愛から始まる物語


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【太陽に花束を】06



     ○ ○ ○ ○ ○

 次の日の朝。身体が痛くて目が覚めた。どうしてこんなに痛いのか悩んで……すぐに思い当たった。ソファで無理矢理ことに及んだのが原因だ。俺もいい年なんだから、少しは考えろよ。だけど久しぶりに文緒と一つになれたのでよしとしよう。……辛いけど。
 そして、目が覚めると幸政がいないことに気がついた咲絵は火がついたように泣き始め、身体が痛いの騒ぎどころではなくなった。

「咲絵、落ち着け。幸政はいるから!」

 普段は聞き分けがいいのだが、一度、なにかスイッチが入ると途端に周りがまったく見えなくなるのが咲絵の良くないところだ。落ち着かせるには根気よく相手をするしかない。抱きしめて背中をとんとんと軽く叩いて落ち着かせる。普段ならこれでいけるのだが、今回はまったくダメだ。困っていたら、文緒が幸政を連れてきてくれた。
 咲絵は幸政の気配をすぐに感じ取り……っておまえはどんな超能力者だ。そして幸政に飛びつくと泣き止んだ。俺、完全に敗北。
 これを見たらもう認めないと駄目なわけで。苦笑するしかなかった。
 しかし、今のところは咲絵の片思いにしか見えない。幸政が拒否したらどうするんだ、咲絵。
 もし、幸政がこのままイタリアに残ると言ったら、咲絵は帰らないとだだをこねそうだ。そうなったらどうすればいいんだろう。
 そんな悩みを抱えながら、幸政はレッチェの観光地を案内してくれると言って地図を持って来てくれた。
 前もって下調べはしていたが、本当にこの町は複雑に入り組んでいる。迷路の町と言ってもいいだろう。

「Basilica di Santa Croceに行こう」
「さ……サンタクロース?」
「ノー。Basilica di Santa Croce」

 幸政は広げた地図のある場所を指した。

「ここがterminal(駅)、ここがBasilica di Santa Croce」

 ようやく幸政が言っている単語が分かった。レッチェに来たら必ず行くというサンタ・クローチェ聖堂のことを言っているのだろう。

「で、ここからどれくらいかかるんだ?」

 地図上でこの家がどこなのか俺にはさっぱり分からない。

「今はここにいる。歩いてそんなに時間はかからない」

 ということで、俺たちは幸政の案内でサンタ・クローチェ聖堂へと行くことになった。本当は夕暮れ時がいいらしいが、イタリアは日本と違ってあまり治安がいいとは言えない。小さな子どもがいるのならなおさらなので、エルザの作ってくれた朝食を食べると俺たちはすぐに出掛けた。お昼はエルザが家に戻って作ってくれるというのでそれまでに帰ることにした。
 今日も雲がなくて青い空が広がっている。

「パーパはマンマのことをsoleと言っていた」

 ソーレは太陽という意味だったはずだ。

「……太陽?」

 俺は空に輝いている太陽を指して思わずそう聞いた。

「近くにはいないけど、マンマはsoleだからいつでも見守ってくれると」

 潤哉がそんなにロマンチストだったなんて知らなかった。

「Occhi solari」

 太陽の瞳?
 ロマンチックな単語になんだか聞いていて恥ずかしくなってくる。
 これも日本に帰ってから潤哉に聞かなくては、と心の中にメモをした。

 俺たちはまだ過ごしやすい中、歩いてサンタ・クローチェ聖堂へと向かった。
 それにしても、日本とはまったく違う建物に目を奪われる。乳白色の建物は石だというのに優しい風合いをしている。石だと少し冷たい感じがするのだが、意匠が凝っているからか、ぬくもりを感じる。
 イタリアは石灰岩の産地でもある。石灰岩に熱が加わった物が大理石という。
 言われてみると、世界史や美術の教科書に載っている西洋の石像たちはこの建物と同じような肌をしていた。
 そして、サンタ・クローチェ聖堂に到着。
 俺はその外観に思わず口を開け、見とれていた。
 石でこんなに繊細でそれでいて美しいものを作ることが出来るのか。木造文化の日本からしてみれば、これはかなりの衝撃だ。ひざまずいて祈りを捧げたい気持ちになる。一人で来ていたら、日が暮れるまで眺めていただろう。文緒に声をかけられるまで、俺の魂はどこかへ飛んでいた。それほど魂を揺さぶられたのだ。
 内部にも入れたので見学した。外の装飾に比べるとシンプルに感じるが、それでも凝っていて、いったいこの教会を作りあげるのにどれだけの人がどれほどの年月をかけて作ったのかと思ってしまった。

「まだ元気があるのなら、Anfiteatro Romanoを見てみる?」

 せっかくだからと俺たちはAnfiteatro Romano、日本語で言えば円形闘技場に行くことになった。円形闘技場は二世紀に出来たものだが、今は半分が地中に埋まっている状態になっているという。
 先ほどのサンタ・クローチェ聖堂は建築開始が十四世紀半ばで、途中、休止期間があったりして完成したのは十七世紀末だったらしい。
 日本でいうと、円形闘技場が作られたという二世紀は邪馬台国とか言っていた時代だ。わかりやすく言えば、弥生時代と言われている頃。日本にその時代の建物って残っているか? 残ってないよな。
 十四世紀は鎌倉時代から南北朝時代。戦国時代に突入し、十七世紀末といえば、江戸時代だ。
 イタリアと日本の歴史の違いを知り、地球って広いんだなと改めて思った。

 レッチェの景色を眺めながら、円形闘技場へと向かった。道路は相変わらず、車にあふれている。途中、白水の姿が急に消えたのでどうしたのかと思ったが、かなり離れたところで携帯電話をかけていた。聞かれたらまずいことでも話をしているのか? どうにも、不信感がぬぐえない。ったく、あいつはなにをしているんだ。
 円形闘技場は無造作に石が置かれているだけで、説明がなければなんだここ、といった感じだった。
 太陽はだんだんと高くなり、暑くなってきたので俺たちは家へ戻ることにしたのだが、突然、俺たちを阻むように一人の男が目の前に立った。
 白いものが混じった黒髪。暗い焦げ茶色の瞳には嫌な光が宿っている。

「アドルフォ……」

 一歩前を歩いていた幸政は足を止め、慌てて咲絵を背中へと隠す。咲絵もなにか異変を感じたらしく、幸政にしがみつき、不安そうに俺を見ている。
 そして、幸政の口から出た名前に口から心臓が出そうになった。
 アドルフォ・パヴェージ。かつて潤哉のイタリア語の教師だったという男。しかし、その実は殺し屋だという。彼にそそのかされて四人を殺害したと潤哉は語った。

「ユキマサの後ろにいるのは日本人か? ジュンヤの知り合い……とみたが違うか?」

 アドルフォの口から流ちょうな日本語が出てきて俺は驚いた。イタリア語の教師と聞いていたが、そうだよな、日本語が分からないと教えられないよな。

「ジュンヤは日本にいるようですが」

 そしてアドルフォは俺をじっと見てきた。俺も目をそらすことなく、視線を向ける。

「ジュンヤはずいぶんと面白い人と知り合いのようだ」

 アドルフォは口角をあげ、俺を見つめる。舌なめずりしそうな勢いに、ぞっとする。

「とてつもなく暗い闇を抱えている」

 その指摘に、俺の血液は逆流したかのような感覚に陥る。こいつは危険だ。
 そういえば、潤哉も言っていた。アドルフォは相手の弱点を見つけるのが上手だ、と。一瞬にして俺の抱えるものを見抜くとは、恐ろしい目を持っている。兄貴で慣れているつもりでいたが、予期せず言われるのは確かに正直、あまり気分のいいものではないな。

「幸政にも潤哉にももう手出しをするな」

 俺はアドルフォに近寄り、幸政を背後に隠す。黒瀬と白水は俺を守るように右と左に立った。

「どうしてですか?」

 どうしてなんて聞くのか? まさかそんな返しがくるとは思っていなかったので、言葉に詰まる。

「抱えている闇を引き出しただけ。そんなものを持っているからいけないのです」

 なにがいけないと言わんばかりの言葉に、絶句してしまった。そんな俺の背中に温かな手が添えられる。視線を向けると、文緒が立っていた。

「それは違うわ。人間だもの、そういう感情を持っていたっておかしくない。いいえ、持っていない方がおかしい!」

 文緒の言葉に勇気を与えられた。

「弱いところを狙って他人を思い通りにするのは間違っているだろう」

 アドルフォは目を細め、俺の後ろの文緒を見ていたようだが、やがてつまらなそうに視線を逸らした。

「あなたは面白くない」

 文緒を捕まえて面白くないとはどういうことだ。面白いと言われても不愉快だが。
 アドルフォは視線を戻し、俺を指さして愉快そうに口を開く。

「あなただってほら、闇を抱えている」

 その指摘に、俺は下唇を噛む。
 兄貴にも分からないほど奥深くに隠していた心の闇。ケリはほとんどついてはいるが、名残は未だに残っている。




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