『愛してる。』


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Baby Panic!03



「おまえなぁ……」
 睦貴はすっかり奈津美に懐いてしまったらしく、事あるごとに佳山家に訪れるようになっていた。蓮はかなり複雑な気持ちのようである。秋孝の弟、ではあるが、一応は男なのである。自分が仕事中にも家に来ているようで、面白くない。
「奈津美も奈津美だ。こんなでも一応、男なんだぞ?」
「蓮、やきもち焼いてるの?」
「オレがやきもち焼きなのは奈津美も知ってるだろう?」
 奈津美は苦笑している。子育てでそれどころではないというのに、だ。子育て中じゃないとしても、さすがに年下過ぎて、範囲外である。
「奈津美がそう思っていたってこいつはどうなんだか」
 蓮は睦貴を指さし、冷たい視線を向ける。
「蓮さん、それはどう答えればいい? 奈津美さんは女性として魅力的です、と言ったとしても、俺の範囲外ですと言ったとしてもどちらの答えでも怒るでしょう?」
 図星すぎて、蓮は睦貴の頭を抱えてげんこつで頭をぐりぐりとする。
「おまえは口だけは達者だな!」
「褒め言葉として受け取っておきます」
 そのやり取りに、今度は奈津美が嫉妬する。
「こらっ! ふたりとも仲良すぎ!」
 蓮ではなく、睦貴に蹴りを入れる奈津美。
「な、奈津美さんもひどいです!」
 口ではそう言いつつも、睦貴はうれしそうだ。……思いっきりM体質のようだ。
「むー」
 別室でお昼寝をしていた文緒が起きたようだ。声が聞こえる。蓮の腕を振りほどき、睦貴は一目散に文緒の元へ駆けつける。
「文緒、よく寝てたな。偉かったな」
 ベビーベッドから文緒を抱きあげ、睦貴は抱きしめている。
「むー」
 自分が取り上げた、というのもあり、睦貴はすっかり文緒の父親でいるらしい。まめまめしくおむつも取り換えている。
「ママのおっぱいがほしいのか?」
 文緒はおむつを取り替えてもらって機嫌がよいらしいが、睦貴の胸のあたりをまさぐっているのを見て、睦貴は奈津美に文緒を渡す。
「むー……」
「文緒は睦貴のことが大好きなのね」
 奈津美は苦笑しつつ、文緒を受け取る。睦貴はそれを見て、リビングに戻った。
「絶対一番最初に『蓮』って言わせようと思っていたのに、なんでよりによっておまえの名前を一番最初に口にするかな、文緒は」
「愛情の差ですね」
 蓮は先ほどよりきつく頭を抱え込み、首にまわした腕に力をかなり込める。
「れ、蓮さん! じょ、冗談ですって!」
「言っていい冗談と悪い冗談があるということを教えてやる!」
「す、すみません!」
 睦貴は涙目で謝るが、蓮はまったく力を緩めようとしない。
「文緒が大きくなってもおまえにだけはやらないからなっ!」
「十六歳も違うのに、それは犯罪でしょうっ! それに、文緒は俺の娘、ですよ?」
「……どうだか?」
 蓮は腕を緩め、睦貴を解放する。
「俺は……本当に駄目ですよ」
 睦貴のつぶやきに蓮はため息をつく。
「結婚なんてしないから」
「おまえがそう言い張っても、あの母親が納得するはずないと思うがな」
「兄貴のところに柊哉がいるから、高屋の家は心配ないですよ。俺は……高屋でいることが……」
 床に座り込み、うつむいている睦貴に蓮は正面に座り、頭に手を置く。
「おまえの気持ちもわからんでもないが……まあ、悩め、思春期」
 少し細めの猫っ毛の睦貴の髪をわしゃわしゃ、として蓮は立ち上がる。
「よし、ご飯作るぞ! 睦貴、手伝え!」
「え? あ? なんで?」
「朝ごはんのストック作っておくんだよ。おまえ、ただ飯だと思っていたのか?」
 蓮はにやりと笑い、睦貴を見る。
「あ……いえ。手伝います」
 それが蓮なりの慰めだと気がつき、睦貴は立ち上がる。口では結構ひどいことを言いつつ、蓮はなにかと睦貴を気遣ってくれているらしい。睦貴はその何気ない気づかいに、少し涙が出そうだった。
 奈津美の産休明けとほぼ同時のタイミングで智鶴がふたり目出産のためにまた大学を休学することになった。
「ちぃちゃん、身重の身でうちの子も面倒見てもらって、ごめんね」
「気にしないでください。文緒、おとなしいから大丈夫よ」
 ベビーシッターも頼んではいるが、それだけではフォローしきれない部分もあるため、智鶴も子どもたちを見ている。
「睦貴も見てくれてるし」
 高校に通いながら自分の勉強もしつつ、睦貴は柊哉と文緒の面倒も見てくれているようだ。
「睦貴ったら光源氏のつもりでいるのかしら?」
 奈津美がある日、蓮に冗談で言ったら、
「冗談じゃない! 絶対にあいつにだけはやらないからなっ!」
 激怒していた。……文緒のことに関しては、どうやら冗談は通じないらしい。



「え? 泊まりがけで視察?」
「うん、そうなのよ。睦貴、文緒のこと、頼める?」
 奈津美が仕事に復帰してしばらくのこと。文緒は一歳になり、だいぶしっかりしてきたとは言うものの、やはりまだまだママ恋し、の年である。
「ちぃちゃんもいるし、大丈夫だと思うんだけど」
 昼間、預かって見ることはあるものの、一日中ずっと、は今までないからかなり不安ではある。
「夜中に絶対に『なっちゃんおっぱいー』と泣くぞ」
「冷凍しておくから、温めて飲ませてくれる?」
「……とりあえず、視察の前に一度、試させてもらっていい?」
 睦貴は焦げ茶色の瞳に不安の色をいっぱいにしてお願いしてくる。
「そうね。ちぃちゃんところで試してみようか」
 そうして土曜日に智鶴の部屋で試しにお泊まり、となったのだが。
「睦貴、分かってるだろうな」
 蓮と秋孝ふたりにくぎを刺される。
 蓮からは「文緒の扱いについて」で秋孝からは「智鶴に手を出すな」という違う意味で。
「文緒は大切に扱うし、智鶴さんに手を出すなんて、そんな恐ろしいこと、だれがするんだよっ!」
 秋孝の能力を知っている睦貴は嫌な顔をして秋孝を見ている。
「下半身が服を歩いている、と高校では言われているらしいじゃないか」
「う……」
 秋孝の言葉に、否定できないでいた。
「いや、きちんと避妊はしてるし!」
「そういう問題じゃないだろうっ!」
 ごん、と思いっきり殴られた。
「『高屋』の名前にひかれてくる奴ばっかりだし。俺なんてどうせ」
 睦貴の言葉に秋孝と蓮は同時にため息をつき、
「蓮、なんかこいつに言ってやってくれ」
「かける言葉もない」
 蓮としては思い当たる気持ちがあるから、余計に言いにくいのかもしれない。
「文緒がどうしても泣き止まない、とか困ったことがあったらすぐにそっちに連れていくから」
 蓮はものすごく不安な顔をしていたが、睦貴にそう言われたら駄目だ、ともいえない。しぶしぶ蓮は引き揚げた。
 一方の文緒は、いつもは夜になると帰っていく睦貴と一緒なのを知ってか、大はしゃぎである。
「むっちゃん!」
 きゃっきゃとはしゃいでからみついてくる。
「文緒、一緒にお風呂に入ろうか」
 奈津美と蓮が遅い時などは睦貴がお風呂に入れて寝かしつけもしているからそのあたりはお手の物、ではある。それから後を知らないので、睦貴はかなり不安らしい。お風呂に入れて、一緒の布団で寝かしつけである。しかし、文緒はいつもと違う部屋で興奮しているのか、なかなか寝ようとしない。
「文緒、いい加減寝よう」
 少し離れた場所で智鶴は柊哉を寝かしつけしているのが見える。こちらはいつも通りのようで、問題ないらしい。暴れる文緒に困りながら、睦貴は思っていたより緊張していたらしく、布団に入ってごろごろしていると……疲れからか、そのまま眠ってしまったらしい。
 夜中、文緒の泣き声で睦貴は目が覚めた。
「むっちゃん」
 睦貴は眠い身体を起こし、寝ぼけ眼で文緒を見る。
「おっぱい」
 文緒の言葉に睦貴は苦笑する。
「ちょっと待って。今から用意するから」
 部屋の隅の冷凍庫の中から奈津美が用意していた冷凍母乳を取り出し、湯せんで解凍して哺乳瓶に入れて飲ませる。特にぐずることなく飲み干し、そのままこてっと寝てくれた。睦貴は安心して、文緒と一緒にまた布団にもぐって眠った。

 次の日、文緒の奇声で目が覚めた。
「むっちゃーん!」
 お年頃の男子高校生の寝起き、である。睦貴はちょっと勘弁して、と思いつつも文緒が飛びついてきたのを抱きかかえる。
「文緒……ちょっと待ってくれないか」
 『歩く下半身』の異名を持つ男だ。秋孝に後からこんなの見られて蓮にチクられたら、後からなにを言われるかわかったもんじゃない。
 ったく、だれだよ、そんなあだ名つけた奴はっ! ……と怒ったところで事実であるから睦貴も二の句が継げない。はーあ、とため息をつき、おさまるのを待つしかなかった。

 そして奈津美と蓮の視察当日。蓮はかなり不安の面持ちで視察旅行に出かけて行った。
 一度問題なくいけたことに自信がついた睦貴。
 昼間は学校があるので智鶴に文緒をいつものように預け、学校が終わると速攻でお屋敷に戻ってきて智鶴の元へ行く。
「睦貴、おかえり」
 智鶴はにっこりと迎えに出てきてくれたが、なんとなく表情が曇っている。
「文緒は?」
「うん、さっきようやくお昼寝したの。なんとなく調子がよくないみたいなのよね」
 智鶴の言葉に、睦貴は表情を曇らせる。
「昼寝から起きたら、小児科の先生呼ぼうか?」
「うーん……。そうねぇ、熱をはかってからでいいかなぁ」
 睦貴はなんとなく嫌な予感がした。文緒のことを気にしつつ宿題を済ませ、起きて来るのを待っていてもなかなか起きてこない。心配になっておでこを触ってみると、とんでもなく熱くて、睦貴はあわててかかりつけ医に連絡を入れた。ぐったりとしている文緒を見ていることしかできなくて、睦貴は自分の無力さを知る。
 到着したかかりつけ医に診てもらい、薬を処方してもらって少し安堵したものの、あまり熱が上がるようならまた連絡を入れるようにと言われ、少し動揺してしまった。
 座薬の解熱剤を渡され、おむつを換えるときに入れたおかげか、少しはましになったようで、ようやくうっすらと文緒は瞳を開け、睦貴を見ている。
「むっちゃん」
「文緒、大丈夫か?」
 あれほどぐったりしていたというのに、文緒は睦貴に抱きついてくる。
「文緒、寝ていろよ」
 布団に寝かせようとしても文緒はいやいやと首を振り、睦貴に抱きついてくる。その小さな身体がいつもより熱くて、睦貴は急に不安になる。
 ……このまま、文緒の熱が下がらなくて……もしも、のことがあったら? 信頼されて奈津美と蓮から預けられたのに、ふたりがいない間にそんなことがあったら……自分はどう責任取ればいいのだろう。そう考えるとしがみついてくる文緒を離すことができなくなってしまった。
「文緒、おっぱい飲むか?」
 睦貴の言葉に文緒はうなずく。
 準備をするにもしがみついた文緒が離れてくれなくて、どうしようか悩んでいたら智鶴がおんぶひもを出してきてくれた。睦貴は文緒を背負い、冷凍母乳を解凍する。なんだか十六歳にして子持ちになった気分……と睦貴はかなり複雑な思いでいる。背中に背負った文緒はかなり熱くて、やっぱり心配になる。用意して背中からおろすと、文緒は寝ていた。熱があるから水分を取らせないと、と思っていたのに……。起こすのもかわいそうだと思いつつ、睦貴は文緒を起こして少し強引に飲ませる。いつもなら喜んで一気に飲むのに、半分飲んだところでまた眠ってしまった。布団に下ろすとぐずるので、結局は睦貴は一晩中、文緒を抱っこしていた。
 さすがに眠くなり、部屋の角に布団を持ってきて、睦貴はもたれかかりながら文緒を抱っこして眠った。

 次の日、起きると文緒は昨日の熱なんてなんのこと? と言わんばかりにぴんぴんしていた。
「むっちゃん、おっぱい!」
 思ったより回復が早くて、睦貴はほっとしながら冷凍母乳を解凍して、文緒にのませる。
 少しくらり、とめまいがしたが、昨日きちんと寝なかったからだろう、とそのまま朝ごはんを食べ、着替えて学校に向かった。







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