 今日は天気が良く、空調をかけるまでもない陽気であったので、自動扉は開け放たれていた。
 窓越しの日差しは心地よく、外から暖かさをはらんだ風が時々入ってきて、油断したら寝てしまいそうになるほどだ。
 店舗の前を通っていく人たちの表情も穏やかだ。仕事がなければぶらぶらと散歩をするのもいいかもと思えるようななかなかよい日だ。
 そんな陽気と裏腹に、蓮の気持ちは晴れなかった。

 少し鬱々とした気持ちで待ち合わせの五分前にはロビーで店内と外がよく見える場所に陣取って待っていたのだが、時間を過ぎても田崎は姿を現さなかった。そればかりか、十分を過ぎても音沙汰がない。

「オレ、時間を間違ったかな……」

 とは珍しく弱気な蓮の言葉だ。

 こういう仕事をしていると、ドタキャンには何度も遭っているし、連絡もなく来なかったということもある。
 一番最悪なのは、カップルが成立して、後はお支払いとなった段階で行方をくらまされて成約金をもらえなかったということだ。
 このときは依頼を受けた段階で支払いはあったから時間を割いて探し出してということはせず、こちらが泣き寝入りすることにした。
 そのことを思えば、約束を反故にされたくらい、なんてことはない。

 単に忘れていた、都合が急に悪くなって来られなくなったならいいのだが、公共機関が遅れているというのならまだしも、事故や事件に巻き込まれた、来ると中に体調が悪くなって連絡を取りたくてもとれないでいるかも……とネガティブな考えまで浮かんでくる。
 依頼者が来ないならそれはそれでいいとして、無事なのか否か、そちらが心配になってきた。

 もう少し待って現れないようなら、裏に戻って連絡をしてみようと思った時。
 蓮の視界の端にちらりと人の頭が入った……ような気がした。
 ロビーの中は何度か見回しているのに、今になってどうして気がついた?
 いぶかしく思ってそちらに視線を向けると──そこには、いつの間にか男が座っていた。

 通常、ロビーに入るには自動扉しかない。
 蓮と奈津美は待ち合わせの五分前に来て、ずっと入口を見張っていた。
 それ以前にここに入って座っていたとしても、蓮は入口に気を向けつつもロビーにも気を配っていた。にも関わらず、今の今までこの人物に気がつかなかった。
 蓮は昔から柔道をしていて、それは今も変わらずにやっているもので、人の気配には人より敏いと思っている。その蓮が今の今まで気がつかなかった。
 この人物は相当の手練れなのか?
 蓮は気を張りながらロビーの端にぼんやりとして座っている男に近づき、それから妙な既視感を覚えつつも声を掛けた。

「あの」

 男は蓮の声にひどく緩慢な動きで視線を上げ、それからすぐにまたもや顔を伏せた。

 フェアリー・テイルのロビーは、奈津美と秋孝のそれぞれのこだわりの上で設計されたものだ。奈津美は入りやすく親しみを持ちやすいロビーにしたいといい、秋孝は高級感があったほうがいいと主張し合い、衝突した。
 それを蓮は無理だと分かっていながら、どちらも取り入れればいいとして、ホテルのロビーを参考にして、今のようなスタイルになった。
 外から中が見えやすいように全面ガラス張りにしているが、要所要所にはパーティションを置いて、さりげなく目隠しはしてある。
 だけどそのパーティションは外から中に人がいるということは分かる程度の目隠しで、中に入ればだれがいるのかは分かるようになっていた。
 そして、ロビーは休憩所として使ってもらえるようにもなっているため、フェアリー・テイルの利用者以外も入りやすいような形にしている。
 だからそういう人なのかもしれないと思ったのだが、蓮の勘がそうではないと告げていたので声を掛けたのだが、反応が芳しくない。

 ──反応が、芳しくない?

 どうにもそれに蓮の中で引っかかった。
 昔、同じようなことがあったような気がする。

「もしかして……ですが、田崎さん、ではありませんか?」

 蓮がそう声を掛ければ、男は俯いたまま、やはり薄いけれどかろうじての反応を返してきただけだった。

     *   *

 蓮は男の横に膝をついて同じ目線の高さになり、男の顔を見ようとした。しかし男はうつむいていて、蓮を見ようともしなかった。
 なにか後ろめたいことでもあるのだろうかと思いつつ、蓮は田崎にだけ聞こえるようにわざと声を潜めた。

「すみません、お待たせしました。田崎厚二さんで間違いありませんか?」
「…………」

 やはり無言だったが、心なしか唇がうっすらと開いた。

 その後、辛抱強く男から聞き出した結果、ロビーの端でぼんやり座っていたのはやはり田崎厚二だった。
 電話で話したときも反応がよくなかったが、それでもまだ会話が成立していた。
 というより、蓮が一方的に用件を告げ、端的に告げられた『今日休み』『午後からならいける』『今日がいい』という単語を拾い、お膳立てしたともいえた。

 男は常に下を向いたままで、しかも本当に生きているのだろうかと思うほど、気配が希薄だった。生に対してあまり執着していないタイプなのかもしれない。

 田崎に対していろいろと心配事はあったが、どうにか受付を済ませ、打ち合わせ室へ案内したところ、待ち合わせからすでに一時間が経っていた。これほど時間が掛かったのは初めてかもしれない。
 蓮は内心で辟易しながらも、表面上は穏やかに接していた。

「ずいぶん昔にお話をさせていただいたと思うのですが、覚えていらっしゃいますか」

 打ち合わせ室に入って奈津美がお茶を持ってきて退出してしばらくしてから蓮はそう切り出した。
 その蓮の言葉に、田崎は今までにない激しい反応を示した。
 今まで伏せていた顔を上げ、細い目を見開き、蓮の顔を凝視してきたのだ。
 今までとは違う反応に、内心で激しく動揺したのは蓮だ。しかし蓮はそれをおくびにも出さず、田崎を見た。
 田崎は見開いた目で蓮を見つめ──それからまた、俯いた。
 するとどうだろう。またもや急に気配が希薄になった。
 この反応はなにもかも諦めた人間と同じで……前ならば思わなかっただろうが、奈津美のお節介癖がうつったのか、蓮は激しく心配になった。
 この人は、本当に生きているのだろうか、と。

 こうなってしまったきっかけがあるのかもしれない。
 それを聞き出せるのかどうかは分からなかったが、彼がどういった人か分からないままでは、だれかを紹介することもできない。
 少しでも多くの情報を得ようと、蓮は長丁場を覚悟して口を開いた。

「田崎さん、お話を聞かせていただいてもいいですか?」

 蓮のその言葉に、今まで反応が希薄すぎて分からなかった田崎だったが、それでも少しだけ首を縦に振った。







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