『愛してる。』


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Happy? Happy!07



『すみません、名前しか公表できる情報を私たちも持ってないんです』
 と前置きして、奈津美はその唯一の情報である名前を公表した。
 やはり、それだけで満足してもらえなくて、手を変え品を変え、いろいろと質問される。
 しかし。名前しか情報ないのよね……。
 騒然としてきた会場をどうやって落ち着かせるか悩み、奈津美はここで打ち切るしかないと判断して、
『すみません、時間になりましたので今日はここで終わらせていただきます』
 強引に終わらせることにした。
 奈津美はお辞儀をして会場を後にしようとしたが、しつこい人に詰め寄られ、かなり恐怖心を抱いた。恐怖で立ち止まりそうになる足を必死に動かして外に出ようとしたら、蓮がその一団を制してくれたので、必死になって外に出て、控室まで走った。控室についたら息が切れていて、苦しかった。呼吸を整えて、お茶を口にする。椅子に座って上を向いて腕を目に当て、気持ちを落ち着かせる。
 ああ、会場に蓮だけ置いてきちゃったけど、大丈夫かな?
 ようやく落ち着いた奈津美は、今度は蓮のことが心配になる。ああ見えても腕っ節は強いから心配はないけど……それよりも顔のことを言われて切れてなきゃいいけど。
 と心配していたら、不機嫌な顔をした蓮が戻ってきた。
「蓮、ありがとう」
 蓮は奈津美の顔を見てほっとしたようだった。
「おつかれさま、先輩」
 その言葉に特に記者たちと喧嘩になった感じはしなくて、奈津美はほっとする。
「ったく、あいつらしつこすぎる。知らないって言うのにな」
 蓮の言葉に奈津美は苦笑する。
「だって、名前だけしかわからないなんて記事にできないんでしょ」
「そうだけどさ、それを上手に書くのが記者の勤めだろう?」
 蓮の言い分はもっともだけど、向こうの気持ちもわかるからなんとも言えない。
「だけどまあ、今回は大成功だったな」
「うん。蓮のおかげだね。ありがとう」
「秋孝には大きな借りができたなぁ……。後が怖いよ」
 奈津美は笑った。
「借りなんて踏み倒しちゃえ」
 にっこりと笑う奈津美に、蓮は怖い、と思った。
「総帥候補、総帥になったらこの借りを元にして貸しにして、もうちょっと予算を増やしてもらいましょうよ」
「いや、それおかしいから」
 なんで借りが貸しになるんだ?
「んー? 利子?」
 借りていたものが利子がついて貸しになるなんて、それはおかしい!
「次はCM放映のスケジュール決めかぁ」
 奈津美は大きく伸びをして、
「片づけをして、また明日からの仕事に備えましょうか」
 CM放映などの段取りはわからなかったので、企画部にお願いをすることにした。そのあたりは慣れたものらしく、テレビ局と交渉してもらい、日程も決まった。秋孝には放送日と大体の時間帯を連絡しておいた。
 そして、運命の放送日。奈津美と蓮は朝、家のリビングでご飯を食べながらテレビを見ていた。番組の途中にCMが入り、とうとう放送される。
「いやぁ、やっぱりいいね、このCM」
 教会挙式編のバージンロードに立つ智鶴のCMが流れた。そしてこのとき、まだふたりは知る由もなかったのだ。会社に行ってから、地獄が待っていることに。

 いつも通りに出社して、フロアについてなにか違和感を覚えた。その正体がなにか、席についてすぐに気がついた。普段はほとんどならないブライダル課の外線が、ずっと鳴りっぱなしなのだ。奈津美と蓮はあわてて電話に出る。
『テレビCMの女の子なんだけど~』
 電話に出るなり、いきなりそう聞かれる。奈津美は一瞬戸惑うものの、丁寧に名前しかこちらも情報を持っていないのですよ、と答える。蓮も同じような電話だったようで、そう答えている。電話を取って話しても話しても、際限なくかかってくる。順次出社してきたヤマヤマコンビと美歌にも電話を優先して出るように指示をする。
 葵の曲に関してはタイトルを答える、智鶴のことは名前しかわからないことと名前を告げる、ということを告げ、ややこしい電話の場合は奈津美か蓮に回すように簡単に朝礼代わりとして、さっそく電話に出てもらう。
「ねぇ、蓮」
 だいぶ落ち着いてきた電話にほっと一息。
「先輩、言わなくてもわかってる。秋孝に連絡するから」
「お願い」
 奈津美はぐたーっと机に突っ伏す。これは……うれしい悲鳴なのはわかるけど。さすがにこうも同じ内容の電話を受けていると、切れそうになる。業務に支障をきたすどころの騒ぎではない。この調子だと、ホテルにも迷惑がかかっているな、と思ってホテルのブライダル担当者に電話をかける。やはり予想通りで、朝から業務が滞るほど電話がかかってきているようだった。
「すみません……」
 奈津美は平謝りする。
 が。
『いやだなぁ、小林さんが謝ることじゃないですか。それに、今日、うれしいことに三件ほど予約が入ったんですよ』
「え!?」
 奈津美はその言葉に驚く。予約、というのは式場下見のことなのだが、今までほとんど下見予約が入ったことがないのだ。これで一組でも挙式してくれれば、御の字だ。奈津美は電話問い合わせの件は申し訳ない、ということを告げ、また夕方に様子を確認するために電話をすると告げて、電話を切った。
「秋孝、智鶴ちゃん連れてくるって」
「今日、試験最終日なんだっけ?」
 放映日を今日にしたのは、智鶴の試験も考慮してだった。万が一なにかあったとき、智鶴にあまり迷惑をかけないように、という配慮だったのだが、その万が一、があって……奈津美は複雑な気分だった。
「だけどさー、ここまで反応いいって、普通なの?」
 こんなにダイレクトに返ってくるとは思っていなかった奈津美としては、予想外過ぎて困る。
「どうだろうね? まあ、反応良すぎて怖いと言えば怖いね」
 のんびりとお茶でもすすりだしそうな雰囲気の蓮に、奈津美ははぁ、とため息をつく。
「蓮はほんと、なんかそういうときって妙にのんきよね」
「じたばたしたって仕方がないじゃないか」
 言われていることはわかるのだが……。外線電話が鳴るので、奈津美は仕方がなく電話に出た。 お昼ご飯を食べるタイミングを逃し、どうしようと思っていたら秋孝が智鶴を連れてやってきた。
「ちぃちゃん」
 奈津美は智鶴を見て、ほっとする。はー、癒し系ってこういう子のことを言うのよねー。抱きつきたくなる衝動を押さえ、秋孝と智鶴に挨拶をする。
 今回のこの件、奈津美と蓮だけだと回らないので美歌に補佐をお願いしていた。
「ごめんね、わざわざ来てもらって」
 奈津美の言葉に智鶴は首を振った。
「ああ、この子がCMの子?」
「うん、そう。ちぃちゃん」
 奈津美は美歌に智鶴のことをそう紹介して、智鶴は苦笑していた。
「あたし、山本美歌(やまもと みか)です、よろしくね」
 美歌は智鶴に名刺を渡し、秋孝とも名刺交換をしていた。
「おー、噂に聞く総帥候補!」
 美歌には軽く秋孝の話をしていたので、名刺を見て少しわざとらしく驚いた顔をする。
「向こうで必死に電話取ってくれてるのが、ヤマヤマコンビの山岸友也と山本貴史。山本さんは美歌のだんなさんね」
 奈津美の説明に秋孝は目を細め、友也と貴史を見ている。
「奈津美」
 きっと奈津美と貴史が昔、付き合っていたのでも見たのだろう。秋孝のその一言に奈津美はああ、これはちょっときついな、とふと思う。
「あ、それ以上は言わないで」
 今度、そのあたりの話はしなくてはいけないのかな、だけど秋孝って人の恋愛話とかどうでもいいような人のような気もするし……。美歌の手前というのもあり、とりあえず秋孝に口止めをする。そのあたりは察してくれたのか、秋孝はそれ以上、口にしなかった。
「会議室で話合いする時間がないから、申し訳ないけどそこでいいかな」
 会議室で打ち合わせをするまでもないような簡単な打ち合わせの時用のスペースに秋孝と智鶴を案内する。
 秋孝は次期総帥候補。本来ならきちんと接客をしなくてはならないのは分かっているが、今日は緊急なのだ。申し訳ないと思いつつ、そのスペースにいざなう。秋孝は嫌な顔ひとつせず、案内された場所に座る。お茶は蓮が出してくれた。
「ふたりはご飯、食べてきた?」
「はい」
 まだだと言われたら、気分転換に社内の食堂にでも移動しようかと思っていたから、食べてきていたのなら好都合だった。この時間のないときにできるだけ短縮させたい。
「私と蓮、お昼まだだから、申し訳ないけど食べながらでいい? さすがに電話に出ながらだと、食べられないのよね」
 ご飯を食べながら打ち合わせ、というのはたまにあるが、お客さんの前で食べるのもどうなのよ? とは思いつつも、これを逃すと本当にいつ食べられるかわからない。お行儀悪いとか思われても、もう知らない! というのが奈津美の本音。蓮もなにも言わないでお弁当を広げているから、別にいいのだろうと思い、食べ始める。
 ところで……と奈津美はふと疑問に思う。秋孝は……お客さん扱いでいいんだよね? 次期総帥候補といっても、どうも自分の中での秋孝の扱いは……とんでもなく軽いような気がする。あまりにも雲の上の存在過ぎて、どう接すればいいのか、奈津美にはさっぱり分からない。
 だけど、と思う。たとえ相手が社長でも、態度は変わらないような気がする。と思ったら、これでいいのか、と思ってしまう。この間なんて、怒鳴りつけたしなぁ……。そのことについても蓮はなにも言わなかった。と言っても、蓮が奈津美になにか言うことの方が少ないのだが。
「今日のテレビ放送、見ました?」
 とりあえず、CMのことについて切り出してみる。
「はい、教会挙式編しか見てないですけど」
 放映されたのは確認したらしい。
「うん、今のところ、あのCMの問い合わせが最多。予約も何件か入っているらしいよ」
 どれだけ流されているのか企画部に聞けば把握しているんだろうけど、今日はそれどころではなかったので聞いていない。だけど、電話を取って感じたのは、あのバージンロードのCMに関しての問い合わせが一番多い。
「私、こういうお仕事初めてだから比較できないんだけど、これってすごいことなんだよね?」
 さっきも疑問に思ったことを聞いてみた。
「そうだな。広告打ってすぐに反応が返ってくるのはすごいな」
 今まで黙って聞いていた秋孝が口を開いてそう言った。普段はあまりにも馬鹿なことしか言わないから仕事は大丈夫なんだろうか、と心配していたのだが、仕事中は至って真面目らしい。
 それに、秋孝はいろいろと仕事をやらされているらしい。総帥になるからには現場もしっかり把握しろ、というのが現総帥の教えらしく、専務という肩書はあるものの、あちこち走りまわさせられているらしい。
「電話が朝からずっと鳴りっぱなしで、通常業務が滞っていて大変なのよ。っても、通常業務自体は残念ながらそんな大したことないからいいんだけどさ」
 ブライダル課は普段、忙しくない。忙しくない、というより、残念なことに暇なのだ。
「奈津美、あの話しないの?」
 肝心なことを切り出さない奈津美に美歌はしびれを切らしたようで、そう水を向けてくれた。
「蓮、私の代わりにお願い」
 隣を見ると蓮はほぼ食べ終わっていたので、代わりにしゃべってもらうことにした。
「智鶴ちゃんのプロフィールを教えてほしいという問い合わせが大半なんだけど、どこまで公表します? 当初は名前だけ、って話だったけど、こうまで問い合わせが多いと正直、どうしたものかと」
 電話をかけてくる人がなにをどこまで求めているのか正直、わからなかったのだけど、ここまで問い合わせが多いと、やはりこちらから先手を打ったアナウンスをした方がよいような気がしてきたのだ。そこで、蓮と相談して、最終的には秋孝の判断を仰ごう、となったのだ。秋孝はしばらく腕を組んで悩んでいた。
「うーん……。こうしよう。名前以外に生年月日を公表しよう。それ以外は現在普通の現役高校生で学業優先のためそっとしておいてください、ってことにするか」
 秋孝の言葉に、奈津美は笑いだした。
「あははは、秋孝さん、最高だわ!」
 さっき、蓮と同じような話をしていたばかりだった。まさか秋孝も同じことを言うとは思っていなかったので、奈津美はおかしくなって笑いが止まらなくなってしまった。
「なにがおかしいんだ。これでいいだろう?」
 秋孝の言葉はムッとした響きを含んでいた。それはそうだろう。秋孝の言葉におかしなところはひとつもない。あまりにも意見が一致しすぎて、奈津美がひとりで笑っているだけなのだから。
「うん、いいです。それでいいんじゃないかな」
 くすくす笑い続ける奈津美に蓮がフォローを入れる。
「さっき、オレと話をしていた内容とまったく一緒で奈津美はたぶん受けてるだけだから。秋孝の言葉がおかしいってわけじゃないよ」
「いやぁ、認めたくないけど、秋孝さんとは気が合いそうだわ」
 てっきり秋孝のことだから、当初の名前だけでいい、よきにはからえ、くらいの勢いで言われるかと思っていたので、あまりにもまともな言葉におかしかったのもあった。秋孝のことを自分はどう思っているのだろう、と奈津美はふと思って、自分にもおかしくなったのだが。きちんと智鶴のことを考えているんだな、と奈津美は感心もした。
 ようやく笑いがおさまった奈津美は秋孝を見て、
「蓮を取らないって約束してくれたら、また一緒に仕事がしたいわ」
 奈津美は本音をそう漏らす。恋愛感情という意味ではなく、秋孝に人間としての興味を抱いた。この人ならきっと、もっと面白いことを見せてくれるかもしれない。そんな期待もあったのかもしれない。
「取るとか取らないとかって意味がわからん」
 憮然として答える秋孝に、奈津美はくすくす笑う。
「だけどまあ、奈津美、その言葉、忘れるなよ?」
「次があればねー」
 奈津美はこのとき、秋孝との仕事はこれで終わりだと思っていた。心の底から残念だと思いつつ、こういう機会がないと絶対に知り合えない人種なのを知っていたから。
 男と女の間に友情は成立するのか? その答えは、奈津美と秋孝の間だけで言えば、イエス、なのだろう。だから奈津美は、余計に残念に思っていた。たまに気に食わないところがあるけど、仕事はやりやすそうだし、好き勝手やらせてもらえそうだし。残念だな、という気持ちがいっぱいだった。
「どうする? マスコミ向けにちぃの写真もいるか?」
 思ってもいなかった申し出に、奈津美は喜ぶ。
「そうね。制服のままだとまずいから、秋孝さん、ちぃちゃんの写真を何枚かお願いできる?」
 今から自分たちが段取りを取れるほど、手が空いていない状態だったので、秋孝にお願いすることにした。それに、その方が早いという確信があった。
「わかった。帰ったら何枚か写真撮って明日までにはおまえたちの手元にネガと一緒に送っておくよ」
 仕事が早くて話の早い人はいい、と奈津美はうれしくなった。だから余計に……本当に残念で仕方がなかった。
 少し話をして、秋孝と智鶴は帰って行った。






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