愛から始まる物語


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【約束】03



     * * *

 額に冷たい感触。
 あ、俺──。
 まだ、生きている。

「ご飯の準備、出来たぞ」

 潤哉の声。
 文緒と潤哉がなにやら言い合いをしている。だけど、それはじゃれ合ってる感じで、俺はうれしくなる。
 潤哉は俺が唯一認めた、『親友』だ。文緒と仲良くしてくれるのはうれしい。……奪われるのは歓迎しないが。

「大人しく座らないと、犯すぞ」

 あ、潤哉の口癖が出た。しかし、文緒にそれを言うのは、冗談に聞こえないから勘弁してほしい。予想通り、文緒は引いているようだ。
 そういえば、潤哉はたくさんの人と食事をするのを好んでいた。そういうところは派手好きな哉賀(さいが)に似たんだろうな。
 並んで座って食べているなんて、嫉妬で胸が押しつぶされそうなんだが、先ほどの無理がたたって、起きることが出来ない。
 耳だけはダンボのように大きくして、話を聞く。
 朝食が済み、片付けをして……文緒はどうやら、智鶴さんに電話をしているらしい。
 電話が終わり、文緒と潤哉がまた、話し始める。
 潤哉が俺に近づいた動機。当初の目的。

「最初、睦貴に近寄って友だちになって……実はおまえのことが大嫌いだったんだと突き落とすことで復讐にしようと思っていた」

 確かに潤哉、それを実際にされると痛い。好意を持たれていたと思っていたら、実は違っていた、なんて。思い出すだけで胸が激しく痛む。
 潤哉は独白に近い形でしゃべっている。文緒相手だとつい、油断して色々と話してしまう。それは潤哉も同じようだ。
 文緒なら許してくれるような、そんな気持ちにさせてくれる。

「みんなオレより劣っている。どこか周りの人間を馬鹿にしていた部分があったんだ。それを睦貴が木っ端みじんに砕いた。悔しかったんだ。オレが、このオレさまが負けるわけない。努力して、がんばっても──睦貴は軽々とオレを乗り越えてクリアしていくんだ」

 潤哉はいつだって自信満々だった。どうしてあんなに自信を持てるのか、俺は知りたかった。
 潤哉は周りの人間をそんな風に見ていたのか。俺とはまったく逆の見方をしていたことを知った。どんなにがんばったって、自分より上の人間というのは存在する。油断したら潤哉に取って代わられる危険は常にはらんでいた。足をすくわれないように不安を抱えながら、気を張っていた。
 それにしても潤哉、おまえってそんなにオレさまだったんだな。気がついてはいたけど、改めて認識してしまったよ。
 文緒と潤哉の会話を盗み聞きしているような状態に心苦しかったが、潤哉の考えていたことを知ることができて良かった。
 そして潤哉も俺と同じように『親友』だと思ってくれていたことが、ものすごくうれしかった。

     ***

 文緒と潤哉の会話はまだ続いていたが、気がついたら少しの間、眠っていたようだ。

「睦貴も言っていたじゃない。殺したって死んだ人は生き返らないって!」

 文緒の声が聞こえた。

「分かっている。それでも、自分の手であいつらに引導を渡さなくては気が済まなかったんだ。あいつらのせいでオレの人生は狂ってしまった」

 もしもあんなことがなければ、潤哉はどうなっていたのだろうか。
 あの四人がいたから、俺は潤哉と出会えた。もし、あの一件がなければ、俺と潤哉は会うことがなかった。そう思うと、とても皮肉な運命だなと思う。

「だけど……喬哉兄さんはあなたにこんなになってほしくてメモを残した訳じゃないと思うの。自分が大変な目に遭ったから、大切なあなたにそうなってほしくなくて残したものなんじゃないかな」

 文緒のその読みに驚いてしまう。時々、びっくりするほど核心を突いてくる。
 俺は喬哉兄さんを直接は知らない。しかし、兄貴の話と潤哉の態度を見て、文緒が言うような想いを込めて残した物だと俺も推測していた。

「ま……さか」
「あなたがそれだけ喬哉兄さんになついていたってことは、とっても素晴らしい人だったと思うの。そんな人があなたに不幸になってほしくてメモを残した訳ではなくて、幸せになってほしくて……って。ちょっと!」

 喬哉も俺と同じで、潤哉に幸せになって欲しかったのだろう。しかし、潤哉は……喬哉の思いを取り違えてしまった。彼は復讐をしてほしいなんて思いもしなかっただろう。
 文緒の慌てている気配を感じた。俺の側に置いてあるバッグにやってきてなにかをあさり、またソファへと戻った。
 そして突然、病室内に驚くほどの大声を上げて泣き始めた潤哉がいた。
 双子だって、咲絵だってそんなに大声で泣くことはないってくらい、生まれたばかりの赤ん坊のように泣きじゃくる潤哉。
 俺が文緒を取り上げた時と同じように彼もまた『今』この世に生を受けたのだろうか。人間はいつだって
「生まれ変われる」
。俺は文緒によって、そのことを知った。
 それともその涙は、呪いのようにまとわりついていたなにかを流してしまうものなのだろうか。それならば気が済むまで泣くのがいいと思う。
 泣いたからといって、潤哉が犯した罪は消えない。だけど、詰まっていたなにかを流すことで気持ちの整理がつくのなら、それでいいと俺は思う。
 しかし、あれだけ泣いたら、すっきりして気持ちがいいだろうなぁ。俺も泣こうかな。と思って泣けるものでもないか。……泣こうと思って泣けるのなら、苦労しないよな。
 しばらくして、室内は静かになった。そして、だれかが近づいてくる気配。それが文緒であるのは、すぐに分かった。

「お疲れさま」

 声をかけたら、ひどく驚かれた。寝ていると思ったのだろう。
 額に置かれていたタオルを取り替えてくれた。ものすごく冷たかった。

「夢を見てた」

 先ほどの文緒を見ているだけの夢ではなくて、今度の夢は、きちんと文緒のぬくもりも感じられるものだった。

「文緒と潤哉……それに子どもたちに囲まれている夢。昔は夢を見たらモノクロだったし、悲しい夢ばかりだったけど、今は明るくて楽しい夢ばかりを見るんだ。文緒のおかげだよ、ありがとう」
「なんでそんなことを急に」

 不安そうな表情をした文緒に、俺は笑みを向ける。そして本物の文緒のぬくもりを感じたくて、その頬に手を伸ばした。ほんのり温かくて、柔らかで、文緒の体温を感じられた。

「死なないよ、心配しないで。あいつはさ、俺以上に意地っ張りだから。なのに潤哉のヤツ、あんなに泣くなんて……。文緒に心を許した証拠だよ」

 どうしてだろうか。
 昔から俺も文緒に救われてきた。
 文緒が生まれた瞬間。俺も共にようやくこの世に生を受けることができた。
 母から逃れなくてはならない──そう思えるようになった。
 潤哉と出会ったことで自我を持つことを覚え、文緒と出逢い、自立しなくてはならないことを知った。
 俺にとって二人の存在はとても大きなもので、潤哉と会っていなかったら、もしかしたら文緒とも出逢えていなかったのかもしれない。
 ──潤哉の人生を狂わせたのは、俺という存在だったのかもしれない。
 辰己真理のように、俺は他人の人生に多大なる影響を与えられるほどの人間ではない。そう思っていたのだが、しかし、『生きる』ということは他人との関わり合いでもある。多少なりとも、直接・間接関わらず、だれかに影響を与えているのかもしれない。
 そう考えたら、急に怖くなった。
 『生きる』ということは、こんなに大変なことだったのだろうか。

「もう少し寝るよ」

 これ以上、考えるのが恐ろしくなり、俺はそこで思考を止めた。

「うん。ゆっくり寝て、早くよくなってね。アキさんが迎えに来てくれるらしいから、私は一度、お屋敷に戻ってからまたくるね」

 俺は文緒の言葉にうなずき、瞳を閉じた。

──だれかに影響を与えるだとか、だれかから影響を与えられたとか、考え出したらきりがない。
 昔のように身動きが取れないからと引きこもっていられないのだ。もう俺は、甘えていられない。
 文緒と子どもたちを守らなければならないのだ。
 守る物を持つとこれほど強くなれるのか。
 家族を持つ幸せをかみしめながら、俺は眠りについた。





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