MEGAMIのハイヒール02
* * *
その出来事からさらに数日後。予約も取らずにまたもや理園が二人の元へとやってきた。
「理園、うちの会社は慈善事業じゃないのよ。身内だからって特別待遇はしないわよ」
といいつつもきちんと対応しているあたり、甘いと蓮は思っている。蓮だったら「帰れ」と一言言って、とっとと追い払っているだろう。
「で、例の件、なにか進展はあったか?」
あって当たり前と言わんばかりの理園に奈津美は「あのね」とため息とともに口を開く。
「さっきも言ったでしょ。うちはそれ相応の対価をいただかないと動かないの」
「この間、払っただろう?」
「子どもだましにもならないようなこれでか?」
蓮はジャケットの内ポケットから、先日渡された銀行の封筒を取り出す。
「そう、それそれ。結構な額が入ってただろう?」
「結構な額だと? これでか」
蓮は封筒を机に置き、中身を出してみせる。
「前金にしては充分すぎる十万円……って、あれ?」
中から出てきた『こどもぎんこう』と書かれた紙を見て、
「あー! これ、こんなところにあったのか! すごい探したんだよ」
とうれしそうに封筒に手を伸ばしてきたので、蓮はその手首をつかんだ。
「前から思っていたが、おまえはオレたちをからかってるのか?」
久しぶりに見る蓮の冷たい視線。しかし、理園はそれに気がついていないのか、捕まれた手首を振り払おうとしている。びくともしないのか、理園の顔はだんだんと赤くなってきている。
「あの……蓮さん?」
ようやく理園は蓮が本気で怒っていることに気がついたらしく、恐る恐る、その顔を見る。その表情に背筋が凍りそうになった。
「きちんと正規の手順を踏んでから仕事を依頼してこい」
その一言に、理園は「はい」と返事をした。
「出直してきます」
と告げると、『こどもぎんこう』のおもちゃのお金が入った封筒を大切そうに抱え、『フェアリー・テイル』を後にした。
「理園、来るかな?」
「どうだろうな。もしも客として来たらきちんと対応はしてやる」
不機嫌な表情の蓮に、奈津美は苦笑する。
「本当は頼ってもらえて、うれしいんでしょ」
「そんなことはない」
とは言っているものの、本音はうれしいのだろう。そうでなければ、有無を言わずにたたき出している。
「甘やかして育ててしまったかもしれないな」
蓮のつぶやきに、奈津美は笑った。
* *
「で、オレたちを指名してくるとは、いい度胸だな」
次の日、理園は奈津美と蓮を名指しで正規の客として訪れた。
「改めて、お願いします」
先日の偉そうな態度はなりを潜め、理園は小さくなってお願いをしている。その変わりように奈津美は面白そうに見ているだけだ。蓮は仕方がなく、口を開く。
「で、だれを探せばいいんだ」
蓮の質問に、理園は真剣な表情で特徴を告げる。
「赤いハイヒールの似合う、黒髪の女性」
「それは分かった。他には?」
「テレビ局の廊下ですれ違った」
「日付は? 時間は? テレビ局と言ってもどこのだ?」
蓮の質問に、理園は記憶をたぐりながら答える。
「もっと情報は?」
蓮は思いつく限り理園に聞くのだが、女性の特徴は赤いハイヒールと黒髪という以外を得ることができなかった。
「どこを見ていたんだ」
「ご察しの通り、ハイヒールを」
「理園、そういう趣味があるのか?」
ハイヒールに踏みつけられると興奮する性癖の持ち主なのかと蓮は聞いたのだが、理園はなにか勘違いしたようで、真面目に返答する。
「え? 趣味って読書だとかスポーツ?」
「おまえな……」
蓮はあきれて、ため息をついた。
理園の実の両親は理園がかなり幼い頃に亡くなっている。縁があった葵が引き取って養母となり、養子縁組も組んでいるが、理園は理園なりに遠慮があったようで、中学からは全寮制の学校へ入り、高校を卒業と同時に海外へ飛び出した。海外生活が長いと言っても、日本での生活の方が長いので日本語の方が得意なはずなのだが、たまにずれた返しをしてくるのは、理園本来の性格に由来するものなのかもしれない。
「赤いハイヒールなんてけばいと思っていたけど……なんというか、あれはものすごく神々しかった!」
と理園は解説を始めた。
「王子がガラスの靴を片手に、必死になってシンデレラを探した心境がよく分かるよ。あの王子はおれと同類だ!」
まだ王子の方がましだと奈津美と蓮は思ったが、黙っていた。王子は『ガラスの靴』というアイテムがあったからシンデレラを突き止められたが、一方の理園はなにも持っていない。赤いハイヒールなんて、昔に流行った曲じゃないんだからと奈津美は思う。歌詞を見るとかなり悲しい曲ではあるが、こちらはお相手が最初から存在している。奈津美は思わず、今のこの場では関係ないことを考えてしまう。
「依頼を受けたから調べるが、期待せず待て」
「ありがとう、蓮さん、奈津美さん」
安堵した笑みを向けられ、二人は仕方がないなとこっそりとため息を吐いた。
* *
理園と入れ替わりのように、先日、『フェアリー・テイル』の前で派手にこけた麻琴が客としてやってきた。
「私を指名?」
「はい」
受付嬢が持ってきた受付用紙に視線を落とし、奈津美は眉間にしわを寄せる。
そこには「男の人が信じられない」とだけ書かれていた。奈津美もどちらかというと深い理由はないが軽度の男性不信の気があるので、気持ちは分からないでもない。しかし、どうもこの女性はそんな軽い物ではなく、根が深いような気がした。
「オレは同席しない方がいいみたいだな」
「そう……みたいね」
「なにかあれば呼んで。すぐに行くから」
そうは言ってもらえたものの、心細く思いつつ、奈津美は一人でホールへと向かう。
ホールには麻琴がいた。今日はスーツ姿に黒のハイヒールを履いていた。理園に先ほど、ハイヒールとしつこく言われていたので、ついついそちらに視線がいってしまう。
「お待たせしました」
奈津美が近寄ると、麻琴は立ち上がって会釈をしてきた。
「お部屋にご案内します」
奈津美が先に立ち、理園と話をした同じ部屋へと麻琴を通す。
部屋に入ってすぐに奈津美は麻琴に名刺を渡した。
「社長……」
麻琴は奈津美の名刺を見て、驚いている。
「古里麻琴さん……麻琴さんと呼んでいいでしょうか」
「あ……はい。あまり呼ばれ慣れてないですが」
「親しい方からはどう呼ばれているんですか?」
名前というのは話のきっかけにはなるものだと奈津美は『女性は姓ではなく名前で呼ぶ』という方針を打ち出してから実感した。結婚すると、大多数の女性が男性側の姓を選択する。奈津美もその一人のうちである。娘の文緒は『佳山』姓を選択したが、それも事情があったからで、それがなければ素直に相手方の男性の姓を選択していただろう。
この『フェアリー・テイル』が結婚相談所と違うところは、結婚してからも相談を受けることがある、むしろ、結婚を決めてからの方も重要だと認識しているからだ。
『出逢いから新生活までプロデュース』というのをキャッチフレーズにしているのだから、長いつきあいになる。平均で半年、長くて一年にも二年にもなる。いい人に巡り会い、入籍をして苗字が変わるということはざらにあり、そうなるとやはり、旧姓で呼ぶのもおかしいし、奥さま、だんなさま、というのも他人行儀だ。そこで考えついたのが、女性は名前で呼びかける、ということだ。たとえ、入籍して女性側の姓を選択したとしても、特に問題にならない。中には「結婚したことを実感したいから」と苗字で呼んでほしいと言う人もいるが、そういう人は個別で対応している。
「『古里』と呼び捨てにされてますね」
用紙には「男の人が信じられない」と書かれていた。ということは、麻琴の「親しい人間」というのは女性ばかりなのだろう。
「先ほどから気になっていたのですが、佳山さんって」
「私のことは奈津美でいいから。佳山は私ともう一人、いるんです」
麻琴は少し戸惑った表情を見せたものの、口を開いた。
「奈津美さんは佳山さんということは、もしかして、佳山文緒さんとなにかご関係が?」
奈津美からその話題を振ろうと思っていたところだったので、にっこりと笑みを向ける。
「麻琴さんは『ウェヌス』でマネージャーをされてるのですよね」
『ウェヌス』というのは、秋孝が智鶴のために立ち上げた芸能プロダクションの名前である。『ウェヌス』というよりは『ヴィーナス』といった方がわかりやすいが、ローマ神話の愛と美の女神の名前をちょうだいしてつけた社名である。秋孝にとっては智鶴は女神ということらしいのだが……奈津美は社名の由来を聞いて、ちょっとだけ引いた。
「はい」
奈津美は麻琴に向かって、頭を下げる。
「うちの娘がお世話になっております」
「あ……やっぱりそうなんですね」
奈津美は顔を上げ、麻琴を見る。お互い、笑みを浮かべる。
「文緒、結構わがままでしょ?」
「いえ、そんなことないですよ。わたし、文緒さんに色々助けていただきました」
「役立っているのならいいんだけど」
ため息とともにはき出された奈津美の言葉に麻琴は声を出して笑った。
少し慣れてきたところに、奈津美は聞きたいと思っていたことを思い切って聞いた。
「麻琴さんは今日、こちらを利用されたのは?」
男性不信だけど結婚願望はあるのだろうかと素朴な疑問が芽生える。まさか、こけたところを助けてもらったから、そのお礼にここを使ってみようと思ったというわけではないだろう。
「実は……」
麻琴はうつむき、話しづらそうにしている。
「麻琴さんほどではないけど、私も実は、男性って苦手なのよね」
麻琴は奈津美の言葉に視線をあげる。奈津美は照れくさそうに笑い、
「私、一人っ子なの。両親から過保護に育てられたと思うの。特に父は私のことをかわいがってくれて、『嫁にやらない』と幼い頃からずっと言われて……私もずっと、そのつもりだった」
麻琴は奈津美の左の薬指に視線を向ける。そこには銀色に輝くシンプルな指輪がはまっていた。奈津美はその視線に気がつき、
「ずっと女子校だったという環境と父のその呪いのような言葉で男性は苦手で、一生、結婚することはないと思っていたんだけど、不思議なことにそういう相手と巡り会えて、結婚したの」
麻琴は膝の上で握っていたコブシをさらに握りしめながら、奈津美に質問をした。
「奈津美さんは、その相手と出逢ってなかったら結婚は」
「してなかったと思うわ」
奈津美はなにかを思い出したかのように笑い、
「麻琴さん、結婚に必要な条件ってなんだと思いますか?」
奈津美の突然の質問に、麻琴は面食らう。
「結婚に必要な条件、ですか?」
「そうです」
麻琴はしばらく悩み、眉間にしわを寄せたまま口を開いた。
「お互いの気持ち、でしょうか」
「そうね、それも大切だと思うけど、私は『運、タイミング、勘違い』だと思うのよね」
奈津美の言葉に、麻琴は眉間のしわをさらに深めた。
「結婚ってやっぱり、縁だと思うの。結婚相手に出逢う『運』、結婚したいと思った『タイミング』、そして、私にはこの人しかいないという『勘違い』のすべてが重なったとき、結婚に結びつくと私は考えているの」
奈津美に言われ、麻琴はなんとなく納得する部分があるのか、感心したような表情で奈津美を見ている。
「それでは……わたしが今まで結婚できなかったのは」
「残念ながら、それまでは『縁』がなかった、ようするに結婚の条件が整ってなかったということだと思います」
麻琴の中でそれまでくすぶっていた気持ちがその言葉で、すとんと落ちたようだった。
「わたし、今までつきあってきた男性すべてに裏切られたんです」
それで男性不信に陥ったのかと奈津美は理解した。
「昔から、結婚願望は強かったんです。運命の人はこの人しかいないと思っていたのに……結婚を急ぐあまり、ろくでもない男ばかりに惚れて、結局、すべての男に浮気か二股をかけられるかして、だめになりました。それで男を信じられなくなってしまったんです」
つきあった男すべてにそれをされたら、麻琴でなくても不信になるだろう。かくいう奈津美も二股をかけられたあげく、振られた。そのおかげというと語弊があるが、蓮と出逢うことができたのだから怪我の功名とはこのことかと後になって思った。
「辛い思いをしてきたんですね」
奈津美は自分のことを思い出し、少し涙ぐんでしまった。麻琴に悟られないように瞬きをしてごまかす。
「辛いけど、その人たちは麻琴さんの相手ではなかったんですよ。そんなろくでもない男と一緒になって苦労しなくて済んだと思えば、気が楽になりませんか?」
奈津美の言葉に麻琴ははじかれたように顔を上げる。
「わたし、振られて自分が見る目がないと落ち込んでいたんですけど、そうですよね。そんな男ともしも結婚して、その後の苦労を思ったら、事前で分かって逆にラッキーだったんですよね」
最初はかなり暗く沈んでいた麻琴だが、奈津美の言葉に前向きになれたようで、晴れやかな表情をしている。
「ありがとうございます! あのっ、わたし、今までの経験で自分の男を見る目がないのが分かっているので、もし、いい人がいたら、紹介していただくことってできますか?」
『フェアリー・テイル』はそういった側面も持っているので、奈津美は二つ返事で麻琴の依頼を受けることにした。