『愛してる。』


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Baby Panic!01



「や……も、だ、だめ……」
 お屋敷の食堂から出て部屋に戻ろうとした高屋睦貴(たかや むつき)は、廊下でうずくまっている女を見つけた。
「ちょっと! 大丈夫かよ?」
 女は座り込み、苦しそうに腰を押さえている。よく見るとお腹が大きく、妊婦のようだ。
「破水したみたい」
「は、破水ってなんだよっ!」
 座り込んでいる女は、佳山奈津美(かやま なつみ)のようだ。
「そこの携帯電話、ちょっと取ってくれる?」
 奈津美の指の先にはかわいらしいピンクの携帯電話が落ちていた。奈津美に言われるがままに携帯電話を取り、手渡す。
「ありがとう」
 苦しそうな息の下、奈津美は弱々しく微笑み、携帯電話を受け取る。登録されている番号から、まずは助産師へ連絡をとり、次に蓮──佳山蓮(かやま れん)──に電話をかける。
 睦貴は部屋に戻ることも奈津美になにかすることもできず、その場にたたずんでいるだけだった。……どうすればいいんだ? と思いつつ。
『なにを考えてるんだっ!』
 少し離れた距離にいるにも関わらず、携帯電話から漏れてくる声が聞こえる。向こうは相当大きな声で怒鳴っているらしい。奈津美は携帯電話相手に土下座しそうな勢いで謝っている。
「わか……うぅ……」
 陣痛の波が来たのか、奈津美は廊下に座り込んだまま、苦しそうにうめいている。
「とりあえず、切るね」
『すぐにそちらに戻るから!』
 睦貴は心配そうに奈津美を見ていることしかできない。奈津美は携帯電話を切る。
「あの……俺、なにかできること、ありますか?」
 奈津美はようやくそこで、睦貴がいたことを思い出す。
 少し長めの黒髪に黒目がちの焦げ茶の瞳。年の頃は高校生くらいか、さぞかし学校ではもてているのだろうというのがその風貌からうかがい知れた。
「あ、ごめんね。大丈夫、今から助産師さんが来てくれるから」
 にっこりと頬にえくぼを浮かべて奈津美は微笑む。が、また陣痛の波が来たらしい。苦痛を浮かべ、奈津美は腰を押さえる。
「助産師さんの到着まで、ちょっと無理かも」
「う、え、えええ!?」
 焦げ茶色の瞳には激しい動揺が見受けられる。
「い、今から助産師さんに連絡しなおすから……悪いんだけど、指示を聞いてくれる?」
「ちょっと待てよっ! 俺、高校生だぜ? なにすればいいんだよっ!」
 睦貴はかなり腰が引けている。
「だ、大丈夫、大丈夫! ほら」
 奈津美は助産師に再度電話をかけ、睦貴に手渡す。
「お、俺かよっ!」
 睦貴はしぶしぶ電話を受け取り、会話を始める。
「う……」
 奈津美は相当苦しいらしく、かなり呼吸が荒い。
「えーっと、かなり苦しんでいるんですけど」
 睦貴は腹をくくったらしい。冷静に奈津美の状況を助産師に知らせ、指示を待っている。
「はい」
 言われるまま、睦貴は奈津美の腰をさすっている。
「う、うわっ、赤ちゃんが降りてきたっ」
 奈津美は苦しいらしく、足をバタバタとさせて睦貴の腕を掴んで握りしめる。
「い、痛いです!」
 ものすごい力で握りしめられているらしく、睦貴は顔をしかめる。
「うーっ」
「声を出さないで、と指示がありますが」
「む、無理よ!」
 奈津美の額に脂汗が浮かんできている。睦貴はあせり、助産師に指示を仰ぐ。
「もう、だめかも」
 奈津美の弱気の発言に、睦貴は少し焦る。
「大丈夫ですから! 大きく息を吸ってー」
 睦貴の指示に奈津美は従う。
「はいてー」
「ふー」
 何度か深呼吸を繰り返させて、奈津美を落ち着かせる。そのおかげか、奈津美は少し冷静さを取り戻したらしい。陣痛の度に痛そうだが、先ほどのように暴れたりはしない。
「な、なんか出てきてるかも」
「まじかよっ!」
 睦貴は携帯電話をスピーカーモードにして廊下に置き、奈津美に足を広げるように指示する。もちろん、高校生である睦貴が子どもを取り上げたことなど、まったくない。しかし、いつか見たドキュメンタリー番組を思い出し、見よう見まねで赤ん坊を取り上げる覚悟をしたようだ。
 奈津美はマタニティドレスっぽい服を着ていたので少しスカートのすそをあげ、見えやすいようにする。パンツを脱がせると、なにかが見える。
 睦貴は冷静に助産師さんに状況を説明し、向こうからの指示通りにする。奈津美にも聞こえているので、奈津美も睦貴が動きやすいように指示通りに動く。
 奈津美は陣痛の波に合わせ、いきむ。睦貴は出てきた頭を手のひらに乗せ、奈津美のいきみに合わせて出て来る身体を支える。頭が出て、肩が抜けるとぬるり、とあとは思ったより簡単に出てきた。
「ふんぎゃぁああ」
 睦貴の手の上に出てきた赤ん坊は、外の光がまぶしいのか、目を閉じて産声を上げる。
「……出てきた!」
 睦貴の言葉に、奈津美はほーっと息を吐く。
 睦貴の手の上には、羊水と血に濡れた赤ん坊がいた。その存在は思ったよりも小さくて……身体いっぱいに大きな声で泣いている存在が、とても愛おしく感じた。
「大丈夫だよ……泣かなくていい、安心しろ」
 睦貴の言葉に、あれほど自分の存在をアピールするように大声をあげて泣いていた赤ん坊がぴたり、と泣き止んだ。そして、あまり見えない瞳を開けて、きょろきょろと声の主を探している。
「俺ならここにいる、大丈夫だ」
 睦貴は再度、声をかける。
 それほど待たずに、助産師が到着した。助産師は睦貴から赤ん坊を受け取り、事後処理をする。赤ん坊は睦貴の手を離れた途端、火がついたかのように大泣きし始めてしまった。助産師は苦笑しつつ、到着までに準備しておいてもらったものを使い、手際良く作業を進めている。
 睦貴は手についた血を洗ってくるように言われ、すぐ近くの食堂に入って手を洗わせてもらう。
 廊下に戻ると、先ほど別室に連れていかれていたはずの赤ん坊の声が響き渡っていた。奈津美が赤ん坊を抱くと、泣き止むらしいのだが、まだ処理が残っているから赤ん坊を離したいのだがものすごい声で泣くので助産師が困っている。
「あ、あなた」
 助産師は睦貴を捕まえ、赤ん坊を指示し、
「ちょっとこの子を抱っこしておいて」
 助産師が奈津美から赤ん坊を受け取った瞬間、また火がついたかのように泣きを始める。これで受け取って泣き止むのか? と疑問に思いつつ、睦貴は素直に赤ん坊を受け取る。
 睦貴は赤ん坊を抱っこしたことなんてないので慣れない手つきでこわごわ受け取るが、その気配を察してか、赤ん坊はますます泣く。赤ん坊は産湯につかったあとらしく、先ほどの羊水と血に濡れた状態ではなく、白い産着に身をつつんでいた。
「な、泣くなよ。大丈夫だから」
 睦貴は自分に言い聞かせるようにそう呟く。その声を聞いた赤ん坊は、ぴたりと泣き止み、瞳に涙をためたまま、やはりきょろきょろとしている。
「あら、お母さん以外だとあんなに泣きわめいていた子が泣き止んだわ」
 ようやく静かになった廊下に、助産師の楽しそうな声が聞こえる。
 真っ赤な肌の小さな愛しい存在。
「おまえを……守るから」
 睦貴は無意識のうちにそう呟いていた。






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