『愛してる。』


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愛してる。04



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 次の日、ふたりが会社に着き、自席に着くと。
「なにこれ?」
 机の上に、山のような……。
「どうみてもこれ、ゴミ、だよね?」
 紙屑が置かれていた。
 奈津美の机の上にだけ、こんもりと。
「おはようございます?」
 友也が出社してきた。
「山岸さん、これ」
 奈津美は自分の机の上を指さした。
「小林さん、なに? ……あ」
 友也の顔色が、変わる。
「なに?」
「あ……。あいつ……!」
 今にも走りだしていきそうな友也を、蓮が腕を掴んで止めた。
「待て。なにがあったんだ」
 友也は腕を振り払おうとしたが、思った以上に強く腕をつかまれていたようで、振り払えなかった。
「離せよ」
「おまえ、心当たりがあるんだろう。話せ」
「いやだ。なんでおまえに話さないといけないんだ」
 友也は必死で振り払おうとしている。
 蓮はそれを冷めた瞳で見つめている。
「山岸さん、知ってるのなら話して? 当事者は私よ」
 奈津美の言葉に、友也は諦めた。
「……わかった。話すから、離せ」
 蓮はその言葉に、友也の手をぱっと離した。
「おっと」
 反動で友也は少し、後ろに下がった。
「見た目によらず、力強いな」
 友也はつかまれていた腕をさすりながら、言った。
「親父に柔道習ってたから」
「はあ!?」
 蓮の父親を奈津美は思い出して、思わず素っ頓狂な声を上げていた。
「蓮のお父さん、柔道の師範……」
「オレ一応、黒帯」
「黒……。うそ。知らなかった……」
 蓮のこと、知らないことばかりだ。
「まあ、大したことないよ」
「いや、大したことでしょ!?」
「それよりも、今はそんな話より……」
 蓮はそう言って奈津美の机の上を指さした。
「これ」
 蓮と奈津美は同時に友也を見た。
「おまえら……息が合いすぎだろ、そのタイミング」
「そう? そういえばなんかそういう突っ込みをいろんな人からされるけど、あまり意識したことないなぁ……」
「仲のいいところを見せつけるんじゃない」
 友也は少しいらっとして、腕を組んだ。
「まあいい。昨日、ふたりが病院に行っているときに、なんか知らない女が来て、なっちゃ……いや、小林さんのこと、聞いて行ったぞ」
「だれ、それ?」
「さあ? ちょっと暗い感じのする……いやーな空気をまとった女だったなぁ」
 奈津美と蓮は顔を見合わせた。
「で、それだけしか情報がないのに、なんでそいつとこれを結びつけた?」
 蓮の言葉に友也は頭をかき、
「山ちゃんが俺とその女が話しているのを見て、『意外な人と知り合いなんだな』というから知らないけどなんで? と聞いたら、いろいろ教えてくれたよ」
 蓮は目で続きを促す。
「社内では有名な人なんだって? 名前が……松……」
「松尾依子?」
 奈津美の声に、
「そうそう、それそれ!」
 奈津美と蓮はまた、顔を見合わせた。
「いやぁ、あの目は……寒気がしたね。なんか、尋常な目つきじゃなかったぞ」
 前情報を知らずに見た人間でもそう思うのだから……。
「やばいな……」
 どうしたものか。
 相手の出方がわからず、怖い。
 奈津美は自分の身体を無意識に抱きしめていた。
 蓮はそれに気がついたが、ここは社内の上、友也がいる。
 抱き締めたかったが、悩んで……やめておいた。
 今の状況でこれ以上、波風立てるのもよくない。
「犯人はとりあえずわかった」
 蓮はデジカメを取り出し、状況証拠の写真を撮り、奈津美の机の上を片づけた。
「どうでるかな……」
 片付け終わり、腰を落ち着けて蓮は悩む。
「一之瀬さん……」
「え?」
 意外な名前に蓮は驚いた。
「一之瀬さんって人事部?」
「らしい。人事部ってあまりかかわらないからオレもよくわからないけど」
 奈津美は内線番号表を取り出し、どこかにかけていた。
「ホテル事業部の小林です。お久しぶりです、今、お時間あります? はい、はい、じゃあ、今から伺います」
 電話を切り、奈津美は立ち上がった。
「蓮、行くわよ」
「え? どこに?」
「一之瀬さんのところ」
「なんで?」
「いいから。さっきの写真も持って」
 奈津美に言われるまま蓮は準備をした。
「山岸さん、ちょっと人事部行ってくる。たぶんすぐに戻ってくると思う」
「はーい、わかりました、小林かちょー」
「課長はいりません!」
 奈津美は冗談で怒って、友也もそれがわかっていて、ひらひらと手を振ってくれた。
 奈津美と蓮は人事部へ行った。
 人がいるのに、人がいる気配のしない、不思議な部署。
 静かを通り越して……沈黙が怖い。
 一之瀬はふたりの姿を認めると、戻るように指示をしてきた。
 一之瀬は慌てて席を立ち、ふたりのところへ行き、
「ちょっと今、まずいんです。ここで話できないので、上の階の部屋を借りました」
 こそっといい、一之瀬は先に立ち、歩き始めた。
 ふたりは疑問に思いつつ、一之瀬についていった。

 階段で上の階に行き、部屋を確認して一之瀬が入ったので、後に続いた。
 ドアをきちんと閉め、一之瀬はソファに身体を預けて、ふぅ、と息を吐いた。
「お久しぶりです、一之瀬さん」
「ああ、結婚、おめでとう。なかなか挨拶にいけなくて、すまないね。それに、小林さんは課長で蓮は課長補佐だって? 昇進もおめでとう」
「ありがとうございます。一之瀬さんのおかげですよ。こちらも挨拶にいけなくて、すみません」
 奈津美はずっと一之瀬のことが気になっていた。
 あの第四課から脱出して以来の再会となる。
 挨拶にいかなきゃ、と思いつつも、あの頃を思い出してしまい……なかなか足が向かなかった。
 たぶん今回のことがなかったら、もっと先になっていただろう。
 今思い返せば、あの頃はあの頃で楽しかった。
 つらかったけど、充実していたな……。
「あの頃はあなたたちにとってつらかった思い出しかないと思いまして。なかなかわたしの顔を見るのもつらいだろうなと思って、遠慮していました」
「そうですね……。つらかったけど、今思い返すと、あれはあれでいい思い出です。なかなか経験できないし」
 あはは、と笑ったけど、なんとなく空笑いっぽくなってしまった。
「で、そんなおふたりがわたしになにか?」
「あ……それが……」
 奈津美はどこから話していいのか、なにも考えないで一之瀬に会いに来てしまったことを少し後悔した。
 一之瀬に話して……どうなると思ったのだろう。
「小林先輩が話しにくいのなら、オレから話そうか?」
「あ……」
 その方がいいかも、と思い、お願いした。
「昨日の騒ぎ、一之瀬さんはご存知ですか?」
「昨日? ああ、在庫管理部の子が救急車で運ばれたっていう話ね」
「その現場にオレたち、たまたま居合わせたんです」
「また災難だねぇ……」
 一之瀬はそこで、眼鏡を人差し指で押し上げた。
 久しぶりに見る一之瀬さんの癖だー、と奈津美はぼんやり思っていた。
「その彼女、とある人に叩かれて……それでバランス崩して頭を壁にぶつけて脳しんとう起こして……」
「ああ……。実は今、そのことで人事部でもめてまして」
「もめてる?」
 あの妙な空気はそういうことだったのか?
「要するに、その彼女をたたいた犯人探しですよ」
「あ……」
 奈津美と蓮は顔を見合わせた。
 由布子は一週間、脳しんとうで入院するのだ。
 貧血などで倒れて頭を打ったのではなく、明らかに他人の手が介在しての入院。
「蓮が持ってきた診断書を見て、人事部は大騒ぎですよ」
「大騒ぎなんですか?」
「そう。静かなもんでしょう? 普段は人事部、賑やかなんですよ。それがあの沈黙。騒ぎですよ、あんなに静かなのは」
 普段縁のない部署だけに、そうなんですか、としか言えない。
「診断書、なんて書いてあったんですか?」
「左頬の腫れと脳しんとうのことが書かれていました。だれかに叩かれふらついて壁に頭をぶつけたための脳しんとうで入院一週間」
 特に医者に診断書の内容を指示していないから、それは素直に医者も書くよなぁ……。
「ところであなたたちふたり、現場に居合わせたといいますけど、犯人に心当たりは?」
「実は……そのことで相談に」
 奈津美と蓮は代わる代わる、補足し合いながら一之瀬に事情を話した。
 そして、蓮は今日の朝の奈津美の机の上の惨状と友也の話を合わせてした。
「あー……。彼女ですか……」
 一之瀬もさすがに知っているようだった。
「彼女の苦情、多いんですよ……。最近はあまり聞かなかったので落ち着いているなあと思っていたのですが……」
 一之瀬は困ったように眼鏡をまた押し上げた。
「彼女、簡単に首にできないんですよ……」
 一之瀬は心底困ったような、泣きそうな顔をしていた。
「いろいろと大人の事情というやつがありましてね……。あの人を首にしたら、いろいろ厄介なんです」
 それで好き放題やっているのか……?
「あああ、本当に……困りましたねぇ……」
「それは人ひとりの命がかかっていても?」
 奈津美の言葉に一之瀬はさらに困り、
「天秤にかけられないことを聞かないでください……。人命第一なんですが……」
 歯切れの悪い一之瀬の言葉に、奈津美と蓮は困ってしまった。
 別に一之瀬に話したから一刀両断で即解決、とは思っていない。
 しかし、ここまでとは思わなかった。
「……わかりました」
 一之瀬はそう言って、また眼鏡を押し上げ、
「あなたたちふたりに彼女をさばく権利を差し上げます」
「さばく権利?」
「結果的にはあなたたちを悪者扱いにしてしまうような気がしますが……。背に腹はかえられません。それに、あなたたちならうまくやってくれるような気がしますからね」
「「かいかぶりすぎですよ、一之瀬さん」」
 奈津美と蓮は同時に同じことを言っていた。
「いやぁ、息もぴったりで。これまたうらやましい」
「あ……」
「彼女のことはずっと人事部で問題視されているんです。ただ、下手に手を出すことができないんです」
 事情がよくわからないけど、一ノ瀬が言うように「大人の事情」というやつがあるらしい。
「おふたりとも忙しいのは知っています。が、あえてわたしからのお願いです。彼女を……救ってあげてください」
「救う?」
 奈津美と蓮は顔を見合わせた。
 今日で何度、そうやって見合わせただろう。
「昔は……彼女も普通だったんです。あの出来事が起こるまでは」
 そう言って、一之瀬は話始めた。
「松尾さん……昔は中林という苗字でした」
「え?」
「彼女、離婚しているんです、五年ほど前だったかな?」
 かなりプライバシーに踏み込んだ話で、奈津美と蓮は聞くのを躊躇した。
「あの……一之瀬さん、話していいんですか?」
「うーん、本当はアウトなんですけどね。でも、この情報がないと、あなたたちが困るでしょ?」
「そうな……あ」
「気が付きましたか?」
 奈津美と蓮は中林という名前にピンときた。
「中林って……」
「そうです、前の社長の苗字と一緒でしょ?」
「……………」
「五年前といえば」
 蓮の言葉に、一之瀬はうなずき、
「そうです。あの巨大売春グループの活動が活発化する時期と一致するんです」
 なんか、話が……大きくなってきているような気が。
「松尾さんと中林元社長が離婚してから……それからですね、活動活発化と松尾さんがおかしくなったのは」
「オレが……あいつの悪事を暴いたせいで、松尾さんがますますおかしくなったってことか?」
「まあ……少なからずとも影響はあったでしょうね。でも、それで蓮、あなたが責任を感じることはないんですよ。あなたのやったことは正しいのですから」
 一之瀬の言葉に、蓮は眉根を寄せる。
「それにね、だれかがやらなければいけなかったことなんです。わたしは感謝しているんですよ、蓮」
「一之瀬さん?」
 奈津美は驚いて、一之瀬を見た。
「わたしの姪っ子が……助かったんですよ。危ないところだったんです」
 あの事件は……さまざまなところに傷跡を残している。
「そんなあなたたちにさらにお願いするのも心苦しいのですが、松尾さんを……救ってあげてくれませんか」
「どうやって……」
「うーん、それが分かれば、わたしが救いの手を差し伸べてるんですがね」
 そう言って、一之瀬は淋しそうに笑っていた。
 もしかして……一之瀬さん、松尾さんのことが好き……なのかな?
 一之瀬はプライベートな話を一切しないので、家族構成や彼女の有無など、奈津美は知らない。
 ただ、あまり所帯持ちな空気は持っていないので、独身なんだろうなと勝手に思ってはいる。
 少し神経質そうだから女の人が近づきがたいのかもしれない。
「ま、一之瀬さんのたっての頼みってなら、仕方がないな。乗りかかった船だし」
「蓮ならそう言ってくれると思いましたよ、ありがとう」
 そういって一之瀬は頭を下げた。
「一之瀬さん、困りますよ、頭下げられても」
「お願いしますね、蓮、小林さん」
「あ……はい……」
 そう言って、一之瀬は立ち上がった。
「今度、お礼をしますよ」
 奈津美と蓮もつられて立ち上がった。
「いや……。一之瀬さんに貸しを作ると大変そうだから、遠慮しておく」
「まあ、そう言わずに」
 そういって笑う一之瀬が……怖いっ!





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