『愛してる。』


<<トップへ戻る

0 目次   <<前話*     #次話>>

【四章】新たな理解者?



 葵と晴希は無言で向き合ったまま、お茶を飲んでいた。
「あの……その」
 最初に口を開いたのは、晴希だった。
「オレ……ひどいことをたくさん言った。すまなかった」
「いいのよ。慣れてるし。私だって、自分が気持ち悪いから」
 葵の悲しい言葉に晴希は首を振る。
「親父はすべてを知っていて、あんたをずっと守っていたんだな」
 晴希はうなだれ、飲んでしまって空になった湯呑を見つめる。
「あの曲を聞いてから、どうしても忘れられなくて。どうあってもプロデュースして世に出したかったんだ。オレが親父に似ているのはよく知っていたから……それを利用して、その、本当に悪かった」
 葵はもう一度、首を横に振った。
「これで分かってもらえた? 先生とはなにもなかったって」
「……ああ」
 葵は乱れた髪を整え、羽織っていた物を着直し、ため息をつく。
「だけどオレが調べたのは……昔からずっと女の子だったんだが」
「小さい頃から男の身体であることに違和感を覚えていたから。ずっと女の子の恰好で過ごしてきたのよ」
 晴希はなんと言えばいいのか分からなくて言葉を失った。
「今でこそ『性同一性障害』なんて言葉ができたけど、私が小さい頃はそんな言葉がなかったし、両親が理解を示してくれなければ、頭のおかしい子だったと思うのよね」
 葵はぽつり、ぽつりと晴希に今までの経緯を話して聞かせた。航平に似ている、といっても晴希は赤の他人。しかも自分の弱みをこんなに詳しく話したのはきっと、晴希が初めてだろう。葵は何度もこれ以上話したら駄目、と思いながらも、止まらなかった。
「週刊誌にでもリークすれば? 高く買ってくれるわよ」
 葵はすべて話した後、自嘲気味につぶやいた。
「するわけないだろう」
「どうして? あなたから父親を奪った憎い女は実は女装した変態だったのよ? いいネタになると思わない?」
 葵の自虐的な言葉に晴希はテーブルを叩き、立ちあがった。
「ふざけるな! そんなことして、だれが喜ぶ?」
「家族を捨てた先生と先生を奪った私に復讐できて、いいじゃない」
「復讐? そんなことしたって、親父もお袋も、生き返らない!」
 晴希はこぶしを握りしめ、震えている。葵はなんと言えばいいのか分からなくて、そのこぶしを見つめた。
「そう望むのなら、オレは週刊誌だろうがブログだろうが今の話を公表する。だけどしたところで、だれが得するんだ? あんただけじゃない、オレにだって、あんたの家族にだってたくさんの人が迷惑して悲しむ結果になるだろう。それをしたことで死んだ人間が生き返るのなら、いくらでもする!」
 葵は晴希の言葉に唇をかみしめる。
「確かに最初、あんたと親父を憎んだ。お袋は帰ってこない親父をいつまでも待っていたし、こっそりと泣いているのを見て悲しくて胸が苦しくなったけど……憎んだからといって親父が帰ってくるわけじゃないのは嫌というほど分かった。親父がいないことは悲しかったけど、あいつは働いてきちんとオレの養育費も払ったし、お袋にも十二分に金銭は与えてもらっていた。ほしかったのは金じゃない、あいつの愛情だったけど……」
 晴希は顔をあげ、葵に視線を定め、
「あんたは親父の愛情を受け、育ってきた」
 葵はなんと答えればいいのか分からず、晴希から視線をそらした。
「親父はオレにあんたを残してくれたんだ」
 晴希の言葉の意味が分からなくて、葵はそらした視線を晴希に戻した。晴希は妙にぎらぎらした瞳で葵を見る。
「あんたがだれだっていい。男だろうが女だろうが、どちらでもいい。あんたはあの曲を世間に出す、それだけでいいんだ」
 晴希の熱っぽい説得に、葵はなんとなく後ろ暗くて、首を縦に振っていた。

     *   *

 晴希は週に一度ほどのペースで葵の部屋を訪れた。特に会話をするわけでもなく、片付けられない葵に代わって部屋を片付け、料理をして帰っていく。
 それ以外では仕事で毎日顔を合わせていた。
「この曲は歌詞は付けなくてもいい!」
「いや、付けた方がいい!」
 葵と晴希はあの曲に歌詞を付けるのかどうかで毎日ぶつかりあった。周りの人間ははらはらと見ているしかなかった。
 葵もどちらかというと癇癪持ちであったし、晴希は気に入らないと仕事をしなかった。その二人が正面からぶつかり、お互いが譲らない。
 どちらかが「やらない」と言ったらこのプロジェクトはすべて泡と化す。それだけは避けたい、と周囲の人間は強く思っていた。その心配は杞憂で、少しずつだが着実に前進していた。
 結局、葵が歌詞を考える、という結論になぜか落ち着いた。
「素人の私がつけたむちゃくちゃな英語詞でもいいのね?」
「そんなこと、プライドの高いおまえがするわけないだろう?」
 ムッとした表情で葵は晴希をにらむ。
 葵は悔しくて必死に歌詞を考えた。
「……いいんじゃないか?」
 提出された歌詞を見た晴希は悔しそうな表情で手書きの用紙を見つめる。
 そしてまた、だれが歌うのか、というところで揉めた。
「私が歌うわよ!」
「歌えるのか?」
「歌うわよ!」
 晴希は葵の返事ににやりと笑う。どうやら最初から葵に歌わせるつもりでいたようだ。
 葵は歌のレッスンをさせられた。
 出来上がったのは『Still Rain』という曲。
 晴希の思惑通りにチャートを独占、その年の話題をさらっていった。
 その曲のお陰で葵の知名度はますます上がった。次も歌ってほしい、と言われたが、葵は身の程を知っていたのでこれっきりだと断わり続けた。
「バイオリンも弾ける女性アーティストとしてこれからもプロデュースならしてやったのに」
 晴希はにやにや笑いながらそんなことを言った。
「私はバイオリンさえ弾ければいいの! あんたの口車にのっていろいろやっちゃったけど、これっきりよ!」
「そうか、残念だ」
 晴希は心底残念そうにそう告げ、いつも通りに部屋を片付けると帰っていった。
 それが晴希と交わした最後の会話だった。

     *   *

 冷たい雨が降る日。葵の元に一本の電話がかかってきた。『Still Rain』を出してから一年ちょっと経っていた。見知らぬ番号をいぶかしく思いつつ、葵は出る。
「もしもし……」
『秋沢晴希さんのお知り合いの方ですか』
 聞いたことのない女の声。葵は不吉な予感を覚える。
『秋沢さんが重体で』
 航平の凶報を聞いた時の電話を鮮明に思い出す。
 震える身体を必死に動かし、葵はメモを取った。あの時とまったく一緒で、葵は動揺する。
 葵は晴希の元に駆けつけ……航平の時とまるっきり一緒の光景に、身体から力が抜ける。
「なんで……!」
 血の気の引いた顔に葵は言葉を失う。目を固くつむり、眠っている晴希。
「分かった、また歌うから! 目を覚ましなさいよ!」
 葵の言葉が聞こえたのか、晴希はゆっくりとまぶたを開け、枕元に崩れ落ちている葵に視線を向ける。
「なんであんたが……」
「知らないわよ! 病院から呼び出されて驚いて駆け付けたんだから!」
 晴希は力なく微笑み、葵を見る。
「お願いがあるんだ」
「なによ。また歌え、というのなら──」
「仕事の話じゃない。あんただから、頼みがあるんだ」
 晴希は苦しそうに息をして、ゆっくりと葵に身体を向ける。
「オレには一人、息子がいるんだ。先日、二歳になったばかりで、名前を理園(りおん)という」
 そこで息を吸い込み、晴希は咳き込む。葵はあわてて背中をなでようとして、晴希に止められた。
「母親は、理園を産んで死んでしまったんだ。シャルロッテという名のドイツ人で」
 晴希は話す度に苦しそうに咳き込む。
「話さないで。しっかり寝て、元気になってよ。理園くんのためにも生きないと」
「そうしたいのは山々なんだが……」
 晴希は今までにないほど咳き込み、口を押さえた。指の隙間から赤いものが見え、葵は倒れそうになる。
「看護師さんを呼んでくる」
「待て。そのあたりのいきさつは、ノートに書き留めてある。それを見てほしい」
 晴希はまた咳き込み、口から大量の血があふれてきた。
「葵、お願いだ。理園の母になってほしい」
「なに言ってるの!」
「オレは見ての通り、もう駄目だ。あいつを育ててほしい」
 晴希はさらに咳き込み、葵はあわてて部屋の外に向かって叫ぶ。
「だれか! だれか来て!」
 葵の声を聞きつけた看護師があわてて部屋に入った時。晴希は血にまみれ、しかしとても安らかな顔のまま、目を閉じていた。








webclap 拍手返信

<<トップへ戻る

0 目次   <<前話*     #次話>>