愛から始まる物語


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【約束】04



     * * *

 歳のせい、とは思いたくないが、刺し傷のせいで出ている熱がなかなか下がらず、退院許可が下りなかった。早いところ、過ごし慣れたお屋敷に帰りたかった。
 だけど、文緒がずっと側にいて看病してくれるし、気まぐれに現れる潤哉とも久しぶりにたくさん話をすることが出来て、それはそれでうれしかった。
 ベッドのリクライニングを起こし、熱で少しだるい身体を支えながら俺は潤哉と話をした。

「文緒が最初に発したのは、俺の名前だったんだぜ」

 ずっと自慢してやろうと思っていたことをようやく潤哉に言えることができて、俺は満足だった。

「おまえ、それって実の親の立場からしたら、ものすごい切ないことだぞ」
「んー、そうかもなぁ」

 蓮さんのものすごい腹立たしそうな顔を思い出した。あの時の俺は『文緒の親』の立場という気持ちでいたけど、蓮さんはそうは思ってなかったんだろうな。

「咲絵の第一声は『ふーちゃん』だったから、蓮さんの悔しさがようやく分かったよ。絶対に『むっちゃん』と言わせてやるとがんばったんだが、仕事が忙しくてふれあいが少なかったのが敗因だな」
「……おまえさ……。娘に彼氏ができただけで大騒動だろうなぁ。嫁に行けるのかな」

 嫁、という言葉に俺は過剰反応する。

「咲絵は!」
「はーい、睦貴。自分の娘とは結婚出来ないんだからね。私とは違って」
「わ……分かってるって」

 だって……咲絵は文緒が幼い頃にそっくりなんだよ! 分かってる、分かってるんだ! 今は
「むっちゃん」
となついてくれているけど、咲絵が年頃になると、だれかいい人を連れてくるんだってことくらい理解している。そうしてくれないと困るのだって分かっているんだ。あの母のようにはならないという自信はある。文緒の時に抱いていた気持ちとはまったく違っているのだから。
 そしてその時の俺の年齢は……ああ、考えたくない。

「女もだけど……男もやっぱり、若い頃に子どもを作るべきだよな」
「なんでだよ」
「娘が年頃になった時の自分の年齢を考えると、すっごく切なくないか? 『お父さん、くさいからあっちに行ってよ!』なんて言われるんだぜ」
「清潔にしていればいいだけの話じゃないか」

 そうなんだが……それでもやっぱり、年頃の娘というのは父親を遠ざけるものらしい。だけど、文緒は違ったなぁ。

「文緒は中高生の頃、蓮さんのことが嫌だったりしなかったのか?」

 前から疑問に思っていたことを聞いてみる。

「蓮のこと? 友だちはみんな、自分のお父さんが嫌いって言っていたけど、私は違ったなぁ。蓮はお父さんってより蓮だし、アキさんもお父さんだし、でも、睦貴のことは一度もお父さんって思ったことはなかったな」

 俺はずっと文緒のことを『娘』と思うようにしていたし、公言もしていた。文緒にも何度もそう伝えていた。それにも関わらず、文緒は違っていたのを改めて知った。

「それは……俺が落ち着きがないからか?」
「そうじゃないよ。睦貴は昔から『特別』だったの」

 文緒のその言葉に、思わず抱き寄せてキスをしたくなる。なんてかわいいことを言ってくれるんだ!

「おまえら……のろけるのなら、オレがいないところでしてくれ」

 文緒の話をもっと聞きたかったのに、潤哉に邪魔されてしまった。

「邪魔するなよ。そういう潤哉は、イタリアにいい人がいたんじゃないのか?」

 聞くのも野暮のような気がしたが、聞いてみる。

「いたら日本になんて帰ってきてねーよ」

 あ、やっぱり聞くんじゃなかった。
 だからといって悪いなんて言えば神経を逆なでしそうだし、なんと言えばいいのか分からない。

「だけど、イタリアはいいよ。過ごしやすいし、料理も美味しいし。美女が多いし!」

 潤哉も微妙な空気を感じ取ったようで、ごまかすように少しおちゃらける。

「ところで、どうしてイタリアだったんだ?」

 普通なら、留学でアメリカやイギリスというイメージなんだが、イタリアだった理由がなんだったのかずっと知りたかった。

「どうやらさ……オレの祖父がイタリア人だったらしくて」

 ……ちょっと待て。

「ど、どういう?」

 兄貴から聞いた話では、潤哉の母である冬華の母──潤哉から見れば、祖母だな──は行きずりの男と一夜をともにして、それで冬華を身ごもり……。

「なんと聞いているのか知らないけど、ばあさんは別に男に捨てられてないよ」

 え?

「お袋の母は心を病んでたんだ。あの人がなんと言ったのか知らないけど、子どもが出来たのを知ったじいさんはきちんと責任を果たしていたよ。だからそのつてでオレはイタリアに行っていたわけだ」
「じゃあ……おまえの母親が児童養護施設にいたってのは」
「それは事実だ。そこで早谷宮雄の養子になったのも本当だ」

 どこで脚色されてしまったんだ? 兄貴は直接、冬華の母に話を聞きに行ったと言っていたが……。

「……冬華の母が嘘を話したのか」
「だからあの人、病んでたから。そのせいでお袋は施設に預けられたんだよ」
「早谷のところを逃げ出したというのは?」
「それも……残念ながら、本当だ」

 冬華が母親から受けたことというのは、事実ではなかったと? それならばいいのだが、病んでいたというのも気にかかる。

「ばあさんは……あの人はほんと、困った人だよ」

 どうやら、虚言癖がある人だったようだ。

「じいさんはイタリアの資産家だったみたいで、オレは勉学を兼ねて行ってこいって言われて行っていた」

 そこは空知とは違って、居心地が良かったという。

「じいさんもいい人でさ。オレの身体には優しい気候だったな」

 懐かしそうに目を細める潤哉に、それならどうして日本に帰ってきたんだなんて言えなかった。
 潤哉がある覚悟をもって、日本に帰ってきたのが分かっていたからだ。

     ***

 ようやく熱も上がることがなくなり、傷口もほぼ治っていた。熱が下がればすぐにでも退院出来たのだが、なかなか下がらずに困った。仕事の疲れもたまっていたのもあるのだろう。
 ずいぶんと休んでしまって兄貴には迷惑をかけたなとは思ったが、こればかりは仕方がない。
 文緒と潤哉がいたので、先ほどの検査結果のことを軽く話した後、

「退院が決まった」

 と告げた。
 その途端、部屋は緊迫した空気に包まれた。

「そうか。それはよかった」

 潤哉の強ばった顔。
 俺たちはたくさんの話をしてきたが、あえて避けてきた共通の話題があった。
 それは、十二年前の別荘での事件。
 これからその話をしようとしたのが伝わったのか、

「……じゃあな。もう、二度と会わないよ」

 とだけ言うと、潤哉はきびすを返して部屋から出て行こうとした。

「待てよ、潤哉」

 二度と会わないなんて、どうしてそんなことを言うんだ。

「まさかおまえ、死ぬ気か」

 潤哉がこのタイミングで帰ってきたのはどうしてだろうかとずっと考えていた。潤哉一人で現れたということは、もしかして潤哉の専属執事だった守矢さんが亡くなったからかと思い、兄貴にお願いして、調べてもらった。
 予想通り、守矢さんは亡くなっていた。
 高齢だったから仕方がないのだが、俺も色々とお世話になったから、残念で仕方がない。
 潤哉はイタリアは居心地が良かったとは言っていたが、やはり、一人というのに耐えられなくなったのか。特定の恋人もいなかったようだし、本当にこいつは淋しがり屋だな。

「……死なないよ。もう、あんな痛い思いはごめんだ」

 潤哉は背中を向けたまま、そう口にした。
 顔や手など隠れていない場所に見える傷跡を見ると、どれだけ痛い目に遭ったのか、分かる。潤哉のナイフが刺さった傷も良くなったとはいえ、たまにじくじくと痛むから、潤哉はもっと痛かったのだろう。
 この傷の痛みを感じる度に、俺は潤哉を思い出すだろう。
 だから潤哉、おまえは一人じゃないと言いたいのだが、なんだかものすごく照れくさくて言えなかった。それとは別に、十二年前に言おうと思って言えなかったことを伝える。

「潤哉。あの四人を殺したって警察へ行ってくれ。確かにあいつらはほめられた人間ではなかったが、喬哉兄さんは望んでいなかったはずだ」

 俺の言葉に潤哉は振り返り、あの華やかな笑みを浮かべてこちらを見ていた。その変わらぬ笑みに、俺は胸が詰まる。

「罪だと思ってなくてもか?」

 華やかな笑みのまま、だけど突き刺されるかのような鋭い視線をこちらに向けている。挑むようなその視線を受け、俺は腰掛けていたベッドから立ち上がる。横に立っていた文緒が俺の手をつかみ、指を絡めてきた。それに勇気をもらう。

「そんなこと、ないだろう? 良心の呵責にさいなまれて、日本に戻ってきた。そうではなかったら、イタリアに死ぬまでいただろう?」
「…………」

 図星だったようで、潤哉の顔から笑みが消えた。
 たぶん、これも理由の一つだ。
 あの別荘の事件までは、あの四人に復讐をすることを胸に、潤哉は生きてきた。それが成就し、目標を失ってしまった潤哉を守矢さんは死ぬまでずっと、支えてきた。その守矢さんが、亡くなった。
 潤哉は自分のやってきたことが本当に正しかったのか、迷い始めたのだろう。そして自分を確認するために、日本に戻ってきたのかもしれない。




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