Happy? Happy!04
ロビーにはすでに秋孝と深町が待っていた。智鶴はふたりの元に駆け寄り、うれしそうだ。
やっぱりさみしかったよね。奈津美は三人を見ていた。
「あれ、ねーさん」
蓮の声に奈津美は首をかしげる。
「はーい、蓮」
久しぶりに見る葵は紺色のパンツスーツを着ていた。そういえば、ドレス以外の服装を見るのはほぼ初めてのような気がした。
「なんでここにいるの?」
「うん、ごあいさつ」
葵はにこにことこちらに近寄ってきていたかと思ったら、急に立ち止まり、すーっと目を細めた。
「ねーさん?」
蓮の声に葵ははっとしたようで、そのままの表情で智鶴に近寄る。
「佳山葵です。今回、わたしの演奏をCMに起用してくれるっていうから、挨拶にきたんだけど」
葵はそこで一度言葉を切り、
「あなた、少しわがままが過ぎるんじゃないの?」
そう言って葵は智鶴を見る。
「葵?」
蓮は焦っていた。久しぶりに葵の「癖」を見て、どうやって止めようか思案し始める。
「蓮に久しぶりに名前を呼ばれた」
葵の場違いの発言に空気が凍った。
「ちぃちゃんは全然わがままじゃないよ?」
奈津美のさらに空気を読まない(というより読んでわざとか?)に蓮はさらに焦る。
「奈津美ちゃん、お久しぶり」
前も思ったけど、葵は奈津美にはなにも言わない。蓮もいまいち葵のこの「癖」の基準がどこにあるのかいまだにわからない。
「忠告しておくわ。あなたの大切な人を傷つけたくないのなら、そのわがまま、直しなさい」
葵のその表情が自分の表情と重なって……ずきん、とコンプレックスが疼く。自分もよく、この表情をする。
葵は次に秋孝に向いて、
「あなたもこの子のわがままを聞きすぎよ。そんなに関係を駄目にしたいの?」
「俺? ちぃのわがままなら俺、なんでも聞くけど」
いつもの秋孝ならぎゃんぎゃんと言いそうなのに、葵の雰囲気に負けているのか、素直に答えている。
「それがあの子を駄目にするのよ」
「俺が? そうか……」
そう言って秋孝は目を伏せている。
秋孝と智鶴の雰囲気を察すると、あの打ち合わせの日になにか進展があったらしい、というのはわかった。わかったが、それがどこまでかはわからない。智鶴が秋孝に気持ちを告白したのか、しなかったけどふたりの関係に進歩があったのか。
だけどこうして見る限り、この間のときはうっとうしいほどべたべたしていたのがなくなっているから……なにかあったのは間違いがないらしい。それともここが人目があるから遠慮している? いや、秋孝のことだ、そんなことは考えていない。
奈津美をちらりと見ると、なにか含んだようににやりと笑っている。
葵は今度は深町を見て、
「あなたはそう、幸せなのね。その子を大切にね」
その言葉に深町は最初、驚いたように目を見開き、次には微笑んでいた。
このまま行くとまだなにか葵は言いそうだったので、
「葵、もういい加減にしろ」
止めることにした。
「あー、これのことを言ってたんだ。葵さん、すごいねー」
奈津美は葵の横に立って、関心したようににこにこしていた。
「奈津美ちゃん、会いたかったわ」
葵は横にいた奈津美に抱きつく。
え、いや、女の人だけどそうじゃないし! と奈津美はかなり引き気味になる。蓮に助けを求めたけど、蓮は苦笑してみているだけだった。
「蓮さん……?」
智鶴が見上げるように蓮に戸惑ったように声をかけてきた。てっきり突然あんなことを言われたことを戸惑っているのだろうと思い、
「ごめんな、ねーさんが変なこと言って」
「あの」
智鶴に腕を掴まれ、蓮はびっくりする。
「葵さんって、もしかしてその」
耳元でささやかれた言葉に、蓮は驚く。今まで自分が知る中で、一度も葵の性別が違うということがばれたことはない。
「あー、うん。わかった?」
智鶴のびっくりした表情を見て、蓮は観念した。
「なんでわかったのかなぁ。珍しいなぁ」
蓮は奈津美に抱きついている葵をはがし、耳打ちした。
「ねーさん、大変だ。ばれたよ」
「え? だれに?」
「智鶴ちゃん」
蓮の言葉に葵は黒髪の少女を見つめる。
「なんでばれちゃったんだろ」
かなり悔しそうな響きがあり、蓮は苦笑する。
事実を知っている自分でもたまにどきっとするしぐさをするくらい、葵は完璧なのだ。相当悔しいだろう。
葵は智鶴に近づく。
智鶴は先ほど言われたことでかなり葵のことを怖がっているようだった。
「怖がらせちゃったか。あはは、ごめんね」
家で見る素の葵だった。
「正直、今回の仕事、乗り気じゃなかったのよね。顔見て気に食わなかったら断ろうと思ってたの。そうじゃなくても自分が今まで出したCDの中から適当に合いそうなのを選んでもらおうって思っていたのよね」
そんなことだろう、と蓮は一連の葵の言動を見て思っていた。提示した金額はかなり安い。断られるのを覚悟していた。
「一目で見破られたの、初めて」
葵は楽しそうにくすくす笑っている。
「いいわ。今回のこの仕事、オリジナル曲を作ってあげる」
葵の申し出に、奈津美と蓮はあわてる。
「ねーさん! 予算そんなにないよ!」
「いらないわよ。提示されている金額で受けるわよ。別に蓮からの頼みだからってわけじゃないよ」
「葵さん、だめよ! 安いお金で受けないで!」
奈津美と蓮は相当焦っている。
「いいの! わたしがいいって言ってるんだから! それにね、今、いい曲を思いついたのよ。うふふ、売れるわよ」
この曲は必ずヒットする。葵はそう、確信していた。
そこへ、いきなり秋孝が現れ、
「お、蓮と同じ姫顔だ」
と言って葵に抱きついている。智鶴がいる手前、いくら変態とは言え女に抱きつくとは思えないので……秋孝も葵の正体がわかったのか?
「ちょ! なにこの破廉恥な男は!」
「いいのか? 大声で叫ぶぞ」
秋孝は葵の耳元で、
「おまえが男だって叫ぶぞ?」
と囁いた。
葵は目を見開く。
「なんなの、あんたたち!?」
「俺か? 俺は高屋秋孝だが」
的外れな秋孝の答えに葵は苦笑する。なんだろう、この男は。今までの常識が通じない。
「びっくりしたけど、おまえの忠告、ありがたく受け取っておく。これは礼だ」
そう言うなり、秋孝は葵の美しい黒髪をぐしゃぐしゃ、となでてぐちゃぐちゃにしていた。秋孝は満足したようでぽかんとされるがままになっている葵を目を細めて見て、離れた。
葵は秋孝が離れたことでふぅ、とため息をつき、
「わたしの人生で今までばれたこと、なかったのに……。なんで今日に限ってふたりにもばれちゃうんだろ」
本当にがっかりしたようにしゅんとしていた。
「たぶん、わたしが気がついたのは、葵さんが完璧すぎたからだと思います」
そう、それほどまでに葵の動作は完璧で、それゆえに不自然だったのか。
「あなた、すごいわ。こんな変態な彼氏さえいなければいいのに」
一目で秋孝のことを変態と見抜く葵の目に、みんなで苦笑する。
「おまえ……変態とは!?」
怒っているのは秋孝ただひとり。
「そうでしょ? いきなりわたしに抱きつくし」
周り全員、葵の言葉にうんうん、とうなずいている。
葵は髪を整えながら秋孝をにらみ、
「あと三人にばれたら、カミングアウトすることにするわ」
蓮は目を見開き、
「ねーさん、本気?」
「うん、本気。絶対にばれない自信があるもの」
そう言った葵は……今までより完璧で、だけど自然で、演じているようにまったく見えなかった。
「うん、もうばれませんね」
智鶴はにっこりとほほ笑む。
「でしょー?」
葵はにこやかに智鶴に笑い返している姿は……どこからどう見ても女の人だった。