愛から始まる物語


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【Voice】03



     ***

 病院の駐車場に入り、車が止まった瞬間、私は車外に飛び出そうとした。

「文緒、落ち着け」

 苦笑したようなアキさんの声に、私は慌てて座り直す。

「……落ち着きのなさは相変わらずだな。しかも、睦貴の落ち着きのなさまで伝染したか?」
「アキさん、ひどいっ! 睦貴は──。……うん、落ちつきないね、そういえば」

 冷静沈着に見せかけて、実はものすごくおっちょこちょいだし落ちつきないし、とんでもないことをやらかしてくれるしっ。
 思い出しただけでまた、泣けてきた。

「…………」

 アキさんは少し呆れたような表情で、私を見ている。大きな手で私の頭をしっかりつかむと、ぐっと胸元に引き寄せられた。幼い頃にもこうやってよく抱きしめられた。睦貴とは違うぬくもりにまた、涙がさらに出てきた。
 なにを見てもなにをされてもそれは睦貴にしか繋がらなくて、どれだけ自分の人生に睦貴が浸透していたのか、思い知らされた。

「……困ったな、ほんとに」

 苦笑したアキさんの声に泣き止まないといけないと思うのだけど、そう思えば思うほど、涙が止まることがない。
 アキさんがハンカチを渡してくれて、私はそれで涙をぬぐいながら車を降りる。

「ほら、手を出して」

 車の鍵をかけたアキさんは手を差し出してきた。ハンカチ越しに見上げると、困った顔をされた。

「泣いてると歩きにくいだろ」

 戸惑っていたら、強引に手を取られた。なんだか子どもに戻ったみたいでとても恥ずかしい。
 アキさんは私にとって、もう一人のお父さんだ。蓮と同じ年だし、幼い頃からずっと見ていてくれた。睦貴も父親代わりはしてくれたけど、一度も父だと思ったことが実はない。

「うっ……」

 手のぬくもりさえも兄弟なのに睦貴とはまったく違っていて、思わず比べて嗚咽が漏れる。アキさんは繋いでいた手を外すと、私の肩を抱き、歩き出した。

     ***

 アキさんに肩を抱かれ、私は泣きながら睦貴が寝ている病室までたどり着いた。
 病室が開けられ、ベッドの上に青ざめた顔をして寝ている睦貴を見た瞬間、私は駆け寄り、その手を取った。脇腹を刺されたというから血がかなり流れたのだろう。指先は冷たく、いつも知っているぬくもりとは違って、私は睦貴の手を握ったまま、崩れ落ちた。

「どうし……て」

 アキさんが後ろからやってきて、私を支えて立たせてくれ、パイプ椅子に座らせてくれた。

「ねえ、睦貴。お願いだから目を開けて」

 油断をすると椅子から崩れ落ちそうになりながら、睦貴の手を握りしめる。
 睦貴の寝顔を見るのがこれが初めてではない。私をほったらかしにして先に寝てしまうこともあったし、起こしてもなかなか起きないこともあった。だけどこんなに今にも死にそうな顔はしてなかった。苦痛そうに顔をゆがめてなにかに耐えているかのようにして寝ていることもあったけど、今思えば、まだそちらのほうがよかった。今のように生きているのかどうか分からないよりはましだ。

「私より先に死んだりしたら、許さないんだから」

 そう言葉にして、さらに涙があふれてきた。それどころか、止める術を私はすっかり忘れてしまい、次から次へと流れ出てくる。
 本来の私は、とても淋しがり屋で泣き虫で、意気地なしのおっちょこちょいなのだ。だけど睦貴がいてくれるからがんばってこられた。十六歳の差を少しでも埋めるために、睦貴の側にもっと近寄れるために、がんばってきた。
 私は睦貴のために生まれてきたと断言できる。その睦貴がいなくなったら、私の存在意義なんてないようなものだ。
 睦貴との子どもたちがいる。だけどやっぱり、睦貴がいなければ私だけでは育てていけない。
 お願いだから、目を覚まして。もう一度、その声を聞かせて。

「……文緒」

 静まりかえった病室。私の嗚咽だけが響く中に、子ども特有の甲高い声が私の名前を呼ぶ。

「敦貴……! あなたは無事だったのね」

 アキさんに連れられて部屋に入ってきた敦貴を見て、安堵する。立ち上がって敦貴のところへと行こうとするのだが、力が入らない。敦貴は睦貴と同じように仕方がないなという表情を浮かべ、私の元へとやってきた。その表情がさらに私の涙を呼び、近寄って来た敦貴の小さな身体を腕の中に閉じ込め、強く抱きしめる。

「文緒、苦しいよ」

 睦貴とは対照的な熱に、この子は生きているのを実感する。

「睦貴はあなたを守ったのね」
「うん、そうだよ。見知らぬおじさんがいきなり睦貴を切りつけてき……て。うっ……うわああああんっ」

 それまで敦貴は我慢していたようで、小さな身体をひどく震わせ、私の腕の中で号泣し始めた。それを見て、私がしっかりしなければならないんだと唇をかみしめ、はれぼったくなったまぶたにハンカチを当て、涙を拭き取る。

「怖かったのね。今までよく、我慢したわ」

 敦貴は私にしがみつき、大声で泣いている。

「敦貴、よくがんばったな」

 アキさんが私たち親子の側に来て、敦貴の頭をなでてくれている。

「文緒、ボクが睦貴を守らないといけなかったのに、ごめんね」

 この子はなにを言っているのだろう。

「ボクがもっと大きかったら睦貴に怪我をさせなかったし、文緒をこんなに悲しませなかったのに、ごめんね」

 しがみついている敦貴を離し、その顔を見る。涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔をしていたけど、小さい頃の私にも文彰にもそっくりな顔をして、しゃくりあげながら強い意志を宿した瞳で私を見つめ返してきた。

「ボクたち、早く大きくなって強くなるから」

 泣きじゃくりながら生意気なことを言う敦貴が愛しくて、抱きしめる。
 私たちのせいで、双子は生まれながらにたくさんのものを背負わされてしまっている。

「ほんと、あなたたちは生意気ねっ」

 涙がにじみそうになるのを必死で隠し、私は敦貴の頬を軽くつねる。

「睦貴はあなたに守られるよりも、あなたを守ったことで満足していると思うの」

 もっと気の利いたことを言いたいのに、なんと言えばいいのか分からない。

「ボク、強くなるよ」

 その姿があまりにもいじましくて、再び、涙があふれ出しそうになる。

「そうだな。強くたくましくなれ」

 アキさんはそう言って、私にしがみついている敦貴を抱き上げる。

「まずは蓮に空手を教えてもらうか?」
「うん!」

 よりによって蓮に教わるなんて……。あの人は孫だからといって、手加減をするとは思えない。私でさえ手加減してなかったというのに。いいんだろうか。

「あいつは孫だからって手加減をするようなヤツじゃないが、敦貴はがんばれるのか?」
「がっ、がんばれるに決まってるだろっ!」

 強ばった表情でいじましくも強がっているのを見ると、今日の出来事は敦貴にとって、よほどのことだったらしい。今までも何度も護身術だけでも教わった方がいいと思って説得したのだが、嫌だと言って拒んでいたのだ。怪我の功名……というと変だけど、得るものがあっただけまだマシだったと思っておこう。そう思わないと、涙に溺れてしまいそうだった。

「私、喉が渇いちゃった。敦貴とアキさんはなにか飲みたいもの、ないですか?」
「ボクはお水がほしい!」
「じゃあ、俺はお茶を」

 気持ちを切り替えたくて、私は一度、部屋を出ることにした。喉が渇いていたのもあったので、ロビーに置いてある自動販売機で飲み物を買って来よう。

「すぐに戻るから」

 私はかばんの中からお財布と携帯電話を取りだし、部屋を出た。
 心配しているだろうから、お母さんに連絡を入れておこう。それとも、アキさんがもう連絡を入れてくれているだろうか。かぶってもいいから連絡しよう。
 部屋を出て、廊下を歩く。お見舞いの時間がそろそろおしまいを告げるらしく、病室や面会室から出てくる人で廊下には思ったよりも人が多かった。
 ロビーに到着して、先にお母さんの携帯電話にかける。すぐに繋がった。

「お母さん、睦貴は大丈夫だよ」

 ぐったりと眠ってはいたがそう告げないと最悪な事態になりそうで、希望を込めて伝える。
『ありがとう、文緒。さっき、アキから聞いたわ。こちらは心配ないから……って、あっ』
『文緒、敦貴は大丈夫?』
 瑞貴の声だ。どうやら、お母さんから電話を奪ったらしい。

「大丈夫よ、心配ないわ」

『おれもがんばるから!』
 それだけ言うと、瑞貴は『はい、電話、返す』と言って、気配が遠ざかった。
『咲絵は今、寝ちゃったわ。もう少ししたら夕食だから、起こして食べさせるわ』

「ありがとう」

 お母さんは双子の一つ上の美帆(みほ)と双子の二つ下で咲絵の一つ上の穂乃香(ほのか)の二人の面倒も見ないといけないのに、うちの子まで見てもらって申し訳ない気持ちがいっぱいになる。だけどいつも
「ありがとう」
としか言えていない。
『あんまり泣かないのよ』
 すっかり見透かされてしまっているお母さんのその声に、思わず反発してしまう。

「もう、泣きませんっ」

 これでは先ほどまで泣いていたと白状しているようなものではないか。言った後であっと思ったものの、お母さんはそのことについては追求せず、心配しなくていいからと言って、電話が切られた。
 その心遣いに、やっぱりお母さんはすごいと頭が下がる思いだった。





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