愛から始まる物語


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【約束】05



     * * *


「人を殺すということは、その殺した人間の人生も背負うのと同じだ。あいつらは本当にひどかった。本気で捜査されていないのは、あいつらが死んだことで助かった人間がたくさんいたということでもある。だけど、殺す必要はなかったよな。いくら復讐といっても、殺すだけが手段ではなかったはずだ。それに、あんな人間の人生を背負う必要はなかった」

 言わなくても潤哉はもう分かっているのだろう。潤哉は下唇をかみ、目を伏せた。

「オレは」

 掠れて震える声。それでも潤哉は続けた。

「おまえがうらやましかったんだ」
「うらやましい?」

 潤哉から思いもしなかった単語を聞き、聞き返した。

「空知の家ではずっと疎外感があった。父は認知はしてくれたがそれだけだ。母はオレのことをずっと疎んでいた。あそこでオレを認めてくれたのは、喬哉兄さん、ただ一人だった」

 空知の屋敷に行ったとき、確かに妙な空気はあった。家族らしき人は見当たらず、だけど遠巻きに従業員たちがこちらを見ていて……。

「前に一度、屋敷に行ったとき、ケーキと紅茶を持ってきてくれたのはおまえの母親だろう?」

 突然、思い出したくもない人物を言われ、心臓が止まりそうになる。潤哉は知らないのだ、あいつと俺の間にあった関係を。

「……そうだ」

 自分の表情が強ばるのが分かる。だけど潤哉は下を向いているから、気がついてないようだ。俺の表情を見ていれば、絶対に聞かれただろう。どうしてそんな顔をするのか、と。だから良かった。

「それに兄もいて、なに一つ不自由のない生活をしている。失った物はなにもなくて、それでいてオレはどれだけがんばってもおまえに勝てなかった!」

 そうだ。端から見れば、俺はなに不自由のない生活をしているように見える。むしろ、恵まれているように見えるだろう。だから泣き言を言ってはいけないのくらい、分かっていた。だけど潤哉もそう思っていたのかと思うと悲しくなった。

「いろんなヤツにそう言われたよ。両親は健在で金があり、しかも次男坊でなんでも思い通りに出来るって。成績も実は金で買ってるんじゃないかとも言われた。あの高校だって実は裏口入学だったのだろうと影で言われていたよ。そんなことないのは潤哉も知っているだろう? だけど、出来て当たり前と思われていたんだ」

 『高屋』というだけで色眼鏡で見続けられた。そのことに卑屈になることもたまにあったが、そうすれば周りのヤツは喜ぶだけだった。
 あまりかまわれた覚えはないが、親父は厳しかった。あの人は出来て当たり前とは思っていなかったけど、出来なければ容赦なく、出来ればきちんと褒めてくれた。

「親父はそんなに甘くなかったよ。それに、『高屋』に生まれたプレッシャーを常に抱えていた。……こう言えば満足か?」

 今の俺は、もう『高屋』ではない。文緒が俺の願いを叶えてくれた。『高屋』のままだったらこんなこと、言えなかっただろう。
 だけど、敦貴と瑞貴には結局、この枷をつけることになってしまった。

「それに──」

 母との関係を告白しようとしたら、なにを言おうとしたのか察した文緒に止められた。こんな不毛な話、確かに知らない方がいいことだろう。

「だから睦貴を殺そうとしたの?」
「そうだ。オレは睦貴がひどくうらやましかったのだ。それにずっと、文緒、おまえのことも忘れられなかった。睦貴が持っている物、すべてがほしかった」
「じゃあ……私が睦貴の物ではなかったら、要らなかったんだ」

 それは違うと思う。潤哉も分からなくなっているのだ。潤哉が俺をうらやましかったというのはともかくとして、文緒を欲したのも確かだ。
 文緒が俺と結婚していてもいなくても、文緒の側に俺がいてもいなくても、潤哉はきっと、文緒を求めただろう。俺が文緒を求め、ずっと側にいて欲しいと願ったように。
 だけど、文緒は俺が生きていく上で必要な人だ。渡すわけにはいかない。それだけは譲れない。
 潤哉は俺を殺して、俺に成り代わろうとしたのだろうか。
 だれかを殺すことは、殺した人間の人生を背負うことになる。確かに俺は先ほど、そう言った。潤哉は俺の人生を背負うことが出来たのだろうか。
 ヘタレな俺には、他人の人生まで背負うほどの覚悟も根性もない。
 そういう点では、潤哉の方がずっとすごいと思う。俺をうらやましがる理由がまったく分からなかった。
 それにだな、毎回思うのだが……どう考えても、潤哉の方がいい男だろう。
 人は見た目ではないとは言うが、勉強は潤哉にはかろうじて勝っていたけど、他は負けっぱなしだったぞ!

 その後、計算したようなタイミングで兄貴が現れたり(あれは絶対にタイミングをはかっていた!)、文緒は兄貴の頬にキスしたり……今までは人目を気にしたけど、もう我慢しないことにした! あの時にキスしておけば良かったと後悔するのはもう嫌だ。夢の中でぬくもりを感じられなかったのが、俺にはよほど堪えていたらしい。

「ほっぺでいいの?」

 なんて、それで満足するわけがないだろう?
 俺は文緒を抱きしめ、唇を重ねる。それだけでやっぱり満足しなくて、舌を入れて絡めたら……文緒は甘い吐息を吐いた。やばい、これ以上は俺以外の人間に見せるのは危険すぎる!
 潤哉がこちらを見ていたので、

「文緒は俺のものだから、ダメ」

 と言ってやったら、

「……見せつけやがって」

 と悔しそうな表情を見せてくれた。
 性格悪いと言われてもいい。文緒は、文緒だけはダメだ。
 そうしたらだ、文緒のヤツ。潤哉を手招きして、あろうことか、頬にキスをしてやがる。

「睦貴と間接キス」

 なんて言って……! そんなことしなくても、潤哉がして欲しいっていうのなら、頬だろうが口だろうがディープだろうがやってやる! 文緒にやらせるよりは何百倍もその方がいい!

「ちょ、ちょっと、文緒さま!」

 だめだめ。真理の時は仕方がないと思ったけど、潤哉はダメだ!
 俺はどうやら思いっきり、潤哉のことをライバル視しているんだなと気がついた。
 潤哉に激しく嫉妬しているのを自覚しながら、俺は文緒の唇をふさぐ。相変わらずたどたどしい文緒のキス。もうこれなしでは生きていけない。
 側にいればいいなんて言わない。いるだけではダメなのだ。
 ぬくもりを感じ、肌を合わせ、一つにならなければ満足出来ない。
 一つ願いが叶えばそれだけで満足出来ない。欲深い人間なのだなとつくづく思い知らされる。どん欲で、底を知らない。
 俺はそれでいいと思う。
 俺はずっと、文緒を求め続けるだろう。


「もう、睦貴の声を聞けないかと思っていた」

 悲しそうな声に、今回の事件で文緒を激しく不安にさせたことを思い知った。

「文緒を残してはいかないよ」
「本当? 約束してくれる?」
「ああ、約束するよ。文緒──」

 それがたとえ、モノクロの世界へと戻す呪いの言葉だとしても。
 文緒を一人にはしない。文緒は俺のわがままを叶え、そして俺の人生に巻き込んでしまったのだから。

「愛してる」

 その言葉が免罪符になるわけではないのは知っている。初めて抱いた時にも思ったけれど、だけどそれ以上の言葉を俺には思いつかなかった。

「睦貴、もっと声を聴かせて」

 唐突になにを言い出すんだ? そう言われると、しゃべるのが恥ずかしくなるじゃないか。

「俺、あまり話すこと、ないぞ。絵本を読むでいいか?」
「それでもいいけど、もっと名前を呼んで」

 文緒のお願いに、俺は改めてその名を呼ぶ。照れくさくて仕方がないんだが。

「文緒」

 名前を呼んだだけなのに、文緒の頬はほんのりと赤くなっている。

「文緒、愛してる」
「私も──愛してるよ。だから睦貴、お願い。私を置いて、行かないで」
「約束するよ。俺は文緒のことをずっと待っていた。置いていかないし、これからも待っているから」

 この先、もしかしたらまた文緒を不安な気持ちにさせてしまうことがあるかもしれない。だけど、俺は約束する。
 文緒を置いてはいかないと。
 どこへ行くにも文緒だけは連れて行く。そのことで文緒を失うことになったとしても、だ。
 いや、あり得ない。
 俺は文緒を守らなければならない。それは義務。
 俺の人生に巻き込んでしまった責任なのだから。
 俺は文緒と約束のキスを交わす。
 文緒を置いていかない──その約束を自分の中へと深く刻み込むのだった。

【おわり】




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