『愛してる。』


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MEGAMIのハイヒール05



     *     *     *

 奈津美と蓮が慌ててホールへと向かうと、麻琴が待っていた。
「あの……」
 うつむき加減の麻琴に奈津美はホールの隅へと誘った。蓮は少し遠くから様子を見守ることにした。
「先ほどはご迷惑をおかけしました」
 麻琴から先に謝罪の言葉を言われ、奈津美は面食らった。お詫びを言わなくてはいけないのはこちらだというのに、客である麻琴に謝らせてしまい、奈津美は慌てる。
「麻琴さん、それはこちらのセリフです」
 奈津美は立ち上がり、頭を下げる。少し離れている蓮も同時に麻琴に向かって頭を下げた。
「不快な思いをさせてしまい、誠に申し訳ございません」
 深々と頭を下げる二人に、麻琴は恐縮する。
「お二人とも、頭を上げてください。わたしが悪いんです」
 戸惑う表情の麻琴を見て、奈津美は再度、先ほどの部屋へと麻琴を案内した。部屋に入り、麻琴に椅子をすすめ、奈津美と蓮は麻琴が座ったのを確認して、前に座る。
「今回の件、私たちの判断ミスです。そのせいで、麻琴さんに不快な思いをさせてしまいました。申し訳ございません」
 奈津美は再度、お詫びの言葉を口にした。
「いえ。あの、ほんとっ、今回はわたしが悪いんです。彼がわたしに対してああいう態度を取るのは、わたしのせいなんです」
 と麻琴は自分のせいにするが、どう考えても理園が原因であるのは間違いない。
「麻琴さん、それは違うわ。あれはあなたのせいじゃない。理園が悪いの」
 奈津美は麻琴を正面から見つめ、きっぱりと言い切る。
「今までずっと、浮気をされたのも二股をかけられたのも自分のせいだと思ってきた?」
 奈津美の問いに、麻琴はうなずく。
「真琴さん。それは間違ってる」
 奈津美の否定の言葉に、麻琴は瞳を潤ませる。
「相手にそう言われたのかもしれないけど、それは相手が間違っている。きちんと麻琴さんがいながら浮気をするなんて、それは間違ってるわ! 麻琴さんのせいじゃない。男の身勝手なのよ!」
 奈津美の力説に、奈津美とつきあう前の悪行を思い出した蓮は、背中を丸めて思わず小さくなる。女性に対して不誠実なつきあいを色々としてきた覚えがある身としては、奈津美のその言葉は大変、痛い。麻琴のように傷ついた女性がたくさんいることを改めて知った。思わずこの場に正座をして、二人の女性に謝りたい衝動に駆られる。
「男という生き物は、遺伝子的に浮気性なのよ!」
 奈津美は隣に蓮がいることをすっかり忘れ、麻琴に向かって力説をしている。蓮としても奈津美の言っていることは否定ができないため、とにかく小さくなっているしかなかった。
「理園はあんな馬鹿な男だけど、麻琴さんが求めている誠実で嘘をつかない男よ」
 奈津美は急にトーンを落とし、麻琴を見る。
「ちょっと態度があんなだけど、理園の気持ちは本物よ。それに、葵さんの息子だもの。誠実に決まっている」
 奈津美は葵から理園を引き取ったいきさつを蓮とともに直接、聞いている。理園の両親のことも葵経由だが、知っている。理園の父となにがあったのかも、葵はそこは語らなかったが、雰囲気でなんとなく察してはいる。葵からそういう話を聞くとは思わず、だけど奈津美と蓮に対して話をしてくれたのは自分たちを信頼してくれている証なのだと思い、理園は自分の子ども同然と思って来た。世界中をあちこち飛び回って子育ては確かに葵と蓮の母に任せっぱなしだったが、それでも「母」としての役割は果たしていたと思う。複雑な環境の中で育ってきたが、いや、だからこそ、理園は人に対して誠実なのだと思っている。
「理園のこと、やっぱりヘンタイで嫌?」
 奈津美の問いに、麻琴はそれまでずっと抱え込んでいた感情があふれ出したのか、潤んでいた瞳から涙が流れ出した。奈津美は慌ててハンカチを差し出すが、麻琴はバッグからハンドタオルを取り出し、顔を覆った。
 蓮は無言で立ち上がり、静かに部屋を出る。奈津美はそっと、麻琴が泣き止むのを待った。
 蓮がお茶を淹れて戻ってきても、麻琴はまだ、泣いていた。蓮は麻琴の前にお茶を置き、奈津美の前にも置く。奈津美は小さくありがとうとお礼を言い、
「麻琴さん、お茶を飲んで、少し落ち着きましょうか」
 と声をかけ、湯飲みを手に取り、お茶を口に含む。麻琴は肩をふるわせて泣いているが、奈津美はかまわず、口を開く。
「私、恋愛って甘くていいことばかりではないと思うの。むしろ、辛くて悲しいことの方が多いような気がするのよね。だけど、それがあるから、想いが通じ合ったとき、喜びが大きくなるんだと私は思う」
 麻琴は覆っていたタオルを外し、隙間から奈津美を伺う。その様子を見た奈津美は、続けた。
「自分ではない、そして家族ではない別の人間を好きになるのって、奇跡だと思わない? だって、この世界にはたくさんの人間がいて、その中の特定の一人と出会うのよ。それだけでもすごいのに、好きになって、さらには『特別な人』になる。私がこの前、話した『結婚の条件』があるじゃない?」
「まさか奈津美、またあのとんでもない自説を……?」
 それまで黙っていた蓮が、あきれたように口を挟んできた。
「うん。結婚とは『運とタイミングと勘違い』。離婚は、その『勘違い』の魔法が解けたときに起こるのよ」
「確かにその説は妙に説得力があるんだけど……」
 蓮は苦虫をつぶしたような表情で奈津美を見る。
「女の子はみんな『シンデレラ』で、魔法使いのお婆さんの魔法がどれだけ効いているかで幸せになれるかなれないかだと思うの」
 そこでふと、理園が『赤いハイヒール』と主張していたことを思い出し、笑う。魔法使いのお婆さんがかけた魔法で唯一消えることのなかった、片方のガラスの靴。これが消えたとき、愛だの恋だの言っていた気持ちは一緒になくなってしまうのかもしれない。
「麻琴さんにかかるはずの魔法は、まだだったのよ。お婆さんったらもしかしたらどこかで迷子になっているのかもしれないから、代わりに私が──」
 と言って立ち上がったところで、蓮はすぐに察して、奈津美を止めた。
「奈津美、また悪い癖が出てる」
 気に入った女性となると見境なくキスをする癖を思い出し、蓮は必死に引き止める。
「なんで止めるのよ、蓮っ!」
 腕を捕まれて座り直された奈津美は、不機嫌に蓮をにらむ。蓮はそれで、予想通りのことをしようとしたことに気がつき、あまりにも久しぶりすぎて忘れていたが、思い出してよかったと思う。
 奈津美は咳払いをして、
「麻琴さん、少しだけ理園とおつきあい、してみない?」
 と奈津美に聞かれたが、麻琴は首を横に振った。
「まあ……そうよね。あんなことされたら、素直にうなずけないわよね」
 当たり前の反応に、奈津美は苦笑する。
「戻ってきてくれて、ありがとうございます」
 奈津美と蓮は立ち上がり、改めて麻琴にお辞儀をする。
「とんでもないです。わたしもすみません、泣いたりして」
 はれぼったい顔をした麻琴は、それでもどうにか泣き止み、笑みを浮かべる。蓮は冷たいおしぼりを麻琴に渡した。
 麻琴が落ち着くのを待ち、二人は麻琴が帰るのを見送った。その背中を見て、奈津美はかなり残念がっている。
「あー、残念」
 それを見て、蓮は大きく息を吐く。
「残念と思っているのは、古里さんにキスをできなかったことだろ?」
 考えは筒抜けらしく、奈津美は顔をしかめる。
「どうして分かるのよ」
「奈津美との付き合い、どれだけになると思っているんだ?」
 そう聞かれ、ずいぶんと長いことを改めて知る。
「なんだろう。やっぱり蓮には敵わないなぁ」
 と奈津美は笑っているが、敵わないのはこちらだと、蓮は内心、思っている。
「一時期はどうなるかと思ったけど、これは間違いなく、上手く行くわ」
 楽しそうな奈津美を見て、蓮はそうだといいけどと思い、見えなくなった麻琴が消えた空間を見つめていた。

     *     *     *

 それから数日。
 受付から呼ばれ、奈津美と蓮はホールへと向かった。そこには、なぜか仲良く並んでいる麻琴と理園がいた。手を繋いでいたり、肩を抱いていたりではなかったが、並んで立っているという状況だ。
「色々とお手間をおかけしました」
 数日前では考えられない様子に、蓮は面食らっている。奈津美はすでにこうなるのは予想していたようで、うれしそうに笑いながら、打ち合わせ室へと案内している。
「なにがどうなれば、あれがこうなるんだ……」
 思わず蓮は、そうつぶやいていた。

 部屋に入り、あれほどの険悪なムードはみじんもなくなり、甘やかな空気さえ漂っている二人に戸惑いを覚えつつも、蓮はお茶を出す。
「思ったより早かったわね」
 と奈津美は楽しそうに笑っている。
「ほんと、色々とご迷惑とご心配をおかけしました」
 と理園がまず、頭を下げて謝ってきた。
「いや……それはかまわないんだが」
 なにがどうなっているのかさっぱり分からない蓮。奈津美も分かっていないはずなのだが、とにかくうれしそうだ。
「上手く行った方がいいんだが、なにがどうなったのか、説明をしてもらえるとうれしい」
 蓮の言葉を待ってました! と言わんばかりに、理園が話を始めた。
「これもどれも、あの『赤いハイヒール』が縁を取り持ってくれたんだ!」
 そういえば、今日の麻琴は赤いハイヒールを履いていた。
「変な人だとは思いますが、奈津美さんがおっしゃった通り、誠実で嘘をつかない人ということが分かりました」
 幸せそうに微笑む麻琴に、蓮はますます複雑な心境になる。
 そして、二人が話してくれたいきさつは、こうだった。

 ドラマの撮影も佳境に入り、ラストも見え始めてきた頃。エキストラの楽屋で問題が勃発した。
 赤いハイヒールはこのドラマでも重要なアイテム。主人公の両親は彼が幼い頃、何者かに殺される。その現場で見かけた『赤いハイヒール』を履いた女が両親を殺した犯人の手がかりを握っていると知り、探すというのが物語の大きな流れだ。
 探していくうちに複数の女と知り合うのだが、全員が赤いハイヒールを好んで履いているというのだ。そのうちの一人が犯人に結びつく手がかりを握っているのだが、主人公はその女性たち全員と関係を持ってしまう。

 奈津美はここまでのあらすじを知り、
「この男、ほんっと最低。両親を殺されたことは同情するけど、どうして手がかりを握っている女とそういう仲になるわけ? 訳が分からない」
 と憤慨した。
「とは言うが、ベッドの中で情報を聞き出すというのは常套手段で……」
 と蓮が言うと、
「ふーん、そういう覚えがあるわけ?」
 奈津美はかみつく。
「それに、赤いハイヒールを好んで履くなんて、そんなこと、あるわけないじゃない!」
 奈津美はあらすじに言いがかりをつけはじめた。そこを突っ込んだら駄目だと蓮は思ったが、矛先が変わったことに対して下手に突っ込みを入れて先ほどの話を追求されても困るので、黙っておいた。

「ということは……?」
 赤いハイヒールを履いていたという麻琴に、奈津美は視線を向ける。
「あ、いえっ。わたしはそんな大それたことは……! 火曜日はどうしてもそのうちの一人が現場に入れなくて、背格好が似ているということでエキストラに混じって遠目の撮影の時はわたしが代理でやっていました」
 人の出入りが激しく、小道具の管理もそこまで厳重にされていないようだ。盗まれたり紛失したりということは日常茶飯事という。
「テレビ局ではよくある話みたいで、今回の重要な小道具である赤いハイヒールが盗まれてしまったんです」
 今回のドラマで重要な小道具である赤いハイヒールも、そういう管理体制の元だったため、火曜日に麻琴が楽屋に行き、履こうとしたらなかった。すでにドラマの冒頭は放送が始まり、その影響で赤いハイヒールが急に人気が出てきているそうだ。ネットオークションで高く売ろうとしただれかが盗んだようだ。
「撮影もちょうどラストだったのですが、ないと困るのを途方に暮れていたら、不審な人物が楽屋の外にいて、それを理園が捕まえてくれたんです。その男の荷物を見ると、探していた赤いハイヒールを持っていたんです」
 そこで麻琴と理園は視線を合わせた。奈津美と蓮は二人を見て、なんとなくむずがゆくなってくる。目の前で堂々といちゃつかれた方がいいと思ってしまうのは、歳のせいなのだろうか。
「ちょうど、仕事でテレビ局に入ったところ、いつも以上に騒がしいと思っていたら、怪しい動きをする男が走ってきて、さらに麻琴が目の前を通り抜けたんだ」
 懐が妙に盛り上がり、挙動が不審だったのもあり、そしてなによりも麻琴が血相を変えて追いかけているのを見て、理園は追いかけて男を捕まえたらしい。
「その男の懐から、赤いハイヒールが出てきたんだ」
 一歩間違えたら理園もやっていそうなことだが、さすがに盗んでまではしないかと思い直す。
「困っていたところを助けてもらって、それでわたし、理園を見直したんです」
 その惚れっぽさは麻琴の今までの失敗点のような気がするが、今回に関してはそれが功を奏したようだ。
「まだ少し、男の人は苦手ですが……理園とともに治していこうと思います」
 そう言って再度、視線を合わせてほほえみ合う姿は、やっぱりなんとなく、面はゆい気持ちになってしまった。

     *     *

「雨降って地固まるというの、こういうの?」
 奈津美と蓮は今も変わらずに行っている、寝る前の今日の感想を言い合う時間に、理園と麻琴のことを話題にした。
「んー。今は上手く行ってるけど、どうなんだろうな、あれは」
 あれほど麻琴のことを考えないで自分の気持ちを押しつけようとしていた理園が、借りてきた猫のようにおとなしいのはどうにも気持ちが悪いと蓮は言うのだが、奈津美はその心配はないという。
「どうしてそう言い切れるんだ?」
 奈津美はあくびをし、半分ほど夢の世界に足を突っ込みながら、口を開く。
「麻琴さん、赤いハイヒールを履いてきていたじゃない? きっとね、あれで理園は踏みつけられて喜んでいるのよ」
 ととんでもないことを言うので、聞き返そうとしたが、奈津美はあっという間に眠りについてしまった。
「……相変わらず、寝るのが早いな」
 奈津美が言ったことを想像しようとして、やめた。人の性癖をとやかく言うのはナンセンスというヤツだ。
「しかし、オレまで同類と思われるのは心外だな」
 眠っていて聞いていないと分かっていながらも、蓮は弁明をしておく。
 だけどと赤いハイヒールを思い出して蓮は思う。奈津美に踏まれるのなら、ちょっとそれもありかな、と。
「いやいやっ!」
 そんな趣味はないはずだと蓮は自分に強く言い聞かせ、奈津美のおでこにおやすみのキスをする。
「おやすみ。赤いハイヒールの夢を」
 そうつぶやき、おかしくなって蓮は笑う。
 理園は『ガラスの靴』ならぬ『赤いハイヒール』で『姫』ならぬ『女神』を獲得した。
 しかし、秋孝も理園も好きな女性を『女神』というなんて、ロマンチックな思考の持ち主だなと思う。だけどその意見に実は蓮もこっそり賛成していたり。だけど、奈津美にはそれは内緒だ。あの二人と一緒のカテゴリに入れられるのは勘弁してほしいと自分のことは棚に上げてみる蓮だった。

【おわり】






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