愛から始まる物語


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【Voice】04



     ***

 敦貴に頼まれたお水とアキさん用のお茶を買い、自分用になににしようかと自動販売機をにらみつけていたら、背後に気配を感じた。もう少し時間が掛かりそうだったので先に買ってもらおうと笑みを浮かべて振り返り……中途半端な笑みのまま、凍り付いた。

「気配を消していたのに気がつくとは、さすがだな」

 少し長めの茶色い髪に室内だというのにサングラスをかけている。だけどすぐにそれがだれか私には分かった。背中に冷や汗が伝う。私は力なく首を振り、後ずさった。

「そんなに嫌がることないじゃないか。──佳山文緒」

 口元に冷たい笑みを浮かべた、睦貴が唯一の親友と言っていた空知潤哉(そらち じゅんや)が、そこには立っていた。
 あれはそう、十二年前の夏休みに入ってすぐの出来事。私が内緒で睦貴について行った先で起こった、悲劇。むせかえるような夏の熱気とともに生々しい匂いを思い出し、血の気が引いていくのが分かった。背後の自動販売機に寄りかかる。

「生きて……いたんだ」

 死んでしまったとは思っていなかったけど、こうして目の前に無事な姿を見ることが出来て安堵はした。この人が十二年前にやった出来事は許せないことだけど、だからといって死んで欲しいなんて思ったことはない。無事に生きていたのなら良かった──と、素直に思えた。

「残念ながら、生きていたよ」

 皮肉な笑みを浮かべた潤哉を見て、私はなぜか慌てる。

「い、生きていたってことを睦貴が知れば、喜ぶよ!」

 どうして潤哉がここにいるのか、ということにまで頭が回っていない私がそう口にした途端。潤哉は私との間合いを激しく詰めてきた。恐怖を感じて逃げようとしたが、膝が笑って身体が動かない。いつもなら問題なく逃げられたはずなのに。
 頭で理解する前に、心がなにかを感じ取っていた。潤哉に奪われてしまう。それが私を萎えさせていた。
 奪われるってなにを? 私から睦貴を?
 潤哉は私を見下ろし、肩に手をかけてきた。うつむいたら負けだと思って私は半ば、にらみつけるように潤哉を見た。見上げる角度が睦貴より少しだけ緩やかということは、睦貴より少し背が低いということか。
 ──自分の中の基準がすべて睦貴になっていることに気がつき、そして、先ほど見た、血の気の失せた姿を思い出し、涙があふれそうになった。

「泣きそうな顔をしながらもオレをにらみつけてくるなんて、おまえは本当に気が強いな。睦貴が手放さないはずだよ」

 潤哉は反対の手でサングラスを外し、茶色い瞳をこちらに向けてきた。切れてしまいそうなほどの鋭い視線で私の瞳をのぞき込んでくる。負けてなるものかと見つめる。すると急に視線を緩め、男にしておくのはもったいないほどの華やかな笑みを浮かべ、顔を近づけてきた。
 ──キスをされる。
 私はとっさに顔を背けた。
 背けた顔を追いかけてくるかもと思ったが、潤哉はそのまままっすぐ顔を近づけ、髪の毛ごと私の耳たぶを口にした。

「や……っ」

 全身に鳥肌が立つ。睦貴が同じことをしていれば、違う反応が自分に起こったであろうというのが容易に想像がついた。それとはまったく違う、ぞっとする感覚。

「やめて……っ」
「相変わらず感じやすいのか」
「ちっ、違うわよっ! 勘違い、しないでよ!」

 耳元で水の音がしたことで、潤哉が口を開いて、舌を伸ばしてきたのが分かった。耳たぶにぬるりとした感触が伝わり、さらに粟立つ。

「いい加減にしてよ!」

 潤哉に離れてほしくて、股間を蹴り上げて遠ざけるという選択肢もあったのだが、さすがにそれはまずいだろうと思い、足を踏みつけるにとどまった。

「ってー」

 潤哉は私の反撃を予想していなかったのか、慌てて私から離れる。

「跳ねっ返りのおてんばは相変わらずってことか」

 私は視線を左右に送り、助けを求められないかと見たが、見舞客も帰ったようで、だれも周りにいなかった。

「前に言っただろう。オレは必ずおまえを手に入れる、と」
「冗談じゃないわよ! 私は睦貴しか要らないの!」

 そんなことはあり得ないのだけど、世界中の人たちを敵に回しても私には睦貴しか要らなかった。私の記憶にはないけれど、文字通り生まれた瞬間から側にいるのが当たり前だった。だから、いなくなるなんて思っていなかった。だけど──。
『睦貴は
「高屋」
だから、そのうち、側からいなくなる』
 蓮となっちゃんにそんなことを言われて、睦貴は私のものにならないと言うことを知った。それから……いつか睦貴が離れていくのではないか、と戦々恐々としていた日々。
 そしてその日が実際にくると知った時、私の中の時間は、止まった。
 当たり前にそこにいると思っていた存在が、ある日を境にしていなくなる。
 それまではもしかしたらそんな日が来るかもしれないとおびえていただけだったのが、具体的にいなくなってしまうのがはっきりして──私はその日が来て欲しくなくて、自分の中の時を止めた。
 そんなことをしても、周りは動いているのだから無意味なのは分かっていたけど、一秒でもそんな日が遠くなればいいのにと願いを込めて……。
 あの時は時を止める魔法があればいいのに、なんて本気で思ってしまった。
 だけど結果として、あのまま時が止まらなくてよかった。
 私の想いは睦貴がすべて受け入れてくれた。私のわがままを一つも漏らすことなく、睦貴は願いを叶えてくれる。
 私は魔法が使えないけど、睦貴は私の魔法使いだ。

「おまえがオレのモノにならなければ、その睦貴の命がない──となったら?」

 潤哉はまた、私の側に寄ってきて、耳元で不穏な言葉を囁いた。

「おまえの息子をさらい損ねたのは痛かったな」

 楽しそうな声音に、私は手に持っていたペットボトルを投げ捨て、潤哉につかみかかった。

「あんたが睦貴を……!」
「そうだ、と言ったら?」

 凍り付きそうなほどの冷たい視線。

「睦貴はあなたの親友なんでしょう? どうしてあんなことをしたのよ!」

 この世のすべてを拒絶して、憎んでいるような瞳。
 確かに、この世界は優しくはない。だからといって拒んだり憎んだら、余計に世界は自分を受け入れてくれない。
 睦貴もたまにこんな表情をするけれど、拒絶というよりは世界に救いを求めている。
 ──ううん、睦貴は自分を受け入れて欲しいといって世界に懇願しているわけではない。睦貴はすべてを受け入れる。拒否することのできない睦貴を、自分と同じように世界に受け入れて欲しいと願っているのだ。だけど、睦貴はそのことに気がついていない。
 だからこそ、いつだって睦貴は不安そうで、苦痛そうな表情を浮かべているのだ。

「どうして、なんて聞くのか」

 潤哉は胸倉をつかんでいる私の手を上から包み込み、ゆっくりと引きはがす。必死にあらがうのだが、男の力には勝てなくて、いとも簡単に後ろの自動販売機に身体ごと、押しつけられた。

「おまえを手に入れるには、睦貴とそして子どもが邪魔だからだ。オレはどうあってもおまえを手に入れたい」

 私は激しく首を振ることしかできない。

「私から睦貴を奪わないで」

 睦貴から私を奪うと言うけど、それは間違っている。私が睦貴から離れるなんて、考えられない。睦貴の側から離れるのは、私の中の時が止まること。そんな私を置いて世界は変わらず動いているけど、睦貴がいない世界なんて──。

「睦貴がいない世界なんて、ないのも同然よ」

 潤哉は皮肉な笑みを浮かべ、私を見下ろしている。

「オレを求めればいい」
「だって、あなたは空知潤哉で、睦貴じゃない。睦貴はだれの代わりにもならないし、あなたもあなたであって、睦貴の代わりになんてならない」

 私のその言葉に、潤哉は憎しみのこもった瞳を向けてくる。

「どうしてだ! どうして睦貴なんだ!」

 それは私も何度も何十回、いや、何百回と考えた。
 どうして睦貴だったのだろう。
 それは、考えても出る答えではなかった。
 では、もし睦貴の代わりに私を取り上げたのが目の前にいる潤哉だったら?
 ここまで深い仲になっていただろうか。
 そう考え──潤哉には悪いけど、答えは
「いいえ」
だった。
 どれだけ考えても、気がついたら横には睦貴が当たり前のようにいる情景しか思い浮かべることが出来なかった。

「おまえが──ほしいんだ!」






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