愛から始まる物語


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【Voice】09



     ***

 潤哉は唐突に、

「お腹が空いた」

 とつぶやいた。それにつられて、私のお腹も鳴った。

「くっ……。面白いな」

 笑い出した潤哉に、すっかり私は毒気を抜かれてしまった。ため息をつき、朝ごはんを買いに行くことにした。

「あ、オレもついていく」

 潤哉は私の後ろを嬉々としてついてくる。
 この人、本当に睦貴と同じ年なんだろうか。そこで自分の年齢にプラス十六をして、気が遠くなった。
 ……たぶん、考えたら負けだ。考えるのはよしておこう。
 犬のようにしっぽを振りながらついてきている潤哉に頭痛を覚えつつ、私たちは病院の売店へと向かい、朝ごはんを買った。

「悪いけど、一緒に払ってくれる? ちょっと今、持ち合わせがないんだ」

 そう言って、レジの上にどっさりと商品を置く。
 ……ちょっと、なにを考えてるの、この人はっ!
 切れそうになりながらも、ここでけんかをするのはさすがにまずいと思い、潤哉の分もしぶしぶとお会計を済ませ荷物を持とうとしたら、さすがに持ってくれた。これも持てと言われたら後で怒ってやろうと思ったのに、残念だ。
 行きと同じように潤哉を後ろに従えて、私たちは睦貴の眠る病室へと戻った。
 ベッドの上に目を向けると、睦貴は先ほどと変わらず、眠っているようだった。確認のために近寄り、おでこを触ってみる。
 怖いくらいに熱くて、そこでタオルを水で濡らしておでこに当てるということを思いついた。睦貴のために持ってきた荷物の中にタオルがあったはず。
 ベッドの横に置かれたかばんを開け、タオルを探して水に濡らしておでこに乗せた。
 少し楽になったのか、若干、睦貴の表情が柔らかくなったような気がする。

「ご飯の準備、出来たぞ」

 そんなことをやっていたら、潤哉に声をかけられた。振り向くと、ベッドの手前に置かれたソファセットの上にいつの間にそろえたのか、先ほど買った食べ物がきれいに並べられていた。

「ほら、食べよう」

 そういうと、潤哉はなぜか自分の隣を叩いて座るように強要している。

「なんであんたの隣に座らないとっ」
「大人しく座らないと、犯すぞ」
「……はあ?」

 もう、なんなのこの人。

「いいから」
「やだ」
「どうして?」
「どうして、なんて聞くの? 横に座ったら触ってくるでしょ?」
「触らないから。それとも、正面に向き合って見つめ合って食べる方がいいのか?」
「…………」

 私は諦めて、潤哉の横に座る。

「触ったら殴るからね」

 まったく知らない仲ではないけど、ほとんど知らない人。その潤哉と仲良く肩を並べて朝食を食べるなんて、思ってもいなかった。

「ご飯、しっかり食べてるのか? 細いし……」

 潤哉はそう言いながら、私の胸のあたりを見る。

「うるさいわね。人が気にしていることをっ」
「なにも言ってないぞ」
「目は口ほどにものを言うっていうでしょ」
「そうか?」

 なんなの、この失礼な人。
 胸がないのはなっちゃん譲りなのよ! それでも、授乳中は少しは胸があったんだからっ!
 思いっきり、潤哉のペースに乗せられてしまっていることに気がつかず、言われる言葉にいちいち反応していた。
 朝食が済み、片付けようとしたら潤哉は、

「あっち行ってろ」

 と言って私をさっさとソファの周囲から追い出した。
 もっと言い方があるじゃない、嫌な感じ。
 むっとしつつ、そういえばお母さんとアキさんに連絡をしていないことを思い出し、電話をかける。お母さんは心配をしていたようで、すぐに出た。

「おはようございます」

『おはよう。こっちは心配しなくても大丈夫……って、もうっ!』
 という声とともに、耳が痛くなるほどの賑やかな声が聞こえてきた。
『文緒、おれたちは大丈夫だから、睦貴の側にいてやれよ』
『さえね、ひとりでおきがえ』
『睦貴、大丈夫?』
 電話の向こうの姿を想像して、くすくすと笑った。三人が電話の争奪戦を繰り広げているのが容易に想像できた。

「睦貴は大丈夫よ。心配しないで」

『そうだよな、睦貴は強いもん。おれたち二人がかかっても勝てないもんな』
『さえねー!』
 もう、返しなさいっ! というお母さんの声とともに、静かになった。
『こんな感じで、朝から元気よ。あまり無理しない程度にね。後でアキをそちらに迎えにやるから』
 ええ、アキさんに迎えに来てもらうの? それは悪いよ!
 でも、だれかに迎えに来てもらわないと帰れないのは確かだ。
『迎えに行く前にアキから連絡を入れさせるから』

「はい、すみません。ありがとうございます」

 素直にお礼を述べておく。
 こちらの様子を伝えて、電話を終えた。
 ふと室内に目をやると、すぐ側に潤哉が立っていた。電話に気を取られて気がつかなかった。

「楽しそうだな」

 冷たい声に揶揄しているのかと思って、にらみつける。

「兄弟仲もいいし、両親はそろっていて仲もいい」

 そういった潤哉の表情はとても淋しそうで、思わず視線を緩める。

「オレにもそんな家族が欲しかったよ」
「作ればいいじゃない。どうして過去形なのよ」
「……無理だよ。それはおまえがよく知っているだろう?」

 自虐的な笑みを浮かべ、こちらを見ている。

「最初、睦貴に近寄って友だちになって……実はおまえのことが大嫌いだったんだと突き落とすことで復讐にしようと思っていた」

 また唐突に始まった、潤哉の過去話。

「だから、睦貴が嫌なヤツであればあるほど、オレは自分の復讐がやりやすいと思ったんだ。だけど……そうやって油断して近寄って、後悔した」

 潤哉はソファへと向かい、腰掛けた。そして、朝食前の時と同じように隣に座るように強要してきた。今度は大人しく座った。

「睦貴は……一度、内側に入れると、とことん甘いんだ。側にいればいるほど、そこは居心地が良かった。今まで居場所なんてどこにもないと思っていたオレに、睦貴は居場所を作ってくれた」

 確かに、睦貴は甘い。見ているこちらが心配するくらい、相手を信用してしまう。だけど、仕事の時は全然違って、情け容赦なかったなぁ。

「早くに離れなくてはならなかったのに、あまりにも居心地がよくて……結果的に、あんな結末を取らなくてはならなかった」
「あんな結末って……」

 私の質問に潤哉は鼻で笑い、

「睦貴の側にいると、居心地はよかった。だけどそれと同時に、やるせない気持ちになったんだ。ヤツは恵まれているのにもかかわらず、すべてを拒み、自分の境遇を嘆き悲しんでいた。オレにはそれが許せなかった。いたずら程度で済まそうと思っていた復讐心というにはあまりにもかわいらしかった気持ちは、睦貴の側にいることで妙な感じにふくれあがってしまった。そして──高屋に復讐を果たすには睦貴を殺すこと、そこまで考えがエスカレートしてしまった。だけど、当時のオレにはそれができなくて──自分を殺すこと、を選択してしまった」

 とんでもない言葉に、私は潤哉を見る。
 睦貴がもし、この時に死んでいたら。私の人生はどうなっていたのだろうか。

「最初はほんと、復讐といっても喬哉兄さんが死んだということを知らせたかっただけだった。復讐という言葉が大げさすぎるほどだ。それなのに、なかなか言い出せなかった。喬哉兄さんが死んだことも知らずに生きている睦貴にいきなり『おまえたちのせいで死んだんだ』と告げるにはオレの覚悟がなかったんだ。睦貴に対してマイナスの感情が大きければ戸惑うことなく言えていたんだろうけど……」

 そういうと、潤哉は大きく息を吐いた。
 睦貴は居場所がなかった潤哉へ心地よい場所を提供した。だから手放したくないと思ったのだろう。睦貴の側を離れるということは、せっかく手に入れたものを失わなくてはならないということなのだから。

「睦貴の側にいて、睦貴を知れば知るほど、だんだんと憎しみが大きくなっていった」
「どうして? だって、睦貴はあなたに居場所を作ってくれたんでしょう?」
「そうだ。作ってくれたさ。それも、本人が自覚することなく、本当に自然と。睦貴の側にいると、ずっと不安定だったオレの気持ちは落ち着いた」

 憎くないといけない相手に対して、安らぎを覚えてしまった。失うことが怖くなっていた潤哉は、身動きが取れなくなった。潤哉はそう感じた自分に憤りを覚え、その気持ちを睦貴へと向けたのかもしれない。
 睦貴の側は落ち着く。睦貴がいなかった四年間、とても辛かったのを思い出した。





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