『愛してる。』


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Baby Panic!02



「なんでそこまで我慢していたんだっ!」
 蓮は到着早々、奈津美の顔を見るなり怒鳴る。
「しーっ、ようやく今、寝たんだから!」
 奈津美は部屋を移動して、今は自室にいた。
「後で説教だな」
 蓮は渋い顔をして、奈津美を見る。そして横ですやすやと眠る赤ん坊を覗き込む。
「かわいいなぁ……」
 今まで怒っていたとは思えないほど相好を崩し、ベッドの中の赤ん坊を見ている。
 結婚して早数年。なかなか授からずに諦めかけていた頃、ようやく子どもができたことを知り、蓮は手放しで喜んでいた。
 一方の奈津美は、望んではいたものの、もう諦めていたから戸惑っていた。自分に子育てなんてできるのだろうか……? いきなりぼんやりと思っていた不安が、現実的となる。マリッジブルーにはならなかったけど、マタニティブルー、である。些細なことですぐに泣いてしまうようになり、かなり情緒が不安定になる。蓮はそんな奈津美をうっとうしがることなく、やさしくなだめてくれた。
「大丈夫だよ、オレもいるし、それに智鶴ちゃんがいるじゃないか」
 一年先に男の子を出産していた智鶴は大学に通いながらも子育てをしていた。奈津美は蓮の言葉に力なくうなずく。
「ホルモンバランスが崩れて不安になっているだけだから。奈津美はなにも心配することはない。案ずるよりも産むが易し、という言葉があるだろう? 心配するな」
 言われていることは頭で理解できるのだが、心はそうもいかないらしい。それでも蓮に抱きしめられ、奈津美はようやく落ち着きを取り戻してきた。
「うん、分かった」
 少しずつ落ち着きを取り戻し、奈津美は出産日まで心待ちにしていた。
 そして……まさか自分が廊下でいきなり陣痛に襲われて動けなくなるとは思わなかった。
 奈津美と蓮は秋孝と深町とともにブライダル事業を立ち上げ、日々奔走していた。
 最初の一年はまさしく怒涛の日々。二年目に入り、ようやく落ち着いてきた頃……奈津美は妊娠していることに気がついた。
「これからって時にかぁ」
 というのが、奈津美の最初の感想。
「これまで一生懸命だったんだから、休めてちょうどいいんじゃないか?」
 とうれしそうな蓮。
「そうか。うちの柊哉(とうや)の幼なじみができて、うれしいな。女だったらなんだったら将来、結婚させてもいいな」
 とこちらはかなり気の早いことを言っている秋孝。
「ふたりの子どもならさぞかし美人でしょうね」
 とすでに女と決めつけている深町。
「蓮に似れば美人だろうけど、私に似たら美人じゃないわよ!」
 奈津美はそう反論しているが、奈津美は美人ではないがかわいい部類には入る。
「そうですね」
 深町は奈津美の言葉を肯定している。
「うっわー。相変わらず歯に衣を着せない鋭い発言は痛いわ」
「美人じゃなくてもかわいければいいじゃないですか」
「……それは褒められている、と受け取っておくわ」
 深町と付き合うには、こういう前向きな気持ちでいないといけないのを知っているため、奈津美はそう切り返す。
「どちらでもいいけど、女の子だったらオレ、すっごい溺愛しそうだなぁ」
「『嫁にはやらない!』って言いそう」
 奈津美はかつて自分の父親に言われていたことを思い出し、苦笑しながら蓮を見る。
「……言いたいところだけど、それはそれで困る。だったら、柊哉とならいいかもな」
「玉の輿だ、玉の輿」
「そんなのはどうでもいい! だけどどこの馬の骨とも分からない奴に盗られるくらいなら、柊哉の方がずっといい」
「やだなぁ、まだ女の子って決まってないのに」
 と笑っていたあの頃……。
「いやぁ、本当に女の子とは……思わなかったわ」
 エコーである程度分かっていたものの、生まれて来るまでは確実ではないと言われて男の子の可能性も捨てきれなかったのだが。
「女の子かぁ」
 奈津美は蓮の顔を見て、苦笑する。
 親ばかの顔とはこのことを言うのか、というくらい、デレデレの表情でベッドの中で眠る赤ん坊を見ている。
「そう言えば蓮、名前考えたの?」
「あー、うん。七月生まれだから『文緒(ふみお)』かなぁ、と」
「文月から取った?」
「うん」
 父親の最初の仕事、と言って奈津美は蓮に子どもの名前を考えるように伝えてあった。
「男だったら文彰(ふみあき)にしようと思ってたんだけどな」
「文緒、いいんじゃない?」
 文緒、かぁ。奈津美はそう呟き、ベッドの中ですやすや眠るわが子を見つめた。

「え……?」
 文緒が生まれて何か月か後、秋孝と智鶴の部屋の隣に睦貴が移ってきたという話を聞いた奈津美は、腕の中で文緒をあやしながら聞き返した。
「文緒を取り上げてくれた子って、秋孝の弟だったの?」
 バタバタしていて名前も聞いていなかった奈津美はどうやって連絡をとってお礼を言えばいいのか分からず困っていたのだが……。まさか秋孝の弟とは思わなかった。見た目がまったく似ていないのだ。
 しかし。根本の部分は言われてみれば似ているような気も……する。
「お母さんと大喧嘩した?」
 思春期の子どもにありがちな反抗期か、と思っていたけど話を聞くとそう単純な話ではないようだ。
 そもそも秋孝が二十八でその弟が十六というから、一回りも年が離れているし、秋孝の話によると秋孝は実の母からうとまれている、と聞いていたからなにかそこに違和感を覚えた。
「睦貴、ここを開けなさい」
 そのなぞは、すぐに解かれた。
 廊下でどんどんと戸をたたく音が聞こえ、いぶかしく思った奈津美は文緒を抱えて玄関を開けた。何度か見た覚えのある秋孝と睦貴の母が睦貴の部屋の扉をどんどんと叩いていた。
「睦貴なら今日、学校ですよ」
 せっかく寝ついた文緒が今の音で起きたことに怒りを覚えつつ、奈津美は冷静に告げる。
「あなたたちね! アタシの睦貴に要らないことを吹き込んだのはっ!」
 髪を振り乱し、瞳には嫉妬の炎を宿して奈津美を見ている。そのただならぬ気配を察した文緒は大音量で泣き始めた。
「ふ、文緒、落ち着いてっ!」
 奈津美は腕の中の文緒をあやしながら秋孝と睦貴の母をにらむ。その泣き声を聞きつけた智鶴が柊哉と一緒に廊下に頭を出す。
「あら、お義母さま」
 智鶴はにっこりとほほ笑み、秋孝と睦貴の母に会釈する。
「睦貴ならいませんよ」
 智鶴は廊下に出てきて、奈津美の腕の中の文緒の頬をツンツンとつつく。
「あらあ、文緒ったら泣き虫さん」
 智鶴の声を聞き、文緒は少し泣き止む。
「うわー、私、実の母として失格かも」
「そんなことないですよ。ね、文緒?」
 智鶴はにっこりと文緒に微笑む。
「ふーちゃん!」
 ようやくしゃべるようになった柊哉は奈津美の足に取りすがり、文緒を見ようとしている。
 奈津美はしゃがみこみ、柊哉に見えるようにしてあげる。
「お義母さま、少し睦貴にかまいすぎですよ。あの子も年頃なんだし、気が済めば戻りますよ。それまでそっとしてあげるのも……親としての務めだとわたしは思いますけど?」
 智鶴はにっこりとほほ笑み、義母に伝える。義母はハンカチを持っていたらかみしめそうな表情でその場にいる人を睨みつけ、無言で立ち去った。
「んもう、せっかく文緒が寝てくれて私、今から自分の時間! と思ったところだったのにっ!」
 奈津美は中断させられて不機嫌だった。
 子育てをしていると、なかなか自分の時間が取れない。寝ている間、ようやく自分の時間がとれるので、今から少し昼寝をしようとしていた矢先だったのだ。
「ごめんなさいね」
 義母が去り、文緒はすやすやと奈津美の腕の中で寝始めた。
「ちぃちゃんが謝ることじゃないわよ」
「んー。そうもいかないのよねぇ。高屋の家の問題だし……。睦貴のことはどうにかしたい、と思っていたから」
 智鶴と睦貴は年が近いせいもあり、そこそこ話をしているらしい。
「アキの弟だし、わたし、実の弟みたいなものだと思っているから」
 智鶴はふぅ、とため息を吐く。
「こうしてここに移ってきてくれたのも、わたしはうれしく思っているの」
 智鶴の笑みに、奈津美は複雑に微笑む。どうやら、きっかけは自分の出産にあったらしい、ということを知り、内心かなり複雑だ。
「お義母さま、睦貴に異常に愛情を注ぎすぎちゃってるから……。お互い、少し離れるのがいいみたいなのよ。変なところに逃げられるより、わたしたちを頼ってきてくれたから、うれしいの」
 睦貴は実の母の異常な愛情に逃げたい、と思っていた節がある。だけど逃げる場所がなく……ずっと耐えていたらしいのだが。文緒を取り上げたことで、睦貴の中で同時になにかがまさしく「産まれた」らしい。
「ままー」
 柊哉はおもしろくなさそうに智鶴の足を引っ張る。
「ああ、ごめんね。お部屋に戻りましょうか」
 智鶴と奈津美はそれぞれの部屋に戻った。







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