『愛してる。』


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MEGAMIのハイヒール04



     *     *     *

 奈津美はすぐに麻琴に連絡を取り、紹介できる人がいるのだがと話を振ってみた。仕事は金曜日が休みだと伝えられ、時間も決めて電話を切った。理園に麻琴と決めた時間を伝えると、行くと言われた。
「これでいいのかな」
 いつもならこれほど不安に思わないのだが、今回はどうにも不安しかない。
「とりあえず、理園の依頼はこなしたことにはなる」
「そうだけど……。理園を信じてないわけではないんだけど、もしこれで駄目になって麻琴さんの男性不信がひどくなったら」
 気弱になっている奈津美の頭を蓮はつつく。
「お膳立てして、その後をどうにかするのは本人たち次第だろう? オレたちが心配したってどうすることもできないよ」
「うん……。そうだね」
「奈津美の杞憂は分かるけど、大丈夫だよ」
 浮かない表情をしている奈津美に蓮は笑う。
「奈津美と一緒の男性不信だから余計に心配してるんだろうけど、古里さんはここを利用しようと来たことだし、それに」
 蓮は『ウェヌス』で靴を投げつけられた話を奈津美にした。
「う……わぁ。それは相当だと思うわ」
 話を聞き、そういえば蓮は意外に触り魔だったことを思い出した。当たり前のように接してきているからあまり意識をしていなかったが、男女問わず、さりげなく触っている。別にいやらしい触り方ではないのだが、嫌な人は嫌なようだ。
「なるようにしかならない、か」
 奈津美は金曜日のことを思い、思わず遠い目をした。

     *     *

 金曜日。
 約束の時間より早めに奈津美と蓮はホールで待機していた。それほど待たずに麻琴が現れた。いつもと変わらぬスーツ姿に黒いパンプス。麻琴は二人の姿を認めると、少し笑みを浮かべて会釈をしてきた。
 奈津美と麻琴は先に部屋へと向かった。蓮はホールに残って理園が来るのを待っている。その理園も二人がいなくなってから現れた。黒いシャツに黒のボトムズ。サングラスをかけていて、室内に入ってきたことで外し、胸元へと収めた。
「蓮さん、おはようございます」
「おは……?」
 すでにお昼だ。反射的におはようと返そうとして、蓮は疑問を感じて途中で止めた。
「もう昼過ぎだが?」
「いや、そうなんですが」
 理園は説明をしようとしたが、やめた。
 蓮は理園とともに、奈津美と麻琴が待つ部屋へと向かった。

 ノックをして入室すると、奈津美と麻琴は楽しそうに話をしていた。蓮と理園が入ってきて、麻琴の表情が硬直する。
「へっ、ヘンタイっ!」
「おお! おれの女神! ここでも会うとは、やっぱり運命だ……!」
 二人のやりとりに、奈津美と蓮は同時に眉間にしわを寄せる。二人とも『ウェヌス』の社員であるのだから顔見知りなのは不思議はないのだが、奈津美と蓮が知らないところで一悶着以上のものがあった様子がうかがい知れた。
「もしかして、紹介相手って……?」
「えー、あっと、そっ、そうなん……だけど、もしかしなくても、顔見知り?」
 奈津美の質問に、麻琴は不快な表情で、
「こんなヘンタイ、知りませんっ!」
 というなり、椅子から立ち上がる。
「わたし、帰りますっ!」
「え? あ、ちょ、ちょーっと、待ってっ!」
 蓮はすぐに察して、理園の腕をつかんで退出した。隣に座っていた奈津美は慌てて立ち上がり、麻琴の腕をがっしりとつかんで引き止める。
「麻琴さんっ」
 麻琴は理園が出て行ったドアに向かって、にらみつけている。
「あの……、理園がなにかやっちゃった?」
「名前は知りませんが、なにかやったもなにもっ!」
 なにかあったらしく、麻琴は思いだして肩で息をしている。震えているのを見て奈津美は心配になり麻琴の顔を見るのだが、どうやらかなり怒っているようだ。
「よかったら、話を聞かせてもらってもいいかしら?」
 麻琴は奈津美の腕を振り払って出て行く勢いだったが、そう問われ、大きく息を吐くと椅子に座り直した。麻琴はおもむろに口を開いた。
「『ウェヌス』の社内で事務処理をしていたんです」
 麻琴は一段落ついたので、休憩を入れるために自動販売機で飲み物を買って椅子に座って飲んでいた。そこに理園が通りがかり、いきなり……。
「『おれの女神だ! 結婚してください』と言って、手を握ってきたんです!」
「いきなり? それまで面識は?」
「まったくありません。後から他の人の話を聞くと、つい最近、入ってきた人だと知りまして、名前も実は知らなかったんです」
 蓮の話からして、手を握られた後に麻琴は理園に対してなにかやったような気がするが、それに対しての理園の反応は、想像がつくだけに知りたくない。
「蓮の甥が迷惑をかけたみたいで、ごめんなさいね」
「蓮さん……の甥?」
「そう。彼の名前は佳山理園。葵さんの息子なの」
 麻琴はそれが相当なショックだったようで、そのまま固まった。

 部屋から連れ出された理園は、蓮を振り払って戻ろうとしたが、がっちりと捕まれていて戻るどころか引きずられ、どんどんと遠ざかっている。
「蓮さんっ! どうして女神から遠ざけるんだっ!」
 蓮は無言のまま廊下を歩き、一番端の部屋へと入った。
「蓮さん!」
 抗議の声に、蓮はようやく口を開いた。
「彼女は男性が苦手なんだ。あのままにしておいたら、おまえは彼女に飛びつき、彼女は身を守るために暴力をふるっただろう」
「いいんだ! 女神から与えられるものはどんなものでも受け入れる……!」
 ドアの前に立っている蓮を押しのけて飛び出して行きそうな理園に蓮は制止をかける。
「おまえが古里さんのことをものすごく想っていることはよく分かった。だが、冷静になれ。おまえは彼女にあれ以上、嫌がられてもいいのか?」
「嫌がられる……?」
 すでに激しい拒否反応を示しているのさえ、今の理園は気がついてないらしい。理園は乾いた笑い声を上げた。
「ははは、まさか」
「嫌がられるというより、あれは明らかに嫌っているぞ」
 理園は嫌われている? とつぶやき、頭をかきむしる。
「う……そだろ?」
 信じられないようで、確認してくると言って部屋を飛び出そうとしたので、蓮は止めた。
「落ち着け。おまえが惚れっぽくて後先を考えないというのはよーっく分かった」
 蓮は理園の肩に手を置き、じっと顔を見る。理園はその視線をまっすぐと受け止める。
「ねーさんがおまえを実家に連れてきたと聞いたとき、ほんっと驚いたけど……おまえより年下の文緒が結婚して、子どもがいるくらいだもんな。好きな人ができて、結婚を考えるのは自然なことだ」
 しかし、と蓮は続ける。
「結婚は一人でするものではない。相手がいて初めて成立するものなんだ。相手の気持ちも考えずに自分の気持ちを押しつけて突っ走るのはよくない」
「だけどっ、女神はおれを相手してくれた……!」
 麻琴のことを女神と呼ぶ理園にずれを感じつつ、蓮は根気よく説得する。
「まず理園。彼女には古里麻琴という名前がある。女神とおまえが思うのはいいが、その呼び名はどうかと思うぞ」
「女神は女神だっ!」
 かたくなに言い張る理園に蓮はため息をつきそうになりながら、蓮はなんと言って理園を説得すればいいのか悩み──諦めた。
 人の恋路を邪魔するヤツは……という言葉がある通り、止めていいものではない。人を想う気持ちというのは、止めようと思って止められるものではない。それは当人であっても。文緒のことで痛いほど分かっていたはずなのに、思わず止めようとしてしまった。
「殴られて蹴られても、オレは知らないからな」
 理園の肩に置いていた手を離し、蓮はドアの前から移動した。理園は急に態度を変えた蓮をいぶかしく思いながら、麻琴と奈津美がいる部屋へと向かった。蓮もその後ろをゆっくりと着いて行った。

 麻琴の思考は停止していた。あの葵に息子がいたのも驚きだが、よりによってあんなヘンタイだったとは思いたくない。なにかの間違いではないかと思うのだが、奈津美たちが麻琴に嘘を言ってもなんのメリットもない。考えたところで事実が覆るわけではないのは分かっていたのだが、あまりの衝撃に麻琴はどうすればいいのか分からずにいた。
 ぐるぐると麻琴の中に様々なことが巡る。関係あること、ないこと。なにがなんだか分からなくなってしまったところ、ドアが開いた。その音に麻琴は顔を上げ──視線が合った。
「へっ……ヘンタイっ!」
 ドアの向こうには、理園が立っていた。

     *     *

 奈津美と蓮は社長室で、深いふかーいため息を何度もついていた。この二人がそういう状態になるのは、この仕事を始めてから初めてのことである。
 今まで、この仕事を十数年やってきたが、ここまでひどかったことはない。プロフィールを見て、合いそうだと思って紹介をしたら駄目だったということは幾度となくある。けんかや修羅場にも何度も遭遇した。その度に奈津美が落ち込み、蓮が慰めるということをしてきたが、今回ばかりは蓮でさえ言葉が出てこない。
 奈津美は、理園が葵の息子と知ってショックを受けている麻琴に対して、どう声をかければいいのか悩んでいた。しかし、事実は事実であるし、この場合はなにを言っても追い打ちをかけるような気がしたので黙っておくのがいいような気がした。なにか聞かれたら正直に答えようとだけ思った。
 そう思っていたら、ドアが開き、蓮が戻ってきたのかと思っていたらそこには理園が立っていて……。
『おお、おれの女神!』
 と叫ぶなり、予想通り、理園は麻琴に飛びつき、麻琴は条件反射的に拳を突き出し、それは見事に顔面へ当たっていた。しかし、理園はそれをものともせず、麻琴のその拳さえつかみ、強く抱きしめたのだ。麻琴はパニックに陥り、やめてと叫び、腕の中で暴れた。遅れて部屋に着いた蓮は理園を麻琴から引き離そうとしたのだが、麻琴は蓮の登場にさらに恐慌状態になり、どこにそんな力があったのだろうかと思うほど身体を振り払い、蓮に理園を投げ飛ばした。まさか理園が飛んでくるとは思っていなかった蓮はもろに理園を押しつけられ、よろけた。しかしさすがというか、どうにか体制を立て直して理園を受け止めた……まではよかった。理園も蓮に支えられてその反動をバネにして再び、麻琴に飛びかかった。今度は麻琴の蹴りが理園のみぞおちに見事に入ったのだが、それでくたばる理園ではなかったようで、果敢にもアタックをしようとしたところ、蓮に取り押さえられて理園は麻琴から引き離された。
 その間、奈津美はなにもできなかった。
 麻琴から引き離された理園は蓮にわめいていたが、蓮は必死に止めていた。
 そこでようやく奈津美は麻琴を見て、今にも再び、理園に殴りかかりそうだったのを、腕にしがみついて必死になって止めた。
 その隙間を縫い、奈津美は麻琴を部屋の外へと連れだし、タクシーを呼んで家へ帰ってもらった。
 その間に蓮は理園に冷静になれと言ったが聞く耳持たずだったので、強制的に『フェアリー・テイル』から追い出した。

 というのがほんの数十分前の話である。
「予想通りだったんだが……これはどうしたものだろうか」
「麻琴さんにはほんと、悪いことをしてしまったわ」
 そして二人はまた、同時にため息をついた。
 そこへ、内線がかかってきた。電話の側にいた奈津美はすぐに出る。
「え……? はい、すぐにそちらに行きます」
 奈津美の慌てた声に、なにかトラブルでも起こったのかと蓮は心配そうな表情で奈津美を見る。奈津美は受話器を置くと、
「麻琴さんが来てるって」
 意外な言葉に、蓮は一瞬、自分の耳を疑った。







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