MEGAMIのハイヒール03
* * *
定時後の『フェアリー・テイル』のバックヤード。社員のほとんどが帰り、奈津美と蓮は帰りの支度をしながら話をしていた。
「受けたのはいいけど」
奈津美は麻琴を見送り、希望する相手の条件の書き込まれた用紙に視線を落としたまま、ため息をつく。
「嘘をつかない誠実な人が条件、か」
今まで麻琴が経験したことを思えばこれ以上ない希望なのだろうが、歳や見た目、年収は二の次でこれだけは譲れないと言われれば、こちらとしては戸惑う。
「データベースを見てリストアップをするしかないよな」
理園の依頼も雲をつかむような話だし、麻琴の件もかなりの時間が必要な案件で奈津美は少しだけ気が遠くなった。
「地道な努力が実を結ぶ、と」
「そうなんだけど……」
蓮の言葉はもっともだが、こうも重なるとさすがにめげそうになる。
「理園の件はオレがテレビ局に行って少し調べてくるよ」
「うん、ありがとう」
「秋孝に貸しができるのは嫌なんだけど、引き受けたものは最後まで全うしないとな」
嫌そうな表情の蓮を見て、奈津美は笑った。
高屋のお屋敷に戻り、蓮は早速、秋孝に事情を説明した。
「それなら明日、ちょうどテレビ局での仕事が入っている子がいるらしいから、ついて行けばいい」
「ありがとう」
「なんならそのまま、蓮がだれかのマネージャーにでもなるか?」
「いえ、遠慮しておきます」
不機嫌な表情を浮かべた蓮を見た秋孝は、声を上げて笑った。
「本気にするな」
「……冗談なら口にするな」
「いや、すまない。マネージャーが足りなくて困ってるところだったんだ。蓮ならかなりの人数をさばいてくれそうだから、つい」
どうやら『ウェヌス』はかなり繁盛しているらしい。それもこれも、理園のおかげというから蓮は複雑な心境だ。
「文緒に復活してほしいとは思うんだが、そうなると睦貴を手放さないといけなくなるし、困ったものだ」
「贅沢な悩みだな」
「まったくだ」
文緒は現在、子育てで仕事は育児休業している。しかし、専業主婦宣言をしているので、子育てが一段落しないと復帰をする気はないようだ。
仕事が忙しいことを理由にして子育てを後回しにした結果、文緒には淋しい思いをさせてしまったようだ。妙な縁で知り合った秋孝の弟の睦貴が、文緒と文彰を奈津美と蓮の代わりに親となって見てくれていたので、彼に甘えていた部分があった。だが、文緒は睦貴のことを親と思って見てはいなかったようだ。文緒は確かに睦貴のことをずっと好きだと言っていたが、それは親に感じている「好き」と同じ物だと思っていた。つきあうと言われた時、蓮は激しく動揺した。結婚したいと言われた時は……すでに諦めていた。子育てを手抜きした結果かと思ったら、反対できなかった。奈津美が「光源氏計画」と言っていたが、まさしくそうなってしまった訳だ。
「手を抜いたら、後から手痛いしっぺ返しを食らうのを今、実感しまくってるよ」
蓮の言葉に秋孝も色々思い当たる節があるらしく、苦笑いを浮かべている。
「因果応報なんて言いたくないが、まったくだな」
人の親となった二人は顔を見合わせ、苦笑した。
* *
次の日、奈津美と蓮は珍しく別行動となった。蓮は秋孝とともに『ウェヌス』に向かい、奈津美はいつも通り『フェアリー・テイル』へと出社した。二人そろっていない状態が社員たちにも物珍しく、奈津美は色々と突っ込みを受けた。
「離婚?」
「ありえないでしょ、あんだけラブラブだし」
「とうとう、愛想を尽かされた?」
「それもあり得ないよね」
奈津美は社長という肩書きだが、普段は分け隔てなく社員に接しているせいか、軽口を気軽に交わせる仲だ。今もこうして社員から気軽に色々と言われている。
「蓮は今日、別口の仕事なのよ。離婚も愛想を尽かされたもないです」
と言っているにもかかわらず、普段は奈津美の護衛のように後ろに張り付いている蓮がいないため、密かに想いを寄せている男性社員が近寄って来て声をかけてくる。蓮がいなくなって初めて気がつく出来事も多くて、奈津美はどれだけ支えられているのかを痛感することができる日となった。
* *
一方の蓮は、秋孝とともに『ウェヌス』へとやってきていた。何度か訪れたことはあるのだが、仕事がらみでは初めてだ。
ここに来るまでは睦貴の運転できたのだが、社内へと行ったのは蓮と秋孝の二人だ。睦貴は車に残って連絡や調整などをしておくと言って、残っている。
「ドラマ撮影のエキストラ役の子をまとめてここから連れて行くんだ。引率は……古里さん?」
秋孝に名前を呼ばれた女性は驚いたように背筋を伸ばし、ぎくしゃくした動きで近寄って来た。蓮はその顔を見て、小さく声を上げた。秋孝はそれを聞き逃さなかった。
「どうした?」
「あ、いや。数日前、『フェアリー・テイル』前で会ったんだよ」
「ほう」
古里さん──先日、フェアリー・テイルに訪れた麻琴だった。今日は白いブラウスに黒色のタイトスカート、同じ色のローヒールという仕事スタイルだ。
もちろん、麻琴がここの社員でマネージャーをしていることを蓮は知っていたのだが、まさか仕事で絡むことになるとは思わず、少し驚いている。依頼をしてきたのも分かっているが、守秘義務というヤツで総帥相手といえども、そこは黙っておくことにした。
麻琴は総帥に名指しされた上に見知らぬ人がいることでかなり警戒しているようだ。しかし、それでも引きつりつつも笑顔を浮かべている。
「おはようございます、総帥」
「おはよう。改まってそう言われると困るから、名前でいいよ」
秋孝は苦笑を浮かべ、麻琴を見る。麻琴はしかし、と続けようとしたが、秋孝が口を開いた。
「今日、テレビ局に行くときに彼の同行を許可してほしい」
「同行、ですか?」
麻琴は秋孝から蓮に視線を移し、少しいぶかしげな表情をする。
「あの……失礼ですが、佳山葵さんと似てると言われませんか?」
葵は最近、理園の熱心なすすめでプロダクションを移籍したばかりだ。
『私は身内だからっていう理由で移籍なんてしないわよっ』
とさんざんごねたらしいのだが、最終的には理園の情熱に負けて、折れたらしい。
「古里さんは葵のサブマネージャーなんだよ」
といわれて、蓮は会釈をする。
「姉がお世話になってます」
その言葉に、麻琴はまさか? という表情をする。
「佳山蓮です。葵は姉でして……」
麻琴の中で様々な情報が駆け巡り、目を見開く。
「もっ、もしかして……奈津美さんのだんなさまで文緒さんのおとーさま?」
「文緒もこちらでお世話になってるんですよね」
麻琴は文緒から蓮のことは話に聞いていたらしい。
「すごく驚きました。文緒さんはお父さまに似てるんですね」
文緒も息子の文彰も確かに蓮に似ている。だけど文緒のえくぼは奈津美譲りだ。
「お父さまもモデルをしたらいいのに」
「遠慮しておきます」
たまにやらないかと言われることのある蓮だが、いつも断っている。秋孝あたりからも一時期、しつこくやらないかと言われたなと思い出してちらりと見ると、笑っているだけだった。
「わっ、そろそろ出かけないと、時間が!」
麻琴は壁にかかった時計に視線を向け、慌てた。
「総帥、失礼しますっ! 佳山さん、行きますよ!」
名前でいいといったにもかかわらず、麻琴は秋孝に総帥と呼びかけ、それを聞いて苦笑している。こちらとしては気軽に接してもらいたいのだが、そうはいかないのが現状らしい。
「オレのことは蓮でいいよ、麻琴さん」
麻琴は蓮に名前を呼ばれ、その場で固まった。
「ほら、行きましょう」
と蓮は麻琴の肩を軽く叩き、追い越す。麻琴はその何気ない行動に震えて……。
蓮は後ろ頭になにかぶつかるのを感じた。
「ってー」
立ち止まり、頭をさすりながら後ろを振り向く。そこには、肩で息をしている麻琴がいた。
「気軽に名前を呼ばないでっ。わたしに触れないで!」
蓮のすぐ側には紺色のローヒール。麻琴の片足は裸足だった。靴を投げられたことに気がついた蓮は、苦笑する。かがんで靴を拾うとしたが、麻琴にやめてと叫ばれた。
「極度の男嫌い、か」
秋孝は面白そうに麻琴と蓮のやりとりを見ていた。
* *
麻琴が運転するワゴン車には、たくさんの女の子が乗っていた。蓮は麻琴から距離を取ることを選択した。無用なトラブルを招くのは得策ではないからだ。
女の子たちはイレギュラーな蓮に興味を持ったらしく、次から次へと質問してくる。奈津美と一緒にいるとそういう場面はほぼないに等しいのだが、単品になると近寄りやすくなるのか、興味津々の質問に辟易していた。勘弁してほしいと思っていた頃、車はようやくテレビ局に着いたらしい。女の子たちは一斉に降り、我先にと楽屋に入っていく。
「古里さん、ありがとうございました。適当に帰りますので、オレのことはお気になさらず」
「先ほどは……ほんと、すみません。条件反射というか」
「こちらも不用意にすみません」
突然、靴を投げられて驚いたが、痛かったわけではないし、麻琴が男性が苦手なことも分かっていていつも通りに接してしまった蓮に落ち度があったのだ。恐縮しまくる麻琴に逆に居心地を悪く感じながら、蓮は麻琴たちとは別行動となった。
テレビ局内に入れるパスを警備員に見せながら、蓮は中へと入る。
理園の話にあった廊下へと向かった。そこは忙しそうに人が行き来しているだけで、当たり前だが、探している人の手がかりはまったくない。警備員に日にちを指定して話を聞いてみるのだが、そうしている間にもめまぐるしく人が出入りしている。覚えている訳はないだろう。
蓮は諦め、別口から探すしかないと思ったとき。
視界の端に赤いものが映った。普段なら気にしないのだが、理園が『赤いハイヒール』と力説していたのもあり、視線をそちらへと向ける。
ここに来るときに一緒になってやってきた女の子たちに混ざって、麻琴がいた。それだけなら普通の光景だったのだが、なぜか着ていた服が替わっていた。女の子たちは今から収録だから着替えているのは分かったのだが、どうしてマネージャーである麻琴も着替えて、さらに赤いハイヒールを履いているのだろうか。
「ほら、急いで!」
蓮は思わず、麻琴をじっと見つめてしまう。
そういえば、と思い出す。理園がテレビ局で赤いハイヒールを履いた女性を見た曜日を。あれもちょうど、火曜日だった。
火曜日に赤い靴か。
できすぎのような気がしたが、手がかりを得ることができ、蓮は満足していた。
* *
「真琴さんが理園の探している女性の可能性が高い?」
『フェアリー・テイル』に戻り、蓮は奈津美に報告をする。
「理園が遭遇した曜日も一致するし、調べてみると、連続ドラマのエキストラを毎週火曜日、古里さんが引率しているらしいんだ」
「ドラマの撮影って毎日やってるんじゃないの?」
「言い方が悪かった。ほぼ毎日、『ウェヌス』からエキストラとして役者を出しているらしいんだが、古里さんの担当は火曜日らしいんだ」
エキストラ役なので、マネージャーが一人で一人を担当ではなく、複数人を担当しているらしい。しかも今回は長期ということなので『ウェヌス』に所属している専属を持ってないマネージャーたちが交代で毎日、テレビ局へ連れて行っているという。
「人手が足りないときは古里さんもエキストラとして参加してるとか」
「うわぁ、どれだけ人が足りてないの?」
「毎日エキストラで参加だから、人員を集めるのにかなり大変みたいなんだ」
奈津美からすれば、まったくの別世界の話ですごいなぁという感想しか出ない。
「ちょうど麻琴さんもいい人いないかって探していたんだけど……理園を紹介しても、大丈夫だと思う?」
理園のことは小さい頃から知っているが、中学からここ最近までは空白期間のため、彼がどうやって生きてきたかは分からない。
「とりあえずは理園に伝え……って、なんでおまえ」
バックヤードの入口に寄りかかり、理園がこちらを見ていた。サングラスを外し、母親譲りの灰色の瞳で奈津美と蓮を見ている。
「近くに寄ったから」
「……きちんと受付を済ませてから来い」
不機嫌な蓮を見て、理園はそそくさと戻っていった。
しばらくして、受付が蓮と奈津美を呼びにやってきた。二人は顔を見合わせ、理園の待つ部屋へと向かった。
「で、見つかったの?」
部屋に入るなり、理園は椅子から立ち上がって聞いてくる。
「高い確率でおまえが探している女性だと思われるんだが」
理園に座るように促し、蓮と奈津美は並んで目の前に座る。
「『ウェヌス』のマネージャーの古里麻琴という女性が、探している赤いハイヒールの女性かと思われる」
「『ウェヌス』って、え?」
理園は『ウェヌス』に入ってまだ日が浅いため、従業員を把握仕切れていない。ましてや、マネージャーは社内にいるよりも社外にいることが多い。理園も社内にいることは少ないという。
「そっか……なーんだ、目と鼻の先にいたんだ」
理園は気が抜けたのか、力なく背もたれに身体を預け、腕を顔に当てて笑っている。
「それでね、理園」
奈津美はテーブルの上に組んだ手を乗せ、理園を見る。
「麻琴さんを紹介することもできるんだけど、ちょっと事情があって……」
言葉尻を濁す奈津美に、理園は姿勢を正して視線を向ける。
「なに? なにか問題でも?」
「理園は赤いハイヒールの女性を探してほしいと私たちに依頼してきたけど、見つけたらどうするつもりだったの?」
そのあたりのことを聞かずに依頼を受けたのだが、見つかったらどうするつもりだったのだろう。
「どうするって? おれの女神だ。つきあって、よければ結婚だって視野に入れていた」
聞き慣れない単語を耳にして、奈津美は思わず蓮を見る。蓮も同時に奈津美を見ている。
「理園……。今、『女神』と言ったか?」
「言った。女神だ! 紹介してほしい!」
という理園に麻琴を紹介していいものかどうか、二人は頭を抱えてしまった。