略奪!?03
「奈津美、帰るぞ」
蓮は少し後ろで戸惑っている奈津美の腕をつかむと、周りの野次馬を押しのけてずんずんと扉に向かって歩き出した。深町は蒼馬を突き放し、奈津美と蓮の後ろを追いかけた。
蓮は無言で奈津美を引っ張り、深町の車まで連れてきた。深町はすぐに追いつき、車のロックを解除する。蓮は少し怒ったように車を開け、奈津美を中に入れる。
奈津美は蒼馬にキスをされたことに後ろめたさを感じ、さらに怒っている蓮に戸惑い、どうすればよいのか分からなかった。
蓮は車に乗り込むなり奈津美を抱きしめ、深町がいるというのにキスをしてきた。奈津美は深町を気にして、身をよじる。
「蓮! ふっ……」
唇を少し離されたときに抗議の声をあげようとしたが、すぐにまた、ふさがれた。
深町は運転席に座り、後部座席にいるふたりをバックミラーで確認しつつ、
「僕には遠慮せず、どうぞ」
蓮はその声も聞こえていないのか、奈津美の制止も聞かずに舌を入れて奈津美に舌にからめる。奈津美は運転席に座る深町を気にしつつも先ほどの蒼馬とは違う甘いキスに溺れそうになる。
「れ……ん」
蓮はようやく奈津美から離れ、大きくため息をつく。
「……ごめん」
奈津美はうるんだ瞳で蓮を見る。蓮は苦しそうな表情でうつむき、頭を抱えた。
「蓮……ごめんなさい」
奈津美の言葉に蓮は顔をあげ、奈津美の顔を見る。
「奈津美が謝ることじゃない。悪いのはあいつだ」
奈津美はその言葉を聞いた途端、焦げ茶色の瞳に涙をあふれさせ、ぽろぽろと泣き始めた。蓮はそれを見て、奈津美を抱き寄せる。
「怖かった……、気持ち悪かった……」
奈津美の正直な言葉に蓮は流れる涙を吸い取り、また口づける。今度は先ほどとは違い、軽くついばむように優しく何度も。
「消毒」
そう言ってまた、舌をからめた口づけをする。
運転席の深町はたまにちらりとバックミラーに視線をやるだけで、無言で車を走らせている。
お屋敷に着き、深町はエンジンを止めて無言で車から出て行った。奈津美と蓮も車から降りて、お屋敷の中に開設している仮事務所へと向かった。
「お疲れさま」
仮事務所内に入ると、眼鏡をはずして伸びをしている秋孝だけしかいなかった。
「深町は?」
蓮はジャケットとネクタイをはずして机の上に置き、椅子に座る。奈津美はやっぱり着替えて来る、と一度部屋に戻ったようだ。
「おまえらのキスシーンを俺に見せつけるだけ見せつけて、家に帰ると言って出て行ったぞ。すれ違わなかったか?」
「いや、会わなかった」
蓮はお茶を入れるために立ちあがり、流しに向かった。
「やっぱりまりちゃんはちょっかい出してきたか」
早速今日の出来事を見ているらしい秋孝には真理が絡んでくるのが分かっていたらしい。
「分かっていたのなら一言言ってくれよ」
蓮は渋い表情でお湯を沸かし、お茶を入れている。
「なんだか面白そうなこと、してたんだな。俺も行けばよかったかなぁ」
お茶が入って秋孝に持って行ったタイミングで着替えた奈津美が仮事務所に入ってきた。
「あーきーたーかー」
「よ、奈津美」
奈津美の恨めしい声に、秋孝は片手をあげて鼻歌でも歌いそうな雰囲気で応えている。
「絶対もうあんなところ、行かないからねっ! 分かっていて行けって言ったでしょ!?」
会場の雰囲気と蒼馬との出来事を思い出し、奈津美はかなり機嫌が悪かった。
「行ってみないことには分からないだろう?」
「なんなの、あの『ねる○ん』風味なノリはっ!?」
どこかで見たことがあるノリなんだよなぁ、と奈津美は帰りの車の中で考えていた。そうして、そういえば大昔に流行った「ね○とん」っぽいノリなんだよね、ということに思い至り……奈津美はげんなりした。
「俺たちが今からやろうとしていることは、出逢いから結婚までというコンセプトだろう? 出逢いの場を提供するのなら、同業他社を見ておかないといけないだろう」
秋孝の言い分はもっともなので、奈津美はそれ以上言うことができず、黙った。
「奈津美はあそこに行って嫌だと思ったのなら、違う『出逢いの場』を提供すればいい」
奈津美はうなずくしかなかった。
「んー。その……茶色のちゃらちゃらした男はだれだ?」
奈津美は蒼馬の今日着ていた服装を秋孝に告げる。
「そう、その男。あー、……なるほど、それで蓮が荒れたのか」
蒼馬にキスをされたのを見たのだろう、秋孝はものすごく嫌な表情で頭を振ってその映像を振り払おうとしている。
「奈津美もそんなにその男を凝視するな。気持ちが悪い」
「そんなこと言われても、いきなりでびっくりしたんだから!」
またその時の感触を思い出し、奈津美は気持ち悪くなった。蓮が入れてくれたお茶を一気に飲み干し、カップをどん、と机に置く。
「古川蒼馬と名乗って、真理の使いと言っていた」
奈津美の説明に蓮は付け加える。
「深町は顔を知っているみたいだったな。真理のおともその一とか言っていた」
秋孝はそう聞いて、親指で目を押さえて唸っている。
「またややこしいのを投入してきたなぁ、まりちゃん」
「秋孝はなにか知ってるのか、ちゃら男」
「知らない。真理がらみのことは深町が一番詳しい。あいつは辰己の家に嫌だといいながら出入りしているからな」
秋孝の意外な言葉に、奈津美と蓮は顔を見合わせた。
「深町、まりちゃんとよく会っているらしいぞ。ご飯くらいなら普通に一緒に食っているらしい」
思いもよらないことに、開いた口がふさがらない。
「深町が俺の近くにいるのが気に入らないらしいよ、まりちゃん」
深町と真理が仲良くご飯を食べている姿が想像できなくて……それよりもそんなことを想像したくなくて、やめた。
「それで真理の携帯の番号知っていたり、妙に仲がよい風に話していたりしたのか」
そこは納得したが。
「真理のこと、嫌いって言ってたよね?」
「大嫌い、と言っていたな」
数か月前に出会った真理を思い出し、奈津美は疑問に思う。生理的に受け付けないのは確かだけど……そこまでひどい奴なのかなぁ。この間のあのマンションでの出来事を思い出したらゾッとするけど、きちんと修理代を出してくれたし、今日のことだって真理が本気をだしたらあんなことをしないでも強制的に連れていこうと思えばできただろう。
「かき回して遊んでるだけっぽいなぁ、まりちゃん」
秋孝は楽しそうに笑っているが、奈津美にしてみれば冗談ではない。
「あんな気持ち悪い思い、もうしたくないわよ!」
「まりちゃんと一緒に食事にでも行ってみたら? 結構楽しいぞ」
「冗談でも行きたくない!」
なにをされたか分かったもんじゃない!
「馬鹿だ嫌いだと言われながら、何度か食事したな、そう言えば」
この話を聞いて、真理もどこまで本気でいるのか分からなくなってきた。
「もしかして……オレたちは金持ちの道楽に付き合わされている……のか?」
「そんな気もしないでもない」
それで下手すれば死んでしまうようなことを平気でしてくるなんて。
「正気の沙汰ではないのは確かだな」
「本人に聞くのが一番だぞ」
と秋孝は笑っているけど……。
そんな事件もすっかり忘れ去ったある日、奈津美と蓮宛に一通の封書が届いた。差出人は書かれておらず、警戒しながら中を開けると
「……あいつはなにを考えているんだ?」
真理からの食事のお誘いだった。
「蓮さま、奈津美さま、真理さまのお迎えの者という方がいらしてますが」
じいが仮事務所に来て来客を伝える。
「私、行かないわよ! 帰ってもらってよ」
「しかし」
困った顔でじいは奈津美を見ている。とそこへ、なぜか蒼馬が入ってきた。
「ボクが迎えに来たんだから、行かない、とは言わせないよ」
仮事務所の中には奈津美と蓮しかいなかった。秋孝と深町は外出している。
「私たちが出かけたらここにはだれもいなくなるし、だれかいたとしてもあんたになんてついていかないわよ」
二度とふたたび会いたくなかった顔を見て、奈津美は不愉快になっていた。
「真理さんに怒られちゃうんだよね、連れて行かないと。な、行こうぜ」
蒼馬は仮事務所の中に入り、奈津美の腕を引っ張る。蓮は立ち上がり、奈津美の腕をつかんでいる蒼馬の腕を力いっぱい握りしめた。
「ったー」
「帰れ。早く帰らないと、この間のお礼を含めて投げ飛ばすけど、それでもいいか? 素直に帰って真理に怒られた方がいいと思うが?」
蓮はさらに力を込めたらしく、蒼馬は苦痛に顔をゆがめ、奈津美の腕を離した。
「帰れ」
蓮の鳶色の瞳は氷のようで、蒼馬はすくみあがっていたが、このまま引き下がるわけにもいかず、蓮に掴まれている腕をはずそうともがく。が、見かけによらず力が強いらしく、微動だにしない。
「離してもらわないと帰るにも帰れないだろう」
蒼馬は精いっぱい強がったが、心なしか声が震えている。蓮は蒼馬の腕をつかんだまま仮事務所の外に連れ出し、そのまま玄関に連れていく。奈津美は蓮の後ろについていき、蒼馬を玄関の外へ出そうとしたところで急に言葉を発した。
「蓮、やっぱり行こうか」
玄関の扉に手をかけたまま、蓮は奈津美を見る。
「蓮、行こう。行って迷惑だからやめろ、って断ってこよう」
奈津美はそう言うなり仮事務所に走って戻り、片づけをして荷物を持って戻ってきた。
「奈津美……本気か?」
蓮の戸惑った表情を見て、奈津美はうなずく。
「絶対にここに戻してくれる、と約束してくれるのなら行ってもいいわよ」
奈津美の言葉に蒼馬は破顔する。
「話が早いね!」
蒼馬は蓮の腕を振り払い、自ら玄関の扉を開けて外に出る。
「さ、早く」
蓮はまだ戸惑った表情のまま奈津美を見ている。
「大丈夫。真理に文句を言ったらすぐに帰ろう」
奈津美は蓮の手を取る。
「話せば分かってくれるよ、たぶん。感情が伴ってくれるか、は別として」
成り行き上、真理から逃げるようにこのお屋敷にやってきたのだが……。
奈津美はずっと引っ掛かっていた。このまま秋孝の好意に甘えて逃げ続けるのはどうなんだろう、と。一度、話し合いの場を持った方がいいのかもしれない。ふとそんな思いがよぎった。結果がどうであれ、向こうがどう思っているのか、こちらがどう考えているのか……きちんと確認をとることは意義があるような気がした。
「大丈夫だよ、蓮がいてくれるから」
にっこりとほほ笑む奈津美に、蓮はどれだけ自分が不安な表情をしていたかを知る。……奈津美を怖がらせたり、不安に思わせてはいけない。なにがなんでもここに帰ってくる……そう心に誓い、奈津美の手を強く握り返した。