『愛してる。』


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愛してる。06



 しばらく奈津美と由布子は他愛のないことをしゃべっていたが、友也はまったく口を開かず、ぼーっと由布子を眺めていた。
「木村さん、そろそろ帰るね」
 奈津美は時計を見て、結構時間が経っていることに気がついた。
「明日もがんばって定時で上がってくるね。なにかほしいもの、ない?」
「あ……でも、悪いですよ、毎日来てもらうの」
「気にしないで。好きで来てるんだし。あ、それとも私が来るの、迷惑だった?」
 奈津美の言葉に由布子は慌てて、
「いえ、そんなことないんです! 来てもらえるの、すごいうれしいんですが……。忙しいのに無理させてるんじゃないかって」
「うーん、無理はしてない。その方が仕事がはかどるし」
「あ……。それなら……来てもらって……いいですか?」
「うん、よろこんで。私、一人っ子だから、なんか妹ができたみたいでうれしいのよ」
 それは、奈津美の本音でもあった。
 由布子と今日、話をして、思った以上に楽しかった。
 なんとなく昔から知っている人のようで、話しやすくてまた来たいと思った。
 最初は正直、面倒なことに巻き込まれたな、としか思っていなかったのだが。
 それに……たまに見せるあのなにも感情をうつしていない瞳も気になって。
「実は……ちょっと心細かったんです」
 由布子は今まで見せたことのない悲しそうな表情で奈津美を見ていた。
「ごめんね。そんな表情しないで。退院するまでがんばって毎日顔を見に来るから」
「……すみません……」
 奈津美は少しなごり惜しさを感じながら、また明日も来ると約束して、病室を後にした。
「ともくん?」
 放心状態の友也に奈津美は声をかけた。
「うん?」
 返事は、上の空だ。
「なに? 木村さんに一目ぼれでもした?」
 奈津美のこの問いに、友也はみるみる真っ赤になった。
「う……わっ! そんなんじゃ……!」
「ふーん」
 奈津美は友也の反応が楽しくて、ついついからかいたくなった。
「彼女、かわいいよね」
「……………」
「でも、彼氏いるみたいだよ?」
「え……?」
 その言葉に、友也はぷしゅーっと音がしそうなくらい、小さくなった。
「盛り上がってるところ申し訳ないけど、先にこういう大事なことは言っておいた方がよいと思って」
「……………」
 今度は別の意味で、無言になった。

 あーあ、と思いつつ、奈津美と友也は奈津美のマンションへと行った。

 帰ると、玄関にはすでに蓮の靴がきれいに並べて置いてあった。
「ともくん、ご飯食べて帰る?」
 奈津美は靴を脱ぎながら、聞いた。
「え、いや」
「おかえり。山岸、ありがとう。ご飯食べてくか?」
「ただいま。うん、私も今、誘ってたところ」
 蓮は友也のあまりの消沈ぶりになにか感じたらしく、無理やり家に上げた。
「正直、あまりあげたくないんだが。奈津美をきちんと送ってもらった礼もしたいしな」
 とぶつぶつ言いながら料理をしている。
 奈津美も着替えてきて、蓮の手伝いをした。

 友也はしょんぼりとソファにひとり、座っている。
「あれ、どうしたんだ?」
 蓮が小声で聞いてきた。
「うん、一目ぼれして次の瞬間に失恋」
「は?」
 奈津美はこそこそっと今日の病室での様子を話して聞かせた。
「……そうか……。しかし、ここで山岸に諦められると……オレが困る」
「なんで?」
「いつまでも奈津美を想われておかれるのも、癪だから」
「そこまで嫉妬する?」
「する。あいつはオレの知らない奈津美をたくさん知ってるんだ。嫉妬しないわけ、ないだろう」
 と言われても。
 蓮は奈津美の耳元で、
「なんならここでキスしてもいいんだぜ?」
「!」
 奈津美は蓮から少し引いた。
「オレはイライラしてるんだ」
「ま、まあまあ……落ち着いて?」
 奈津美はなんとなく身の危険を感じた。
「……奈津美がそう言うのなら」
 蓮は大きく深呼吸してから、また耳元で、
「でも……覚悟しておいてね」
 奈津美はその意味に少し青ざめた。
「大丈夫、やさしくするから」
「そう言う問題ではなくてっ!」
 奈津美は真っ赤になって怒った。

 ふとコンロを見ると、鍋が噴いていた。
「あ」
 奈津美は指差して蓮に教えた。
「やばっ」
 焦ってガスを切り、鍋の中を確認していた。
「大丈夫?」
「うん」
 奈津美はテーブルを拭き、食卓の準備をし、蓮は料理をよそおい、お皿を並べた。
「ともくん、ご飯食べよ」
「あ……ああ」
 のろのろと友也はテーブルに着き、並べられた料理を見て、驚いていた。
「これ、なっちゃんが?」
「そんなわけないでしょ。蓮が作ったの。私は手伝い」
 友也は蓮を見て、
「……それで嫁か」
「そうだよ」
 蓮は不機嫌な顔をしている。
「食べよ?」
 三人はいただきます、と言って食べ始めた。

 友也は一口食べて、
「美味っ」
 と言うと、がつがつと食べていた。
「ご飯、おかわり」
「おまえには遠慮と言う文字はないのか?」
 蓮は友也の食べっぷりにかなり呆れている。
「俺もこんな美味い料理を作ってくれる嫁がほしい」
「蓮は奈津美のだから、ダメだよ」
 奈津美の言葉に男ふたりは驚いた。

 友也は奈津美がそう自己主張するのが珍しいのを知っていたし、蓮もそれを知っていたからだ。
「佳山がこんなに料理上手なのを知ってたら、もう少しやさしくしておくんだった」
「男はお断りだ」
「そうか。残念だ」
「だめ」
 奈津美は涙目になっていた。
「奈津美?」
「ともくんでも、蓮だけはだめ」
「なっちゃん、本気にした?」
「冗談でもだめ」
 奈津美は泣きそうな顔で友也を見た。
「奈津美?」
 蓮はあわてて奈津美を見た。
「だめだからっ」
 奈津美はそういって蓮に抱きついた。
「奈津美……」
 蓮は奈津美をやさしく抱きしめ、髪をなでた。
「見せつけるなよ」
 友也は軽くそう言うが、自分の発言のせいなのが分かって、かなり困っている。
「あ……俺、帰るわ。ごちそうさま」
 友也は残りを急いで食べ、席を立った。
「すまない、見送れなくて」
「気にするな。あの、なっちゃん、ごめんな」
 奈津美は聞こえてないのか、友也に顔も向けない。
 友也も分かっているのかそれだけ言うと、帰っていった。
「奈津美?」
 蓮はやさしく奈津美から離れ、顔を見た。
 涙に顔が濡れていた。
「だめ。蓮は……私のものなの」
「心配するな。オレは奈津美だけのものだから」
「本当?」
「ああ。約束するよ」
 蓮は苦笑した。
 女に対しては嫉妬しないのに、なんで男相手に冗談でも嫉妬するんだろう。
「ほんと、面白いな、奈津美は」
 くすくす笑う蓮に、奈津美は怒った。
「笑い事じゃないよっ!」
「女相手じゃなくて男に怒るから、そりゃあ笑うさ。あり得ないだろ」
「そんなことないよ! ともくん、蓮のこと好きなんだよ!」
 奈津美の言葉に蓮は心底嫌そうな顔をした。
「冗談でもそんなこと、言わないでくれ」
「だって」
「奈津美、オレはおまえだけだ。だから心配するな」
 そう言って深いキスをする。
「んっ……」
 奈津美の口から思わず甘いため息がもれる。
「なんか変なの。オレがあいつに嫉妬していたはずなのに、奈津美まで嫉妬するなんて」
「変じゃない!」
 奈津美は泣きながら、
「女相手だったら勝てるよ。でも、男相手はどう闘ったらいいのか分からないから」
「なんで男相手に勝負するんだよ……」
 蓮は呆れた。
 奈津美のこういう時の思考回路がたまに分からない。
「とにかく。間違っても男はあり得ないから!」
「……ほんと?」
「ほんと」
 奈津美はじーっと蓮を見つめた。
「だって蓮、ともくんにやさしかった」
「あのなあ……」
 蓮はため息をつき、
「野郎はどうでもいいの。でも今日は奈津美のことをお願いしただろ? 礼くらいする」
「……うん。ってあれ? ともくんは?」
「帰った」
 奈津美は友也が帰ったことに気がついてなかったらしい。
「奈津美はほんと、おもしろい。それにさっきはかわいいのが見れたし」
 蓮は微笑みながら、奈津美の髪を撫でた。
「笑わないでよ……」
 蓮は奈津美を抱き寄せて、
「オレはずっと奈津美のものだから。安心して」
「うん……」
 奈津美は蓮の腰に手を回し、見上げた。
「蓮、大好き」
 蓮は奈津美の言葉にどきっとした。
「奈津美……愛してる」
「この気持ち……愛してるって言うのかな?」
 奈津美は呟いた。
「ねぇ、蓮。“愛してる”ってどんな感じ?」
 蓮は少し考えて、
「オレのこの気持ちがみんなの“愛してる”と一緒かどうかは分からないけど」
 と前置きして、
「大好きとはまた違って……愛しくて……」
 苦しそうに、
「なんでオレと奈津美は別々なんだろう、と。どうしてひとつではなくて別れてるんだろう。そう思うと……切ない気持ちになる」
「うん、その気持ちはよく分かる。たまになんで別々なんだろう、と思う」
 でもね、と奈津美は続ける。
「別々だからこそ、こうして逢えて、愛を語り合えるんじゃないのかな?」
 奈津美の言葉を受けて、蓮は口を開く。
「元々はひとつだったって奈津美は思う?」
「分からない。でも、一緒にいるとすごく安心するの。心が安定するというか」
「その割には……なんかよく泣いてるような気がするんだが」
 笑っている顔と同じくらい泣き顔を見ているような気がする。
「そ……! それは!」
 蓮の言葉に奈津美は真っ赤になり、
「蓮が悪いんだよ!」
「オレ? オレのせい?」
 心外だ、といった表情で蓮は奈津美を見る。
「蓮といると……安定もするけど、でもそれ以上に心が揺さぶられて……。毎日どきどきの連続だよ」
「うん、オレも。毎日奈津美を見ていたら、どきどきはらはらする。見てて飽きない」
「なんか……動物を見るような目で言われても……」
 奈津美はぷーっとふくれて、すねた。
「動物……うーん、珍獣だな」
「やっぱり私、見世物客寄せパンダなの!?」
「残念ながら、パンダクラスの珍獣だな」
 奈津美は蓮がにこにこしながらパンダと戯れている様子を想像して、なぜかパンダに嫉妬した。
「パンダはいいから! 私を見てよ」
「だから……なんでそこでパンダに嫉妬する? 奈津美……ほんとその思考、わけが分かんないぞ」
 蓮は奈津美を見つめながら、苦笑する。
「だから、闘い方がわからない相手には嫉妬するの!」
「オレが道を歩いていてたとえば電柱に一目ぼれしたとしたら?」
「……電柱に嫉妬する。それでその電柱、壊す」
「道端ですれ違った女にオレが一目ぼれしたら?」
「……それは絶対にありえない。仮にあっても、全力で闘う」
 奈津美の答えに蓮はますます苦笑する。
「奈津美はほんと、おもしろいな。電柱は破壊するのが闘うことなのか?」
「電柱相手は闘えない。だから蓮の目に二度とはいらないようにするの」
「過激な発言だな……。じゃあ、女相手なら?」
 奈津美は少し悩んで、
「うーん……。蓮を説得するかなぁ……。でも人を『好き』って気持ちは強制できないから……困ったな。どうしよう。でも、全力で闘うよ!」
「してない浮気を心配するより、自分のことを心配しろよ」
「なにを? 私、絶対他の人、好きにならないよ! 蓮以上に好きになる人、絶対いないよ」
「どうしてそんなに強く言えるんだ?」
 奈津美は恥ずかしそうに、
「だって、蓮は私の理想が服着て歩いているんだもん」
「は?」
 奈津美の言葉に蓮はきょとんとした。
「タバコ吸わなくてお酒飲まなくて、家事全般すべてできて、美人さんだし、スーツ似合うし眼鏡かけてもかっこいいし、なんたって私の大好きなこの手!」
「…………………」
「そんな人、そのあたりにごろごろしているわけないじゃない!」
 奈津美は蓮の手を取り、愛しそうにすりすりしている。
「あー、この手。落ち着くなー」
「もしかして……オレ本体よりその手が好きだったりする?」
「ううん、全部好き。だーい好き!」
 無邪気に笑っている奈津美をかわいいとは思うものの、やはりなんとなくついていけない。
 それでもそんな奈津美が愛しくて……蓮は抱きしめた。





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