『愛してる。』


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愛してる。08



 買い物に行く段階になり、由布子はいきなり、
「あの……。家に帰って服を取ってきたいんですが」
 と申し出し。
「ついていくよ?」
「いえ……。土曜日のこの時間なら……大丈夫です」
 というので駅で別れたけど。
「ね、蓮」
 蓮は奈津美がなにも言わないうちにこっそり由布子を追いかけている。
「わ、尾行?」
 奈津美はちょっと楽しくなった。
 人を追いかけるうえで見失わなくて見つからない距離を蓮はよく知っているようで……。
「蓮、こういうことするの?」
 電車の中で思ったことを聞いたら、意外な答えが返ってきて、びっくりした。
「……たまに」
「な、なんで!?」
「しっ」
 蓮はあらかじめ調べていたらしく、由布子が降りる駅を知っていた。
「だからさ、なんでそういうことを知ってるわけ!?」
「一之瀬さんに人事部権限で木村さんの住所を教えてもらった」
「ほんと? 一之瀬さんが教えるとも思えないから……。まーたやったんでしょ、ハッキ……」
 奈津美は蓮に口をふさがれて、最後までしゃべれなかった。
 でも……蓮ならやりかねない。
 由布子は後ろを振り返らず、勝手知ったる道を慣れた足取りで歩く。
 しばらく住宅地を歩いていると……。
「え……?」
 思っていたよりきれいなマンションに入っていった。
 暴力をふるう男と同棲しているというから、ぼろアパートを勝手に想像していた奈津美は、意表を突かれた。
「オレが前に住んでたところよりいいところだな」
 蓮も同じようなことを思っていたらしい。
 蓮は表札を確認して、
「さて、どうしよう。ここで待つ?」
「だって……。追いかけて行っても……」
「うーん、そうなんだが……。どうも嫌な予感がして」
 蓮は先ほどから険しい顔をしている。
「あ、でもさ、今日は彼、いないんでしょ? だったらだい……」
 マンションの入口近くで奈津美と蓮はこそこそしていたら、殺気をまとったすごい雰囲気の男とすれ違った。
 男は奈津美と蓮を一瞥して、マンションの中に入って行った。
「あれは……!」
 すれ違った時、どこかで匂ったことのある匂いがふたりをかすめた。
「奈津美、木村さんがやばい!」
「え!?」
「あいつを追いかけるぞ」
 と言うなり、蓮は走りだしていた。
「な、ちょ! なに? どういうこと??」
 奈津美は一瞬遅れで蓮を追う。
 が、蓮はすでに姿を消していて。
「ちょっと……。なにがどうなってるのよ」
 奈津美は先ほど調べた由布子の部屋目指してできるだけ早く走った。

 エレベーターを見ると、押しボタンのところには「点検中」という札が無情にも下げられていて。
「ど、土曜日に点検するな!」
 奈津美はエレベーターに文句を言い、横にある階段を昇った。
 由布子の部屋は四階らしい。
「だーかーらー、なんか今回、階段を昇ってばかりいるような気がするんですが!?」
 奈津美はぜえぜえと言いながら、階段を昇った。
 蓮の姿はまったく見えない。
 奈津美はようやく四階までつき、重い鉄の扉を開いて中に入った。
 肩で息をして整えて、廊下をふと見ると。

 蓮が立っていた。
「れ……」
 がっしゃーん! というものすごい音が廊下の一番奥から聞こえてきて、 がんっ! とものすごい勢いで扉が開き……。
 廊下に人が投げ出された。
「なっ……!」
 うずくまるようにそこには由布子がいて。
 中から、先ほどすれ違った男が出てきた。
 そして男は廊下に立っていた蓮に気が付き、
「そうか……。この一週間連絡がないと思ったら……。こんな女みたいな男のところにいたのか」
「あ……」
 あーあ、言ってはいけない言葉を……。
 奈津美は蓮の後姿しか見てないけど、ものすごい怒っているのが……背中だけでもわかった。
 ひいいい、どうなっても知らない!
 奈津美は携帯電話を取り出し、とりあえずこれはいくらなんでもまずいと思い、通報した。
「おまえ……。よりによって一番言ってはいけないことを言ったな」
 奈津美はマンションの名前を告げ、どうにか通報しておいた。
 蓮が……やっぱり怒ってる。
「れ、蓮。ぼ、暴力はよくないって」
 奈津美は焦って蓮を止めに入った。
「そ、それよりも木村さん!」
 うずくまって動かない由布子が気になっていた。
「おまえら……なにしにきた!?」
 男は奈津美も見て、なにか感じとったらしい。
「おまえが木村さんを苦しめている元凶か」
 奈津美にしがみつかれているため、蓮は身動き取れない。
「れ、蓮。警察呼んだから」
 蓮の耳元で奈津美はこそっと囁いた。
「!」
「だから、暴力は勘弁ね?」
 奈津美はちらっと室内を見た。
「!」
 室内は……ものすごい惨状になっていた。
 以前、蓮の住んでいた一DKのアパートとそう変わらない室内。
 そこは……切り裂かれた布と……粉々に割れた食器が散乱していた。
 そして、足もとにうずくまっている由布子をもう一度見た。
「う……」
 由布子のうめき声が聞こえた。
「木村さん!?」
「う……」
 苦しそうに由布子は上を見上げた。
「な、なんで……」
「やはり、おまえの知り合いか」
 男はにやり、と笑い……。
 懐からなにかを取り出し、ぱちっと広げた。
 手にはナイフが握られていた。
「ひひひ……」
 男は嫌な笑い声をあげ、ナイフの刀身をなめる。
 目がイッちゃってる、とはこういう目を言うのかな……奈津美は蓮の後ろに隠れて見ていた。
「さて、どちらのお嬢ちゃんからかわいがってあげようか?」
「孝祐(こうすけ)! やめて!」
ああ、この人が……「こうすけ」なのか。
 由布子に孝祐と呼ばれた男は……自分の頬にナイフの刀身をぴたぴたとあてながら、蓮と奈津美を交互に見て、
「そっちのきれいなお嬢ちゃんからかな」
 と、蓮にナイフを向けた。
 あ、また蓮が……怒ってる。
「オレのことか?」
「あれ? お嬢ちゃんじゃないのか?」
 ぷちっと蓮のなにかが切れる音が……したような気がした。
「てめぇ」
「あー! 蓮! 待って!!!」
 奈津美は蓮にしがみついた。
「奈津美、離れろ」
 蓮は静かにそういい、奈津美の手を外した。
「蓮!」
 蓮が奈津美の手を振り払うとは思っていなかったので、奈津美はショックを受けていた。
「蓮!」
「奈津美」
 怒気をはらんだ声に、奈津美は動けなくなった。
 蓮と孝祐の間に、緊張感が走る。
 にらみ合い、双方が隙を探す。
 遠くから、パトカーのサイレンが聞こえてきた。
「!」
 隙を見せたのは、孝祐だった。
 蓮は隙を見て、孝祐の右手に握っていたナイフを蹴りあげた。
「!」
 見事にヒットして、孝祐の手からナイフが落ちた。
 しかし向こうもそれにひるまず、蓮に殴りにかかってきた。
 蓮はひらりとかわし、孝祐の後ろに回り……首に一発入れた。
「う……」
 孝祐はうめいて、崩れおちた。
「ありゃ……。きれいに決まり過ぎたな……」
 予想外だったようで、蓮はそうつぶやいた。
 パトカーのサイレンはマンションに近づいてきて、マンション前で止まった。
 ばたばたと音がして……警察官が駆けつけてきた。
「あ、こっちです!」
 奈津美は警察官が昇ってきたのを見て、呼びかけた。
「通報してきた人は?」
「私です」
 警察官は状況を確認して、奈津美と蓮、由布子と気絶している孝祐を連れて、パトカーに向かった。
 奈津美たちは素直に従い……こってりと事情聴取を受けた。

 解放されたのは、日がすっかり暮れた後だった。
 由布子はどうしてももう一度家に戻ると言い張るので、奈津美と蓮も同行した。
「この場合、どういう状況なんだろうね」
「木村さんは被害届を出してた?」
 蓮の言葉に由布子は、
「いえ……」
 沈んだ瞳でそう答えた。
「木村さんはどうしたい? あの男と別れたい? それとも、やり直したい?」
「え……?」
 蓮の言葉に、奈津美は戸惑った。
「やり直すって……。ありえないでしょ!」
「そんなの、オレたちにはわからないことだろう。木村さんが決めることだし。で、木村さんはどうしたい?」
「わたしは……」
 この一週間、あの男から離れて、由布子なりに悩んだだろう。
 だれに相談できることなく。
 でも、恐怖の男の元から離れ、冷静に考える時間はあったはずだ。
「この一週間、穏やかに過ごすことができました」
 時折見せる淋しそうな瞳もあったけど、退院前は確かに穏やかな瞳をしていた。
「でも……やっぱり……。孝祐がいなくて、淋しかったんです」
 奈津美は驚いた。
 自分が同じ立場だったら……逃げる。
 由布子の言葉に蓮はため息をついて、
「あの男は、反省してないみたいだぜ」
「え?」
「木村さんがいくらやり直そうと思っても……。あいつはそうは思っていない」
「どうしてわかるの?」
 奈津美は先ほど蓮に腕を振り払われたのがショックで、蓮に近づけないでいた。
 それでも蓮に食ってかかる。
「木村さんがやり直そうって言ったら、あの人だって……!」
「無理だよ、それは。決めつけるわけではないけど、あいつは……無理だ」
「いえ。わたし、信じます」
 由布子は強い光を宿した瞳を蓮と奈津美に向けた。
「孝祐がああなったのは……わたしのせいなんです。だから……わたし、やり直します」
「そうか。木村さんがそう結論を出したのなら、やり直せばいい。ただ……奈津美に、経過を知らせてくれないか?」
「え?」
 蓮の意外な言葉に、奈津美と由布子は驚いた。
「オレに直接は言いにくいだろう? 奈津美もやきもち焼くからな」
「や、やきもちなんて焼かないよ! よっぽどさっきの彼に嫉妬する!」
「はあ?」
 奈津美はずっと我慢していたことを吐きだした。
「だってさっき、手を振り払われた! 私よりあいつを蓮はとったんだよ!?」
「………………」
 蓮は頭を抱えた。
「あ、あのな……奈津美」
「ひどいよ! 私の手を振り払うなんて!!」
 奈津美はぼろぼろと泣き始めてしまった。
「怖かったのに! 私、怖かったのに!!」
 奈津美は号泣しはじめてしまった。
「あ、あの……。奈津美、ごめんな?」
「蓮なんて、嫌いよおおお!」
 蓮はおろおろしている。
「蓮の馬鹿!!!!」
 蓮は奈津美を抱きしめていいのか、悩んでいる。奈津美は全身で拒否しているのがわかったからだ。
「な、奈津美……。ごめ……」
 謝ろうとしたら、由布子にきっと鋭い目で睨まれた。
「小林さん、泣きやんで」
 由布子はそう言って、奈津美をそっと抱きしめた。
「わたしのせいで……その、ごめんね」
「う……。木村さん?」
 奈津美はしゃっくりを上げながら、由布子を見た。
「大丈夫よ。心配しないで。佳山さん、あなたのことをすごく心配してくれてるよ」
「嘘だ」
「嘘じゃない! オレは……奈津美が一番なんだ!」
 蓮は叫んだ。
「じゃあ、なんで手を離したのよ!」
 奈津美は由布子にしがみついて、叫び返した。
「危ないだろう!?」
「危なくないよ! だってあのナイフ、ダミーだもん」
「へ?」
 奈津美の言葉に蓮と由布子は目を点にした。
「あのナイフ、本物じゃないよ! 手品用のナイフだよ! この間の新年会で同じものを使ったもん!」
「…………はい?」
「そんなものも見抜けないなんて、蓮、さいてー!」
 奈津美に最低と絶叫され、蓮は今日で一番ダメージを受けていた。
「小林さん、佳山さんが……たそがれてるよ?」
「いいの。私の方が……傷ついた」
 奈津美はようやく泣きやんだようだ。
「木村さん、ごめんね。でも、木村さんの胸の中、なんか落ち着く」
「あはは。孝祐にもよくそれ、言われる」
 由布子は赤くなっていた。
「うふ。その顔、いいな」
「え?」
 由布子は奈津美の言葉に驚いて、目を見開いた。
「それに、その驚いた顔。かわいい」
 奈津美の言葉に、由布子の目がさらに丸く見開かれた。
「孝祐と同じこと……言うのね、小林さん」
「そうなんだ。ありゃ私、男なのかな、そういう視点」
「そうかもな」
 蓮は奈津美の後ろに立ち、そう言った。
 由布子は奈津美を離して、蓮に奈津美を渡した。
 蓮はぎゅっと奈津美を抱きしめる。
「やだ!」
「やだ、じゃない。……ごめん、奈津美」
 蓮はギュッと奈津美を抱きしめる。
 奈津美は蓮の腕の中で身体を固くした。
「オレが悪かった。もう、手を離さないから」
「ほんと?」
「約束する。離さない」
 奈津美は蓮を見上げた。
 蓮の真摯な瞳がそこにはあった。
「ごめん……」
 奈津美はふぅ、とため息をつき、
「今回に限り、許してあげる。でも、次はないからね!」
「許してもらえるのはうれしいけど……」
「なに? 次もまたなんかあるっていうの!?」
「あ……。いえ、アリマセン」
 蓮のその言葉に、奈津美は笑った。
「じゃあ、木村さん。おうちに戻って服をとって、マンションに戻ろうか」
「え?」
「え、じゃないよ! だって木村さん、私たちにご飯を作ってくれるんでしょ!?」
「あ……」
「ささ、早くいこ!」
 奈津美は蓮の腕を掴んで、歩き出した。
 由布子はそんなふたりを見て、クスッと笑った。





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