【太陽に花束を】05
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「俺は……文緒が知っているとおり、少し特殊な環境で育ったから、普通の親子ってのが分からないんだ。でも、通常なら子どもはやっぱり親の側にいる方がいいと思う。だから幸政を日本にと思ったし、本人も希望している。でも、ここに来て、それでいいのかなという迷いが出てきたよ。ジャンとエルザは幸政を愛してくれている。そして、彼らは一生懸命に幸政を育ててくれた。その二人から幸政を奪うようにして日本に連れて行くのが果たして正解なのか……俺には分からなくなったんだ」
ジャンとエルザが幸政を見る瞳はとても優しい。心から愛しているのがよく分かる。その二人と幸政を離して、見知らぬ異国の地に連れて行くのは正解なのだろうか。日本に連れて行っても、潤哉は塀の向こうだ。あそこから出てこられるのかどうかさえ、分からない。会いたいときにすぐに会いに行ける場所にはいない。
「それを決めるのは、幸政でしょ。私たちは確かに幸政を迎えに来たけど、睦貴がこの役目を担ったのは、それも確かめたかったからじゃないの?」
そうだ。潤哉が十八からずっといたここを見たかったのもあったが、潤哉の息子である幸政がどうやって育ってきたのかも知っておきたかったのだ。
「二度と再び会えないわけじゃない。ただ、簡単にここには来られないってだけでしょ」
と文緒は言うが、それだけの問題ではない。ここでの生活をすべて捨てていくことになるのだ。それって結構な覚悟が必要じゃないか?
「睦貴って意外に心配性だよね」
文緒は大きなあくびをしながらそんなことを口にする。そして俺の腕の中に眠っている櫂士を受け取り、ベッドへと潜り込む。
「私たちも少し、お昼寝しましょ。時差ボケなのか、すっごく眠たいわ」
文緒は再度、あくびをした。それが俺にも移り、急激に睡魔に襲われた。文緒に続いてベッドに潜り込み、優雅にお昼寝を貪ることにした。
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遠慮がちに扉が叩かれる音で俺は目を覚ました。部屋の中はすっかり薄暗くなっている。慌てて起きて扉を開けると、咲絵を連れた幸政が立っていた。
「cenaだよ」
cena……チェーナ、えーっと、夕食って意味だったはずだ。
まさかそんな時間まで寝てしまうとは思わず、ぼさぼさの頭をかきながら俺は幸政にお礼を言った。
「咲絵は幸政に迷惑をかけてないか」
こちらも先ほどまで寝ていたらしく、少しまだ寝ぼけたような表情をしている。
「大丈夫だよ。さっきまでお昼寝してたもん」
幸政を見ると、うなずいている。その間、幸政は外には出られなかっただろうがゆっくりは出来ただろう。
改めて幸政を見て思うのだが、俺の記憶の中にある高校生の頃の潤哉そっくりな見た目なのだ。思わず、その頃に気持ちが戻ってしまう。
幸政と潤哉は別の人だと言い聞かせるのだが、どうにも錯覚を起こしてしまう。
文緒と櫂士も起きて、俺たちはクチーナへと向かう。だんだんといい匂いがしてきて、エルザの作ってくれた朝食も昼食もとても美味しかったのを思い出し、俺のお腹が鳴った。
クチーナの端に用意されたテーブルの前に黒瀬と白水はすでにいて、ジャンと酒盛りをしていた。
「飲みます?」
と黒瀬は聞いてきたが、俺はアルコール類が一切駄目な体質だと伝えたら、残念そうな顔をしていた。ジャンはグラスを持って来てくれたが、白水に飲めないんだと伝えてくれないかとお願いして話してくれたらしい。すごく残念そうな表情をされたが、こればかりは仕方がない。
文緒は俺に櫂士を託すと、エルザになにか手伝うことはないかと話しかけていた、……イタリア語で。って、いつの間に勉強をしていたんだ?
文緒は単語を繋ぐという強引な会話で意思の疎通を図ろうとしているらしい。エルザもわかりやすいようにゆっくりと単語を一つずつ明瞭に発音してくれている。俺だけ取り残されている?
幸政がグラスに紫色をした液体を入れて来てくれた。
「succo di uva」
咲絵も同じものを飲んでいるようだ。どうやらぶどうジュースらしい。喉が渇いていたのでありがたくいただく。ほどよく甘く、この国はそういえば世界で一・二位を争うワインの産出国であることを思い出した。
エルザの作ってくれた夕食を食べながら、単語で意思の疎通を図ることにした。幸政がフォローしてくれる形でジャンとエルザとも話をすることができた。
二人に幸政を日本に連れて行ってもいいのかという最終確認を取った。
答えは
「幸政次第」
ということだった。本音としては行ってほしくはないが、幸政の意志が一番大切だからという。
「幸政はどうしたい?」
俺は幸政に視線を向ける。咲絵は幸政に抱っこされて眠ってしまった。
「…………」
幸政はうつむいている。複雑な気持ちを抱えているのがなんとなく分かった。
「まだもう少し時間はあるから、考えたらいいよ」
「ムツキたちはおれを迎えに来たんだろ?」
俺の答えは幸政にとって予想外だったようで、驚いた表情をしている。
「迎えに来たのは確かだけど、肝心の幸政が来たくないってのに無理矢理連れて帰るわけにはいかないだろ? それとも、来いよと言えばいいか?」
迷っているから背中を押すような言葉を欲しているのだろうか。
俺としては幸政はこのままイタリアに残った方がいいと思っているのだが、そのことを伝えるべきか否か。迷うようなことは言わない方がいいような気がしたので、それ以上はなにも言わなかった。
「ジャンとエルザとしっかり話し合え」
俺たちは完全なる部外者だ。それまでの彼らの生活を思えば下手に口を出すことは出来ない。それまでに築き上げてきた『絆』というものがある。俺がしゃしゃり出てその『絆』を断ち切るわけにはいかない。
俺は幸政から咲絵を受け取り、部屋へと戻った。久しぶりの咲絵のぬくもりと重みになんだかほっとする。
少ししてから文緒が櫂士とともに戻ってきた。
「幸政が困っていたよ。『ムツキはパーパとは違う』と言ってたわ」
「当たり前だ。俺は潤哉とは違う」
日本に来れば、俺は幸政の父親代わりになる。幸政が俺のことを気に入らないとか嫌だというのなら、こちらにいるのが幸せだろう。
とそこまで考えて、俺は幸政が日本に来るのを拒んでいることに気がついた。どうしてだろうと悩み、すぐに分かった。
咲絵を奪われた、と思ったからか。
咲絵はもう親離れをしたというのに、肝心の俺が子離れ出来ていないのか。
「……ははっ」
思わず声を出して笑ってしまった。
「どうしたの、いきなり?」
咲絵の隣に櫂士を降ろし、ソファに腰をかけている俺の隣に文緒がやってきた。
「幸政をどうあっても日本に来させたくないと考えている理由が分かったから笑ったんだ」
「咲絵を取られたから、でしょ」
さすが文緒、すぐに答えを出してしまったようだ。
「子離れが出来てない」
「言うな、分かってるって」
俺は額に手をやり、大きなため息をついた。
今になって蓮さんの気持ちが痛いほどよーっく分かる。
こういう言い方はおかしいが、奪った物は必ずまただれかに奪われる。ああ、こうして連綿と人類の歴史は紡がれていく……と。それが早いか遅いかの違いだけだ。
「幸政は、日本に来るかな」
「どうだろうね。今からジャンとエルザと話をすると言ってたよ」
俺は隣に座っている文緒に身体を向け、覆い被さる。
「ちょっと……」
文緒は驚いた表情をして俺を見上げている。だけどそれは嫌がっているようではなかったので、続行する。
顔にかかっている髪をかき上げ、そのまま後ろ頭に手を回す。唇を重ねて舌で口を割り、中へと進入する。
日本にいると櫂士が常に張り付いているからずいぶんと久しぶりのような気がする。文緒の鼻に抜ける甘ったるい声に全身が熱くなる。
そういえば久しく文緒と一つになってないなということに今更ながら、気がついた。妊娠中は怖くて手出し出来なかったし、産まれたら産まれたで子育てが大変でそんな暇はなかった。
文緒も拒否してないし、いいかなと俺はそのまま久しぶりに文緒を抱いた。