愛から始まる物語


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【Voice】08



     ***


「ふーん」

 私の後ろから声が聞こえた。今まで沈黙を守っていた潤哉が、面白がっているような声を上げた。

「なるほど。睦貴が怒るのは、その子が絡んだ時だけなんだ」

 からかっているような弾む声に、睦貴の顔を見るのが恥ずかしくて、ゆっくりと顔を上げた。
 睦貴の表情は、予想外だった。私と同じように照れているのではないかと思ったのだが、表情は険しいままだった。潤哉に向けられた鋭い視線なんかとは比較にならないほど鋭利で、一瞬にして切り刻まれそうな辛辣な光を宿し、潤哉を見ていた。たまに見せることのあるきつい視線なんかとは比較にならないほどで、思わず息を飲む。
 私が幼い頃、睦貴は蓮となっちゃんに代わって親となってくれた。優しくて甘やかすだけではなくて、時にはものすごく怒られたこともあったけど、その時でもこんなに怖い顔をしたことはなかった。
 あの例の夏の事件。私がだれにも内緒で睦貴についていってばれた時も怒られたけど、こんなに怖くなかった。
 目の前にいて、よく知っているはずなのに、私の知らない睦貴。
 ねえ睦貴。あなたにはまだどれだけの秘密があるの。私はあなたのその秘密をすべて知ることができるのだろうか。

「文緒は……」

 さすがに立っているのが辛くなってきたのか、私へもたれかかってきた。慌てて睦貴の身体を支える。布越しに伝わってくる熱はやはりいつもよりもずいぶんと高い。

「文緒は、俺がこの世界を正しく認識するために必要なんだ。文緒がいなければ──この世界には、意味がない。もう、色のない世界には……戻りたくないんだ」

 睦貴はそれだけ言うと限界だったのか、体重すべてを私に預けてきた。

「文緒──愛してる。俺の側から、離れないで」

 私の耳元でそう囁くと、睦貴の身体から力が抜けた。必死になって睦貴の身体を抱き留める。
 睦貴がそんなことを思っていたなんて、知らなかった。
 そして、今までずっと
『側に置いてくれるのなら側にいるよ』
 と言っていた睦貴が、離れないでと言ってくれた。

 私はずっと、不安に思っていた。
 入籍してすぐに睦貴はアメリカへと行ってしまった。『結婚した』という証は確かにあったけど、睦貴は側にいなかった。指輪さえもなく、生まれた時からつかず離れず側にいた存在は、物理的に遠いところにいた。
 ぼんやりしそうになる自分を叱責して、早いところ睦貴の側に行きたくて、睦貴がいないという淋しさを忘れるためにがむしゃらに勉強をした。
 蓮となっちゃんをはじめとしてたくさんの人が私の周りを取り巻いていたけど、ぽっかりと空いた喪失感を埋めることが出来なかった。
 睦貴は私の一部になっていた。
 睦貴も私に対して同じような思いを抱いてくれていた──そう思うと、今まで睦貴に感じていたのと違う感情がわき上がってきた。
 愛おしい。
 言葉にするとなんだかありきたりだし陳腐な感じがするけど、私の気持ちを表すのはそれが最適のような気がした。
 私の真後ろに気配がして、身体が急に軽くなった。驚いて振り向くと、潤哉が私にもたれかかっていた睦貴を抱きかかえていた。

「なにをするのよ!」

 私は慌てて、潤哉から睦貴を奪い返そうとした。

「このままだとおまえも睦貴も辛いだろう」
「睦貴になにかしようなんてっ!」

 睦貴の腕をつかむと、潤哉に払われた。

「なにもしねーよ」

 表情を見る限り、その言葉を信じてもいいように思われた。だから私は、潤哉を信じることにした。
 潤哉は睦貴の身体を抱え直し、私に点滴スタンドを持ってくるように指示をしてくる。潤哉を信じてはいたけどそれでもなにをされるのか分からない私は、警戒しながらも素直に従った。
 潤哉は睦貴の身体をベッドまで抱えていき、寝かせようとしていた。しかし、自分よりも身長がある意識のない人間を一人で寝かせるのは難しいみたいで、苦労している。私は睦貴の腰を支えて手助けした。どうにか睦貴をベッドに寝かしつけ、布団を掛けて大きく息を吐いた。

「……助かった、ありがとう」

 まさかそこでお礼を言われるとは思わなくて、驚いて潤哉を見た。潤哉は私に背中を向けている。

「──あいつに……殺されるかと思った」

 ぼそりとつぶやく潤哉の背中を凝視する。

「あいつのあんな顔、初めて見た。人のことを拒絶はするけど、その中にも優しさはあった。さっきの顔は……優しさのかけらもなかった」

 潤哉の声は、震えていた。
 私も初めて見る表情で、自分に向けられていたものではないにも関わらず、心臓が凍り付きそうになったのを思い出した。

「高校一年の時、睦貴とは同じクラスだった」

 前触れもなく、潤哉はそう口にした。意図が分からず、私は黙っていた。潤哉は睦貴が寝ているベッドを見つめ、私に背を向けたまま、続きを語り始めた。

「喬哉兄さんの復讐のために、睦貴に近づいたんだ」
「喬哉……兄さん?」
「オレの腹違いの兄だ。優しくて強くて、オレのあこがれの人だった。だけどその兄さんは……自殺したんだ」

 思い出した。潤哉があの別荘で起こした、惨劇の原因を。

「兄さんが残したメモに書かれた『タカヤ』という言葉と付き合いのあった『高屋』を結びつけたオレは、高屋のだれでもいいから復讐をしたかった。大切な兄さんが死んだと知った時、世界がそれまでと変わらずに回っていることが許せなかった。オレは何事もなかったかのように生きていられなかった」

 もしも。
 潤哉に刺されて睦貴が死んでしまっていたら、私は潤哉に復讐をしていただろうか。
 その答えはすぐに出た。
 復讐は──しない。
 だからといって睦貴の後を追うかというと、それもしない。睦貴は大切だけど、後を追ったって睦貴に怒られるだけだ。それが原因で嫌われたりなんかしたら、辛くて死んでも死にきれないような気がする。だからこの世にとどまり、嘆き悲しみ……その先は想像もつかない。
 潤哉を憎む?
 ううん、それもしない。
 潤哉はそれを望んでいるだろうから、憎むわけがない。
 ただひたすら、睦貴を想うだけだろう。

「復讐を胸に、それが生きている証だった」

 潤哉にとって喬哉兄さんは心の支え、だったのだろう。その人がだれかのせいで死んでしまった。支えを失った潤哉は支えが欲しくて、生きている意味がほしくて……。
 なんて悲しいのだろうか。

「復讐するために睦貴に近づいた。最初、オレのことを拒否したんだ。こいつはなんて嫌なヤツなんだ、復讐されるにふさわしいと思った」

 睦貴が高校一年生。それはまだ、私がこの世に生を受けていないとき。睦貴はどんな高校生だったのだろうか。

「普通なら、新しい環境に置かれると、新しく友だちを作ろうとするだろう?」

 そう聞かれ、私はうなずく。

「ところが、だ。睦貴はすべての人間を拒否したんだ」

 それがものすごく睦貴らしくて、思わず笑ってしまう。

「……そこは笑うところなのか?」
「うん。睦貴らしくって」

 話を続けようとしたら、看護師さんがやってきて睦貴の様子を聞いてきた。
 先ほど暴れたという話をしたら大変なことになりそうだったので、熱があるのにふらふらしながら起き上がっていたということにしておいた。
 潤哉は部屋の隅で小さくなっている。

「傷口が開かない程度でしたら起きてもかまいませんから。むしろ、動けるようでしたら積極的に動いた方が、傷の治りは早いですよ」

 睦貴の熱を測り、それだけ言うと看護師さんは部屋から出て行った。
 ベッドの上でぐったりと寝ている睦貴の頬を触ると、ひげを剃っていないから、さすがにざらざらとした。そして、その頬はとても熱くてどうすればいいのか動揺してしまった。

「心配なのか?」

 潤哉はそういうなり、私を後ろから抱きしめてくる。私はあらがい、その腕の中から逃れた。

「私に触らないでっ」
「なんでだよ。オレ、おまえのことが好きなんだぜ」

 手首をつかまれ、引き寄せられそうになったので、私は逆に引っ張り、襟首を捕まえた。

「私に触れていいのは、睦貴だけなの。今度、今みたいなことをしたら、いくら睦貴の親友でも、ぶっ飛ばすからね」

 最近、柔道の練習はさっぱりしてないけど、投げ飛ばすくらいの自信はあった。
 にらみつけてそう言ったのに、潤哉は楽しそうに笑っている。

「相変わらず、気が強いのは変わってないんだな。ますます好みだ」

 睦貴以外の異性に好かれても、うれしくともなんともない。私は不快感を表すためにしかめっ面をして、顔を逸らした。





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