Happy? Happy!06
それからがかなり忙しかった。葵から送られてきた曲を聞いて、奈津美と蓮は驚いた。
「一曲かと思っていたら……」
「ねーさん、アルバム一枚分の新曲を送ってくるなよ……」
手紙がついていて、
『曲を作っていたら思った以上にたくさん思いついちゃった。好きな曲を使ってね。おすすめは一曲目かな』
「これ、このままコラボ企画で売り出すか?」
「あー、それ、いいかもね。今度、葵さんと打ち合わせしよう」
全曲聞いて、やっぱり葵のおすすめ曲の一曲目を使用することにした。すぐにCM制作会社の担当者に連絡を取り、曲を送る。映像編集は思ったより順調にいっているようだった。
「あとはポスターか」
「そうだね」
智鶴の写真を使う、というのも考えたのだがそれをやると予算的に厳しくなるので、シンプルにキャッチコピーだけにすることにした。
「どれだけ予算が少ないんだよ……」
蓮は苦笑する。
「角谷部長に掛け合ったんだけど、これがギリギリのラインと言われちゃって……。確かにギリギリなんだよねぇ」
この時期に臨時で予算をもらえただけでもありがたい、ということか。
ふたりきりになった広いフロアに蓮のため息が響いた。
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怒涛のような忙しさをクリアして、どうにかこうにか試写会当日。奈津美は前日から会場入りして、入念にチェックしていた。
「試写会なんて初めてだから、なにをどうすればいいのかわからないわ」
珍しく奈津美は愚痴をこぼしながら準備をしている。
「基本を押さえておけば、あとは適当でもなんとかなるよ」
「その基本がどこまでかわからないんじゃん」
明日使用する会場は今日、使う予定があるみたいなので夕方からしか準備に入れない。
「ポスターは正面玄関と……」
奈津美はぶつぶつと確認している。
「先輩、もうここでやることないし、ちょっと寄り道して会社に戻りましょうか」
蓮の言葉に奈津美は振り返る。
「寄り道?」
「少し休憩しよう」
奈津美と蓮はフロントの人に声をかけ、いったんホテルを出る。お昼前の穏やかな空気の中、ふたりは久しぶりにゆっくりとした時間を迎えることができた。
「この近くの公園でお昼を食べてから会社に戻ろう」
蓮の言葉に奈津美はうなずき、その公園へ足を運ぶ。ホテルの近くにぽつん、と公園があった。
「こんなところに公園なんてあったんだ」
「うん。地図を見ていたら見つけた」
最近、蓮はインターネットで無料で見ることができるという地図を見るのがお気に入りらしく、息抜きにたまに見ているのを知っていた。
「この間会った友だちの彼氏、地図会社に勤めているらしいんだけど」
奈津美にはたまに会って話をしている友だちがいるらしい。友だちの少ない奈津美には貴重な付き合いみたいで、半年に一度くらいのペースで会っている。お酒を飲まない奈津美は、お酒の席はあまり得意ではないので、昼間にお茶をしながらちょっと話をする、というくらいの仲らしい。
「あの地図が登場したとき、会社中がパニックになって大変だった、と言ってたよ」
「あー、まあ確かにね……。だけど、やっぱり紙に印刷されたものは、なくならないし強いよ」
ネットにつなげば簡単に地図を見ることができるが、それはデータが消えたり変更されたら同じものを見ることができない、というデメリットもある。その点、紙に印刷されたものは同じものをずっと見ることができる、というメリットがある。
「まあ、なんでも善し悪しがあるってことだよな」
ふたりは公園に入り、日陰になっているベンチを探して座った。
「うー、日差しが思ったより強いなー」
日陰とはいえ、思った以上に日差しがある。
「そろそろ日傘を出さないといけない時期になってきたのか」
昔は日傘も帽子もかぶらないで自転車に乗って焼けていた人のセリフとは思えないな、と蓮はくすり、と笑った。
「一応、気にしてるんだ」
「むっ。聞き捨てならないセリフ。気にしてるわよ、これでも!」
確かに初めて会ったころのあの真っ黒さを考えたら、今はとても白い肌なのは確かだ。
「いただきまーす」
奈津美は膝の上に器用にお弁当を広げ、食べ始める。蓮も手を合わせていただきます、とつぶやいてお弁当を食べ始めた。
そうして迎えた試写会当日。奈津美は今日の司会を務めることになっていて、かなり緊張していた。
「うー、ドキドキする」
「大丈夫だよ、先輩。いざとなったら結構、度胸座ってるから」
そこへ秋孝たちが来た、という連絡が入り、蓮はひとりであいさつに行く。
「秋孝、深町、ごめん待たせた」
「蓮さん、忙しいのに」
深町の言葉に、少し化粧をして一瞬だれだか分らなかった智鶴がうなずいている。その近くに、初めて見る背がひょろりと高い女の子が立っていた。あー、この子が深町の彼女? 秋孝に伝えられていた名前を思い出す。そうそう、遙彼方(はるか かなた)という名前。なんだか狙って名前つけただろう? とちらりと思ったけど、彼方という名前が似合う子だな確かに、と蓮は思った。
「奈津美はどうしてもこれないから、オレだけでも挨拶しようかと思って。智鶴ちゃん、今日はわざわざごめんね」
智鶴を見て、奈津美を置いてひとりであいさつは少し不安だったけど、連れてこなくてよかった、と思った。彼方なんて奈津美的に好みそうだしな、となんとなく最近、奈津美の好みの傾向がわかってきた。
「いえ、こちらこそほんと、わざわざすみません」
「前の方に席を確保してあるから。名前貼ってあるから探してそこで見て」
蓮はそれだけ伝えると、奈津美の元へ走って戻った。
控室に戻ると、奈津美は椅子に座って目を閉じていた。
「奈津美、大丈夫?」
「あ、蓮。お帰りなさい」
蓮の声に奈津美は目を開けて、にっこりほほ笑んだ。だけどその笑顔は少しひきつっていた。
「とりあえずだ、会場にいるやつら全員、かぼちゃ頭だと思え」
「ハロウィンじゃないんだから……」
蓮の言葉に奈津美は苦笑する。
「かぼちゃが嫌なら、トマトでもキャベツでもなんでもいいよ」
「なんで野菜なのよ」
「昔からそう言わない?」
うーん、と奈津美は唸り、
「昔から言うかどうかは知らないけど、相手は野菜と思って頑張る」
奈津美は深呼吸をして、時計を見る。
「そろそろか」
奈津美と蓮も、実はまだ、完成したCMを見ていない。見たい、と言ったのだが、製作会社の人たちが
「すっごくよくできてるから、当日までのお楽しみ」
と言って、見せてくれなかったのだ。事前チェックをしたかったけど、製作会社の人たちの言葉を今は信じるしかなかった。
「仕上がりがどうなっているのか、楽しみだな」
奈津美と蓮は控室を出て、会場に向かう。会場に入ると、予想以上の人に奈津美は忘れていた緊張を思い出す。
「れ、蓮ー」
「暗くなってから入ればよかった?」
少し意地悪な顔をして奈津美に聞いている。
「カボチャにトマト、キャベツにきゅうり」
と言われても、人の顔が野菜に見えるようになるほどの目は持っていない!
会場内の照明が落とされた。奈津美と蓮は会場のステージ横に移動した。
スピーカーからバイオリンの音が急にした。葵の演奏するCMのために書き下ろした曲の冒頭部分を聞き、奈津美は少しほっとする。
あー、やっぱり葵さんの曲は癒されるわ。
先ほどまでざわついていた会場が、水を打ったかのようにしーんとなる。薄暗い会場なのに、なんとなく青空のもとにいるような気持ちにさせられる曲。曲が終わると同時に、スクリーンにCMが映し出された。葵の曲とともに
『Happy?』
の文字が浮き上がり、智鶴が白無垢を着てうつむいている映像が映し出される。こんなに大きなスクリーンでも肌がきれいって、若くていいな、と奈津美は思う。それに、やっぱりすっごくきれい!
その下のあたりに
『Happy!』
という文字が表示され、ぱっと画面が変わり、今回のコンセプトカラーであるサムシングブルーをバックにホテル名と問い合わせ先が表示され、これで一本終わり。
あの智鶴の笑顔。すごい素敵! 製作会社の人が自信を持って言っていた意味がわかった。
白無垢編とウエディングドレス編はそれぞれ三本あるという。
次も白無垢編でこちらの出来もすごくよい。そして、ウエディングドレス編。上から撮影した智鶴が笑顔で両手を広げている映像もよかった。
そして、奈津美が考えた超ベタなバージンロード編。振り向いた笑顔を見た報道陣が一斉にざわざわと騒ぎ始める。ようやく智鶴のすごさに気がついたか? 奈津美はそれを見て、確信した。これはいける、と。そう思ったら、それまでの緊張がなくなった。
『本日はお忙しい中、私どものCM発表会にご来場いただき、ありがとうございます』
とはいっても、やっぱり少し緊張していたようで、笑顔がぎこちない。
奈津美は今回のCMコンセプト、狙いを説明した。みんな熱心に聞いてくれている。そして、質疑応答の時間になると、恐ろしい勢いでみんなが手を挙げる。BGMに使われていた曲名、撮影場所、そして一番の関心ごとは、
「あのCMの少女はだれですか?」
だった。やはり出るよね、その質問。秋孝と事前に打ち合わせをしておいてよかった、と奈津美はほっとする。
CM撮影の後、秋孝と深町が奈津美の元へやってきて進行状況を聞いてきた。CM製作会社にお願いしていて詳しくはわからないけど、順調だと答えた。
『ちぃちゃんのこと、聞かれたらなんて答えたらいい?』
今の奈津美はそちらの方が心配だった。
『そんなこと、考えてなかった』
秋孝のその言葉に奈津美はがっくり、と肩を落とす。
『あれだけかわいいんだからさ、絶対「あれはだれ?」って聞かれるよ?』
奈津美の言葉に秋孝は困ったように頭をかいている。
『そうだよなぁ……。やっぱりちぃをモデルに使ったのは失敗だったかな』
『失敗じゃないよ! 成功すぎてきっと、すっごい聞かれるよ!』
『いや、だから失敗だったと言っている』
秋孝の言葉に奈津美はムッと顔をしかめる。
『秋孝っ!』
いきなり奈津美に呼び捨てで怒鳴られ、秋孝はびっくりする。
『やる前から失敗って言うな!』
真っ赤になって怒鳴る奈津美に、秋孝は目をまん丸にして見ている。
『あんたがちぃちゃん使いたいっていうからありがたく使わしてもらった。提案したあんたが失敗だなんて、そんな悲しいこと、言わないでよ!』
奈津美の怒りはもっともで、秋孝は素直に謝った。
『悪かった……。ごめんなさい』
『分かればいいのよ』
そういって奈津美はいつも以上にえくぼを深く刻んでにっこりとほほ笑んだ。