失恋から始まる恋もある


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《三十八章》「入籍」



 一緒にご飯を食べ、シャワーも順番に浴びて、まったりとテレビを見ながら過ごした。
「なんか、不思議だよね」
「なにが?」
「だって、去年の今頃はお互い知らない者同士だったのに、今はこうして一緒に年を迎えようとしてる」
「ああ。人生、なにがあるか分からないね、本当に」
 唇を重ねた。ふたりは見つめあった。お互いの瞳に、自分が写っていた。
「ふふ、蓮を見てるはずなのに、なんだか自分を見ているみたい」
 奈津美の言葉に、蓮も笑った。
「他人のはずなのに、他人じゃないみたい」
 奈津美の前に蓮がいるのは当たり前のような気がして、不思議になった。今までいなかったのが不自然に感じてしまう。知り合って、まだ一年も経たないと言うのに。
「よく考えたら私たち、出会ってから一年も経ってないよね」
「言われたらそうだ。なんか側にいるのが当たり前と言うか、自然だったから、気にしてなかった」
 同じ気持ちでいてくれたことがうれしかった。
「運命だとかって信じないけど、こうなるのは当たり前だったんだって思った」
 奈津美の言葉に蓮は少し笑って、
「なんとなく奈津美の隣は座りがいい」
「あ、しっくりくる」
「そう。奈津美の隣はオレ専用指定席」
「じゃあ、一生指定席にしてあげる」
 蓮は奈津美のおでこに自分のおでこをくっ付けて、
「オレの隣も奈津美さま専用にしておく」
「ふふ、ありがとう」
「オレを置いて、どこかに行かないで」
 蓮の瞳が不安に揺れる。
「どこにも行かないよ。蓮はずっと私についてきてくれるんでしょ? てかこのセリフ、普通は蓮が言うんでは?」
「それは男女差別だ。オレは奈津美についてくって決めたの」
 蓮の言葉に奈津美は不満の声をあげた。
「なんで私が先導するの?」
「奈津美がだんなでオレは嫁だから」
「えー。それってなんかやだ。三歩さがってついていきますなんて古いよ」
「古くないよ」
 奈津美は蓮の手をとって、
「蓮とは一緒に歩くの。でもたまに暴走するかもしれないから、その時は私の後ろを任せるから」
 貴史に振られた日。
 ゆっくりと後ろをついてきてくれて、すごく安心した。
「背中を任せられる人ってそうそういないから」
 全面的な信頼感がないと、任せられない。
「うん。逆の時は奈津美がオレの背中を守ってね」
「うーん、がんばる」
「なんでそこは即答で『はい』じゃないの?」
 蓮の抗議に、
「蓮には嘘をつきたくないから」
 奈津美は真っ直ぐな瞳でそう言った。
「良いこと言ってるんだけど、なんか違う……」
 時計を見ると、年が変わる少し前だった。
「今年も終わりか」
「早かったね。それに、今年は特別な年だった」
「奈津美に会えた」
 蓮に会えたから、今、こうして蓮の横で笑っていられる。
「出会いって不思議」
「だね」
 蓮は立ち上がった。
「?」
 疑問の視線を向けた奈津美に、
「着替えて。初詣に行こう」
 意外な言葉に、奈津美は驚いた。さっさと着替え始めた蓮に奈津美も従った。

   *   *

 外に出ると、思った以上に寒かった。
「うわっ、さむっ」
 奈津美はぶるっと震えた。蓮は奈津美の手を握った。
「寒いね」
「ね」
 寒空の下、遠くで除夜の鐘が聞こえる。
「まだ電車は動いているはず」
「え? この辺りのお寺に行くんじゃないの?」
「違うよ」
 蓮はそれ以上なにも言わなかった。奈津美は黙って蓮の隣を歩いた。
 駅につき、電車に乗った。二つ目の駅……つまり、会社の最寄り駅で降りた。
 時計を見ると、年が明けていた。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくね、先輩」
「!」
 蓮がプライベートで『先輩』と使うときはなにか企んでいるときだ。
「こ、こちらこそ今年もよろしく」
 駅を出て、会社とは反対方向に歩き始めた。
「ちょっと蓮、どこに行くの?」
「秘密」
 蓮は迷いもなくどんどん歩く。奈津美も黙ってついていった。ぱっと視界が開け、暗い中に見覚えのある建物が目に飛び込んできた。
「え、ここって」
 役所の建物だった。
「今から婚姻届を提出しようかと思うんだけど、覚悟はできてる?」
 いたずらな瞳で、蓮は聞いてくる。
 蓮は婚姻届を取り出して、
「この紙切れ一枚でオレと奈津美は他人から家族になる。いい?」
「いっ、いいに決まってるじゃない!」
 奈津美の言葉に、蓮はにっこり笑った。暗い中、外灯を頼りに時間外窓口を探す。
「こっち」
 蓮に腕を引かれ、奈津美はついていく。
 人ひとりが通れるくらいに狭い階段を降り、「時間外窓口入口」と書かれた紙が貼ってある扉を開く。中は薄暗く、寒かった。中に入り、きょろきょろと見回す。右側を見ると、窓口らしいところがあった。
「あの、すみません」
 窓口には少ししんきくさい面持ちをした男がつまらなそうに座っていた。蓮は無言で婚姻届と戸籍謄本を出した。男は紙を受け取り、一瞥して、ぼそっと
「おめでとうございます」
 とだけ言って、用紙をしまった。
「え? これだけなの?」
「ここは受け取るだけです」
 あまりにもあっさりで、奈津美と蓮は呆気にとられた。ふたりして来た道を戻り、階段を昇ったところで同時に笑った。
「なんか、拍子抜けしちゃった」
「だね」
「でも、役所の人がクラッカー片手に『おめでとうございます』も考えたらおかしいよね」
 ふたりは想像して、また笑った。
「役所の業務はおやすみだもんね。事務処理は年明けてからよね」
 ふふっ、とまたふたりで笑った。
「これではれて『佳山奈津美』になったわけですが、感想は?」
「うーん、実感、ないなあ」
 特になにか目に見えて変化があるわけでもなく。
「うん、オレも」
「これから、末永くよろしくね」
「墓の中まで一緒だな」
「うん、そうありたいね」
 それにはきっと、目に見えない努力が必要。
 蓮は奈津美にキスをした。
 どちらの姓を名乗るかを相談した結果、『佳山』姓を選択した。蓮は奈津美が一人っ子なのを考慮して『小林』でもいいと言ってくれたけど(『オレ、嫁だし』とも言った)、奈津美は『佳山』姓を選択した。
「佳山奈津美かぁ」
 ものすごくこそばゆい気持ちになった。


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