失恋から始まる恋もある


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《三十九章》「嫌がらせ」



「さて、どうしようか」
 奈津美と蓮は駅に向かいながら、これからどうするか考えていた。
「電車は動いてるの?」
「うん、初詣客向けに」
「アパートに帰ろう。眠い」
 奈津美の顔を見たら、確かに眠そうな顔をしていた。
 蓮は奈津美の耳元で、
「今夜は寝かさないよ」
「なっ、なにっ!?」
 奈津美はいきなりそんなことを言われたのと内容に驚いて、蓮に顔を向けた。
「あっ」
 振り向いた奈津美のおでこにキスをしてきて、にやっと笑った蓮と目があった。
「目、覚めた?」
「~?っ!」
「寝かさないって言いたいところだけど、オレも眠いから、帰ろう」
 奈津美はその言葉に明らかにホッとしていた。
「なに? 本気にした?」
「ちょっと」
「奈津美が望むのなら」
 蓮はやさしい。いつでも奈津美の気持ちを優先してくれる。
「蓮、疲れない?」
「なにが?」
「なんかさ、いっつも自分のことより私の気持ちを優先してくれるでしょ」
 奈津美の言葉に蓮は笑った。
「そうでもないよ。だってさっきの婚姻届もオレが勝手に出すって決めたし」
 オレさまな時もあるけど、きちんと気遣ってくれる。さりげないやさしさがうれしかった。
 ホームで電車を待っていると、あまり会いたくない人に出会ってしまった。
「あら、佳山くんに……だれでしたっけ? こんな時間にここにいるって今までお仕事?」
 同じ会社の松尾依子(まつお よりこ)だった。
 蓮にいつも色目を使っていて、そういうのに鈍い奈津美でもわかって、うんざりしていた。明らかにわかっていてそう言っているのがわかり、奈津美は口を開きかけた。
「今、役所に婚姻届を出してきたんです」
 蓮は満面の笑みで答えた。
「へぇ、婚姻届……って、ええええッ!?」
 依子は予想外の答えにかなり動揺していた。
「婚姻って、どなたの?」
「オレと小林先輩の」
 蓮の会心の笑みに奈津美は笑った。依子は固まっていた。
「あたしがいながら!?」
 依子は蓮に詰め寄った。
「あの、松尾さん」
 蓮はうんざりした面持ちで松尾を見た。
「あんたが率先して小林先輩のことを嫌がらせしているの、オレ、知ってるから」
「!」
 さっきとはうってかわって蓮の氷よりも冷たい表情を見て、依子は泣きそうな顔をして、無言で立ち去った。
「知ってたんだ」
 奈津美は冷たい表情の蓮の横顔を見ながら、呟いた。
「あ、うん。知ってた……。ごめん」
 電車に乗り、アパートの最寄り駅で降り、道を歩きながら蓮が口を開いた。
「奈津美、怒ってる?」
「ちょっと」
 嫌がらせと言っても、ささいなことばかり。奈津美は気にも止めていなかった。
 それが向こうはさらに腹がたったみたいだったが、相手にしないのが一番なのを知っていた奈津美は、ずっと無視していた。
「私、あんなの全然気にしてない」
「余計なことだった?」
 奈津美はちょっと考えて、
「余計とまでは言わないけど、知っていたのなら言ってほしかった」
「それはオレのセリフだ」
 蓮の言葉に奈津美は立ち止まった。
「なんて言えばいいの? 『私が蓮と付き合っているから嫌がらせされてます』って言えば良かった? そんなこと言われて、蓮はうれしい?」
 奈津美はうつ向いていた。蓮は泣いているのかと思って、奈津美を見た。
「あんなの、放っておいていいのよ。いい大人なんだから、気がつけばやめたわよ」
 顔をあげた奈津美は、泣きそうな顔をして怒っていた。
「なんで怒ってるの?」
 蓮は戸惑った。怒りの矛先が自分に対しても向いていることに気がついたからだ。
「自分が情けないのっ」
 そう言って、奈津美は歩き出した。
「奈津美?」
 蓮は奈津美を追いかけた。足早に歩く奈津美に、蓮は少し走った。アパートについて、少し乱暴に鍵を開けて、奈津美は中に入った。
「新年早々、最悪」
 奈津美は着ていた服を脱ぎ捨て、着替えて化粧を落とした。蓮も着替えて、自分の服と奈津美の服を片付けた。
「あ、ごめん」
「いいよ。それより、ちょっと落ち着こう」
 奈津美はテーブルに座った。蓮は少し熱いお茶を入れて奈津美の前に置いた。
「あの、ごめんなさい」
 奈津美は小さく謝った。
「なんでそこで奈津美が謝るの?」
 蓮はやさしく微笑んだ。
「謝らないといけないのはオレだろ。オレのせいで奈津美は嫌がらせを受けていたわけだし」
「だから、蓮のせいじゃ」
 途中で蓮に唇をふさがれた。
「ちょっと蓮、話の途中!」
「オレ、今まで女なんてどうでもいいって思ってた。適当に遊んでればいいって」
 奈津美の耳に、嫌でも蓮のいろんな噂話が入ってきた。正直、あまり聞きたい話ではなかった。気が向けば遊んで、飽きたらぽい。顔に似合わずかなりひどいことをしてきたらしい。
「いつも女から言い寄ってきて、女には困らなかった」
 蓮としてもあまりこういうことは言いたくないんだろう。かなり話にくそうだったので、奈津美は止めようとした。
「蓮、いいよ」
「よくない。奈津美のことを大切に思っているから話してるんだ。けじめのつもりだから」
 お互い、気持ちがいい話ではない。でも、このタイミングでしておかなくてはならないから、今、話す。
「奈津美の耳にもオレのひどい話、入ってると思う。我ながらひどかったって思うよ」
 蓮は思い出し、苦笑した。

『あたしが一番って言ったじゃない』

『ひどい……』

『好きって言ったのは嘘だったの?』

 他にも色々言われた。
「でも、奈津美に逢って。自分の間違いに気がついた」
 女は道具ではないって。
「奈津美が嫌がらせを受けたのは、だからきちんとしてこなかったオレのせい。知っていてなにもしなかったオレって我ながら最低だと思う」
 蓮の言葉に奈津美は、
「蓮のしてきたことは確かに褒められたことじゃないし、むしろ怒らないといけないことばかりだと思う」
「う……。奈津美に正面からそう言われると、すごく痛い……」
「反省しなさい、反省」
「……はい」
 蓮はしょんぼりした。
「でも、それを知っても私、蓮のこと嫌いにはならなかった。最低だとは思ったけど」
「…………」
 とがめなれてないのか、蓮は少し涙目だった。
「知っていて付き合いを継続させていて、あまつさえ今日から夫婦になってしまったのだから、蓮だけの責任ではないでしょ?」
「でも……」
「デモもストもないっ!」
「奈津美さま、オヤジギャグすぎ、それ」
 蓮の突っ込みに、奈津美は赤くなった。
「過去には戻れないんだから、後悔するくらいなら、反省して態度で示せばいいのよ」
「そんな難しいことを」
「難しくなんてないわよ」
奈津美はにっこりと笑う。
「な、なにをすれば?」
「私以外の女は見ないことね」
 蓮はホッとした。
「なんだ。もっと無理難題を言われるかと」
「簡単なんだ。私の心はこんなにも嫉妬に狂っていると言うのに!」
 奈津美の言葉が意外すぎて、蓮はびっくりした。
「え?」
「私、蓮のことこんなに好きなのに。切なくて泣きそうなのに。蓮も好きって言ってくれるけど、次の瞬間にはふといなくなりそうで」
 奈津美は小さな声で、
「今、こんなに幸せだから、怖いの」
「いなくならないよ」
 本当に怖いのか、奈津美は少し震えていた。
「オレの方が怖いよ。奈津美に愛想つかされて嫌われそうで」
「なんで? 蓮のこと、大好きだよ」
 きょとんとした顔で奈津美は蓮を見た。
「あー、そんな顔、するなよ……」
 蓮は奈津美を抱きしめた。
「今夜は寝かさないよって冗談で言ったのが、冗談じゃなくなりそうだ……」
「うん、いいよ」
 奈津美は小さく答えた。
「手加減しないよ?」
「うん」
 奈津美の返事に蓮は戸惑いつつ、やさしくキスをした。蓮はやっぱり最初から最後までやさしくて、他の子たちにもやさしかったのかな、と思ったら、ちょっとチクッと心が痛んだ。
「今、他のこと考えてただろ」
 蓮の指摘に奈津美は赤くなった。
「図星だ」
「うっ……」
「お仕置き」
 そう言って、耳たぶを甘噛みされた。
「やんっ」
「なに考えてた?」
「聞きたい?」
 奈津美は上目遣いで蓮を見た。
「うん」
 奈津美は蓮の返事にため息をついて、
「……蓮は他の子にもやさしかったのかなって」
 奈津美の答えに、蓮は自分の頭をくしゃっとして、
「聞きたい?」
「……………」
 蓮はため息をついて、
「たぶん、やさしかったよ。……答えはこれでいい?」
 不機嫌な声に奈津美は気がついて、謝った。
「……ねーさんの教育の賜物」
 ぶすっとした声と言葉に奈津美は苦笑した。
「オレに女の扱いを教え込んだのはねーさん。男の気持ちも女の気持ちも分かるから」
「葵さん、ほんと言われても未だに信じられない」
「だろうね。女の仕草だとかものすごい研究してた。だからそのあたりにいる女より女っぽい」
 蓮の言葉に奈津美はぶーっとふくれた。
「どうせ私は女らしくないわよ」
「そう? ささいなことに嫉妬したり、」
 蓮の言葉の途中で奈津美は叫んだ。
「ささいなことじゃないよっ!」
「ささいなことだよ。今もこれからもずっと奈津美が一番だし、他のヤツなんて知らない」
 蓮はそう言って奈津美の髪をやさしくなでる。こうやってやさしくなでてくれるのが奈津美は好きだった。
 奈津美は蓮の手を取り、
「私、この手が好き」
「手だけ?」
 蓮の言葉に奈津美は赤くなりながら、
「全部好きだけど、一番好きなのは手なの」
「やっぱり奈津美、面白いや」
「?」
「手が好きなんて言われたの、初めて」
「うそ。私、男の人の手って好きだよ?」
 奈津美は蓮の手をすりすりしながら言った。
「フェチだ」
「えー。長い指に大きな手、蓮の手を見てたら、すっごいどきどきする」
 料理している手も、ご飯食べてるときも仕事しているときも。
「手を見てたら、顔が自然に緩んじゃう」
「おもしろ」
「蓮はそういうのないの?」
 奈津美の言葉にしばらく悩んで、
「ああ、奈津美のえくぼ」
「はへ?」
「えくぼがかわいい」
 そう言って蓮は奈津美の口の横をつんつんした。
「……分かんない、それ」
「手が好きってのがオレが分からないのと一緒だよ」
「うーん……」
 納得したような、してないような。
「あのさ……。オレ、奈津美が嫌がらせを受けているのを知ってたけど、奈津美ならどうにかできるって思ったから言わなかったんだぜ」
「あ、うん。分かってた。蓮って結構お節介だし」
「そうか?」
 蓮は面倒見がいいというか、サポート役の方が確かにあっているような気がする。
「秘書役だよね、どちらかと言うと」
「ああ、それはオレも自覚はある。今、奈津美のサポートしてるのが楽しいもん」
 今、蓮がいなくなったら、仕事もプライベートもずだずだになる。
「私のこと、見捨てないでね」
「まだ言ってるのか……」
 蓮は奈津美の言葉にため息をついて、
「なんて言ったら信じてもらえる? オレ、奈津美の側から離れないから」
「うん……」
 奈津美は蓮の言葉が信じられないわけではない。ただ、やはり貴史のことはかなり心の傷になっている。
「結婚してもまだ信じられない?」
 蓮の言葉に奈津美は首を振った。
「ごめんね、贅沢言ってる」
 蓮はやさしく奈津美の髪をなでた。


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