愛から始まる物語


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【太陽に花束を】04



     ○ ○ ○ ○ ○

 俺たちはまず、ジャンが運転する車に乗って、潤哉が働いていたという花屋へと向かった。すっかり日が昇りきり、日なたは灼熱地獄といっていいほど暑い。

「夏は暑いから日中はあまり出歩かないんだが、今日は特別だと言ってます」

 確かにそうだ、申し訳ない。
 咲絵は困ったことに幸政から離れようとしない。幸政は戸惑った表情を浮かべたまま、咲絵と手を繋いでいる。さすがにずっと抱っこは厳しいだろう。
 これだけの人数だと迎えに来てもらった車には乗れないので、どこからかワゴン車を借りて来てくれたらしい。俺たちはワゴン車に乗り込んだ。そういえば、どこかに移動するのに人に運転をしてもらうのは久しぶりのような気がする。日本にいるときはいつも自分で運転するからなぁ。なんだか変な感じだ。
 昨日は夜中だったので分からなかったが、道路には車があふれていた。こちらは車社会だと聞いてはいたが、どこに行っても車だらけだ。思った以上に渋滞もしている。
 そして到着した場所は、こぢんまりとしたお店だった。ジャンは車の中で待っているということだったので、幸政に案内してもらうことになった。
 俺たちは車から降り、お店へと向かった。
 店先には色とりどりの花があふれていて、自然と笑みが浮かぶ。しかし、店員は留守なのか、無人だった。盗まれないのかと心配になる。

「チャオ」

 幸政は大声で店の奥へと声をかけている。それでも、だれかが出てくる気配はない。

「ここで待って」

 幸政は咲絵を連れて、奥へと入っていく。俺たちは店の中に入って花を見る。墓参りだから、ここで花を買っていこう。

「日本では見たことがない花がたくさんあるね」

 と店内を見た感想を文緒がつぶやいている。花屋なんて無縁な俺にはそれはまったく分からなかった。
 しばらくして、幸政と咲絵が帰ってきた。それから少しして、店の人が姿を現す。茶色い髪を無造作にアップにした、小太りの女性。むさ苦しい野郎どもを見て、眉をひそめている。

「チャオ」

 とりあえず挨拶をしてみた。

「……チャオ」

 いぶかしげな表情をして、返事をしてくれた。
 そして幸政に向かってなにごとかしゃべっている。たまに『ジュンヤ』という単語が混じるから分かってもらえたと思う。

「ルクレツィアが好きだった花はなんだ?」

 幸政に聞くと首をかしげ、女性に聞いてくれている。女性は俺に笑顔を向け、店の隅にある花を指さした。そこには黄色いコスモスに似た花があった。少し、ひまわりにも似ている。

「ヘリアンサス」

 と一言。その花の名前だろう。俺はそこにある全部を買うと言うと、全員が一斉に視線を向けてきた。

「え……? ダメか?」

 文緒が戸惑った表情で俺を見て、口を開いた。

「ダメではないけど……」

 ダメではないのならいいかとバケツに無造作に入れられていたヘリアンサスすべてを買い、支払いを済ませる。思っているよりも大きな花束になってしまった。
 ジャンの待つ車に戻り、次の目的地であるルクレツィアが眠る墓地へ。黄色い花束を抱えて戻ってきた俺を見たジャンは目を丸くして驚いていた。
 渋滞している道路をのろのろと進み、墓地へと到着。外は先ほどよりもさらに暑くなっていて、肌がじりじりと焼ける。
 今度はジャンも車を降りて一緒に行くことになった。
 しっかしこの日差しは殺人的だ。日陰に入ると急に涼しくなるのは日本と違うところだが、それにしてもこれはばてそうだ。日中は動きたくないというのはよく分かる。
 ジャンの案内で俺たちはルクレツィアが眠るという場所へと向かった。
 イタリアは日本と違い、基本的には土葬だという。数年前に行った、母の葬式を思い出した。あの焼ける妙に生々しい臭いを思い出し、複雑な気持ちになる。母の墓参りは納骨以来、行っていない。親不孝者だなと思うのだが、どうにも気持ち的に行きたくないのだ。一応はわだかまりは解消したのだが、それでもやはり、気が重い。
 こちらの墓地は日本と同じように墓石を建てているところもあるが、通常はコインロッカーのように四角く区切られた場所に棺が入れられている。扉には生前の写真が飾られていて、一目でだれか分かるようになっている。そして、その扉に花瓶がぶら下げられていて、そこに花を入れられるようになっているのだが……さすがに先ほど買った花すべてを入れるのは無理らしい。文緒が苦笑をしながらきれいに整えて花を生けてくれている。残った花は親戚の人たちの墓へ供えるとしよう。ジャンと幸政に聞いて、花を供えていく。

「ここはbisnonnoのavelloだよ」

 bisnonno……nonnoで祖父、ビズノンノは曾祖父ということは、潤哉の祖父か。彼を頼ってイタリアに来たという話だったな。avello(アヴェッロ)は墓だ。

「こっちはモリヤのavello」

 扉に懐かしい守矢さんの写真が貼られていて、亡くなったことを実感した。
 二人の墓にも花をお供えした。
 そして改めて、ルクレツィアの墓所に戻る。扉には生前の彼女の写真が飾られていた。
 エルザによく似た笑顔。そして、前から気がついていたが……潤哉、おまえって思いっきり面食いだな。こんな美人、どこで知り合ったんだ。母親のエルザもきれいな人だなとは思ったが、ルクレツィアはさらにきれいな人だった。
 少しクセのある茶色い髪。まばゆい笑顔。白いブーケをかぶっているところを見ると、結婚式の写真のようだ。潤哉はえらいな。きちんと式をしたんだ。
 俺はこちらでのお祈りの仕方が分からないので、日本式に両手を合わせて合掌した。
 潤哉はいろんなものを失ってきていたのを実感した。
 そして俺たちはあまりの暑さに逃げるようにして車へ向かい、そのまま家へと戻った。

 帰るとエルザはお昼を作って待っていてくれた。食事の時、ジャンと幸政はエルザへと墓参りの様子を楽しそうに報告している。たぶん、花屋での出来事を語ったのだろう。エルザは目を丸くして俺を見ている。そして、太陽のような笑みを浮かべ、

「grazie」

 と一言。
 ありがとう、か。
 ありがとうはこちらが言いたい。俺も同じように
「グラツィエ」
と返した。
 彼らは潤哉を受け入れてくれた。空知の家では疎外されていた潤哉は、とても心安らかにこちらで過ごせたのだろう。ルクレツィアが亡くならなければ、潤哉はあんな愚かなことはせず、幸せに暮らせたはずだった。彼の人生はなんと皮肉な運命に彩られているのだろうか。
 もうこれ以上、潤哉に辛い思いを背負わさないでほしい。
 俺はそう願わずにいられなかった。

     :*:*:*:

 そして今日は昨日の旅の疲れもあるから、ゆっくりと過ごそうということになった。明日はジャンもエルザも仕事があるから、幸政がレッチェを観光案内してくれるという。
 俺たちに割り当てられた部屋に戻る。

「話には聞いていたけど、ほんと、日差しが強いね」

 焼けちゃったかもといいながら、文緒は化粧水を肌につけている。その間、櫂士を預かっている。

「櫂士は疲れてないか? 少し寝た方がいいぞ」

 今、この部屋には俺と文緒と櫂士だけ。咲絵は幸政と離れたくないとだだをこね、ついて行った。

「咲絵は……困ったな」

 眠そうに俺の胸に顔をこすりつけてきている櫂士をあやしながら、文緒を見る。

「別に困らないわよ。幸政は咲絵をきちんと受け入れているみたいよ。困ってるのは睦貴だけ。咲絵に捨てられたから、どうすればいいのか分からないんでしょ」

 痛いところを突くな。

「す……捨てられたって言うな」

 ああ、心が痛む。
 あんなに懐いていたのに! むっちゃんと離れたくないからついて行きたいって言ってくれたのに!

「櫂士、おまえなら分かってくれるよな、この男心! ……って、寝てるし」

 櫂士は珍しく、俺に抱っこされて寝てしまった。やはり、疲れているらしい。そっとおでこを触ってみるが、熱かったりはしないから体調を崩しているわけではないらしい。

「ちょっと早すぎるような気もするけど、親離れできたんだから喜ばしいことでしょ」

 それに、と文緒は続ける。

「咲絵も分かるわよ、そのうち」
「分かるってなにが?」

 文緒がなにを言いたいのかまったく分からず、眉をひそめた。

「咲絵と幸政は違う人間なんだってこと」

 ますます意味が分からなくて、首をひねると文緒は笑みを浮かべた。

「幼い頃、睦貴と離れるのがすごく嫌だったの。バイバイするのが嫌で嫌で……。次の日になったらまた会えるのが分かっていたけど、それでも嫌だったの。ずっと側にいたかった」

 文緒が幼かった頃。部屋に戻るとき、いつも泣きそうな顔をしていたのを覚えている。その顔を見るのが嫌で、俺は文緒を寝かしつけてからこっそりと部屋へと戻っていた。文緒はまだ幼かったから蓮さんと奈津美さんの寝室で寝ていたのだが、そこに入ることにいつも抵抗感があったのを思い出した。

「そんなこともあったな」
「どうして睦貴は睦貴なんだろうって幼心にずっと思っていたの」

 なんだ、その哲学的な疑問は。

「ずっと側にいてくれたらいいのに。睦貴が学校に行くのにもついていきたかったし、一人で幼稚園に行きたくなかった。だけど、そんなわがままを言ったら周りの人が困るから……我慢してた。でも、今は違うの。私は私だし、睦貴は睦貴で良かったって。別々の人間だから愛しいって思うし、一緒にいることで安らぎを感じることができるんだなって」

 文緒は俺の横に立ち、見上げている。腕の中の櫂士を気にしながら抱き寄せ、唇を重ねる。

「幸政は日本に来るのかな」

 幸政は日本に行きたいとは言っているようだし、本人が希望しているのならそれでいいと思っていた。しかし、イタリアに来て考えが変わった。
 ここはのんびりとしていて、そしてなによりジャンとエルザは幸政を愛している。そして生まれ育ったここでずっと暮らしていくのがなによりも幸政にとって幸せなのではないだろうかと思ったのだ。
 イタリアの空気と幸政は溶け合っていた。それに、ここにはルクレツィアもいる。そこから切り離すのは酷なのではないか、と。

「幸政を連れて一緒に日本に帰るつもりでいたのだけど……ここで暮らしている幸政を見たら、それはいいことなのかどうか分からなくなったよ」

 俺は思ったことを口にした。





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