愛から始まる物語


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【Voice】07



     ***

 十二年前の別荘の出来事。
 怖くて悲しくて淋しい結末。
 当時の私はいろんな思いが錯綜して、それに睦貴の気持ちを思うと涙を止めることが出来なかった。睦貴はきっと、ものすごく我慢している。だから私も我慢しないといけないと思ったのに、気持ちとは裏腹に、あふれ出てきてしまった。
 どうしてこの人はこんなに辛い目に遭わないといけないのだろう。
 それが『高屋』として生まれた責任なの? そんなの、おかしいよ。

──だから私は、『高屋』を捨てたいと思っていた睦貴の願いを叶えた。

 だけどそれは結局、私のわがままでしかなかったのだ。私が『高屋』になる覚悟がなかったから。睦貴の願いを叶えるフリをして、自我を通したのだ。

 アキさんに相談に行ったとき。ものすごい渋い顔をされた。今まで見たことのないほどの怖い顔をしていて、やっぱりいいですなんて言いそうになる自分を必死に押さえつけた。
 それから……蓮となっちゃんが呼ばれ、さらにはアキさんと睦貴のお父さんである孝貴(こうき)さんまで登場して、自分が思っていた以上に大事になってしまった。
 そうだよね。
 睦貴が『高屋』ではなくなる。それは思っているよりもずっと、難しいことだった。
 長い間、本当に長い間、佳山家のリビングで話し合いが行われた。
 日付が変わってもそれは続き。

「文緒──睦貴と生涯、ともに歩んで行く覚悟はあるのか?」

 半分ほど意識が遠のいていた頃。突然、蓮にそう話しかけられ、私は一気に目が覚めた。立ち上がり、

「もちろん!」

 と答えた。
 あの時、今の結果が分かっていても、同じ答えを出していただろうか。
 答えは
「もちろん!」
だ。
 あの時、
「もちろん!」
と言ってなければ、睦貴と一緒になれなかったし、子どもたちとも出会うことができなかったのだ。睦貴以外の人となんて、あり得ない。
 後悔はしてない。
 だって、睦貴と一緒になってない方が後悔するに決まっているから。

     ***

 懐かしい夢を見た。
 別荘の出来事はきっと、潤哉に会ったから見たのだろう。
 それに引きずられるようにして、睦貴との結婚前のことを連想して思い出した。
 あそこまでお膳立てせずに睦貴に、

「結婚してほしい」

 と言ったとしても、すぐには答えが返ってこなかっただろう。
 意外に優柔不断なんだよね、睦貴って。
 睦貴の寝ているベッドへと向かおうと思い、起き上がるために寝返りを打った。

「!」

 口角をあげて、こちらをじっと見つめている潤哉がいた。

「警備が手薄過ぎだな、ここは」
「……どうして」

 まさか、睦貴にとどめを刺しにここにやってきた?
 私は慌てて起き上がろうとしたが、潤哉の方が動きが速く、あっという間に手首をつかまれて、布団に縫い付けられた。

「生死の境をさまよっている愛しのだんなさまの横で、このままおまえを犯してやろうか」
「やっ」

 冗談じゃない。
 私は潤哉から逃れようと暴れたが、男の力に敵うはずもなく、必死にあらがったがびくともしない。

「やめてっ」

 私の身体の上に潤哉は被さり、顔を近づけてくる。とっさに顔を背ける。

「抵抗するだけ無駄だ」

 布団越しでも伝わってくる、潤哉の熱と匂い。睦貴とは違うその体温と匂いに泣きそうになる。

「やめなさいよ」

 泣きそうになる自分を叱咤しながら、震える声を悟られないように毅然とした態度を取るのだが、潤哉にはばれているらしい。耳元に楽しそうな声が聞こえてくる。

「睦貴なんかより気持ちよくしてやるよ」
「いやよっ、睦貴以外、要らないんだから!」

 耳元にはいらだたしげな舌打ち。

「どうしてどいつもこいつも睦貴なんだ」

 身体にかかっていた圧力がなくなりほっとしたのも束の間。外の空気に急激にさらされた。そして次の瞬間、今度は布団越しではなく潤哉の身体が私の上へと乗ってきた。
 この人、さっき言ったことを本気で実行する気なんだ……!

「やめ……んんっ!」

 潤哉からそらしていたあごをつかまれ、かみつく勢いで唇を奪われ、さらには乱暴に口腔内へと舌を入れられた。睦貴とはまったく違う感触に涙がにじんできた。息ができない。

「んー!」

 苦しくて、早く離れてもらいたくて暴れるのだが、潤哉は離れるどころかますます貪ってくる。どうすればいいのか分からず、パニックに陥りそうになった時。
 身体の上に乗っていた重みが軽くなり、涼しく感じた。
 無意識のうちに閉じていた目を開くと、潤哉はいない。私はようやく自由に出来るようになった息をするために大きく空気を吸い込んだ。

「……大丈夫か、文緒」

 息を吸い込んだ途端、大好きな声が聞こえてきて、驚いてそのまま止まった。

「む……つき?」

 まさか、今の最悪な場面を見られた?
 もちろん、私は不同意だったし、あらがっていた。だけど、睦貴が怪我をして眠っている側で……。
 私の心臓は早鐘を打ち始める。

「文緒?」

 私はどう反応すればいいのか分からず、呆然と天井を見上げていた。
 なにかを引きずる音がして、私はそこでようやく、布団から身体を起こし、睦貴を見た。

「なんで起きてくるのよ!」

 そうだ。この人は怪我をして……。

「また傷が開くじゃないの!」
「大丈夫だよ、しっかり縫ってくれてるみたいだし」

 といいつつ、点滴のぶら下がったスタンドに身体を預け、肩で息をしている。私は慌てて睦貴に駆け寄る。手を握ると、恐ろしいほど熱い。

「馬鹿っ! 大人しく寝て! そ、そうだ! この布団でもいいから!」

 私は慌てて横になるように伝えるのだが、その視線は今まで見たことがないほど冷たく、私の後ろを見ている。その表情はまったく見知らぬ人に見えて、首を振った。

「潤哉、今、文緒になにをした」

 声も聴いたことがないほど冷たい。こんなの、睦貴じゃない。睦貴がどこか遠くに行ってしまいそうで、だけどどうすればいいのか分からなくて、力なく睦貴の裾を握るしか出来なかった。

「文緒はだれにも渡さない」

 睦貴の側でたたずんでいた私の腕をつかむと、力強く引き寄せられた。腕の中におさまり、落ち着く。胸に顔を埋めると、睦貴の匂いがした。布越しに伝わる温度はいつもよりやはり熱く、私はさらに不安になる。顔を上げると、乱暴に唇をふさがれた。熱をはらんだ唇だったが、私の大好きな睦貴のキスに、先ほど感じた気持ちをぬぐいたくて軽く口を開けると、舌が中へ入ってきた。潤哉にされた行為を忘れたくて、舌を追いかける。
 息が苦しくなった頃、睦貴から唇を離した。
 離れていく顔はやっぱり怖くて、睦貴の腕をきつく握る。

「潤哉」

 聞いたことがないほどの低い声。

「文緒は渡さない──俺のものだ」

 十二年前。潤哉に
『睦貴のものなのか』
 と聞かれて、はっきりと答えられなかった。
 それに今まで、睦貴にはっきりと言われたことがなかった。睦貴の一部と認めてもらえて、私はうれしくなった。





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