『愛してる。』


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FragraNce*Lover02



     *   *

 二人が出社して最初にすることは、パソコンの起動である。一日の中で社長室にいる時間は短いものの、その中で来ているメールにすべて目を通して適切に捌いていかなくてはならない。
 パソコンが立ち上がるのを待つ間、奈津美はスマホに視線を落とした。

 以前は紙のスケジュール帳に書き込み、その内容をパソコンからグループウェアに入力していたのだが、変更の度に手帳を書き直し、忘れずに変更をグループウェアに書き込む……とやっていたら、あまりの効率の悪さに奈津美が音を上げた。
 しかも紙のスケジュール帳への書き直しは忘れずにするのだが、当時はグループウェアへはパソコンからしか変更ができなかったので、すぐに反映できなかったりで変更を掛けることを忘れることがしばしば発生して、周りに迷惑を掛けまくった。
 その都度、反省はするのだけど、忙しくなるとどうしても後回しになり……という悪循環に陥った。
 もうどうすればいいのよ! と八つ当たり気味になっていたのだが、それも技術の進歩によって、ほぼ解決した。

 スマートフォン──いわゆるスマホを持つようになって、それまでの悩みがずいぶんとなくなった。
 しかもスマホからはスケジュール管理だけではなく、メールも見ることができるようになった。だからメールへのレスポンスも早くなった。
 だけど、やはり出勤したら一番にパソコンを立ち上げて見落としがないかなどのチェックは怠らない。

「奈津美」

 車内で受け取ったメールを確認していたところ、蓮が声を掛けてきた。たぶん同じものを見たのだろう。

「新規で依頼が来てるな」
「うん」

 『出逢いから新生活までプロデュース』をキャッチフレーズにして高屋秋孝とともに立ち上げた「フェアリーテイル」。奈津美と蓮は社長とその補佐という立場であるが、二人はいわゆる「雇われ」の身である。
 出資者はTAKAYAグループの総帥である高屋秋孝だが、今はほぼ独立している状態まで成長させることができていた。

 知名度もそこそこになり、最近では自社のサイトを見てそこから依頼してくるということも多くなっていた。

 インターネット経由でのコンタクト、だれかの紹介での依頼、雑誌などの記事や広告を見てなどなど、入口は様々である。
 二人はできる限り、今、どんな依頼が来ているのか把握しようとしている。そして、よほどの案件でない限り、社員に回すようにしていた。

「これ」
「……うん」
「ベテラン組のだれかで大丈夫な案件でしょ?」

 インターネット経由で依頼があった場合、まず初めに申し込みがあった旨がメールで知らされる。
 そこには名前と連絡先が書かれていて、そして選択式で資料請求、紹介依頼、その他に関しては自由形式でメッセージが記入される。

 今回、届いたメールは「紹介依頼」にチェックがされているだけだ。
 だから通常の流れであれば、まずは慣れた人間がファーストコンタクトをとり、聞き取り調査をした後に適任者に振り分けるという形になっていた。
 フェアリー・テイルのホームページには紹介依頼にはいくらかかるという金額を明示している。依頼をしてくるということは、その金額に納得がいき、同意した上でしてきているとこちらは考える。とはいえ、正式に受ける前にそのあたりの確認は取るようにしていた。もっと安くしてくれと言われることもあるが、奈津美たちもぎりぎりの金額を提示している身としては、値引きをしたくてもできないという事情もあり、そういうときは申し訳ないと思いつつ、事情を説明してお断りしている状況だ。それが生意気だのお高く止まっているだのと叩かれる原因になっていることは分かっているが、こちらも紹介するとなればリスクはかなり背負っているので、だれもかれもといかないし、妥協できない部分である。
 言い方は悪いが、ここで篩を掛けさせてもらっている──という事情もあったりする。

「オレの記憶が確かならば、という前提での話なんだが」
「……うん」
「田崎厚二(たざき こうじ)という名前に見覚えがあるんだ」

 といわれても、奈津美は思い出せない。

「たぶん奈津美が産休に入ってたときに来た依頼人だと思うんだよな」
「あー……」

 それならば覚えていなくても不思議ではない。
 それに、奈津美は担当した人以外の名前はさすがに全員分は覚えてはいない。ましてや、申し込みだけはしたけれど、それだけだったという人もかなりの人数になる。よほど印象に残らない限り、覚えていられない。

「データベースを調べてみる」
「お願い」

 データベースには、今まで申し込んできた人たちのことをすべて記録している。
 というのも、本来ならば正式に依頼をしてきて契約をした人たちのことだけを残しておくのが筋なのだろうが、資料請求だけの人はともかくとして、一度、依頼をしたいと申し込んできてなんらかの事情で正式に契約を結ばなかった人たちというのも一定の人数がいる。
 インターネット経由で申し込んでくる人には何通りかある。
 新規での申し込みは前述したような流れになるのだが、以前に申し込みをして契約の前段階で様々な事情で正式依頼にならなかった人というのも中にはいる。それっきりの人もあれば、日を──中には年単位──置いてから前に申し込んだことを隠して依頼をしてくる人もいる。
 他を当たって芳しくなかったからということもあるし、考え直して再度という人もいる。
 しかし、まるっきりの新規の申し込みの人に比べ、再依頼の人たちとトラブルになる率はなぜか格段に高く、かなりの注意が必要だ。そのためにデータベースにはそれらの記録を残している。
 だから蓮がここでなにか引っかかりを覚えたのならば、それは注意が必要だということになる。
 立ち上がったパソコンに向かい合って蓮はデータベースを検索していたが、なにか発見したようで眉間にかなり深いしわを刻んでいた。

「……あったけど」
「けど?」
「なんだこいつ?」
「なにか問題でも?」

 奈津美は立ち上がり、蓮の机へと向かった。
 パソコンにはデータベースを検索した結果が表示されていたのだが。

「ファーストコンタクトはやっぱり奈津美が産休中だな」
「よく覚えていたわね」
「このとき、たぶんオレはこの人と会っている」
「え、そうなの?」
「でも、正式依頼にはならなかったようだな」

 検索結果をクリックすれば、個別の詳細画面になるのだが、そこには確かに蓮が相手と話をして、説明をした旨が残されていた。

「来社してもらって、そこでオレがシステム説明をして……金額に納得してもらえなかったみたいだな」

 メモには説明内容と相手の反応、そして依頼に結びつかなかった理由が書かれていたが、蓮が語ったとおりだった。

「……ん? 『説明をしたが相手の反応は大変薄く』ってあるけど」
「あるね」
「メモを見て、どうだったのか思い出せない?」
「それが……名前には見覚えがあって思い出したのさえ奇跡的と思っているんだが、このメモを見てもなにを話したのか、相手がどんな人だったのか思い出せないんだ」

 奈津美が産休中ということは、かなり前の話だ。確かに名前を覚えていただけでも奇跡的だが。

「……ちょっと待って。私が産休中ってかなり前よね?」
「そうだな」
「この当時、この人の年齢は?」
「……二十歳、だな」
「珍しくない?」
「言われてみれば」

 結婚相談所という機能が大半であるフェアリー・テイルに依頼をしてくる人は、やはり年齢層は高めになる。二十代がいない訳ではないが、三十歳が見えて焦っているような人が駆け込んでくる。

「二十歳っていないわけじゃないと思うけれど、珍しいよね?」

 奈津美は再度、蓮にそう振るが、蓮は首を傾げたあと、首を振った。

「そういう特徴的なものがあれば覚えているはずなんだが……なんというか、記憶が曖昧なんだ」

 あの時期、奈津美がいなくて蓮一人に負担がかかっていた部分もある。忙し過ぎて記憶が曖昧になっている可能性もあるが、どうにも蓮はそれだけが理由ではないと思っているらしい。

「あれから十数年経って、ここのことを思い出してまたお願いしてみようと思ったのかしら?」
「……と最初思ったんだが」

 蓮は詳細画面から検索結果画面に戻し、奈津美に示した。

「名前で検索した結果がこれなんだが」
「……うわぁ」

 ファーストコンタクトの日付からかなり経ってつい最近──といっても半年ほど前──に資料請求をしてきた履歴が検索結果にあった。その後、二ヶ月後にまたもや資料請求、そしてその一ヶ月後とさらにその一ヶ月後に資料請求──計四回──、そして今日の日付が変わったあたりで紹介依頼がされていた。

「こんなに短期間に資料請求を繰り返す人っている?」
「どう、だろう……な?」

 蓮はもう一度、画面を見てからそして奈津美に視線を移した。

「もう一度、オレが会おうかと思う」
「うん、分かった」

 それを聞いたとき、なにかあったとき、すぐに動けるように奈津美は蓮が会っている時には予定を入れないでおこうと決めた。






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