『愛してる。』


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愛してる。14



 少し線の細い身体にグレーのスーツ。
 一之瀬だった。
「松尾さん」
 聞きなれた声がした。
「あなたがどう思っているかわかりませんが……。もう一度、わたしとやり直してくれませんか?」
「?????」
 奈津美だけが混乱していた。
 な、なに、この急展開!?
 奈津美は蓮をまた見上げた。
 蓮は厳しい表情で依子と一之瀬を見ている。
「もう……あなたとは終わったことです」
 依子はこわばった表情で一之瀬を見ている。
「わかりました。ではまた、一からはじめましょう」
「なに言ってるの!?」
 一之瀬の言葉に依子は激しく反応した。
「松尾さん……いや、依子、僕は別れてもずっと、君のことを見ていた。中林さんと一緒になって……それで幸せになってくれるのなら、僕はそれでいいと思っていた」
「…………」
「あなたが壊れていくのを……遠くからしか見ていられなくて。僕は……あの日、あなたから手を離したことを、ずっと後悔していたんです」
 依子は……はらり、と涙をこぼした。
 一之瀬は依子に近づき、右手を差し出した。
「泣かないで。今度こそ……手を離さないから」
 一之瀬はそう言い、依子の涙をぬぐい、依子を抱き寄せた。
「!」
「一から……やり直してくれますか?」
 一之瀬の言葉に、依子は小さくうなずいた。

 蓮はそれを見届けると、奈津美の方に向き、手を取って歩き始めた。
 奈津美はふたりのことが気になりつつも、蓮について歩いた。
 しばらく無言で歩いていた。
 先に口を開いたのは、意外にも蓮だった。
「奈津美?」
 蓮はずっと下を向いて歩いている奈津美が気になった。
「なに?」
 蓮の言葉に、奈津美は顔を上げた。
「蓮は……知ってたの?」
「ん?」
「松尾さんと一之瀬さんがそういう仲だったこと」
「知らないよ」
「は?」
 奈津美はびっくりして立ち止った。
「オレが知るわけないじゃないか。知っている情報は奈津美と同じ。ただ、ちょっと気になったから一之瀬さんに『今日の定時後に松尾さんちに行け』と葉っぱをかけただけだよ?」
 唖然とした。
「もし……一之瀬さんが来なかったら、どうするつもりだったの?」
「いや、一之瀬さんは絶対に来たよ」
「なんで言い切れるの?」
「彼はずっと、後悔していたんだよ。だからオレたちに『救ってくれ』と頼んだんだろ?」
「そうだけど」
 蓮は奈津美に歩くように促した。
 奈津美は蓮に腕を引っ張られ、歩き始めた。
「ここから先はオレの勝手な想像」
 そう前置きしてから蓮は話始めた。
「どれくらい前か知らないけど、一之瀬さんと松尾さんのふたりは付き合っていたんだよ。だけど松尾さんは……一之瀬さんがいながら、どこかで聞いたことのあるような話だけど……、中林さんを選んだ」
 蓮はちらりと奈津美を見た。
 奈津美はむっとして蓮を見た。
「で、一之瀬さんは……松尾さんが幸せになれるのならって、手を引いたんだよ」
「信じられない」
「でも奈津美も、すぐに山本のこと、諦めただろ?」
 蓮に言われて、かなり躊躇して、うなずいた。
「奈津美はオレと知り合って今の関係にあるわけだが。一之瀬さんは……人のものになったのを知りながらずっと、松尾さんを愛してたんだよ」
「無理」
 そういえば、と奈津美は思った。
 私はどうして……貴史と美歌が結婚すると言った時、食い下がらなかったんだろう。
 なんですぐに……諦めたんだろう。
 一之瀬の気持ちはまったくもって奈津美には理解できなかったけど、どうして貴史に食いさがったり美歌を責めたりしなかったのか。

「奈津美は、やっぱりやさしいね」
「なにが?」
「だって、大好きなふたりに裏切られたのに、ふたりを責めることなく、結局は許したじゃないか」
 そう言って、蓮は奈津美の頭をやさしくなでた。
「だってそれは……!」
 蓮がやさしく微笑んでいる。
「蓮が……そばにいてくれたから」
 貴史に振られた日。
 世界は……色を失って。
 でも、そのモノクロの世界に……勇敢なひとりのお姫さまが現れて。
 そのお姫さまはただひとり、色を持っていた。
「たぶん私、蓮に一目ぼれしてたんだよ」
「その割にはオレのこと、忘れていたじゃないか」
「あ……うん。だって蓮を初めて見た日、あ、いや。なんでもない」
 奈津美は思い出してかーっと赤くなった。
 蓮には……とても言えない。
「奈津美さま?」
「あ、えっと。うん、一之瀬さん、」
「ごまかそうとしたって無理だからな!」
 そう言って蓮は奈津美を抱え込み、頭をぐりぐりした。
「あ、いたたた。ちょっと待って!」
「いや。待たない。さあ、言うんだ!」
「蓮、」
 奈津美は頭をぐりぐりしている蓮を見上げて、
「愛してる」
「…………!」
 蓮は奈津美の言葉に固まり、次の瞬間、真っ赤になっていた。
「やだ、蓮。かわいいー!」
「か、かわいいって言うな!!!」

 蓮は奈津美にごまかされてしまったことに気がついたが、もうそれはどうでもいいような気がした。
 奈津美と貴史のふたりの間になにがあったって、それはすでに過去の話。
 過去に嫉妬したって過去は変わらない。
 今、目の前で一番愛しい人が自分のことを愛していてくれる……それだけで充分だ。
 蓮は自分にそう言い聞かせた。
「一之瀬さん、松尾さんとうまくいくかな?」
 奈津美の心配に蓮は笑った。
「大丈夫だよ。松尾さん、涙と一緒に今までの悪い気持ちを流してしまってるよ。一之瀬さんがあとはフォローするよ。今度こそ手を離さないって、ね」
 蓮は奈津美の手を握りなおした。
「蓮も私の手、離さないでよ?」
「オレは離さないけど、奈津美が振り払って暴走しそうで」
「しないよ!」
「ぜひともそうしてください」
「ハイ……」
 奈津美と蓮は顔を見合わせて、笑った。

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

「とりあえず、一番の難関だと思ってた松尾さん問題は済んだ、って思っていいんだよね?」
 一之瀬が依子を迎えに行ってから一週間。
 依子は心を入れ替え、仕事もきちんとこなして、今までやっていた嫌がらせもすっかり止めたようだった。
「一之瀬さん、早いなー」
 蓮は何かを見て、呟いている。
「なにが?」
 蓮はパソコンの画面を指さした。
 奈津美が覗き込むと、
「蓮……。またやってるの?」
「あー、その、趣味?」
 そこは、人事部の人間しか見ることのできない社員のデータベースだった。
「あ」
 一之瀬の苗字がなぜか変わっていた。
「聡香ちゃんのこと考えてかな?」
「それにしても一之瀬さん、手が早すぎだな」
 依子の子どもがいくつか知らないが、そのあたりはどうやって説得したんだろう?
「今度聞いてみるか」
 蓮はにやにやしながらその画面を閉じた。
「さて、と。お仕事お仕事」

 それから何日かして、一之瀬と依子の結婚話が社内を駆け巡った。
 予想外の組み合わせに……ほとんどの人間が驚いていた。
「近々、一之瀬さんの顔を見に行こうか」
 蓮は楽しそうに社内掲示板を見ていた。
「次はだれかなー」
 ちらり、と蓮は友也を見た。
「ん? 俺の顔になにかついてる? それとも俺に惚れた?」
「おまえなんかどうでもいい!」
「冗談でもそんなこと言ったらだめ!」
 奈津美が涙声で訴える。
「あー、ごめん」
 相変わらず、そのあたりの冗談が奈津美には通じないらしい。
 蓮と友也は奈津美にわからないように顔を合わせて、苦笑した。





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