『愛してる。』


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MEGAMIのハイヒール01



「……あのね、理園(りおん)」
 奈津美は、あきれたように目の前に座っている佳山(かやま)理園を見ていた。
「確かに、私たちの仕事は出会いから新生活までトータルサポートをする会社ですけどっ」
「だったら、問題ないだろ? 別に無茶なことは言ってない」
 憮然とした表情の理園は腕を組んで、そっぽを向いている。
「おまえなぁ……それはいくらなんでも、あいまい過ぎるだろう」
 同席していた蓮も奈津美の横であきれたように口を開く。
「テレビ局ですれ違った女性に一目ぼれしたから探してほしい、なんて」
「明らかに管轄外でしょ、その仕事!」
 奈津美は机を叩いて立ち上がり、机越しに理園をにらみつける。
「うちは探偵事務所じゃないのよ」
「だから、特徴はさっき、言っただろう? 赤いハイヒールの似合う黒髪の女性」
「理園……それは特徴とは言わない! 髪型だとか背格好、その日に着ていた服装を伝えて初めて『特徴』と言えるんだっ! 赤いハイヒールが似合う女性なんてあいまいな情報だけで探せるか!」
 蓮の怒りももっともだ、と奈津美は横でうなずいている。しかし、依頼主の理園はさらに食い下がる。
「黒髪、というのも特徴だろう?」
「もっと情報はないのか?」
 蓮の言葉に、理園は眉間にしわを寄せ、悩んでいる。
「足元に気を取られていて、いや……それが」
 理園のその言葉に、奈津美は大きくため息をついた。
「……蓮、聞いていい?」
「いや、オレに聞かないでくれ」
「葵さんに育てられたから、こんな変態に育っちゃった?」
「ねーさんは忙しくてほとんど子育てには参加してないはず。実質、オレのお袋が……あ、なんだ、その疑いの目はっ!」
「同じ人に育てられて、こんなに違うとは思えないから……実は蓮も隠しているだけで、理園同等なのかと思って」
「ごっ、誤解だっ!」
 フェアリー・テイル第二打ち合わせ室に蓮の悲痛な叫びが響いた、とある日の昼下がりの話。

     *     *

 ところ変わって、社長室。普段はあまり利用せず、他の社員と同じフロアで仕事をしている奈津美と蓮だが、込み入った話などをする時はここを利用していた。内緒話は好きではないが、それでも仕事をしているとどうしてもそういう場面に遭遇してしまう。社員からの相談事を聞くときも、ここは大いに役立っていた。
「ったく、あいつはなにをしにきたんだっ」
 理園は電話で呼び出されて挨拶もそこそこに、前金だからと銀行の封筒を置くと、そそくさと去っていった。蓮と奈津美は中身を見て、大きくため息をついた。そこに入っていたのは。
「子ども銀行の貨幣なんて、うちの孫でも喜ばないようなものを置いていきやがって。あいつはどこまでオレたちを馬鹿にしてるんだ」
「双子は意外に蓮の空気を呼んで、喜んだ『振り』はしてくれると思うわよ」
 奈津美の言葉に、蓮はさらにため息を深くする。
「あいつは昔っから人を馬鹿にしたことばかりをする子だったんだ。しかもあれ、計算してやってるんだぞ。信じられるか?」
「天然じゃないのなら、いいじゃない」
「天然じゃないから、なおさら悪質だろう、あれは」
 おかしそうに笑っている奈津美に、蓮は眉間にしわを寄せ、もう一度、銀行の封筒を見る。
「そんなににらみつけても、おもちゃのお金は現金にはならないから」
 奈津美は次に来る客の情報を頭に詰め込みながら、苦笑する。
「……次の人は?」
「インターネット経由で予約を入れてきた人。最近、ホームページ経由で依頼を入れてくるお客さんが増えてきてるのよね」
「そうだな。そういう人たちは似たようなサービスを比較してうちを選んできてくれているからな」
 うれしいような、プレッシャーのような複雑な心境である。
「さて、ホールに行って、待ってましょうか」
 奈津美と蓮は部屋を出て、エントランスホールへと赴いた。

 会社の入口は顔だから、ということで、エントランスホールのつくりに奈津美はものすごくこだわった。いつも通りに落ち着いた雰囲気と少しだけ高級感あふれる空気にほっとする。この『少しだけ』というのが曲者で、奈津美はそこにこだわり、秋孝と何度も衝突をした。
 秋孝は高級感を追求したいといい、奈津美はそれよりも親しみやすさを前面に出したいとやりあった。それならば落ち着く中にも高級感があって、親しみやすいけど特別な場所と認識させるような空間を作るのはどうかと蓮が折衷案を出してくれた。折衷案というよりは、どう考えても相反するものを混ぜ込んだその案に奈津美と秋孝は噛み付いたが、二人の意見を取り入れるとそうなるんだと言われ、この空間にどうやって表現するのかとまた、やりあった。
 落ち着いたのは、ホテルのロビーを参考にすること、だった。高級感があって非日常な空気が流れているのに、妙に落ち着く空間。入ってすぐ目に入る場所には生花を飾り、天井を高くとり、外から光を取り込めるように全面ガラス張りにして、ソファを配置する。
 たまにホテルと勘違いして入ってくる人もいるが、奈津美はそれでもいいと思っていたりする。受付の人にもあまりにもマナーの悪い人はお断りだけど、休憩として立ち寄ってくれる人がいたら利用してもらってもいいと伝えてある。それでなくても『結婚相談所』というところは利用するのに躊躇して、さらには利用するとしたとしても入りにくいと思われているのだから、本来の利用目的ではないにしろ、気軽に入ってもらうというのはいいことだと思っていた。人の流れがいろんな物を呼び込んでくれる。それがいい物でも悪い物でも、そこにとどまって停滞して腐っていくよりはよほどいいと感じていた。
 実際に利用してもらった人に聞いてみたところ、抵抗はあったが入りにくくて仕方がないということはないという答えを多数、もらうことができた。満足行く結果とは言えなかったが、目標としていた物は間違ってなかったと確信している。まだまだ改善の余地があるとは思っているが、日々の業務だけで手一杯……ということを言い訳にして、現状維持をして見て見ぬふりをしていたりはする。
 最初に秋孝から話が来たときは本当におもしろいと思ったし、やりがいも今まで以上に感じた。実際やってみると、やりがいなんて言葉では言い表せない、歯が立たなくて泣きそうになった。だが、一度にすべてをやってしまおうとするから無理なのであって、少しずつ、前進していないように見えても塵も積もればなんとやらという言葉があるようにこつこつとこなすことが大切だということを嫌と言うほど思い知った。やればすぐ結果が出るということの方が少ないけど、少しずつ形になったり、地道に取り組んでいたことがしばらくして結果が出たときの感動というのは言葉では言い表せなく、これだから仕事は面白いのよねと奈津美は思っていた。
 ……その結果、仕事を優先させて子育てはほぼ放棄、という親として失格の烙印を押されそうなことになってしまったが。
 しかし、幸いなことに子どもは自分たちが危惧していたようなひねくれた子には育たず、長女の文緒(ふみお)は自分の倍も年齢差のある男性と結婚して、数年前に双子を出産して、今年に入って三人目も産んでいた。奈津美が文緒を産んだのは遅かったけど、娘は思っていたより早くに子どもを産んだので、早々におばあちゃんになってしまったことに戸惑いは覚えたものの、幸せに感じていた。第二子で長男の文彰(ふみあき)はまだ大学生なので、将来のことはなんとなくは考えてはいるようだが、そこまで具体的ななにかを持っているわけではないようだ。どんな結果を出してくれるのか、今から楽しみで仕方がない。
 仕事はある意味、子育てと一緒かもしれないと思ったが、まともに子育てをしたと胸ははれないちょっと駄目母な自覚がある奈津美だが、それでも同じような物だなと思っていた。手をかけたからといって、必ずいい結果が出るわけではない。──といって、子育ての手を抜いた言い訳にしている自分がいたりする。

 奈津美と蓮は待ち合わせ時間の五分ほど前にホールに着き、ソファに座ってガラスの向こう側を見ていた。今、この空間には、奈津美と蓮、そして受付二人以外はいない。だから、外から入ってくる人が予約を入れてくれた本日のお客さまということになる。そんなことをぼんやりと考えていたら、視界の端に必死に走ってくる女性が入ってきた。奈津美は首を動かし、その人に照準を合わせる。紺色のタイトスカートに白いブラウス。靴は走りやすいようになのか、紺のローヒール。髪は一つに結び、こちらも紺色の髪ゴムで止められていた。化粧は最低限されている程度。今から来る予定になっている人はカップルで来ると書かれていたから、走っている女性ではないだろうと視線をそらそうとしたとき。
 女性はなにかにつまずいたのか、肩からかけていたかばんの中身を周りに振りまきながらスローモーションで倒れて行くのを奈津美と蓮は見た。
 女性が地面に倒れ込むのと同時に、二人はソファから立ち上がり、走り出した。

 奈津美と蓮がこけた女性にたどり着いた時、女性は地面に倒れ込んだままだった。
 奈津美は女性に近寄って声をかけ、蓮は周りに散らかった荷物の中身を拾ってかばんへと片付けていた。
「大丈夫ですか?」
 しかし、女性はぴくりとも身動きをしない。奈津美は不安になり、しゃがみ込んで女性の肩を軽く叩く。それでも反応がない。
「……蓮」
 荷物をすべて拾い終わった蓮が寄って来たので、奈津美は戸惑った表情で見上げる。
「どうした?」
「呼びかけても返事がないんだけど」
 奈津美は再度、声をかけるが、地面の上にうつ伏せになったまま、動かない。こけたときにどこかぶつけて意識を失ってしまったのだろうかと心配になったところ。
「ぐぅ……」
 奈津美と蓮は思わず、顔を見合わせる。もしかして……?
「ね……寝てる?」
 奈津美は少し強めに女性の肩を揺する。
「ん……うーん」
 ようやく反応が返ってきて、奈津美は安心した。もう一度、肩を揺すると女性は気がついたのか、飛び起きた。
「わわわわっ、遅刻っ!」
 髪は乱れ、服もこけた時に地面を擦ったらしく汚れていて、さらには顔にも切り傷がついている。女性はうめき声を上げつつもかばんをつかむなり、奈津美と蓮のことに気がついていないのか、走り出した。
「……大丈夫かな」
 走り去っていく後ろ姿を見送りながら、奈津美はぼそりとつぶやいた。
「オレたちのことに気がつかないくらい、切羽詰まってるんだろう。起き上がって走ってるから、とりあえずは大丈夫だろう」
 二人は気になりつつも、来客があるのを思い出してホールへと戻った。

     *     *

 その出来事から数日後、受付から奈津美宛に電話が入った。
「……女性が?」
 聞き覚えのない名前を告げられ、奈津美は眉間にしわを寄せる。
 なんでも、助けてもらったらしいのでお礼を一言伝えたいというのだが。
「どうしよう」
 受話器を押さえ、奈津美は蓮に救いを求める。
「オレも同席するから、会うだけ会ってみれば?」
 と言われたので、奈津美はホールへ向かうと告げた。
 不安に思いつつもホールへ行くと、受付側のソファにどこかで見かけた女性が座っていた。今日は白いブラウスにブラウンのタイトスカート。黒髪はかっちりと一つに結ばれていた。奈津美と蓮がホールに現れたのに気がついた女性は立ち上がり、お辞儀をしてきた。
「先ほどご連絡を入れた方です」
 と受付に告げられ、奈津美はいぶかしく思いながらも軽く会釈をする。
「あのっ、先日、こけたところを助けていただいたようで……。ものすごく急いでいて、お礼も言わずに失礼なことをしてしまいまして、すみませんでしたっ」
 女性は勢いよく、頭を下げてきた。奈津美はそう言われてようやく、思い出した。
「あ、いえ。身体はなんともないですか?」
 奈津美は頭を上げるように伝え、女性へと近寄る。蓮は少し遠くから二人のやりとりを見ていた。
「はい、おかげさまで、大丈夫です」
 とは言うものの、化粧でごまかしてはいるものの、女性の鼻の頭はすりむけているのが分かる。
「わたし、こういう者です」
 と女性はかばんから名刺入れを取り出し、奈津美に渡してきた。奈津美は受け取り、名刺を見る。会社名を見て、どこかで見たことがあると引っかかりつつも、肩書きと名前を見る。
「マネージャーをされてるんですか?」
「はい。あの時は打ち合わせの時間が迫ってまして、急いでました。どうにか間に合って助かりました」
 女性──名刺によると古里麻琴(ふるさと まこと)は何度もお礼を言い、打ち合わせの時間があるのでと言って慌ただしく出て行った。奈津美は会社名に引っかかりを覚えつつも、マネージャーという仕事は大変なんだなと思っていた。
 バックヤードに戻り、蓮に名刺を渡した奈津美はその社名が引っかかるんだけどと口にしようとした途端、
「この人の会社、秋孝のところの芸能プロダクションじゃないか」
 と言われ、奈津美は思わず声を上げた。
「あー! あそこか!」
「奈津美……娘が所属している会社くらい、きちんと把握しておけよ」
「いやぁ……そうなんだけど。引っかかると思っていたんだけど、思い出せなくて」
 最近、物忘れが激しいのは歳のせいかなとつぶやく奈津美に、蓮は追い打ちをかける。
「まったくもって、そうとしか言えないな」
 返す言葉もない奈津美は、ぐぅとだけうめき、名刺を見つめた。







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