【Voice】11
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「おまえの母親が実は睦貴と通じていた、ということは?」
突然告げられた突拍子もない言葉に、私は思わず口を開いたまま、潤哉を見た。
「あ、ありえないから! 蓮となっちゃんがどれだけ仲がいいか知らないから言えるんだよ! なっちゃんと睦貴が? ありえないっ! そんなことがあったら、蓮がとっくの昔に睦貴を殺してるよ!」
そんなこと、初めて言われた! あり得ない、絶対にあり得ないって!
「なるほど。自らの手で取り上げたから『娘』と言っていたのか」
納得したらしい潤哉はそうつぶやき、体勢を変え、ソファにもたれかかった。
「オレは死ぬ気で飛び込んだのに、残念ながら、一命を取り留めてしまった。が、生死の境をさまよい……これなら素直にあの時、死ねていたら楽だったのにと思ったほどだった。きっと、睦貴にあんなひどいことをした罰が当たったんだよな」
自嘲気味に笑う潤哉に、なんと言えばいいのか分からなかった。生き残ったことに対して、悔やんでいる。生きていて良かったじゃないと言いたいけど、うかつなことを言えない空気が漂っていた。
この人も苦しんだ。だからってやったことが帳消しになるわけではないけど……。
「ようやく動けるようになったのは、あれから何年経った後だったんだろう。動けるようになったらすぐに追い出されるように日本からイタリアに行かされ……今思えば、ずいぶんとすさんだ生活を送ったな。こんな身体になったのは睦貴のせいだとずっと恨んでいたし……そして、喬哉兄さんのメモを読み違いしていたことにも気がついて、どうあってもあいつらに復讐をしたくなったんだ」
「睦貴を恨むのはお門違いじゃないの!」
「そうかもな。だけど、あの時のオレには、睦貴は心の支えだったんだよ」
イタリアで知り合った人たちに色々教わり、潤哉は復讐の準備を着実にしていたという。そんなことをしたって無駄だって分かっていただろうけど、それがあの時の潤哉の生きる原動力だった。なんと悲しい人なんだろう。
「そして、十二年前の別荘の事件──」
「そうだ」
「あの四人は確かに褒められた人物ではなかったけど、だからって殺すことはなかったじゃない! 証拠をつかんで警察に行けば!」
ずっと思っていたことを潤哉へと告げると、鼻で笑われた。
「警察に? ああ、証拠はいくらでもつかんでいた。警察に持っていけば確実に逮捕される証拠をな。だけど、警察に託したら、この気持ちのやり場はどこに行けばいい?」
「睦貴も言っていたじゃない。殺したって死んだ人は生き返らないって!」
潤哉は身体を起こし、私へ迫ってきた。
「分かっている。それでも、自分の手であいつらに引導を渡さなくては気が済まなかったんだ。あいつらのせいでオレの人生は狂ってしまった」
悲痛な声になんとも言えなくなる。
「だけど……喬哉兄さんはあなたにこんなになってほしくてメモを残した訳じゃないと思うの。自分が大変な目に遭ったから、大切なあなたにそうなってほしくなくて残したものなんじゃないかな」
私のその言葉に、潤哉は驚いたように目を見開いた。
「ま……さか」
「あなたがそれだけ喬哉兄さんになついていたってことは、とっても素晴らしい人だったと思うの。そんな人があなたに不幸になってほしくてメモを残した訳ではなくて、幸せになってほしくて……って。ちょっと!」
目の前の潤哉は目を見開いたまま、微動だにせず涙を流している。私は慌てて立ち上がり、睦貴の荷物の中からタオルを取り出してソファへと戻る。タオルを差し出すと潤哉は腕ごと私の身体を抱きしめ、びっくりするほど大声を上げて泣き始めてしまった。
敦貴と瑞貴でさえこんな風に泣くことがないのに。
いい年した男の人がこんなに声を上げて泣くなんて思ってもいなかったから、私はあらがうことも出来ず、なされるがままになっていた。
私の肩の辺りに顔を埋めて泣きじゃくる潤哉に戸惑う。そして睦貴とは違うぬくもりと匂いに狼狽した。
どれくらい経ったのだろうか。私に抱きついていた力が抜け、規則正しい呼吸音が聞こえてきた。泣き疲れて寝てしまったらしい。私は潤哉を起こさないようにゆっくりとその腕から抜け出し、ソファに横たわらせて布団を掛け、睦貴の元へと行った。
「お疲れさま」
睦貴はどうやら、目を覚ましていたようだ。急に声をかけられて、驚いてしまった。
「い……いつから?」
眠っているとばかり思っていたから、何一つ後ろめたいことはしていないはずなのに、たじろいだ。
「だいぶ前からかなぁ。朝ごはんのいい匂いに目が覚めたんだけどぼんやりしていて、そうこうしているうちにまた気がついたら寝ていたようで、ちょうど潤哉が俺のことを『親友』だと思っていたというあたりで気がついた。うれしかったよ」
額に乗せていたタオルを触ると、ずいぶんと熱くなっていた。
「睦貴、苦しくない? 大丈夫?」
「頭はかなりぼんやりしているけど、思ったよりは大丈夫みたいだ」
タオルを取り、水で濡らし直して先ほどと同じように乗せてあげる。
「うわっ、冷たい」
「そんなに冷たくないよ。それだけ睦貴の熱が高いってことだよ」
手首をつかまれ、引っ張られた。睦貴の顔が急に近くなり、驚いていると唇を重ねられた。
「夢を見てた」
その表情は思っていたより穏やかで、悪夢でなかったことを知った。
「文緒と潤哉……それに子どもたちに囲まれている夢。昔は夢を見たらモノクロだったし、悲しい夢ばかりだったけど、今は明るくて楽しい夢ばかりを見るんだ。文緒のおかげだよ、ありがとう」
「なんでそんなことを急に」
嫌な予感がして、睦貴にしがみつく。睦貴は私の頬に手を当ててきた。その手はやっぱりいつも以上に熱い。
「死なないよ、心配しないで。あいつはさ」
とソファの上に寝ている潤哉に視線を移し、続ける。
「俺以上に意地っ張りだから。なのに潤哉のヤツ、あんなに泣くなんて……。文緒に心を許した証拠だよ」
そういうと、睦貴は目を閉じた。
「もう少し寝るよ」
「うん。ゆっくり寝て、早くよくなってね。アキさんが迎えに来てくれるらしいから、私は一度、お屋敷に戻ってからまたくるね」
うなずいたのを確認してから、私は睦貴の側から離れた。
アキさんがいつ来てもいいように準備をしていたら、どうやら潤哉は目を覚ましたようだ。最初、ぼんやりとした表情をしていたが、次の瞬間にはソファから驚く速さで立ち上がり、私の側までやってきた。
「オレ、どれくらい寝ていた?」
「一時間も寝てないくらいだと思うけど」
「そう……か」
なぜかほっとした表情を浮かべていた。
「私、一度、お屋敷に戻るけど、潤ちゃんはどうする?」
荷物を確認しながら何気なくそう聞いたら、潤哉は、
「じゅ……潤ちゃん?」
と聞き返してきた。
「潤哉と呼んだ方がいいの?」
「で……できたら」
ふと視線を上げると、真っ赤な顔をした潤哉がいて、思わず吹き出した。
「どうして赤くなってるの?」
「あ……赤くなんかなってない!」
私の指摘にさらに赤くなっている潤哉が面白くて、ついついからかってしまう。とても年上とは思えない。
さらになにか言おうとしたところ、私の携帯電話が鳴った。ディスプレイを見ると、アキさんだった。
『下の駐車場にいる。すぐに降りて来られるか?』
「あ、行きます」
私は携帯を切ると、潤哉を見た。
「どうする? ついてくる?」
「いや。やめておく。またくるよ」
潤哉はそれだけ言うと、止めるまもなく部屋を出て行った。
「睦貴、一度戻ってくるね」
眠っている睦貴に一言伝え、私は部屋を出た。