愛から始まる物語


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【太陽に花束を】08



     ○ ○ ○ ○ ○

 気がついたら、俺は咲絵の側で眠っていた。咲絵の顔を見ているうちに眠くなって寝てしまったようだ。俺が目を覚ました気配を感じたのか、咲絵も目を覚ます。俺は立ち上がり、凝り固まっていた身体を伸ばした。

「ユキは?」
「んー。部屋に戻ってるんじゃないか」

 咲絵は飛び起き、走り出そうとしたので俺はその腕を捕まえた。

「咲絵、ちょっと待て」

 俺の少しかたい声に、咲絵は泣きそうな表情をしながら振り返る。

「大切な話がある」

 笑みを浮かべようとするのだが、顔の筋肉は笑い方を忘れてしまったかのように強ばったままだ。咲絵は不安そうに俺を見上げている。俺は膝を折り、咲絵と同じ目線になる。

「咲絵は幸政のことが好きか?」

 どうやら咲絵は怒られると思っていたようで、俺の質問に戸惑っている。

「別に怒らないよ。咲絵はなにも悪いことはしてないだろ?」

 俺の質問に、咲絵は首を縦に振った。そして、先ほどの俺の質問に答えてくれた。

「あたし……ユキのこと、好きだよ」

 咲絵ははにかみながら、素直にそう言った。ほほえましくて、俺はようやく笑みを浮かべることができた。

「人見知りに場所見知りをする咲絵が、一目で幸政を気に入ったのだから、幸政がいい子なのはよく分かったよ」

 俺は目の前にいる咲絵を抱きしめた。

「咲絵。もしもだけど、俺と文緒と別々に暮らさなくてはならなくなったら、どうする?」

 腕の力を少しゆるめ、咲絵の顔が見えるように身体を離す。予想通り、咲絵はその瞳に涙を浮かべていた。

「やだ。そんなの、やだよ! あたしはむっちゃんとふーちゃんとバイバイなんてしないよ!」

 その瞳から、大粒の涙のしずくが一粒、落ちる。それを合図にして、涙が次から次へとあふれ出す。

「嫌だ、そんなの……嫌だよ!」

 さらに俺は、残酷な質問をする。

「幸政と俺たち、どちらが大切だ?」

 咲絵は一瞬、瞳を大きく見開き、信じられないといった表情を俺に向けた。

「片方しか選べない。咲絵はどちらを選ぶ?」

 俺はなんとひどいことを聞いているのだろうという自覚はあった。幸政が選ぶかもしれない答えの先を考え、前もって咲絵には覚悟をしてもらおうと思ったのだが、ひどい後悔の念に駆られた。
 俺はなんと醜いのだろう。幸政に対して、ひどい嫉妬を覚えていた。
 幸政の見た目が潤哉にそっくりで、そして咲絵の見た目も幼い頃の文緒に似ているから、妙な独占欲が俺を支配していた。幸政も咲絵も、潤哉ではなく文緒ではないのだ。頭ではよく分かっているのだが、感情がついてきていなかった。

「あたし……は……」

 咲絵はすすり泣きながら、途切れ途切れに言葉を口にする。

「ユキもむっちゃんもふーちゃんも……おにーちゃんたちも櫂士も大切。お屋敷のみんなも大好き」

 大きな瞳は涙の膜を張ったままだが、俺に挑むように強い光を宿した視線を向けてくる。

「だれかがいなくなるなんて、嫌だ」

 生きている限り、会おうと思えば会える。住む場所が別々なだけだ。
 その理論なら、文緒と別々の場所で暮らしても平気だということになるが、それが出来るかと聞かれると、無理だと即答するだろう。だれか一人としか一緒にいられないとなったら、俺は迷いなく文緒を選択する。

「咲絵がみんなを大切に思っているのは分かった」

 俺の言葉に、咲絵はほっとした表情を浮かべた。

「幸政がジャンとエルザを大切に思っているのは、分かるよな?」

 俺の質問に、咲絵はうなずく。

「幸政が二人と離れたくないと言ったら、咲絵はどうする?」
「あたしはユキともみんなとも」
「咲絵」

 俺は咲絵の言葉を遮り、その瞳をじっと見る。

「どちらかを選ばないとダメなんだ」
「だって──」

 咲絵は唇をかみしめ、大きく息を吸う。

「幸政と一緒にこのままイタリアにいるか、俺たちと日本に帰るか。二つに一つだ」

 ああ、もっと言い方があるだろう、俺。そう思うものの、止めることが出来なかった。
 咲絵は予想通り、大声を上げて泣き始めてしまった。

「むっちゃんなんて、大っ嫌い! あっちに行って!」

 咲絵はそう言い、俺の腕を力一杯、叩いてきた。
 その痛みはたいしたことはなかったが、咲絵に大嫌いと言われたのはかなりのダメージだ。泣きたい。

「嫌い、嫌い! むっちゃんなんて、あっちに行っちゃえ!」

 咲絵はどこにそんな力があったのかと思われるほど力強く俺を押し、部屋から追い出そうとする。俺は圧倒され、咲絵に言われるがまま、部屋から出た。
 咲絵はソファの向こう側まで走っていった。泣いている声が聞こえる。

「咲絵……」
「むっちゃんはあっちに行ってよ!」

 咲絵の激しい反応に、俺はどうすればいいのか分からなかった。今まで、こんな反応を返されたことがなかったので戸惑う。
 そこへ、お昼寝から起きてきたらしい文緒と櫂士がやってきた。

「どうしたの?」

 部屋の外にたたずんでいる俺を見て、文緒は不思議そうに俺を見ている。

「あ……いや……」

 文緒は部屋の中に視線を向け、咲絵の泣き声を聞いてなんとなく察したらしい。

「咲絵を泣かせたのね」

 困ったような表情を浮かべ、ため息をついた。

「幸政はここに残した方がいいと思うんだ」

 伏し目がちに口にしたら、文緒にさらに大きなため息をつかれた。

「それは睦貴が決めることじゃないでしょ」

 かなり強い口調でそう言われ、俺は視線をさらに下へと向けた。

「幸政が今後どうするかは、本人が決めること。その決定に私たちは口出しをしたらいけないし、ましてや、結果を歪めようなんてやったら駄目じゃない」

 文緒の言葉は正しくて、俺にはものすごく痛かった。

「私は睦貴のものだけど、咲絵は違うのよ」

 その言葉に、俺は首を振る。文緒は文緒であって、俺のものではない。潤哉にはそう言ったが、だれであっても縛り付けていいわけではない。

「文緒は……文緒だよ」

 文緒はうなだれている俺を見て、それからソファの後ろに隠れている咲絵に声をかける。

「咲絵、出ていらっしゃい」
「やだ」

 文緒は俺をにらみ、再度、咲絵に呼びかけている。
 そこへ、幸政がやってきた。

「ムツキ、話がある」

 俺の腕をつかみ、幸政は足早に家の外へと出る。そして無言のまま、引きずられるようにしてサンタ・クローチェ聖堂へと連れてこられた。
 太陽はだいぶ傾いていて、朝の様相とはまた違って見える。太陽の光を黄色く反射して、黄金色に輝いているように見える。その荘厳で神聖な景色に、心の奥が苦しくなる。
 俺は今、独断で幸政が日本に来るのを全力で阻止しようとしている。幸政はジャンとエルザに愛されているからここに残るのがいいと、まるで幸政たちのためを思って口にしているかのような言葉を選び、それを隠れ蓑にしている。本心は大切な咲絵を取られてしまうから、その原因になる幸政を遠ざけようとしているのだ。
 それがなかったとしても、もしかしたら同じことを思ったかもしれない。それほど、三人の『家族の絆』はかたくて太い。いや、逆に、それだけ強固な関係ならば、日本に来ても大丈夫だよと言っていた可能性の方が強いか。どんなことがあっても、幸政と二人との絆が切れることはない。
 俺自身も、どうすればいいのか、分からなくなっていた。

「ムツキ、イタリアにいるよ」

 油断したら涙があふれそうになっていたところ、幸政はぽつりとつぶやいた。

「パーパの側に行きたいけど、ノンノとノンナと一緒にいる」

 涙がこぼれないようにと上を向いてサンタ・クローチェ聖堂の外観を見ていた俺は、幸政へと視線を向ける。

「ムツキたちは明日、帰る。一緒には行かない」

 迷いのない瞳を向けられ、俺は言葉に詰まった。
 幸政がそう決めたのなら、俺にはもう、なにも言うことはない。潤哉もきっと、幸政のこの判断に納得するだろう。
 潤哉があまりにも幸政に対して淡泊で冷淡な対応を取るから、愛してないのかと思ったのだが、イタリアに来て、潤哉の気持ちが分かった。ジャンとエルザに対して、全幅の信頼を寄せているからだ、と。あの二人が幸政を見てくれている。安心してお願いできるから、冷たいと感じるような対応をしていたのだと知った。




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