愛から始まる物語


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【Voice】12



     ***

 双子と咲絵は、お母さんに睦貴が退院するまで見てもらうことになったので、私は心置きなく病院に泊まり込んだ。
 潤哉は気まぐれに訪れ、睦貴と三人で交えて話をしたり、睦貴と潤哉だけで話をしたり、睦貴が寝ていたら潤哉と二人で話をしたりした。
 話の内容は真面目な話だったり、思い出話だったり。他愛のない、どうでもいい話が多かった。
 私たちは分かっていた。三人に共通する話題は、十二年前の夏の出来事しかないということを。だけど、分かっていながらも避けていたのだ。

「退院が決まった」

 睦貴のその一言に、室内は妙な緊張に包まれる。

「そうか。それはよかった」

 潤哉の強ばった表情。
 ベッドに腰掛けている睦貴の横に立ち、その腕をぎゅっと握った。これからきっと、避けていた話をするのだ。

「……じゃあな。もう、二度と会わないよ」

 潤哉はそれだけ言うと、逃げるようにきびすを返して部屋から出て行こうとした。

「待てよ、潤哉」

 前に聞いたことのある、身を切り裂かれそうなきつい声。

「まさかおまえ、死ぬ気か」
「……死なないよ。もう、あんな痛い思いはごめんだ」

 こちらに背中を向けたまま、くぐもった声。

「潤哉。あの四人を殺したって警察へ行ってくれ。確かにあいつらはほめられた人間ではなかったが、喬哉兄さんは望んでいなかったはずだ」

 背中を向けていた潤哉はこちらを振り返り、目を奪われる華やかな笑みを浮かべていた。

「罪だと思ってなくてもか?」

 潤哉は笑みを浮かべてはいたが、挑むような視線を睦貴に向けている。睦貴はそれを受け、ベッドから立ち上がった。私は睦貴の手をつかみ、指を絡めた。

「そんなこと、ないだろう? 良心の呵責にさいなまれて、日本に戻ってきた。そうではなかったら、イタリアに死ぬまでいただろう?」
「…………」

 潤哉はわかりやすい、すぐに表情に出るから。睦貴のその言葉は図星だったようで、顔から笑みが消えた。

「人を殺すということは、その殺した人間の人生も背負うのと同じだ。あいつらは本当にひどかった。本気で捜査されていないのは、あいつらが死んだことで助かった人間がたくさんいたということでもある。だけど、殺す必要はなかったよな。いくら復讐といっても、殺すだけが手段ではなかったはずだ。それに、あんな人間の人生を背負う必要はなかった」

 下唇をかみしめ沈黙を守っているが、潤哉はもう、わかりきっていたのだろう。睦貴を射るようににらんでいた視線は力を失い、目を伏せた。

「オレは」

 掠れて震える声。それでも潤哉は続けた。

「おまえがうらやましかったんだ」
「うらやましい?」
「空知の家ではずっと疎外感があった。父は認知はしてくれたがそれだけだ。母はオレのことをずっと疎んでいた。あそこでオレを認めてくれたのは、喬哉兄さん、ただ一人だった」

 その心の支えであった喬哉兄さんは、あの四人が原因で自殺してしまった。恨みたくなる気持ちも分かる。分かるけど……。

「前に一度、屋敷に行ったとき、ケーキと紅茶を持ってきてくれたのはおまえの母親だろう?」

 一瞬の沈黙。

「……そうだ」

 睦貴の眉間に、辛そうにしわが寄る。目を伏せている潤哉は、その表情に気がついていない。

「それに兄もいて、なに一つ不自由のない生活をしている。失った物はなにもなくて、それでいてオレはどれだけがんばってもおまえに勝てなかった!」

 そんなことない、と私は叫びたかった。
 睦貴は沈黙したまま、じっと潤哉を見ている。代わりに違うと潤哉に伝えようかと思った時、睦貴は口を開いた。

「いろんなヤツにそう言われたよ。両親は健在で金があり、しかも次男坊でなんでも思い通りに出来るって。成績も実は金で買ってるんじゃないかとも言われた。あの高校だって実は裏口入学だったのだろうと影で言われていたよ。そんなことないのは潤哉も知っているだろう? だけど、出来て当たり前と思われていたんだ」

 そんなことを言われていたなんて、知らなかった。睦貴はどんな思いでそれらを聞いて、受け止めていたのだろうか。

「親父はそんなに甘くなかったよ。それに、『高屋』に生まれたプレッシャーを常に抱えていた。……こう言えば満足か?」

 いつにない自嘲気味なその言葉に、私は不安になり睦貴を見上げた。先ほど寄っていた眉間のしわはなくなってはいたが表情はなく、いつも以上に読めなかった。

「それに──」

 その先の言葉を想像して、私は首を振り、睦貴を止めた。

「だから睦貴を殺そうとしたの?」

 睦貴に口を開いて欲しくなくて、私は潤哉にそう問いかけた。

「そうだ。オレは睦貴がひどくうらやましかった。それにずっと、文緒、おまえのことも忘れられなかった。睦貴が持っている物、すべてがほしかった」
「じゃあ……私が睦貴の物ではなかったら、要らなかったんだ」

 なんだかひどく悲しかった。
 私自身を見てもらえなかったことが悲しかったわけではない。私は睦貴しか要らないから、別に他の人にどう思われてもいい。睦貴になりたいなんて、自分を否定するしかない潤哉が悲しかったのだ。

「──もう、どうでもいいんだ」

 すべてを諦めてしまったかのような声に、睦貴は私を連れて潤哉の元へと向かった。

「どうでもよくない」

 睦貴は、子どもたちに向かって怒るときと同じように腰に手を当て、潤哉を見ている。

「とにかく、警察へ行け。俺は十二年前のあの時、おまえにそう言えなかったことをずっと後悔していたんだ。生きているのが許せないという気持ちは痛いほど分かった。でも、殺していいわけ、ないだろう?」
「あんな人間、死んだ方が良かったんだ」
「あのな……」

 睦貴は大きなため息をつき、潤哉を見る。

「殺していい命なんて、一つもないんだ。ヤツらも経営者だ。あいつらに雇われていた従業員だっていた。やってきたことはいいことばかりではないが、悪いことばかりでもない。あいつらが死ぬことでその人たちが路頭に迷うとか、家族に迷惑がかかるとか考えなかったのか」
「…………」
「世の中、きれい事だけでは成り立たないのはさすがにこの年になれば身にしみて分かっている。それにもう、過ぎ去ってしまったことだ。やってしまったことはもう戻らない。それならば、その罪をきちんと償うべきではないか?」

 そこで一度、睦貴は言葉を区切った。

「どうでもいいんだろ? だったら、俺にその命、預けろよ。警察に出頭して、あとは兄貴が上手くやってくれるよ、な?」

 その声とともにアキさんが室内へ入ってきた。アキさんが来ているなんて、全然気がついてなかった。

「……おまえな。どうして気がつく」
「ちょっと隙間が空いて、見えたから」

 全然、気がつかなかった。

「空地潤哉、か。愚弟が色々とお世話になったようだな」

 アキさんは大股でこちらへと入ってきた。

「ア、アキさんっ! わ、私からもお願いしますっ。私にとっても、睦貴の次の次の次くらいに大切な人だから……」
「おいっ! なんだ、その本当に大切なんだかどうか分からない順位はっ!」

 先ほどまでうなだれていた潤哉は顔を上げ、私に向かってそう吠えてきた。

「だって、一番大切なのは睦貴でしょ。その次が子どもたちで、蓮となっちゃんとみんなも大切で……その次かな」
「……なんだか微妙に屈辱感があるんだが」
「仕方がないでしょ、身内が一番大切。それ以外で一番大切な人にしてあげたんだから、ありがたく思いなさいよ」

 隣に立っている睦貴は肩をゆらして笑っている。ひどい。

「……文緒がそう言うのなら」
「わー! さすがはアキさん! 大好きっ!」

 私はアキさんに飛びつき、その頬にキスをした。するとアキさんは面白いくらい真っ赤になってくれた。

「オレには?」
「それはやだ。アキさんは身内だもん」
「……俺は?」

 睦貴がものすごく淋しそうな表情をして私を見ている。





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