失恋から始まる恋もある


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《十八章》「海と空との間の色」



 それから何日かして、試作品ができたと連絡が入った。
 奈津美はひとり、あの社長の元へと行った。
「うっわー。これは……ものすごく素敵です!」
 奈津美は試作品を見て、驚いた。
「糸を惜しみなく使わせてもらいました」
「はい、いいんです! しっかり使ってください」
 余り糸と言っても、アパレル部門が扱っていたものは高級服や着物といったものばかりだったので、廃棄してしまうにはもったいないものばかり。
「こうして立派に商品になれて、きっとあの在庫たちも喜んでいます」
「そうですね。ものすごくよい糸たちで、わたしもやりがいがありました」
 色も同系色を使い、グラデーションがかかったような濃い青から薄い青へと移り変わるシーツ。海と空を映し出したような、美しい仕上がりだった。
「最近のエコ思考とこの美しい織りのシーツ、結構いい話題になるような気がします」
 奈津美は織りに満足はしていたが、
「社長、この間提示していただいた金額ではこれ、できないでしょう?」
「よくおわかりで……」
 前回に会ったときより、なんとなく社長は疲れている様子だった。
「私、織りに関してはど素人なのでわからなかったんですが、日程、かなり無理をさせてしまったような気がするんですが」
「あなたは騙せませんか。そうですね、この織りだと、ご提示いただいた日数の倍、実はかかります」
「あ……」
「いえ、ご心配なく。わたしもあの糸たちを見ていたら、どうしてもこの織りでやってみたくなりましてね。あなたにこれだけ喜んでいただけて、その笑顔を見ることができましたから、満足です」
「いえ、これはビジネスです。しっかり提示していただかないと、後々困ります!」
 奈津美の言葉に、社長は苦笑した。
「あなたはそのあたりをきちんとわかってくださって、ありがたい」
 社長のその言い方に引っかかるものがあった。
「もしかして、山本からなにか……」
「いえ、日数を半分にできないかと言われまして」
 奈津美はぎゅっと手を握りしめた。
「社長、わかりました。無理を申しますが、残りもこの織りでやっていただけますか? 日数は倍取ってください。金額ももう一度見積もり、やっていただけますか?」
「しかし……」
「いえ、こちらが無理を言ってお願いしているんです。それに、私はこの今回の仕事、下手に妥協したくないんです。時間がかかっても、最善のものを使いたいのです」
「……わかりました。今日中に見積もりをやり直して、再提示させていただきます」
「ありがとうございます、よろしくお願いします。この試作品、持ち帰ってもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
 社長は紙に包んでくれ、奈津美に持たせてくれた。
「ありがとうございます」
 奈津美はにっこり微笑んで、社長のもとを後にした。

   *   *

 会社に戻り、奈津美はそのまま、ホテル事業部へ直行した。
「角谷部長はいらっしゃいますでしょうか」
 奈津美は角谷を呼び出した。
「部長、お忙しいところ申し訳ございません」
「いえいえ」
 角谷はにこにこと奈津美の呼び出しに応えてくれた。
「シーツの試作品ができあがりましたので、ご覧いただこうと思いまして」
「ほう」
 奈津美は先ほどもらってきた試作品を部長に見せた。
「ほう。これは……」
「はい、私が社長に無理を申しまして、本来の日程の半分でお願いしました」
 角谷は予想以上の出来と思ったらしく、シーツを広げて光に当ててみたり、広げたり、自分で羽織ってみたりしていた。
「これはシーツにしておくのがもったいないくらいだね」
「本来、この織りで織られたものは、着物にされるか、ドレスなどの生地にされるかだと思います。織りも密ですし、普通の布の倍以上の手間暇がかかっているもののようです」
 奈津美はそこで言葉を区切り、角谷の反応をうかがった。角谷は続きを促してきた。
「私は、この織りで全室のシーツをそろえようと思います。ただ、現在見積もりでいただいている金額と日程通りでは、思ったようなクオリティで上げるのは不可能です」
「うーん……」
 角谷はかなり悩んでいるようだった。かなり長い沈黙の後、
「小林さん、」
「はい」
「全室は無理だね、予算的に」
「そう……ですよね」
「ただね。君の企画書にあったように、うちのホテルは女性客が圧倒的に少ない。そしてたぶん、ホテルを利用している男性客すべて、このシーツを求めているとも思えないんだ」
「はい」
 もっともな答えだった。
「でも、わたしはこのシーツを見て、このシーツにくるまれて寝てみたい、と思ったよ」
「え?」
「で、今、考えた……ってより、もともとやろうと思っていた企画があって」
 と言って、部長は奈津美にそのまま待つように指示をして、打ち合わせ室を出て行った。奈津美はシーツを眺めながら、角谷の帰りを待っていた。
「ああ、話の途中ですまなかった」
 角谷は少し息を切らして戻ってきて、奈津美に一枚の紙を手渡した。
「期間限定女性客プラン……?」
「そう。平日に限りなんだが、女性客は宿泊料金半額プランを考えている」
「半額ですか!?」
「平日の稼働率が最近、下がっていてね。半額でも空室が埋まるのなら、そちらの方がいいんだよ」
 角谷の意図が読めず、奈津美は角谷を見た。
「このプラン、まだ企画段階なんだが、このプランの目玉として、このシーツを使おうかと思うんだが」
「?」
「このプランを利用して宿泊してくれた女性客の部屋に、このシーツを使う、ってのはどうかな?」
「あ……」
 それなら、すぐに全室にそろえなくてもよい、ということか。
「今まではこの予算で全室、だったわけだが、半分の部屋分でとりあえずシーツをあつらえ、好評なら予算を増やして順次追加、っていうのはどうかな?」
「あ、はい! ありがとうございます!」
 奈津美は角谷に頭を下げた。
「いやいや、喜ぶのはまだ早いよ」
「?」
「客が入らなければ、意味がないんだからね」
 角谷の言葉に、奈津美は気を引き締めた。
「で、小林さん、このシーツ、借りていいかい?」
「あ、はい」
「これ使って、部屋の撮影をして、シーツも売りにしてみるよ」
 部長はシーツを片手に軽やかに打ち合わせ室を出て行った。奈津美が部屋を出たところに、一枚のファックスを手渡された。ファックスを見ると、社長から早速見積り書が届いていた。
 奈津美は以前、もらっていた見積書と見比べ、確認してからホテル事業部で電話を借りて、社長へ電話をかけた。
「見積書、ありがとうございます。早速部長に掛け合いまして……」
 社長に日程の関係で枚数は半分にしてもらい、納品日は変わらずで行ってほしいこと、ただし、金額は提示されたものでよいことを伝えた。
「最終的に社長にお支払いする金額は変わらないのですが、」
『いえいえ、お気になさらず。うまくいくと信じていますから』
 電話の向こうの社長の声は弾んでいた。
『いいものを上げますから、お待ちください』
「よろしくお願いします」
 奈津美はお願いして、電話を切った。

   *   *

 奈津美は第4課に戻った。部屋には一之瀬と、珍しく蓮がいた。
「どうですか、進行状況は」
「はい、順調です」
 奈津美の言葉に、一之瀬はにっこり笑った。
「いいですね、その笑顔」
「え?」
「小林さんは今が一番輝いていますね」
 一之瀬は意味深な微笑みを浮かべていた。
「そ、そうですか?」
 一之瀬の言葉に奈津美は首をかしげつつ、自席に戻ってパソコンを立ち上げた。
「で、蓮の方は?」
 蓮は少し渋い表情で、
「あー、うーん……。ぼちぼち、かな……」
 なにをしているのか、蓮は一切語らない。
「ま、無理をしない範囲で、ね」
「おう」
 蓮はかばんを持った。
「一之瀬さん、外出してオレ、そのまま帰る」
「はーい、おつかれさま。気を付けて」
 蓮はそのままエレベーターに乗って、どこかへ出かけてしまった。
「気になります?」
 蓮が消えたエレベーターをずっと見ていた奈津美を見て、一之瀬はそう聞いた。
「えぇ……。気にならないといえばウソですが……」
「恋、ですねぇ」
「は?」
「いえいえ、独り言です」
 一之瀬は楽しそうに奈津美を見て、
「あ、わたしも外出しますので、戸じまり、お願いしますね」
「はい。お気をつけて」
 一之瀬は机の上を片づけて、出かけて行った。
「恋……ねぇ……」
 奈津美は起動したパソコンの画面をにらみ、そうつぶやいた。


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