【太陽に花束を】07
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アドルフォは楽しそうに笑い声を上げた。
「ジュンヤも深い闇を抱えていたが、ユキマサだってほら、持っている」
耳障りな笑い声を上げ、アドルフォは俺たちを見ている。
「だからどうした」
開き直りにも聞こえる俺の言葉に、アドルフォはますます笑う。
「おまえが思っている以上に俺は『心の闇』ってのを持っているだろう。引き出せるのなら引き出せばいい」
俺は後ろにいた文緒を抱き寄せ、アドルフォをにらみつける。
「俺の側には強い光を発する存在がいる。それが強ければ強いほど、闇は深くなる。だけど、強い光は熱も発しているんだ。俺が抱えている闇を焼き尽くすほど、強い光を発している」
俺の中に眠っていた凍り付いた闇たちは文緒の熱で溶かされ、蒸発してしまった。今まで生きてきた証としてそれらを忘れることは出来ないが、俺の中ではすでに完全に思い出となってしまっている。
それに、俺の側には常に文緒がいる。
隣に立つ文緒に視線を向ける。心配そうな視線に俺は笑みを向ける。
「大丈夫だよ、俺は負けない」
俺は文緒をさらに引き寄せた。
「おまえには負けないよ」
俺はアドルフォにまっすぐと腕を伸ばし、さらに空に輝いている太陽を指さす。俺のその合図に、建物の影に隠れていた複数人が現れる。俺の合図で現れたのは、警察官だ。こういう状況になるのは日本にいる段階で予想できていたので兄貴の力で手配をしていたのだ。
それを見て、あろうことか白水が俺を襲ってきた。想定内の出来事だったので文緒を後ろに逃し、白水に蹴りを入れる。
警察官はアドルフォをあっさりと捕まえた。そして、暴れる白水も捕まえていた。
「年貢の納め時だよ──カルロ・パガニーニ」
俺のその指摘にアドルフォ……本名カルロ・パガニーニは青ざめる。
「残念だったな、ばれてないと思っていたか?」
兄貴は俺に色々と手配をしてやると言っておきながら、結局、準備をしたのは俺自身だ。といっても、TAKAYAグループの総帥という名がなければこちらの警察も動いてくれなかったわけで、兄貴のおかげ……ではあるのだが、なんだか腑に落ちない。
アドルフォについて調べていると、どうにも『作られた感』の強いプロフィールに疑問を持ち、徹底的に調べたらふとした時に本名が出てきた。そうすると芋づる式に出るわ出るわ、驚くほどの罪状の多さに呆れてしまった。イタリア側はずっとアドルフォを探していたらしいのだが、ある日を境にぶつりと途切れてしまった消息に戸惑っていたところ、俺からの情報提供に喜んでくれたようだ。しかし、アドルフォの足取りはまったくつかめなかった。俺がイタリアに行って幸政に接触したら出てくるだろうと張り込んでもらっていたら予想通りだった、というわけだ。
「睦貴……前から思っていたんだけど、どうしてそんなにトラブルに巻き込まれるわけ?」
ちょっと待て、文緒。おまえまでそんなことを言うのか?
「俺のせいじゃない、全部兄貴のせいだ!」
兄貴がそういう案件を回してくるからだ。
「ところで、白水さんはどうして捕まったの?」
不思議そうな表情で文緒は俺を見ている。
「あいつはカルロの一味だったんだよ」
文緒は眉間にしわを寄せている。
「帰ってから調べてみないと分からないんだが、白水はイタリアに縁がある人間なんだと思うよ」
あの金髪に近い茶髪は染めているのかと思ったのだが、どうも地毛っぽい。両親のどちらかがイタリアの人なのかもしれない。
イタリアに着いて入国手続きをしている時にあいつのパスポートがちらりと見えた。やたらに日本とイタリアを行き来しているようだったから、連絡役だった可能性が高い。
「とりあえず、一仕事おしまい。資金提供してもらったくらいの仕事は果たしたな」
俺は大きく伸びをした。
「ってー」
思い出したかのように脇腹の傷跡が疼く。治りきって普段は大丈夫なのだが、無理をするとたまにこうやって主張してくる。
「さて、帰ろうか。幸政、案内頼むな」
「ああ……」
戸惑った表情の幸政の肩に軽く触れ、移動するように促した。
「むっちゃん、さっきのキック、仮面ライダーみたいでかっこよかった!」
咲絵は幸政の後ろから目をきらきらとさせてそう言ってきた。双子と一緒になってテレビを見ているせいか、そんなことを言っている。
「あたしも今度、蓮に柔道を習う!」
咲絵、本気か?
「あのね、あのね。あたしがユキを守るの」
どういうことだ?
「さっきみたいな悪い人がきたら、あたしがユキを守る」
「サエ、うれしいけど……」
幸政は激しく戸惑った表情で咲絵を見ていた。こういうところは文緒に似たんだな、ほんと。
白水はそのまま身柄を拘束されてしまったので、一人減って俺たちは家へと戻った。幸政はエルザに白水のことを話しているようだ。エルザは目を丸くして、悲しそうな表情を俺たちに向けてきた。
「ご飯にしよう」
ジャンも仕事から帰ってきて、お昼はともに食べた。
イタリアは家族の絆を大切にするお国柄だ。お昼は職場から家へと戻り、ご飯を食べるという。子どもたちもお昼は家で食べる。学校は午前中だけで、母親が迎えに来てくれる。日本では考えられない。
幸政たちが楽しそうにおしゃべりしながら食事をしているのを見て、俺たちはこのまま日本に帰るのがいいような気がしてきた。祖父母と孫ではあるが、彼らは『家族』だ。その絆を俺が断ち切ることに躊躇する。
昼食の後、ジャンとエルザは職場へと戻っていった。
咲絵はお昼を食べて満足したのか、ソファの上でいつの間にか寝てしまっていた。文緒は櫂士を連れて、部屋へと戻った。
「なあ、幸政」
オルゾという日本でいう麦茶のようなお茶を幸政が淹れてくれて、砂糖と牛乳を入れて俺たちは飲んでいた。そして、先ほど思ったことを伝えた。
「俺はイタリアに幸政を迎えにやってきた」
潤哉にそっくりな幸政を見ていると、思わず軽口を叩いてしまいそうになってしまう。しかし、彼は潤哉ではなく幸政だ。俺は自分にそう言い聞かせ、わかりやすいようにゆっくりはっきりと言葉を発する。
「潤哉は日本にいる。子どもは親の側にいるのが一番いいと思った。だけど、イタリアに来て、その考えが変わったよ」
俺は幸政に視線を向ける。幸政は戸惑った表情を浮かべていた。
「ジャンとエルザは幸政を愛してくれている。もちろん、潤哉も幸政のことを愛してる。だけど、幸政のここでの生活を見て、『家族の絆』を見たんだ。俺はそれを壊してまで、幸政を日本に連れて行きたいとは思わなかった」
「どういう……こと?」
少し難しかったのか、幸政は眉間にしわを寄せて一生懸命、理解しようとしていた。
「幸政、おまえはイタリアに残れ」
「残れって、どうして!」
幸政は驚いたように大きな声を上げた。俺は咲絵に視線を向け、静かにするように促す。
「イタリアで生きることを俺はすすめるよ」
「サエは?」
幸政の言いたいことは分かった。
「咲絵は連れて帰るよ。咲絵はまだ小さい。泣きわめいても親の側で育つのが一番いいんだ」
俺の言葉に、幸政はそれならば、と反論してきた。
「親の側で育つのがいいのなら、おれは日本に行きたい」
そう言われると、イタリアに残れとは言えない。
「ノンノとノンナとaddioはしたくない」
addio(アッディーオ)はさようなら。幸政はノンノ(じいちゃん)とノンナ(ばあちゃん)とお別れしたくないと言っているのだ。それは偽らない本音だろう。
「パーパの側にいたい」
幸政の希望は叶えてあげたいのだが、潤哉は日本にいて、塀の向こうから出てくることができないのだ。
「Io non lo capisco」
分からない、か。
幸政はそう言い、頭を抱えた。
イタリアに残るか、日本に行くか。
一番いいのは潤哉がイタリアに戻ることだが、それは不可能だ。兄貴が努力はしてくれているが、それだってさすがに限界がある。
俺たちの間には、重苦しい沈黙が降りた。