失恋から始まる恋もある


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《十九章》「手ひどい仕打ち」



 頼んでいたシーツがすべて、納品された。奈津美はすべてチェックして、貴史に連絡を入れた。
「ホテルに納入するには、どうすればいいですか?」
 久しぶりに見た貴史は、精彩に欠けていた。なんとなく聞こえてくる噂話が現実味を帯びてきた。
「あー……」
 めんどくさそうに貴史は答えた。
「ホテルにこの荷物、送っておいて。俺、連絡入れるから」
「あの、連絡は私が入れます。ホテルのだれに連絡すればいいのか、教えてください」
 あてにならないと思った。これが失敗したら、自分はおろか、このホテル事業部もどうなるかわかったものじゃない。ここで貴史にまかせておいたら、あとで後悔するだけでは済まない結果になりそうな気がした。
「はい、これ」
 貴史に名刺を渡された。
「俺、早退する」
 ふらふらと貴史は廊下を歩いて行ったが、途中でよろけて壁にぶつかり、そのまま座り込んだ。
「山本さん、大丈夫ですか?」
 奈津美は慌てて貴史に駆け寄り、立ち上がらせようと手を出した。貴史は奈津美の手首をつかみ、引き寄せた。
「ちょ……!」
 抱きしめられ、キスをされた。
「山本さん!!!」
 貴史からは大量のアルコールのにおいがした。
「やだ、やめて!」
「奈津美……。嫌がるなよ……」
 貴史は奈津美の耳元で囁いた。ぞわ、と奈津美は粟立った。
「俺とおまえの仲だろ……」
 そう言って、貴史は奈津美の制服を引き裂いた。制服の隙間から顔をうずめ、唇を這わす。奈津美は嫌悪感に身体が硬直した。
 そして手が伸びてきて、太ももをさわり、上へと進む。スカートを割って手が入ってきた。
「ちょっと!!! やめてください!」
 奈津美の悲鳴を聞きつけた社員が何名か駆け付けた。
「助けてください!」
 奈津美は必死に叫んだ。あんなに好きだったのに、今は触れられているだけで気持ちが悪い。
 青ざめた奈津美を見て駆けつけてきた社員はただ事ではないと思ったらしく、貴史から奈津美を救出した。
「小林さん、大丈夫ですか?」
 女性社員が奈津美の惨状を見て、あわてて席からひざかけを持ってきて、奈津美にかけてくれた。
「あ……はい……」
 奈津美はショックのあまり、それ以上言葉が出なかった。
 会社の廊下で……こんなこと……。恐ろしさに身体の震えが止まらなかった。
 奈津美は医務室に連れて来られた。
「先輩!」
 騒ぎを聞きつけた蓮が、医務室に迎えに来てくれた。
「蓮……」
 奈津美は蓮の顔を見て、ほっとした。
「先輩……」
「あ……」
 奈津美は自分がぼろぼろ泣いているのに気がついた。
「ごめんなさい……。蓮の顔を見たら、安心しちゃって……」
 無理やり笑おうとしていた奈津美を、蓮は思わず抱きしめていた。奈津美は少しびくっとして身体を硬直させたが、ふわっと蓮のやさしい香水の匂いに安心して、身体を預けた。
「無理して笑わなくていいから」
「ごめんね……」
 奈津美のつぶやきに、
「謝らなくていいから。先輩はなにも悪くない」
 蓮はやさしく、奈津美の髪をなでた。
 しばらくそうしていたが、奈津美は急に立ち上がり、
「蓮、ありがとう。元気になった!」
 まだ涙に濡れた顔をしていたが、どうにか笑えるまでにはなった。
「この借り、今度返す」
「あ、え、先輩!?」
「ごめん、仕事に戻る!」
 奈津美はそう言うと、医務室の先生にお礼を言い、部屋を出て行った。
「あの、先輩?」
 蓮はあまりのことに、ついていけてない。
「あの……。あ、ありがとうございます……?」
 蓮は戸惑いつつ、医務室の先生にお礼を言った。
「彼女?」
「あ、いえ。同じ部署の先輩です……」
「ふふ、すでに尻に引かれてるわね」
「あ、う……」
 蓮は否定できなかった。

   *   *

 奈津美はホテル事業部に戻り、電話を借りて、ホテルの担当者に連絡を取った。今日の荷送りで、明日着。明日は奈津美も現地入りして、確認する手はずにした。
「小林さん」
 電話を切ったタイミングで、角谷に声をかけられた。終わるのを待っていたらしい。
「はい」
「ちょっといいかな」
 この「ちょっといいかな」に苦い記憶がよみがえり、ひきつった笑顔で返事をした。角谷についていくと、いつもの打ち合わせ室だった。部屋に入って席を勧められ、奈津美は素直に座った。
「今日の騒ぎ、山本くんから聞いたよ」
「あ、はい……」
「山本くんは君から誘ってきた、と言っていたが、本当か?」
 角谷の言葉に奈津美は驚いた。奈津美はあまりのことに答えられなかった。
「私は君とここ何か月か一緒に仕事をしてきて、君がそんなことをする人ではないのを知っている。それに、君と山本くんが以前、付き合っていたのもつい最近、知った。そして、そのお付き合いが残念な結果になっていたということも知った」
「あ、いえ。もう、終わったことですし」
 奈津美は慌てた。公私混同するようなことはしてきてない。相手がたとえ親の敵であったとしても、仕事ならば割り切って働く自信がある。
「知らなかったこととはいえ、申し訳ないことをした。すまない」
 角谷は深々と頭を下げた。
「角谷部長、私、部長に頭を下げられるようなこと、してません」
「つらかっただろう……。知っていれば……。いや、知っている知らないというのは関係ないな。知らなくても、これは罪は罪」
 部長は土下座でもしそうな勢いで、頭を下げていた。
「ぶ、部長、とにかくお願いですから、頭を上げてください」
「いや、しかし」
「あのですね、部長。確かに私、山本さんと付き合ってました。でも、それは過去のこと。別れてすぐに一緒に働くとは思ってなかったから、私も正直、戸惑いました。でも、おかげで目が覚めたんです」
「目が覚めた?」
 角谷は奈津美の言葉に疑問に思い、頭を上げた。
「これから先のこと、部長と私のふたりの秘密にしてもらえますか?」
 奈津美はいたずらっぽく笑った。
「内容によるが」
 奈津美は一呼吸置いてから口を開いた。
「私、山本さんのこと、ほんと、仕事ができてかっこよくてやさしいいい男で、この人逃したらだめだ、って思ったんです。でも、振られて、そのあと一緒に仕事をして。ああ、この男を選ばなくてよかった、って思ったんです」
 奈津美ははっとして口に手をあてた。
「あ、私としたことが……。人の悪口は言わないようにしていたんですが、つい……」
「あははは。これは……確かに秘密にしておいた方がよいようだね」
「はい、お願いします」
 奈津美はにっこり笑った。角谷もつられて笑った。
「ですから、部長が頭を下げるようなことじゃないんです。私になにが正しいか気付かせてくれたんですから。むしろ、私が感謝したいくらいです」
「だが……」
「山本さん、なんか私生活がうまく行ってないみたいな噂を聞きました。ここはおとがめなしでお願いします」
「君は……やさしいね」
「いいえ、部長。私は少しもやさしくないですよ」
 奈津美は微笑んだ。
「後悔しているのは、山本さんみたいですから」
 おとがめがない方が、きっと貴史は不安に思う。これが、私なりの復讐。
「部長、明日私、ホテルに行って、作業を確認してきます」
「君はそこまでしなくても」
「いえ。これは私のけじめです。きちんと自分の目で確認したいんです」
「じゃあ……よろしく頼むよ」
「はい」
 奈津美は部長にお礼を言い、打ち合わせ室を後にした。
 次の日、奈津美はホテルに出向き、確認した。シーツは少し薄暗い部屋の中でも存在感が充分にあった。これはいける、と手ごたえを感じた。


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